わかれしな(恋愛/現代)
ぼうっと外を眺めていた。
正確には、恋人が帰ってしまったから、冬の枯れた窓を見てしまうだけだ。
一緒にこぼれる溜息には、随分親しんでしまった。
肘をついて、誰もいない眼下の道を見やる。
どうにも寂しくて仕方がない。付き合っている自信がない。
どうしてあなたは何もできない私の側にいてくれるのか、本当に分からないのだ。
あなたが去った残り香をそのままにしたいけど、片付けないわけにもいかない。
シンクに向かい、空になった二つのカップを洗う間にも、不安が寄せてはかえす。
明日には、あなたが現れなくなってしまうんじゃないかって、不安で不安で仕方がない。
毎日のように会って、毎日のように挨拶して、毎日のように会話して。……あなたは聞き役の時間が長いけど。
たまに連れ立って美術館や映画館に行って食事をして。……引きこもり気味の私は連れ出されてばかりだけど。
そんな日々は煌めいて新鮮だけれど。さらさらと水は泡を流して手をすり抜けていく。
互いの冷えた手を繋いで、ハグをして、キスをして、ぬくもりは求めれば与えられた。
十分に私は愛を掛けられている。足りないということはないはず。
今日だって、「またね」って言ったときだって、あなたはちっとも寂しそうじゃなかったもの。
足りないのは私だけみたい。匂いも、熱も、その質量も。ずっと側にあってほしい。
目を逸らしたくなるほど私を見つめて。
耳を塞ぎたくなるほど囁いて。
顔を隠したくなるほど微笑みかけて。
きゅ、きゅ、と、布巾でマグとティーカップの水分を拭きとる。
いつかこの飢餓感があなたを煩わせて、それか、物足りないって捨てられてしまう気がして。
おなじみの困ったような顔をして、喧嘩することもなく振り向きもせず去っていくあなたを想像して。
そんな未来が訪れたとして。私は仕方ないって諦めて泣き暮れてしまう気がして。
わがままな私は隠しておこう。
心細くて悲鳴をあげそうな私は宥めすかそう。
いつだってあなたが好きになってくれた私を続けよう。失望されないように。
不揃いだけれど色味は近い二つのカップを並べて、慎重にしまいこむ。欠けないように。
変わらない退屈な毎日が最高の幸せ。そうやって欲張りな自分を誤魔化して。
今日も冷たくも優しいあなたに嫌われなかったと一息ついた。
◆
ひゅう、と首に風が吹きこんで首が竦んだ。からからと空気の底を転がる枯葉を搔きわけるように、足は帰り路を着実に辿る。
外では気丈にふるまう君の、寂しさに揺れる瞳や言い淀んでわななく唇は、どうしようもなく僕を惹きつける。別れ際のはりつけた笑顔を、思い出しては昏い幸福がふつふつと立ちのぼる。
点字ブロックを好んで踏みしめれば、ごつごつとした刺激が胎を熱くする。
自惚れてもいいのだろうか、強気の君が僕に依存してくれているって。
震える君を知っているのは僕だけだって。
この寒空に鼻唄を溶かすだけでは消化しようもない。勝ち鬨のように叫びたいような気もする。
回転しすぎる思考は無秩序に感情を生むけれど、誤作動ばかりの舌はいつもひどくもどかしい。整理には失敗してばかりだ。
言い損ねている言葉は、毎日少しずつ、僕に沈殿して淀んでいく。
書いては削除したメッセージの多さは、情けないことではあるが、正直誰にも負ける気はしない。
君に動揺したりなんてしたら、僕が君より劣っているなんて悟られたりしたら、きっと君は冷めた目で僕を顧みなくなるに違いない。
だから今日も、僕は余裕の仮面に感謝する。
明日も、明後日も、この不器用で迂遠な口に安堵するのだろう。
君が思うほど、僕は完璧じゃない。つまらない人間だ。言っても君は全然信じてくれなかったけど。
その時は、たしか笑ってほうじ茶を飲んでいたっけ。今も使っている、何年か前にあげたマグカップで。
君が夢を見ている時間だけ僕に恋をしてくれるなら、ずっと夢を見たまま、どうか冷めないでいてほしい。
嘘はつかないけど、本心を細く細かく紡いで、僕は君の夢を繕いつづけよう。
格好悪い僕なんて、君には見られたくないから。
でも、本当の僕も目に入れてほしいから。
ちょっとした拍子に壊れてしまいそうな君に、どうしようもなく飢えている。早く早くと急かしたくなる。
君が僕の歪みに気づく前に、君が僕に怯える前に。
息もできないくらい僕で溺れて、君の悩まし気なため息さえ僕になったらいいのに。
僕の独占欲でできた柵に気づかないほどに疎く迂闊な君が。
僕と手を繋げなくて袖をつかむほどに奥手な君が。
僕を翻弄してやまないなんて、その存在を貪りたいほど君に恋しているだなんて。
そんな本心を告げたら君は逃げてしまうに違いない。
君はアスファルトを走る木枯らしよりも逃げ足がはやいから。
自然と僕の足は速くなるけど、横断歩道の白線に足を止めた。確認すれば赤信号だ。
……早く青になれ。