初代の花姫様
「んふふ。花姫チャン?乙女の歳を気にするなんて、ナンセンスよ。」
ナンセンス。あれ、ナンセンスって英語じゃなかった?書く言葉は日本語で、話す言葉も私がわかるからきっと日本語。名前なんかは独特の音が使われているみたいだけど。
ううむ。登場の仕方も特殊だったし、不思議というよりも妖しい人、だなあ。
「どこが乙女なんだ、どこが」
「失礼ね!」
「……まるで人間じゃないみたい」
思考だけのつもりが、どうやらまたも言葉になってしまったらしい。
指先を引いたフィルが、試すように笑う。
「あら。どうしてそう思うの?」
「えっ……それは……、フィルだけが私のことを、何度目かの花姫って呼んでいたから……」
「それだけ?」
「伝承も何も関係なく、私を見るまでもなく、花姫って呼んだのはあなただけなんです……今のところ」
付け加えた言葉に、フィルが微かに金の瞳を丸めて、ゆるりと首を傾げた。
「そう、そうなのね」
「あ!それに、……それに、私を見た目が悲しそうだったから。きっと会いたかった人がいるんですよね、ずっと昔から……」
私を通した遠くを見るような、悲しそうな瞳がふっと思い出される。
夢以前の自分のことが思い出せないもどかしさと相まって、私は思わず自分の胸を押さえた。
「意外に鋭いのねぇ。……アナタの言う通りよ。花姫チャン、アタシ人間じゃないの。」
予想したにしろ、人間じゃない、という言葉に驚き半分、納得半分でフィルの笑顔を見る。
青い炎に照らされた髪の毛を光らせて、くるりと身を翻したフィルがポツリと何かを呟いた。
途端に、フィルの体が青い光に包まれていく。
蝋燭の光に慣れた目が眩んでぎゅっと目を閉じると、その次に開けた視界にはフィルよりもずっと背の低い人が立っていた。
服装はよく似ているけれど、髪型が少し違う。
束ねていたはずの長い髪はさらりと解けて、ゆったりとした布に添って垂れている。
その姿はまるで、まるで教科書に載っている日本の、昔の歌人のような出で立ちだった。
「その姿は久し振りだな」
「ええっ……?シルヴィオ様はご存知なんですか!?」
たしかにシルヴィオが知っているのは当然といえば当然かもしれないけど、夢かもしれないとは言え、目の前で人が光って別人になったなんて、これが驚かずにいられるか、いや!いられるわけがないんですよ!
「ああ。この姿のフィルと会うのは父と国の内勢に関する話の時だけ、だが……」
「ひと、すがた、変わって!?」
「聞いていないな。」
一人興奮冷めやらぬ私に、小さく笑ったその人がゆっくりと振り返った。
「もしかすると、花姫ちゃんにはこの姿の方が馴染み深いかもしれませんね」
さらりと揺れて流れる髪の毛が美しく、髪を整えるように動かしたローブの内側には和服のような模様が見えた。
「え……」
その顔こそ中性的な顔立ちのままではあるが、フィルよりもずっと女性らしい丸みを帯びている。
まさしく私の知るカルタや詩の世界に登場するような、雅な女性像そのものだ。
ひとつだけ違う事と言えばその髪色で、判別はつかないにしろ闇に溶け込む私の髪色よりはずっと明るい。
「ふふ。この姿はね、私の大好きな花姫さまの格好なのよ。」
そう言いながら両腕を広げて見せてくれる。姿形だけでなく、ローブの内側の服装も重ねられた着物のような衣装に変わっていた。
もし、ずっと昔から会いたかった人がこの姿なのだとしたら。
私の知る歴史ではもうずっと昔のはずだ。
「大好きな花姫様……というと、一体いつの……」
「いつ……というよりも、この国そのものというべきかしら。」
「……ってことは、もしかして」
思わずシルヴィオを見ると、こくりと頷いてやがて少しからかうような笑みを浮かべる。
「この女性の姿こそが、伝承の初めの花姫様だ。フィルはもうずっと片思いをしているらしい。」
「やだちょっと、何バラしてくれてるのヨォ!」
先ほどまでゆったりとした口調で話していたのが、急にはしゃいだような言葉に変わった。雅な外見との温度差がすごい。
けれどその温度差がフィルそのもののようで、姿は変わったのに不思議と安心してしまう。
「花姫チャン何笑ってんのヨゥ。」
「あれ?笑ってました?」
「ニヤニヤしてたわよ。」
「ごめんなさい。人間じゃないとか、姿が変えられるとか、すごい長生きだとか驚くことはいっぱいあるんですけど……なんか、面白くって」
「面白い?……アタシが?」
きょとんと丸められた金色の瞳が、思考をするように宙へ泳ぐ。
「はい。でも、どうしてその姿を?」
「……昔は、人の姿を留めておく方法が今よりずっと少なくてね。アタシは花姫サマをどうしても忘れたくなかったの。……だから、精霊の力をそれはもうフルに使い倒したわ!」
「へえ……精霊……精霊!?」
この世界に来てからというもの、難なく使われる魔法に、ポンと出てきた目の前の事象に、更には精霊なんて言葉が飛び出してきたりして、これが本当に夢だとするならば私の頭の中は完全にファンタジーオブファンタジーに染まってしまったらしい。
嫌いじゃない、嫌いじゃないけど。
驚きに瞬きを繰り返す私に、そういえば言うの忘れてたな、くらいのノリでシルヴィオが口を開く。
「ああ、そうか。この男こそ、初代フィレーネ国の国王にして建国者、精霊フィレーネ・レーヴだ」
「ルヴィチャン!乙女の秘密をそんなに!」
「あ、え?ええ……っと?」
初代花姫様が大好きで、もうずっと片思いをしていて、魔法で姿が変えられて、長生きで、初代国王で精霊で……?
「情報量が多すぎる!」
「ほら、こうなっちゃうでしょ!」
自分の頰に手をあてて考え込む私の様子に、フィルが呆れたようにシルヴィオを叱る声が聞こえる。
ん?待てよ?初代国王ってことはつまり。
「シルヴィオ様のおじいちゃん!?」
「まっ!」
言いつつフィルとシルヴィオを交互に見る。
よくよく見れば青い光に照らされる二人の髪色は、確かに同じようなものに見えた。
「そう近縁ではないが、簡潔に言うとそうなるな。」
「その呼び方すぅんごくイヤ!花姫チャン、二度と呼ばないで頂戴よ!」
キー、といった感じで絵に描いたように怒るフィルの姿に笑いをこらえつつ、一応謝っておく。
「ごめんなさい、確かにそんな風に見えないですもんね。フィルは綺麗な人だから」
「そうでしょう!」
人?いや精霊?だめだ混乱するなあ。フィルは全く気にした様子は無さそうだけど。
「……精霊は年を取らないんですか?」
「取らないわけじゃないわよ。ある程度成長したら老いを得られなくなるだけで……ただ寿命はすんごく長いのよ。人の寿命なんて本当にあっという間だわ。」
「老いを得られない……」
「ええ。人の一生ほど羨ましいものは無いわね。……だからこそ、この国は精霊達と手を取り合ってくれるから好きよ。」
まあ私がそう作ったんだけど、と呟くフィルの瞳は、初代の花姫様を思い出しているのか、どことなく優しい。
「最初にアタシの手を取ってくれたのが花姫サマだったのよ。……昔は世界の境が薄くてね。よく、この世界と花姫チャンの世界を行き来してる子だったわ。」
「世界を行き来……?それって私も出来ますかね!?」
身を乗り出して問うと、その言葉なのか私の勢いになのか、横に座っているシルヴィオがビクッと震えるのがわかった。
ちらりとだけそちらを見たフィルが静かに答えてくれる。
「どうかしら。……今は境がはっきりしているから、よほど強い想いでもないと難しいと思うわ。」
「強い想い……やっぱり記憶が無いと無理かあ……」
ふっと力が抜けてソファーの背にもたれかかると、シルヴィオの手がぎゅうっと握りしめられているのが視界に入った。
「記憶、ね……たしかに今までの花姫チャン達はそれぞれのタイミングで、大事な事を思い出したって元の世界に帰って行くことが多かったけれど……」
ぼそりと告げられた内容を拾うよりも早く、外から扉をノックする音が鳴った。
「残念。時間みたいね。」
扉の方向へ気を取られた一瞬後には、もうフィルの姿は元に戻っていて、端々に青い光の名残だけが見えた。
「フィルは……どうしてあの姿でずっといないんですか?」
ふと口から出てしまった問いかけに、うーんと唸ってから指先でツン、と鼻をつつかれた。
「ひ、み、つ。」
「えっ」
「今はまだね。」
咄嗟にその手を掴もうとするシルヴィオをかわし、ウインクを一つしてひらひらと手を振る。
「今日はほんの挨拶だけのつもりだったのにすっかり長居しちゃったわ。またね、ルヴィチャン、花姫チャン。」
フィルがそう言い終わらないうちに、もう一度扉がノックされる。
「……シルヴィオ様?花姫様?いらっしゃいますか?」
扉を叩いたのは、どうやらブルーナでもロベルトでも無かったらしい。
聞いたことのない、ハスキーがかった女性の声に驚いて思わず扉を見ると、その束の間、部屋を照らしていた光がふっと風が吹くように一斉に赤い色へと変わった。
青い光とは反対の、蝋燭の火の色だった。
その風に乗るように、フィルの声がすぐ耳元で聞こえる。
「また夢で会いましょう、花姫チャン。」
耳を押さえて勢いよく振り返っても、しんと静まった室内のどこにもフィルの姿は無かった。
「ほんとに……人間じゃないんだ……」