精霊の血
「お帰りなさい。オシオキのおかげで、ちょっと面白い話が聞けたよ」
ジャンの言葉にシルヴィオと二人で顔を見合わせていると、馬車から降りてきたエドアルドもまた得意げに封筒を見せた。
「おや。お帰り、エド。……今日はさながら情報のフェスティヴィタだねえ」
「只今戻った。ああ、……何と言っても、生ける証人もいるからな」
「生ける証人?」
「ちょっとぉ、アルチャンもマルチャンも城門で話し込むものじゃないわよ。皆、早く中に入りましょ!」
ぱっぱと手を払って先へ進むように促されて、アルヴェツィオとナターシャ、フィルを先頭に、シルヴィオと私、それからジャンとアーブラハムを引き連れたエドアルドの皆で玉座のある広間へと場所を移ることにした。
それ以外の者にはアルヴェツィオから一旦の暇が与えられたようで、私たちの去り際に、エミリアの横で深々と頭を下げたルイーゼ夫妻の様子が特に印象深く残った。
よく見れば、やっぱり疲れているようには見える。……けど、少しだけ見えた家族としての表情が、無理なく笑っているように見えたから。きっと、もう大丈夫だ。
私がそんなことを思っているうちに一行が広間へと着くと、部屋の中には既に礼の姿勢をとったアリーチャの姿があった。
「みんな、お帰りなさいませ。」
アリーチャに頷いて皆が広間に入ると、同時に人払いが告げられて、いくつかのフィレーネレーヴが施された。
「うん?……」
「なあに、どうかしたのアリーチャ?」
「いやね、妙な違和感があるなと思って」
不意に首を傾げたアリーチャに、肩を竦めたフィルが訳知り顔で頷いた。
……違和感?違和感て、なんだろう。
しんと静まった豪華な造りの広間に違和感があるとすれば、全員が着の身着のままなので、数人の服が汚れたままだということくらいだろうか。
アリーチャにならって首を傾げていると、ナターシャをエスコートし終えたアルヴェツィオが玉座に座る前にふと立ち止まってこちらを振り返った。
「本来ならば支度を整える時間を作るところだが、今は時が惜しい。……皆暫し堪えてくれ」
「ーーああ、なるほど。そういう事ならばアタシにお任せを」
玉座に座りかけたアルヴェツィオが、得意げなアリーチャの言葉にはっとして数歩前に出た。
アリーチャが深く息を吸い込んで目を閉じると、ぽこぽこという水音と共にどこからともなく大きなシャボン玉のような丸い青の光が浮かび始めた。
「ーーみんな、ちょっと辛抱しとくれよ!」
「えっ」
「何を、」
「目と鼻、それから口を塞げ!」
「ーーアックア・プリツィーエ・タント!」
咄嗟に叫ばれたシルヴィオの声に慌てて従うと、すぐに聞こえたアリーチャの詠唱の声と共に、世界の全てが水に包まれた。
例えるならプールの中に潜った時や、深い海の世界を覗き込んだ時の、ような。
「……!」
怖いもの見たさで恐る恐る目を開けてみると、私が世界の全てだと思った水は、一つ一つが一人の人を包み込むような大きさの球体だった。
その形を確認出来たところで丁度ぱちんと弾けて、球体の端から光の粒のように消えていってしまった。
「……すごい……」
「よし、綺麗になったろう?」
ニッと勝気に笑ったアリーチャに、少しげっそりした頷きが返される中、私は一人感動に打ち震えていた。……これと似た詠唱はエミリアがしていた気もするけれど、まさかこんな事も出来るだなんて。
先の魔法で洗い流されたのか、この場に居る誰一人として服装は汚れていないし、まして、濡れてもいないのだ。ああ、これぞ。これぞ、ビバ、ファンタジー!
思わずうっとりして不思議な世界に感謝をしていると、すっかり綺麗になったマントを震わせたアーブラハムがぐらりと揺れて、そのまま床に膝をついた。
……もしや私と同じように感動しているのかと思えば、それはどうも違うらしい。
「ぐ、うう……」
呻き声と共にその体が倒れて、めくれ上がったマントからはまるで老爺のような細い体と、より一層の皺を刻んだ顔が覗いた。
「!お前、やっぱり……」
さっと駆け寄ったアリーチャがアーブラハムの容態を見て、思わずといった様子で息を呑んだ。
そしてすぐさま、違和感の正体はこれかと小さく呟いて、アリーチャの目が厳しく細められる。
「お前、……精霊の血を飲んだな」