本人の意思
「ーーなんでもする心算って、言ったよね」
そう言ったジャンは確かに首を傾げているのに、その口調は全く問いのそれではない。
皆が静かに見守る中で、エドアルドが一人ぐっと息を呑んで、手にした封筒を睨みつけるように見た。
「それで、『覚悟』と『協力』か……」
エドアルドがそう呟いて、再び静かな時間が訪れた。玉座に座したアルヴェツィオはただその様子を静観していて、エドアルドの横に立つナターシャは口元に手をあてたまま、気遣わしげにエドアルドを見ていた。
そのままちらりと周りを見れば、アリーチャとフィルも何か考え込んでいる様子で、隣のシルヴィオとだけ目が合った。
お互いに困惑した顔で首を傾げたタイミングで、声を震わせたアーブラハムが恐る恐る口を開いた。
「いや、いやしかし、エドアルド様がアドリエンヌ様を装うなどやはり無謀というもの!ここは花姫様にーー」
「ーー無謀?」
ぴくりとエドアルドの肩が揺れて、酷く機嫌の悪そうな顔がアーブラハムを睨んだ。
「へ、は、はい、無謀でございましょう?性別も違えば、その振る舞いだって……」
言いかけたアーブラハムへ、エドアルドがすぐさまその姿勢を変えて近付いた。わざと靴音を鳴らしながら少しだけ背を丸め、肩を落として、そうして手にした封筒の先でアーブラハムの顎をぐっと持ち上げる。
エドアルドが纏う掃除の為の軽装は完全に男性のそれなのに、その装いに合わせるように重たいドレスが見えた気がした。
「ーーアーブラハム。わたくしのどこが『違う』というの?」
そのどう見ても女性にしか見えない仕草と、アドリエンヌの声をきちんと模した甲高い言葉にアーブラハムがはっと目を見開いた。……いや、正確にはこの場にいるみんなが揃って目を見開いていた。と、思う。
それくらい、エドアルドの装いは完璧だった。……ジャンがシルヴィオの姿を装った時と同じくらいには。
「っ……アドリエンヌ、様……!?」
恐れの滲むアーブラハムの呼び声に、ふっと一つ笑って、エドアルドが元の低い声で首を傾げる。
「……お前はこれでも無謀だ、と?」
「めめめ、滅相もございませんっ!」
「フン。全く、私がどれだけ母上の背を追ってきたと思っているのだ。……これくらい、造作もない事だ」
ブンブンと首を振るアーブラハムからさっと離れたエドアルドが、微笑むジャンに向き直った。
「流石だね、エド。今も健在とは」
「……ああ。まるで母上の心と向き合うような、この痛みには慣れないが、な。」
頷き合うジャンと胸を押さえたエドアルドの二人を見て、シルヴィオが首を傾げた。
「確かに兄上の装いは見事でしたが、……今も健在、とは?」
「ああそうか、シルヴィオはあの時居なかったんだっけ。……なんてことはない、子供のごっこ遊びさ」
「ーージャン。それ以上は言うなよ。」
エドアルドに釘を刺されたジャンが肩を竦めて、手でバツ印を作った。
そうして纏う空気を変えたエドアルドが、玉座を見てゆっくりと跪く。
「父上、私は母上と話をする為に、イグニスへと渡りたいのです。そうして、私が血を継いだだけの男へと引導を渡す。正しく、私を息子として育ててくれた父上や皆の為にも。……その為に、私は私の出来ることで尽力いたします。ですから私も、イグニスへの道行きに加えてください」
目を細めてエドアルドを見たアルヴェツィオが、静かに口を開こうとしたところで、まるでそのタイミングを見計らったようなジャンが玉座へ向けてすっと跪いた。
「アルヴェツィオ王、ナターシャ様。私も、共に参ります。……そして出来れば、エミリアも加えてください」
「!ジャン、何を」
目を見開いたエドアルドがジャンを見ると、同時にナターシャがゆるりと首を傾げた。
「ジャン、その理由は?」
「はい、ナターシャ様。私もこの状況下で招待状と共に敵地へ乗り込むなど、本来であれば無謀な作戦だとは思います。だからこそ数々の無謀を無謀で無くす為に、……エドアルド様がアドリエンヌ様を装うように、私はシルヴィオ様を。……そしてエミリアは、」
「……なるほど。エミリアならば花姫様を装える、という理由か」
静かなアルヴェツィオの呟きに、ジャンがこくりと頷いた。
「はい。その際には花姫様の考案されたフィレーネベールが必ず役立つことでしょう。何せヴァルデマール王は『たった一目』しか花姫様を見てはいないのですから」
ジャンの言葉にアルヴェツィオが考え込むと、途端にエドアルドがジャンの肩を引いた。
「ジャン、何をふざけたことを……」
「エド。君にだけは言われたくないよ。それに、エミリアのことは僕がきちんと守る。……エドも、僕の言っていることの利点はわかっているだろう?」
「…………それは、」
ぐっと唇を引き結んで、エドアルドが目を反らす。
その様子を見て一つ息を吐いたジャンが、そっと自分の肩に置かれたエドアルドの手を払った。
「アルヴェツィオ王。シルヴィオ様と花姫様の代わりが居れば、その間にエドアルド様とアーブラハムが付き人に扮した二人を連れて、件の目を閉ざした男と共に捕らわれた精霊達の元へ辿り着くことが出来るはずです」
「うむ。……その通りだな。……だが、」
言い淀んだアルヴェツィオに対して少しだけ迷うように視線を動かしたジャンが、やがて意を決したように口を開いた。
「ーーこれは、エミリア本人の意思でもあります」