作戦の有用性
「はい。この国をまるごと、布のようなもので隠してしまうのです!」
得意顔でそう述べる私の声だけが静まった広間に響いて、そうして誰もが困惑したような顔のままで固まっている。
「……あの、ですね……わたくし、こう、布にですね?景色を染め上げることが出来まして、」
不安になって辿々しく言葉を付け足すと、少しずつ怪訝そうな声が上がり始めた。
「布で隠すだなんてそんな作戦上手くいくわけが……」
「色を移すだけならばまだしも、景色などと」
「出来るはずがありませんわ」
「此度の花姫様はご乱心なのでは」
次々と聞こえてくる声に、迷彩というものの存在を伝えようと私が口を開こうとしたところで、シルヴィオが私を庇うように一歩前に出た。
「静まれ!花姫様の仰ることは真実だ。」
「まあ第二王子様まで……」
「いいや。エドアルド様が血統でなかった以上、もう第二ではないのでは、」
気遣わしげにシルヴィオを見る目がすぐに静まることはなく、一つ溜息を吐いたアルヴェツィオが手振りで場を鎮めた。
「……真実というのは、どういうことだシルヴィオ」
「はい、父上。私はまさしく、花姫様が景色を染め上げるところをこの目で見たのです。……その証はここに。」
そう言って懐から一冊の手帳を取り出したシルヴィオが、その表紙を広げて見せた。
「まあ、なんということ」
「あの景色は祝祭前日の祝福のアルコバレーノではないか」
「絵に残すのも難しい一瞬をあんなにも美しく……」
ほう、と感嘆の溜息を吐いた人々を見て、鋭い目をしたシルヴィオがもう一度唇を開く。
「この景色を染め上げたのは他でもない、我らが花姫様だ。……それに、フィレーネ紙を染め上げる様を見た者も多く在る筈だな。」
それは、などと言い淀む人々へ、一人立つシルヴィオが毅然と言葉を続けた。……その姿は初めに会った時と変わらず、まさしく一国の王子様で。
「既に我々の発想を超えて不可能を可能にした花姫様が仰ることに、未だ疑いを持つ者は前へ出るが良い。フィレーネ王国、次期国王である私がその疑いを解決する相手となろう」
広間に響く力強いその声に、異を唱える者はもう誰一人として居なかった。
「……お騒がせを」
小さく息を吐いて、シルヴィオがそう言いながら玉座に向かって一礼をした。
その横顔には焦りも、以前のような固さも無い。
……そういえば、臥せっていた王様と会った時と比べて、特別緊張した様子も無いなあ。まるでシルヴィオの中で長年わだかまっていたものが、解決、したような。
一連の様子を見てやがて静かに頷いたナターシャが、ふと私に向かって小さく首を傾げる。
「花姫様が染め上げた景色は、たしかに見事でした。……その上で、先程仰っていた作戦の、布で隠すことの効果の程を聞いても?」
「ええ、勿論ですわ。わたくしの知る名は迷彩などとも申しまして。人の目の錯覚を利用した方法なのですけれど、……似た景色や色味を布や物に描いておくことで、実際にある物や人との距離感の操作。また、存在そのものを消してしまうことも出来るのです」
「まあ、そんなことが出来るのですか?」
私の並べた言葉に感激して手を打つナターシャに一つ頷いて見せると、ナターシャがふっと意味ありげに微笑んだ。
「今、この場でそれを実際に見ることは出来ますか?」
ナターシャの問いに少しドキリとしながらも、広間に視線を一巡させて、すぐに同化させられそうな壁を探す。
我ながら良い作戦を思いついたとは言え、証明をすることが出来なければ先程のように誰の賛同も得られないだろう。
きっとナターシャは、今、その機会をくれたのだと思う。
……だからこそ、何としてもみんなに作戦の有用性を示さないと。庇ってくれた、シルヴィオの為にも。
そうして、ふと玉座の後ろの壁が目に留まった。
細かな模様はあるものの、壁自体は一色だ。……あれならさして時間をかけずに証明することが出来る気がする。
「……はい。ナターシャ様。大きな白い布をいただければ、すぐにでも」
「では、是非お願いいたします」
にこりと可愛らしく笑ったナターシャが手振りで合図をすると、慌てた様子のメイド達が去って、すぐさまどこからか大きな布を持って戻ってきた。
「ありがとうございます。……ではあちらの壁に、」
私がお礼を言って玉座の後ろの壁を指すと、途端に何をする気なのかという視線と、緊張したような空気感が一層高まった。
……よし、やるぞ。
内心で意気込んで一人踏み出そうとした私の手を、シルヴィオがそっと取って玉座までの道程をエスコートしてくれた。
「ジュリならば大丈夫だ。どんと発想の上を見せつけてこい」
手を離す前に耳元でそう言われて、思わず少し頰が緩む。おかげで、余計な力が抜けた気がした。
「失礼をいたします」
そうして座したアルヴェツィオとナターシャに一礼をして段を上がり、メイド達の手で壁に添えられた布の端を触る。
……やっぱりここなら景色じゃなくて、壁と同じ色に染めるだけでもいいかな。
「……コローレ、スポイト!」
花石を握って力強くそう言えば、想像通り、瞬時に壁の色を吸収して布が染め上げられていく。
「これでよし、……ではこの布を玉座の前に掲げていただけますか?」
布を持つメイド達にそうお願いして、私はシルヴィオと共に元いた位置へと戻る。その途中で、人々から驚きの声が上がった。
「こ、これは」
「なんということ……」
ざわめく広間の声に取り残されたアルヴェツィオとナターシャへ、私は大きく声をかけた。
「アルヴェツィオ様、ナターシャ様。わたくしは今、迷彩の効果によって玉座を消して見せました。よろしければどうぞ、こちらからご覧くださいませ!」
……そういやこういうの、昔は隠れ身の術とも言ったんだっけ?
声をかけられて、アルヴェツィオにエスコートされたナターシャが顔を出した。
そして二人で段を下りて、メイド達が広げる布を振り返る。
「まあ……!」
「真に、不思議な……花姫様の宣言通り、玉座が、見事に消えているではないか……!」
静かに、それでもはっきりと驚いた様子の二人の声に、広間のざわめきは更に勢いを増した。
そんな中でちらりと横を見ると、シルヴィオは何故か得意げな顔で。
「……やはり、やってくれたな。」
私にだけぼそりとそう囁いて、人々が驚きと尊敬の眼差しでざわめく光景を笑って見つめていた。
……これで作戦の有用性は十分示すことが出来ただろうか。じゃあ、次は。
「素晴らしい。確かにこの方法を使えば、船乗りの目を我が国から反らせるやも知れぬ」
「ええ、そうですわね。問題はどれくらいの布でどういった景色にするか、ですけれど……花姫様にはそのお考えもあって?」
メイドが布を片付けて去るのを眺めながら、アルヴェツィオとナターシャがゆっくりとこちらを振り返った。
「……ええ、勿論ですわ」