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歪な王子の夜明け、後





ーー一晩明けて、プリンチペッサの街を彩る空は、清々しい程の晴天だった。


あれからずっと練習した言葉を繰り返し、顔を合わせることが出来た人物から順に謝り倒した。

身分に関係なく頭を下げた私に、皆は意外そうな、驚きの表情を浮かべていて。……訝しむ目も、勿論あったが。


そうして頭を下げる度、昨日の父の姿が浮かんで、私は今までの行いを心底恥じた。

身分によって人間そのものを見ず、その扱いを変えることは、己がずっと嫌い続けていたことのはずだった。……それを私は、今まで多くの他人に強いて来たのだ。


母が行ってきたそれを、正しいのだと信じ込んで。


「……エドアルド様。オシオキ執行のお時間です」


王族も皆揃っての衆人環視の最中で、衛兵に一歩を促された。


「ああ、ありがとう」

「!……いえ、」


促されるまま一歩踏み出して辺りを見回せば、強い日差しに照らされた街の広場だけでも、あちこちに片付かないままのものが見えた。

ふっと力を抜くように深呼吸をして、フィルが全領地へ向けて展開するフィネストラを見る。


と、同時にエミリアやルイーゼ夫妻の不安そうな目も視界に入った。

大丈夫だ、と想いを込めて、一つ頷いて見せて。


「私、エドアルド・フィレーネアは、自らのメイドであったエミリアを唆し偽りの花姫を演じさせ、その両親も逃亡幇助という形で陥れ、我が国の誇りである花姫様の存在を脅かすという大罪を犯した。皆もよく知っていようが、私は皆に恨まれるような扱いも散々してきた。今更それを許してもらおうなどと、都合の良いことは断じて言わない。」


そこで一度、目に映る全ての民の顔を見る。疑心を持った目、好奇の目、真剣な目。……皆、『違う』。


「罰は勿論受ける。……ただ、出来ることならば。私のこれからを、皆の目で見てほしい。これまで自分の正統な生まれも知らず、父王の愛を疑い、脅かし、一度は死に至ろうともした。けれど、花姫様は、我が父アルヴェツィオは、私を必要だと言ってくれたのだ。」


こんな、私を。と呟いて、自然と目頭が熱くなってしまった。衆人環視の中で涙など……でも、もう、いいか。涙なんて、流せる時に流してしまえばいいのだ。きっと、あの不思議な花姫ならばそう言って退ける気がする。


ぐっと歯を食いしばって、もう一度目に映る全ての人の顔を見た。


「だからこそ、私は、今こそ真に命をかけて、イグニスとの争いを終わりにしたい。皆の友や、大切な誰かが、きっとイグニスにも居ることだろう。どうか、その者の為に、私に挽回する機会を与えてはくれないだろうか」


頭を下げながらありったけの力を込めてそう言えば、何割かの人々にはきちんと届けられたようで、まばらに拍手の音が鳴った。


ーーけれど、疑心に満ちた声も、当然同時に上がる。


「……でもさあ、大罪を犯したのに……」

「そうよね、メイドやそのご両親まで巻き込むなんて……」


……やはり、一筋縄でいくわけがないか。仕方がない、それ程までに、私が愚かだったのだから。


まばらだった拍手が疑心に鳴り止んで、ざわめく人の声の中で、一つ、力のこもった怒声が響いた。


「お待ちください!」


はっとして声のした方を見ると、その怒声の主はエミリアだった。今までに見たこともないような形相で、両親の制止も聞かずに私の方へ歩み寄ってきた。


「エミリア、」


声をかけた私をさらに押しのけるようにして、フィネストラと街の広場に集まった人々に向けて淑女然とした深い礼をした。


「わたくしは、エミリア。ここに、勇気を持って立ったエドアルド様の元メイドです。この場で皆様にはっきりと申し上げますが、わたくしが唆されたのはエドアルド様ではなく、皆様がご存知の、第一妃アドリエンヌ様でございます!」


再びざわりと声が上がって、それを静かに見たエミリアが続ける。


「皆様、アドリエンヌ様がイグニスに亡命されたことはご存知でしょうが、真に花姫様を脅かそうとしたのはそのアドリエンヌ様に他なりません。事実、あの方は花姫を模したわたくしに、精霊避けの呪いを託されようとしました。ですから、」

「エミリア。」


そうしてわっと声を上げようとしたエミリアの肩を、花姫が叩いた。先程までざわめいていた民も、花姫の挙動に目を奪われているようで。


咄嗟に口を噤んだエミリアと、一斉に口を閉ざした民に優雅に微笑んで、私達の一歩前に立った花姫が静かに口を開いた。


「みなさま、お久しぶりでございます。今は、みなさま一様に混乱されていることでしょう。何が正しいのか、何が間違っているのか。……わたくしはそれを、皆様の心に委ねたいと思うのです。エドアルド様のこれまでに失礼があったこと、幼い頃から慕ったお母様が、たった一人でエドアルド様を置いて亡命されたこと。何者かに唆され、花姫を演じたエミリアが、精霊避けの呪いを捨て、わたくしを害することを未然に防いだこと。愛しい娘が捕らわれて、その場所から連れ出そうとしたこと。」


順番に私とエミリア、それからルイーゼ夫妻を見て、その視線がもう一度民へ向けられる。


「物事には総じて、見方というものがございます。善も悪も、その見方で大分形を変えてしまう。……これはわたくしの一意見に過ぎませんが。大切な誰かを想って、思い過ぎてしまう気持ちも、時には間違った選択をしてしまうことも、わたくしはあると思うのです。感情を持って生きる者には、必ず。」


そう言ってにこりと微笑んだ花姫に、先程声を上げていた人々が揃って俯いた。


「罪を憎んで、人を憎まず。……わたくしはその想いで、新しく決まりごとを定めました。隣人を利とせず、貶めず、わかちあうこと。違いを尊重し、皆で助け合うこと。如何なる身分の者においても、隣人を尊敬する心を忘れてはならない。……勿論、決まりに反した行いは償うべきことですから、わたくしはこの場で、エドアルド様、エミリア、並びにルイーゼ夫妻へオシオキを執行いたします」


そこで再び、民のざわめきが戻ってきた。……心なしか、皆の目が心配に揺れているような。


「決して、過去は変わりません。けれど、みなさまが歩む未来は、みなさまの一存次第でどうとでも変えられます。……どうかこのオシオキを通して、エドアルド様やエミリア、ルイーゼ夫妻のことを。みなさまの目で見て、みなさまの心で判断をしてくださいね」


そうして花姫が合図を送ると、複数人の衛兵が掃除道具を持って私の側へ来た。


途端に、全領地がどよめく。


「オシオキとは一体……あれは?」

「掃除道具、では?」


次々に疑問が飛び交う中を、花姫が力強く笑って宣言した。


「オシオキは、このプリンチペッサの街のお掃除でございます!」

「ええ!?」

「そ、掃除だって!?」


ーーそんな民のどよめきに揺れる中で、私達のオシオキが始まった。


生まれてこの方、掃除などしたこともない私に、そっと寄り添ったエミリアが手筈を教えてくれる。


「……ありがとう、エミリア。助かった」

「!いえ、勿体ないお言葉で、」


ふっと力を抜いてお礼を言えば、エミリアの顔が途端に赤くなった。……今日は見たことのないエミリアの顔をよく目にする日だな。いや、これまでの私が見ようとしなかっただけかも知れないが。

思いがけずエミリアの朱に染まった顔に見惚れて、慌てて首を振る。


「……オシオキが終わったら、改めて謝罪をさせてくれ」


どうにかそれだけ絞り出して、私はオシオキと銘打たれた掃除を始めた。


元々飲み込みが早かった私は、すぐに掃除にも夢中になった。

どう掃除すればきちんと片付いて、どう磨けば光るのか。熱中するうちに、気が付けばもう民の目は気にならなくなっていた。


集中して片付けも半分を終えた頃、汗を拭う私の前に、いつの間にか父上が立っていた。……何故か、一式の掃除道具を携えて。


「探したぞ」

「父上……?」

「皆やお前に嘘を吐いた私も同罪のようなものだ、共に償おう。エドアルド」


一国の王であるアルヴェツィオの厳しい顔がそう言って笑って、思わず、ぽかんと口を開けてしまった。

生まれて初めて見た父の笑顔に呆然としている私の後ろで、わっと勢い付いた民の声が上がった。


「王族の方々とお掃除など滅多にない機会だ!」

「私達もやりましょ!」

「最近布を染めてばかりで体が鈍っていたしな」

「お手伝いさせてください、エドアルド様!」

「……それでは、私のオシオキには」

「イグニスとの争いを治めてくださるんだろ?あの国には私の友達がいるんだ」

「私も、恋人がいるのです!」

「俺の娘も今、旅行に行ったきりなんです」


皆で掃除をしながら、数々の言葉が私のすぐ側で行き交う。……嗚呼、皆、身分も様相も年齢も、想いも『違う』。けれどその『違い』は、あって当たり前のものなのだと。恐れるべきものではないのだと、ようやく知れた気がした。


「どうかお願いします、エドアルド様!」


皆に名を呼ばれて、私は滲む視界も構わずに何度も強く頷いたのだった。





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