同性愛小説のタグに対する個人的見解
私は小説を読むのが好きです。
主人公のみならず、ヒロインからモブ役、相対する敵までの、出演する全ての人物に感情移入し、個々の配役以上の背景を想像する事が小説を読む上での楽しみであり、小説は筆者の想像を超え、読者個人個人の世界観を産む、無限の可能性に満ち溢れていると私は感じています。
それ故に、全くの世界観設定に対する説明が無い作品や冗長な説明回は個々人の想像を狭め、有り体に言えばつまらない作品になってしまうのでは無いでしょうか。
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前置きはさておき、本作では同性愛小説のタグに対する個人的見解を述べたいと思います。
簡潔に言えば、この作品にボーイズラブのタグは必要だったのか、ガールズラブのタグは必要だったのか
という所に収束します
小説家になろう に於いて作品を投稿する際に設定を行う「タグ」 とは自らの作品の方向性を示す物であり、自己紹介の様な物です。
私の名前は「異世界転生」です
家は「異世界」にあり、そこでは「ハーレム」があります
といった所でしょうか?
これらは、筆者にとっては作品に興味を持って貰う為に、読者は自らの嗜好と合致する物を探す為に重要な物だと思います。
自己紹介の際に虚偽を並べて仕舞えば、露呈した際に非難を受け友人は去ってしまうかも知れない
その関係性からもタグと自己紹介は近しい物であると考えられます。
ここからがいよいよの本題、先述の通りこれらの作品にこのタグは必要だったのか、という所をタグに対する私の考えを踏まえた上で読んで頂けると幸いです。
同性愛小説のタグに対する個人的見解という私のタイトルを見て本作を開いた方は、少なからずガールズラブやボーイズラブのタグが付いた小説を今迄に読まれた方々だと思いますが、「ガールズラブタグを開いたら主人公は結局男と結婚した」という経験はありませんか?
私はボーイズラブ、ガールズラブ両方で経験し、その際に憤りを覚えた事が多々ありました。
百合に男が混ざるな、とは敬意を表する程の格言であると思います。
過激な言葉を使うとすれば、異性愛ならガールズラブのタグつけてんじゃねぇ です。
小説を読む際に、検索でタグを使う方は基本的に小説の主軸となる要素としてタグを用いています。
わかりやすい例えとしてはハーレムのタグ
読者がハーレムで検索したとして、主人公は純愛を貫き、ライバルはハーレムを築く小説を読んだとしましょう、しかしながら、それらは読者が求めたタグの使い方なのでしょうか?
確かに筆者が設定したハーレムタグの通りに作中にはハーレムが存在しました、読者の中にはハーレムの存在を受け付けない方も多いでしょう、お陰でハーレムが嫌いな方は小説を読まず、不愉快にもならない。
ですが、私が思うに、ハーレムが主人公に関係するものではない、ハーレムは話の主軸でもない。
ならばハーレムタグをつける必要性は無かったのでは? と思うのです。
先ほどの例に於いて、ハーレムタグが仮についていなかったとして、ライバルのハーレムという設定はハーレムを読みたくない方にとって許容出来ない程の設定なのかが私的には疑問に思う所です、いってみれば物語や世界観におけるちょっとしたフレーバーにしかなりえない設定を見て、小説を読むのを躊躇う程なのでしょうか
逆にハーレムを読みたかった人はライバルのハーレムというフレーバーで満足するのでしょうか
以上の考えから私は物語の主軸では無いのであればタグは必要ではない、と考えます。
さて、これらをガールズラブタグ、ボーイズラブタグに当てはめて考えてみます。
同性愛を読みたくない読者は物語の主軸では無い登場人物の同性愛を拒絶するのか
同性愛を読みたい読者は物語の主軸では無い登場人物の同性愛で満足するのか
これらはハーレムと違い個々人の思想によるところが強く、特に前者は私の意見は兎も角、断言して良い事ではない為、許容出来るでしょ とは言えません
後者に限って言えば同性愛肯定派である私は一応の満足はします
話が逸れましたが、LGBTに関しては触れ辛い所もあり難しい所ではあります。
しかしながらハーレムと同性愛タグでの確実な違い、私の考えの根本として、私が絶対に許容出来ないものがあります。
以下の意見は正しく私個人の思想から来る見解であり同性愛小説のタグに対する個人的見解というタイトル通りの一個人の意見です。
ガールズラブタグ小説で主人公の女性が男性と恋愛する小説を私は一切許容しない
ボーイズラブタグ小説で主人公の男性が女性と恋愛する小説を私は一切許容しない
上記2つのタグを持たない小説に於ける主人公の同性愛を一切許容しない
最初からこれだけを述べればそれで終わりなのですが、わりかし過激な意見に捉えられてしまいそうで予防線の如く長々とここまで引きずってしまいましたが、総括して言いたいのはコレです。
ガールズラブタグで小説を検索し、主人公が女性の場合、ガールズラブを期待するのは必然ですよね?
だと言うのに序盤女性同士がイチャイチャしていた小説で中盤から男性との恋愛が始まり、終盤男性と結婚してしまったら、ガールズラブタグを検索した読者はそれを許容出来るのでしょうか、私は出来ません。
前に述べた通り、作中にはガールズラブを匂わせる展開はありました、同性愛が嫌な方は無理だと思うかもしれません、でもそれ以上に私は、断固としてそれを許容出来ません。
作中に主人公との同性愛を匂わせる描写があるならばこそ受け入れられません。
小説のタグに於いてNTR、寝取られなどのタグを見た事がある方はいると思いますが、このタグは通常小説を読んでいて起こりえない状況であり、タグに無いにも関わらず起こり得たならば批判、非難は必ずついて回ります。
なので、NTR、寝取られ、が見たくない方は基本的には小説で見る事は無い物だと思います。
ですが、私はボーイズラブ、ガールズラブのタグにおいてNTRと同じ位の衝撃を受けています。
同性愛のタグで異性愛の末に同性愛に落ち着くならば許容は出来ます、異性愛は同性愛に至るフレーバーとしての設定であり、主軸は同性愛なのですから。
しかし、同性愛のタグで同性愛の末に異性愛に落ち着くのはいけないと思います、無理です、絶対に嫌です。
私にとって後者は寝取られ物でしか無いです。
漢騎士が政略結婚相手の令嬢に嫌気が差していくなか、同僚である騎士に信頼以上の気持ちを向け、いずれ愛を向ける物語があるとして
それにボーイズラブタグが付いていたならば、令嬢にとっては寝取られかもしれません、ですがボーイズラブタグが付いている以上、騎士と令嬢の関係には破綻が予測されており、私的に言うならば既定路線に戻っただけのチュートリアルを終えた本編です。
社内恋愛を行なっていた同性カップルの先輩と後輩が転勤によって別たれ、転勤した後輩が先輩と離れてしまった寂しさと世間体の末、女性と付き合った物語
これにボーイズラブタグが付いていたならば、同性愛タグ通りの恋愛は当然の必然であって、今後もそうであると予測される中、女性との恋愛に行ってしまうのは脱線事故です、魔王を倒したのにヒロインは死んだ、位のバッドエンドです。
もし私のこの意見を読み、少しでも共感頂けたなら、せめて粗筋か、タグか、前書きでも後書きでも、注釈をつけて下さい。
主人公はニュートラルな性嗜好です、と
BL描写はありますが最終的にはNLです、と
主人公NL だけでも良いですのでどうかお願いします
通常異性愛の小説に この小説には異性愛の描写があります なんて注釈は全くもっていりません。
同性愛の小説にはどうかお願いします、そもそも物語の主軸でも何でもない、ちょっとした同性愛っぽいだけの描写に一々タグをつけないで欲しいです。
GLは特に顕著にその傾向にあると思います、女性が同じベットで寝る、仲良しの延長でキスをする、たしかに同性愛の描写に見えなくも無いですが、そのタグ必要ですか? 今後ずっと展開に関わって、その描写抜きには語れない物語なのですか?
昔読んだGLタグの小説において、更新を毎日楽しみに見ていたのに、GLっぽい描写があるだけで普通に最終話近くでぽっと出の男性とデキ婚した小説の衝撃は胸が締め付けられ悲しみに打ち震え、頭痛の末に吐き気を催す程でした。
以上が私の同性愛タグに対する個人的見解でした、最後雑に感情的に書き殴りましたが、もし共感を得られたならば嬉しいです、批判、疑問を得られたならばそれもまた幸いです、一考に値する価値が私の意見にあったのでしょうから。