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破滅のアリア

あんたも金貰っとるんじゃろうが」

「世襲議員が政治を悪うしとるんじゃけぇ」

 街頭演説では容赦ない罵声が飛んだ。

 一九九九年7月21日、桑名建設からの不正献金疑惑によって閣僚3人の辞職を出した馬場内閣は解散総選挙に追い込まれた。関西最大手のゼネコンから政界に流れた金は十二億円とも言われ、首相の馬場にも捜査の手が伸びていると噂されていた。

 8月18日の公示から3日間、江田島は広島1区を駈けずり回りながら、かつてない世間の逆風を、その身に感じていた。

内閣支持率は史上2番目に低い7.4%。さらには疑惑の渦中にある鈴川元農相が、息子を世襲候補に立てたことも世間の反感を買った。

 3選は厳しいかも知れない…

 党の三役を歴任したオヤジの地盤を受け継ぎ、これまでの選挙で絶対の強さを誇った江田島陣営内でもそんな言葉がささやかれていた。新聞各紙を見ても、対立候補の攻勢が伝えられている。

「そんなこと言っても、わしらは広島市民は、オヤジさんの代から江田島党ですけぇ」と

 選対の幹部連中は慰めの言葉をかけてはくれるが、風は野党第一党である、民政党に吹いていた。江田島自身もドブ板選挙を決意し、

どんなミニ集会にも顔を出し、徒歩で街頭を回り、票の掘り起こしを図った。しかし、テレビや新聞では「汚職追放選挙」とのキャンペーンが貼られ、立憲党の惨敗が予想されたいた。さらには馬場のお膝元である長崎でも苦戦は伝えられ、現役首相の落選の危機も高まっていた。

「こげななったら神風でも吹かにゃ、やれんですわい」

オヤジの代からの支持者たちは口々に嘆いていた。



 初報は小さなものだった。告示から4日後の8月23日、福岡市内の小学生の兄弟が自販機で買ったジュースを飲んだ後、体調を崩し病院へ緊急搬送され、深夜に息を引き取った。体内からはジクリードと呼ばれる致死量の農薬が検出された。さらに翌日、長崎でも同様のケースで、小学生の女児2人と60代の男性が亡くなった。

買ったジュースではなく、取り口に置いてあった別の瓶のジュースを飲んでいたことも発覚した。選挙戦一色であった新聞各紙に「福岡・長崎無差別毒殺」の見出しが躍りだす。テレビも一斉に後追い報道を始めた。

 そして選挙戦7日目の8月25日、ついに風は吹いた。

党本部から首相の馬場が午後に緊急会見を開くとの連絡を受け、江田島たちは、街頭演説を切り上げ選挙事務所に戻った。しかし内容はまったく知らされず、支援者たちも不安の色を隠せなかった。



 テレビの前に腰を下ろす。スタッフや出入りの記者たちも集まり

固唾を呑んで画面を見つめていた。テロップには「首相緊急会見」とあった。青のカーテンの前に会見マイクが置かれた映像が流れている。事務方達が画面横で、忙しそうに動いている。そして、ほどなくして紺色の作業服を上に羽織った首相が壇上に現れた。

トレードマークの口髭をそり、遊説疲れか幾分痩せているように見える。スーツではない姿に、事態の緊急性がうかがえた。

「なんか大病の発表じゃろうか」

「ええんで、ええんで消えてくれたほうが」

支援者たちが画面に野次を飛ばした。馬場園は会釈をすると、口を開いた。

「数日前から福岡と長崎で起きている、無差別毒殺事件でありますが、今朝、岩手と千葉さらには沖縄でも同様の手口により被害者が確認されました。まず謹んで8人の方のご冥福をお祈りいたします」

そこまで伝えると一呼吸置いた。

そして一枚の紙を掲げると、語気を強め言葉を続けた。

「これは昨日、首相官邸に届いた手紙であります。鑑定の結果、一連の事件に対する犯行声明であることが発覚いたしました」

 カメラマンのフラッシュが一斉にたかれる。選挙事務所でも、どよめきが上がった。

「捜査の都合上、全文を公表することは出来ませんが、数件の事件において犯人でしか知りえない情報が記載されていたということもあり、多角的に判断しても、犯人からの声明文であると判断いたしました。また、これを白日のもとにさらすことについて、その危険性など様々な議論を行いましたが、これ以上の犠牲者を出すことを防ぐためにもこのような場で発表することが優良の策であると判断した次第であります」

 鳴り止まないシャッター音を制すると「これは、決して許されるべきものではありません」と前置きして、馬場は手紙を読み上げ始めた。

「親愛なる日本国民よ。我々の要求は、ただ一つ。今回の衆院選の中止である。我々グレアムの息子は、それが達成されるまで、戦いを止めない。愚かなる政府が要求を呑まないのであれ、我々は無秩序なる毒殺を続けていく。親愛なる日本国民よ。グレアムの息子は、さらなる生贄を欲している」

 読み終えると、首相はカメラを見据え語りかけた。鼻にかかった声が会場に響く。

「国民の皆様、これは法治国家への挑戦であります。このグレアム息子と名乗る犯罪集団は毒殺という卑劣な行為によって、民主主義の根幹を揺るがそうとしています。人民の人民による、人民のための政治。その実現手段である選挙の放棄は決して許されるものではありません」

 馬場は手を振り上げながら言葉を続ける。

「グレアムの息子と名乗る者たちよ。我々は、揺るぎない結束をもってそのテロ行為に屈しない。そして失われし尊い8人の犠牲者に誓う。この国の未来のために、結束して、この選挙を守り抜くと」

画面を睨みつけ、言い放った。「聞いているか、グレアムの息子たちよ。国民の命を盾に取った蛮行は、決して許されるものでなない。我々は総力を結集し、お前たちを追い詰める。たとえ、この命が狙われようとも民主主義を守り抜く。そしてここに、警察法に基づく緊急事態の布告を発動し、非常事態を宣言する」

数人の記者たちが、会見場の外へと走っていくのが見えた。馬場は質疑応答を要求する怒号に似た声に背を向けると足早に会見場を後にした。

画面が切り替わると、アナウンサーが

「首相が非常事態宣言を発動いたしました。繰り返しお伝えします。今衆院選において非常事態宣言が発動されました。一連の無差別毒殺事件に対し犯行組織と見られる、グレアムの息子を名乗る集団が

選挙の中止を要求したことに対して、首相が非常事態を宣言いたしました。これはGHQ下で起きた阪神教育事件に続く2例目のものであり、極めて異例の事態であります」

江田島は手の震えが収まらなかった。相次ぐ閣僚の辞任から、野党に押し切られる形で追い込まれた今回の総選挙。落選、さらには政権交代まで覚悟していた中、ようやく風が吹き始めた。野党と与党の対立の構図から無差別殺人を続けるテロ組織と、それと戦う政権という図式に切り替わるかも知れない。最大の争点であった汚職問題は影を潜めるだろう我々はテロ組織に動じず、選挙に立ち向かう…それを前面に打ち出せば敵は野党ではなく、グレアムの息子たちへとシフトする。

「江田島さん、首相の非常事態宣言について、どのように思われるか率直にお願いします」

 夕刊の締め切りも近い記者から声が飛ぶ。テレビカメラも向けられる。厳しい顔を崩さないように気をつけ、慎重に言葉を選んだ。

「まずテロ行為の犠牲になった8人の方々のご冥福を謹んで祈らせていただきます。そして、今言えることはその亡くなられた方のためにも民主主義の根幹である選挙を絶対に中止してはならないということであります。国家は一致団結して、この非常事態を乗り切らなければならない。絶対にテロ組織の要求に屈してはいけないのです。我々は選挙を守り抜きます」

 支援者からは大きな拍手が上がった。

「では街頭演説がありますので」

 秘書に促され、選挙事務所を後にした。

 

バスセンター横の広場に立つ。昨日までとは打って変わって、道行く人が足を止める。防衛省の政務官を勤めていた立場から国を守るという言葉でアピールを行った。汚職疑惑で辞任した閣僚への言い訳など口にする必要はない。野党の政権能力の無さを訴える必要もない。論説は守勢から攻勢へと転じた。

「我々はテロ組織には屈せず、選挙を守り抜きます」

 沿道の聴衆からは拍手さえ起こった。流れは確実に変わり始めていた。



 街頭演説は各所で熱気を帯びた。制限時間の午後8時を過ぎ、汗だくで事務所へと戻る。ソファーに腰掛け、麦茶で喉を潤すと

抑えていた笑顔がこみ上げてくる。落城寸前の城のようだった選挙事務所にも支援者たちの笑顔が戻っていた。

江田島がインタビューで発した「我々は選挙を守りぬく」という言葉は、そのキャッチさが受けてか午後からの全国ニュースで繰り返し流れていたようだった。テレビをつけると立憲党の候補者たちが、各地で連呼している。

「さすがは元広告マンじゃ。こがなフレーズ、よぉすぐに思いつきましたのぉ」

第一秘書の寺原が嬉しそうに肩を叩いてきた。

「なに言っとんですか。思ったままを言っただけですけぇ。そんなことより、まだ気を引き締めてお願いしますよ」

 江田島は手帳に目をやると、明日のスケジュールを確認した。分刻みでの選挙活動が、びっしりと書き込まれている。しかし、人集めさえ苦しかった集会にも、おそらく多くの人が詰め掛けてくれるだろう。手放せないでいた胃薬を胸ポケットから取り出すと、そっとテーブルの上に置いた。



 夜のニュース番組も選挙とグレアムの話題で一色だった。野党の参院議員らが出席し、首相の非常事態宣言は、汚職疑惑の追求の手を逸らすパフォーマンスであり、到底許されるものではないと訴えていた。また専門家らは法的根拠の不備を声高に指摘していた。しかし、そのような小難しい討論より世間の関心は、グレアムの息子を名乗るテロ集団に向かっていた。どのチャンネルに変えても、彼らがどのような組織であるのかという分析が行われていた。

 ある専門家は、その手段からイギリスの連続毒殺魔であるグレアム・ヤングを崇拝するカルト集団と解析していた。さらには左翼の過激派や、台頭するアナーキスト犯行説、海外のテロ集団による陰謀説など様々な持論が展開されていた。それでもキャスターが番組の最後に口にするのは、どのような手段であれ、連続殺人というテロ行為によって選挙を中止させてはいけないということだった。あれほど逃げ出したかった選挙が今は自分の味方に変わったかのような実感があった。

 我々は選挙を守る…

 何度も流れる自分のインタビューを目にしながら、江田島は5日後の歓喜に思いをはせていた。事務所横の公園からは、時間を忘れた蝉の鳴き声が響いていた。


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