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招待状



「お前、……精霊の血を飲んだな」



……精霊の血、って、たしか。

息を呑んで周りの状況を見ると、この場に立つ誰もが揃って厳しそうな表情を浮かべていた。

ただ一人、乾いた声音を震わせたアーブラハムを除いて。


「精霊の、血……ですと……?」

「ああ。その急激な老化は、精霊の血を体に巡らせて時を止めていた反動だろうさ。……で、いつからだ?」

「いつ、……?」


アリーチャの問いかけに、床にうずくまったアーブラハムが視線を巡らせて、それからゆるりと首を振った。


「……わからない、何も」

「ーージャンマルコ、」


すっと目を伏せたアリーチャがジャンの名を呼べば、いつの間にかその瞳に金色を揺らめかせていたジャンがすぐに唇を開いた。


「はい、アリーチャ様。彼は別段嘘を吐いてはおりません。……が、思い当たる節はありそうですね。うん……赤い酒、かな?」


ぽつりと言ったそれに、老け込んだアーブラハムがはっと顔を持ち上げた。


「酒、赤い酒ならば知っています。王の、ヴァルデマール王より賜った不思議な力を持った、酒で……?」


そこまで口走って、アーブラハムの顔色がさっと青くなった。


「あれが、あれがまさか……精霊の血だった、のか……!?」


パクパクと酸素を求める魚のように口を開け閉めして、縛られたままの手が震え出す。


「……お前は自ら望んで飲んだわけではないのかい?」

「っめ、滅相もございません!確かに王より賜った赤い酒を煽って以来、自分の姿が変わらなくなったことは不思議でしたが……もしもそんなものと知っていたら、私は決して口になど……」


訝しむアリーチャに強く否定の意を述べて、アーブラハムの深い皺を刻む目元にぽろりと涙が溢れた。


「ああ、王妃様……私はなんと申し訳のないことを……」


王妃様と言った割に、呻いたアーブラハムは少しもナターシャの事を見てはいなかった。……すると誰か別の人のことだろうか。


私が首を傾げている間に、玉座を降りたナターシャがアーブラハムへ近寄って、そっとその腕を縛る布を解いた。


「母上!?」

「……アーブラハム」

「は、はは、ナターシャ様……!」

「この時世では儘ならぬ事もあったでしょう。……ねえ、アーブラハム。仕えたよしみで、貴方の言う王妃様のことをこのわたくしに聞かせてくださらないかしら?」


震える細い体躯で体勢を立て直したアーブラハムに、膝を折ったナターシャが優しい瞳で笑いかける。

途端に、アーブラハムの目からぼろぼろと涙が落ちた。


「ーーはい。はい、ナターシャ様。……私の敬愛する王妃様は、……もう遠い昔に亡くなられてしまいましたが、……ヴァルデマール王の生涯においても唯一の王妃様でありました。王妃様は、……カサンドラ様は、こよなく音楽を愛された方で……また、精霊の血を色濃く継ぐお方だったのでございます」

「!……そう、精霊の血を」

「っうう、……ですから、王妃様に誓って、私は望んで精霊の血などを口には致しません……!」


ぎゅうっと自分の胸元を苦しげに握って、枯れた声がそう宣言した。


「アーブラハム……」


ブルブルと震えながら、アーブラハムが尚も声を絞り出す。


「王妃様は精霊避けの呪いを受けて、……最期には酷く衰弱したお姿で亡くなられたそうなのですが……以来、王は変わってしまわれた。王妃様の為に力を尽くしてくれたはずの精霊をも恨み、終いには皆を秘密裏に捕らえてしまったのです。……一時は心底憎んだはずの、精霊避けの呪いの力を使って……」


精霊避けの、呪い。……改めて、なんて嫌な響きだろうか。アルヴェツィオの伏せっていた姿を目に見て知っていればこそ、その言葉がぐっと重く心にのしかかってくるようだった。


「その上、まさか王妃様を形作っていたはずの、精霊の血を、……王が利用していようなどとは……」


か細く呟かれた嘆きと、ぐうっと握り込まれた骨の浮かぶ手が見るになんとも居た堪れず、その場に居る皆が一様に口を閉ざした。


「もう、もう……あの国は限界なのです。エドアルド様にもお話しした通り、いくら国民が働けど、王の遊興や浪費に消えるばかりで……イグニスが有する観光地や領主の居る館の周辺以外には、この数年ろくな整備もされておらんのです。外交的には隠しておりますが……事実、国庫も尽きかけ、街は規則や規制に溢れ、観光収入も最早風前の灯火。……そして、それを知っているはずの王は、行いを改めるでも自らを戒めるでもなく。いつの頃からかアドリエンヌ様を唆し、その支配を、このフィレーネ王国にも広げるおつもりでした」


アーブラハムの乾いた声と共に重たい空気が場に広がって、やがて深く息を吸ったアルヴェツィオが静かに口を開いた。


「……そうか。イグニスはそこまで酷い状況であったか」

「ええ、ええ……左様でございます、アルヴェツィオ王。海戦の噂を耳にして、幾度手紙で私や捕らえられた仲間がフィレーネ王国にいる、と申し上げても聞かぬばかりか、我が国は海戦の準備を進めている、国の為に何か情報があればすぐに流せと仰るばかりで……」

「……それで、アンタは情報を流したのかい?」


ふうと一息吐いて、腕を組んだアリーチャが怪訝そうに目を細めた。

けれど、祝祭前にあれ程注意を促されていた人物だとは思えないほど、アーブラハムは意外にもすぐに首を横に振った。


「ーーいいえ。」


アーブラハムの迷うような視線が私を見つけて、それから穏やかに伏せられた。


「……私は先の祝祭の後、人々の幸せそうな笑顔や音楽、彩り豊かな花々に溢れた街を見ていて、思ったのです。……私が真に仕えたかった、私の敬愛した、カサンドラ様が愛したイグニス王国は、もう遠い昔になくなってしまったのだ、と。……私の仕えるべきはヴァルデマール王では無かったのだと、やっと……」

「……では、何故この招待状を私に渡したのだ?」


不意に封筒を手にして口を挟んだエドアルドに、はっと目を開いたアーブラハムが少し複雑そうな顔で笑みを浮かべた。


「ええ。勿論、その招待状をお渡しした以上は、私をヴァルデマール王の手先だと思われるでしょうが、……。私はむしろ……ヴァルデマール王の思惑を、利用、していただきたいのです」

「ーー利用、だと」


怪訝に眉を寄せたエドアルドへ、アーブラハムが深く頷いた。


「私はこの地で古き故郷を見失い、挙句仕えるべき主をも見失った。一人で自暴自棄になりかけたところで、あの、アルヴェツィオ王の演説を聞きました。……どうか、ヴァルデマール王の血を継がれたエドアルド様にこそ、カサンドラ様の愛した地を正しく取り戻してほしいのです。きっと、その招待状が助けとなりましょう」

「…………」


封筒を見て黙り込んだエドアルドがちらりとジャンを窺って、視線に気がついたジャンがゆっくりと頷きを返した。


「彼の言うことに嘘はないよ、エド」

「そうか、……」

「……なるほど、アーブラハム。其方の言い分は分かった。」


頷き合ったエドアルドとジャンを見て、それから跪いたアーブラハムへも頷いて、アルヴェツィオがゆっくりと玉座へ座った。


「……して、エドアルドの持つその招待状とやらは、誰に宛ててのものなのだ?」


アルヴェツィオの高みからの問いかけにアーブラハムがごくりと喉を鳴らして、不意に皺を刻んだ顔をきりっと引き締めた。


「ヴァルデマール王よりの招待状は、他ならぬ伝承の花姫、ジュリア様に向けてのものでございます」



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