偽りの花姫
「エミ、リア……」
その名と共に広間が瞬時にざわめいた理由は考えるまでもなく明らかだった。
ほんの先程まで、歴史上初の二人目の花姫だと思われていた女性が、他でもないエドアルド付きのメイドだったのだから。
「そんな、エミリア!?エミリアなの!?」
「嗚呼、一体……どうして」
横で控えていた人々の中から悲鳴にも似た壮年の男女の声が上がって、それをちらりと見た彼女が強く目を閉じて膝を折った。
「我が王アルヴェツィオ様。今は姿無きアドリエンヌ様に身を委ね、嘘を重ねたこと。……誠に申し訳ございません。ですが、誓ってわたくしの愛はこの地にございます」
「……ほう」
「全ては、子を思うアドリエンヌ様の御心に打たれてのこと、……エドアルド様の立場を確たるものにしようとなさった、その想いに応えて、わたくしは偽りの花姫を演じたのです。……ですから、」
懇願するように手を組んだエミリアの言葉を、当のエドアルドが苦々しい声音で遮った。
「エミリア、お前まで私に嘘を吐くのか」
ハッとしてエドアルドを振り返ったエミリアの顔は蒼白で、まるで今にも倒れてしまいそうな表情をしている。
「エドアルド様、」
「もう良い、たくさんだ」
自嘲するようにそう呟いたエドアルドが、握りしめた紙を自分の首に突きつけた。
……それは、昨日ジャンが接触することを止めたはずの代物で。ともすればそれは、精霊避けの呪いというやつなのではないだろうか。
止めようと動いた衛兵達よりも早く、悲しげに眉を寄せたエミリアが近寄って、そうっとエドアルドの名前を呼んだ。
「……エドアルド様」
そんなエミリアの顔を見て、躍起になったエドアルドがすぐさま顔を逸らす。
「っなぜだ、何故、……私には死ぬことも許されないのか!?これが精霊避けの呪いならば…………は、はは……そうか、王の子で無い私には効かないのか」
ぐしゃぐしゃになった紙を投げ捨てて、ならば私は一体、と小さく呟いたエドアルドの体を、駆け寄った衛兵達がやっとの事で捕らえた。
「離せ、私は……っくそ、」
「我が王、エドアルド様はこのように、何もご存知では無いのです。」
「……如何にも、そのようだな」
アルヴェツィオの肯定に踵を返して、エドアルドに背を向けたエミリアが凛とした声音で言い募る。
「……ですから、全てのことはエドアルド様のメイドであるわたくしが、主人を思って勝手に行ったことでございます。」
「エミリア、何を!?」
咄嗟に叫んだエドアルドを、衛兵がぐっと押さえつけた。
それでも尚、凛と立つエミリアに、アルヴェツィオが静かに口を開いた。
「エミリアよ。先の祝祭において、この国では新しく決まりごとが定められた。……隣人を利とせず、貶めず、わかちあうこと。違いを尊重し、皆で助け合うこと。如何なる身分の者においても、隣人を尊敬する心を忘れてはならない。」
「はい、存じ上げております。破った者にはオシオキというものがあることも」
「うむ。如何なる理由があったにせよ、……お前達が行ったことは、我がフィレーネ王国の伝承である花姫様という存在そのものを貶める行為に他ならぬ」
ぐっと威圧感を増したアルヴェツィオが怒気を含んだ声でそう言えば、一人で立ったエミリアもさすがに少し怯んだようだった。
「も、申し訳、ございません」
深く頭を下げたエミリアの礼にアルヴェツィオが一つ頷いて、その声音を落ち着いたものに変えた。
「件のオシオキは真の花姫様と話し合った上で、追って通達するものとして……一つ、聞かせてくれるか」
「はい、わ、我が王、何なりと」
「そこな紙は、……エドアルドが言った、精霊避けの呪いというのは真か」
アルヴェツィオの指し示した紙を見て、エミリアがゆっくりと顔を上げる。
「真であり、偽りでもございます」
「というと」
「わたくしはアドリエンヌ様に声をかけられ、一度イグニスへと渡って黒い髪を得たのですが……その際に一枚の紙を渡されました。」
「ほう」
「それこそがまさしく、血文字で書かれた精霊避けの呪いでございました。花姫と接触した折に渡せと唆されましたが、……わたくしはその紙をイグニスの地に捨てて参りました。」
……ん?捨てたということは、昨日も特段危険は無かったということ?
ちらりとジャンを見ると、特別何か答えるでもなく小さく肩を竦めるばかりで。
「ですので、先程の紙はこのお城で拾った、何の効果も持たないただの紙切れでございます」
「……そうか、」
「そしてこの事こそが、エドアルド様が何も知らない証でございます。ですからどうか、彼を……エドアルド様を解放してはいただけないでしょうか。悪いのはアドリエンヌ様に唆されたわたくしであって、」
言い募るエミリアに、アルヴェツィオが静かに首を振った。
「……ならぬ。」
「っそんな、我が王、どうか罰ならメイドのわたくしが受けます」
「衛兵長、」
「はっ」
アルヴェツィオが合図を送ると、酷く狼狽して懇願するエミリアもまた衛兵の手で捕らえられた。
「話にならぬ。ひとまず二人とも別個に鍵のかかる部屋へ連れて行け」
その一声で衛兵が動き出し、尚も声を上げる二人が広間から連れられていく。
「お願いです我が王、」
「っエミリア、やめろ……っく、私を何だと、私は、第一……っ……王子、では、ないのか……」
最後にエドアルドの声で力無くそう聞こえて、広間の扉が音を立てて閉ざされた。
「……このまま放っては、エドアルドは危ういからな」
扉の音に紛れたアルヴェツィオの小さな呟きは、隣にいたナターシャにだけ届いたようで、気遣わしげな二人がそっと手を重ね合った。
そうしてアルヴェツィオが重たそうな口を開く。
「さて、皆気重であろうが、……時は有限だ。これより隣国との海戦の話をせねばならない」