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SS置き場  作者: 不屈の匙
11/14

トリッカー&ジャンキー(ミステリー)

玄武総一郎先生主催の冒頭キャラミステリー杯参加作品です。一部加筆修正を加えています。


 警視庁のとある一室。

 人事部の部長は革張りの柔らかな椅子に腰かけて、年相応の皺を顔に刻んで、目の前ににこやかに立つ青年を見上げた。秀でた額に柔和なまなざし、ゆるやかに上がった口角、まっすぐに伸びた背筋はハリのある背広を着こなしている。

 前途洋洋なこの青年にこれから伝える内容を思うと、自然とため息が漏れた。


「残念だよ、鷹ノ目(たかのめ)警部。君には期待していたんだけどね」


 目の前に青年――鷹ノ目(たかのめ)(すぐる)は捜査一課に配属されてから数々の難事件を解決に導いた若手のホープである。そしてこの春、捜査一課から警察組織の運営に関与する刑務部に栄転する予定だった。

 だが人事部長の手にある辞令には真逆の内容が書かれている。内容を聞いたときは目を疑ったくらいだ。


「ご期待に添えず申し訳ありません」

「君のような優秀な刑事が捜査一課から外れるというのは、こちらとしてもとても痛手なんだけどね。君は上にどんなコネ(・・)を持っているんだい?」

「お世話した先輩が数名いるだけですよ」


 これから告げる内容を知っているのか知らないのか、鷹ノ目の穏やかな雰囲気はこゆるぎもしない。気が重いのは人事部長ばかりである。

 彼は上層部の恨みをいつどこで買ったのやら。


「はあ……。B103号室、資料管理室の横――特命捜査対策室第零係が君の新しい職場で、同僚は……、君のほかにはもう一人だけだ。君の健闘を祈っているよ」

「はい、確かに」


 小心者の彼はもう一度ため息をついて彼の新しい職場を伝えた。

 特命捜査対策室第零――有り体に言えば左遷部署といって過言ではない。完全に解決を諦められた数々の未解決事件を管理しているだけの部署だ。

 鷹ノ目だとてそれを知らないはずがないのに、異動を命ずる紙を確認するとそのまま一礼して部屋を後にした。


「よっしゃ!」


 パタン、と出てきたばかりの部長室の扉がしまると同時に、鷹ノ目は勢いよくガッツポーズを決めた。とてもではないが、左遷を言い渡された直後とは思えない喜びようである。


「先輩にはお礼言わないと。管理なんてつまらない」


 彼は自分が左遷されることを知っていた――否、彼は自分を左遷するように学生時代の先輩にお願い(・・・)したのだ。

 彼が警察になった理由は、ひとえに刺激が欲しかったから。社会的な損失を上回る殺意も、事故を隠ぺいする努力も、緻密に計算された犯行も、「人」を暴くほど楽しいものはない。

 誤魔化しのベールを毟り犯人の余裕を崩し真実を赤裸々にさらす。自分が真っ先にそれを見出すという遊びが、鷹ノ目にとって最高のご馳走(ドラッグ)だった(・・・)

 しかし、ちょっと前までは楽しめていた捜査一課の仕事も最近は飽きてしまった。時間と論理的な思考能力さえあれば誰でも解決できてしまう平凡さに、鷹ノ目の精神は飢えはじめていたのだ。

 異動先の部署は、未解決事件ばかりが収められた資料室。自分を満たしてくれる事件の一つや二つはあるだろう――いや、ある、と鷹ノ目は確信していた。

 鷹ノ目は浮くような足取りで地下一階の新しい職場に向かって階段を駆け下りた。


「失礼します」


 入り口のアルミのドアを何度ノックしても返事がないので、早々に諦めてカードキーをかざし、押し開ける。

 紙やファイルが零れそうな棚を縫って、ラジオのニュースと、時折ガリッ、という音が紛れて聞こえてくる。そちらに目を向ければ、艶やかな髪が流れる華奢な肩が見えた。

 鷹ノ目の革靴の底が遠慮なく床をうっても、振り向きもしない。


「……すごい集中力だな」


 乱雑に積まれた書類を迂回して正面に回りこめば、鷹ノ目よりもいくつか年上に見える女性が角砂糖をかじっていた。鷹ノ目が向かいのソファに座っても、彼女の眼差しは将棋の駒が並んだ盤面を行き来するばかり。

 駒の並びを見るに、詰将棋だ。やや難しいが、この局面からなら十五……いや十一手詰。すぐに終わるだろうと高を括るが、珊瑚の爪が砂糖壺から角砂糖を桜花の唇に七度ほど運んでも、駒は微動だにしなかった。

 埒が明かぬと、鷹ノ目がひょいひょいと王手に導くと、彼女の視線が鷹ノ目にむかって火を噴いた。


「なんてことをしてくれるんだ君は! ばか! なんで解いた! 私は作問者だぞ!!! そもそも、入室するならノックをしたまえ!」


 彼女は解答者ではなく出題者側だった。ふだん問題を消費するだけの鷹ノ目には思いもつかぬ可能性だった。

 もうすぐ完成だったのに、と文句を言う彼女の言い分はわからなくもないが、鷹ノ目としては気づかぬ相手が悪いとも思う。


「ノックはしましたし、散々呼びかけましたが、気づかれませんでしたので」

「それはすまなかった。で、君は?」


 夢中になって周りが見えなくなるのはよくあることなのだろう、謝る言葉には誠意が欠けていた。加えて、一拍おいて冷静になった彼女の声には自分の(テリトリー)に入ってきた者に対する冷ややかさがあった。


「本日付けで特命捜査対策室第零係に配属されました、鷹ノ目(たかのめ)(すぐる)と申します」


 だが、鷹ノ目はその程度で恐れ入るような可愛らしい性格ではない。愛想笑いを浮かべて定型の自己紹介をする。

 異動先に伝わっているはずだが、将棋盤の周りや他のデスクの上の惨状を見る限り彼女が把握しているとは思えなかった。


「その名前、そうか、配属は今日だったか。……私は侭夜(ままや)(かなめ)だ。呼び方は適当でいい。ここはそんなに堅苦しくない、特に仕事もない部署だからね」

「ないんですか?」


 だが、意外なことに彼女――侭夜は鷹ノ目を知っていた。姿勢のいい青年を上から下まで観察すると、面白い獲物を見つけたように目を細めた。そして、鷹ノ目にとっては嬉しくないことに仕事がないと言いきった。

 先輩から聞いた話では難事件を解いては闇から闇へ葬っていると聞いて胸を躍らせていたのに。


「うん? 一応司書っぽい仕事をするぞ? ここで保管している資料は現在調査されていない未解決事件ばかりでね。正直必要とする人なんてほとんどいないが、借りていく人が居ればそれの記録と、あとは資料の虫干しや目録作り、古いデータの電子化をするくらいだ」

「そんなはずは……」


 署内に流れる噂通り、本当にここは閑職だったというのか?

 裏付けとはあまりにも違う現実に動揺を隠せない鷹ノ目とは真逆に、侭夜は不敵な笑みを浮かべ整った爪で将棋盤を弾いた。


「さて、鷹ノ目くん。一局どうだい?」

「やですよ」

「私に勝ったら、ここの難事件を好きなだけ解くがいいよ。司書業務もしなくていい」

「やります」


 鷹ノ目のへたれた背筋は、そのたった一言で力を取り戻した。ゲームというゲームで負けたことがない鷹ノ目にとっては、それは約束された勝利であった。


「……もう一戦だ」


 数時間かけて、鷹ノ目が勝負を制した。侭夜は角砂糖を齧りながら、悔しげに唸る。

 侭夜は鷹ノ目が想定していたよりも強敵で、なかなか楽しい時間だった。しかし、それよりも心躍るものがすぐそこにあるのだ。悪いが諦めてもらうしかない。


「いや、事件ファイルを漁りたいんで……」

「別に警察らしく働かなくたっていいのだがね。ここより堂々と給料泥棒できる部署はないぞ。私はゲーム作りしかしていない」


 立ちあがって好奇心いっぱいに棚を漁り始めた鷹ノ目は、背中にかけられた言葉に動きを止めた。ぎこちなく振りかえれば、切れ長の目も形のいい唇もみごとな弧を描いていた。


「それ、もしかしなくても、僕は侭夜さんと勝負しなくてもこのファイルを漁ってもよかったって聞こえるんですけど」

「そう言っている」

「よくもぬけぬけと……!」

「あっはっはっはっは! 君は存外すなおだね。まあ、推理ゲームをしたいなら止めはしないよ」


 誰かに嵌められたのは久々で、侭夜の豪快な笑い声は鷹ノ目の羞恥を無性に掻きたてた。

 つけっぱなしだった侭夜のスマホから流れるニュースがやたら耳につく。

 年配のゲストが先月起きた殺人事件の真相とその際に使われた鮮やかなトリックを興奮気味に語っている。当初、自殺として捜査されていたその事件は、しばらくして綿密な計算のもと実行された殺人事件だと暴かれ世間を戦慄させた。


「そういえば、この事件を解いたのは君だったか」

「そんなことまで知っているんですか?」

「噂には敏感なんだ、これでもね」


 侭夜も頬杖をつきニュースを聞いていた。左のひとさし指がスマホの画面をなぞり、探るような目線が少し目を瞠った鷹ノ目にまとわりつく。

 鷹ノ目はそれを、わざと左遷された(・・・・・・・・)自分に対する質問だと思った。


「実はこの事件、僕がここに来た理由の一つでもあるんですよ」

「この事件が? 確かにトリックは凝っていたようだけど、たかが痴情のもつれによる殺人事件だろう?」

「すっごく美しいトリックだったんです。僕がいなければ、この事件は確実に迷宮入りしていたでしょう。それぐらい解き応えのあるいい事件でした。正直、運命を感じました。この事件は僕に解かれるためにあるみたいだって思いました」


 この事件は鷹ノ目が解いてきた中でも特に鮮烈な印象を持っている事件だ。

 ガワはよくある平凡な事件だったし、鷹ノ目の目でも当初は平凡な事件だった。だがそうではないと気づいたときの衝撃たるや。

 表面には僅かのヒビもつぎはぎもなく、綺麗な嘘はすっぽりと事実を覆い別の形に成形してあった。ゆで卵の殻のように、固い嘘を最初は少しずつ、最後は一気に剥ぐのはたまらない快感だった。

 そしてそれを為せるのが自分だけ(・・・・)だという直感が、鷹ノ目を今までになく酔わせたのだ。それまでの捜査(ゲーム)が一気に味気なく感じるほどに。思い出すだけで恍惚のため息が漏れる。


「……この事件、真犯人が別にいるんですよ」

「ほう、真犯人」

「ええ。実行犯とトリックを考案した人――仮に設計者(トリッカー)とでもいいましょうか――は別人です。実行犯にはこのトリックを思いつくだけの素養がなさすぎる」

「辛らつだねえ。で、それがどうしてここにくる理由になるんだい?」

「トリッカーさんが作った事件、ここにならあるかと思って。たぶん、迷宮入りしていると思うんですよね」


 だからこそ、同じくらい芸術的な事件(ドラッグ)が――つまり、事故で処理されていたり、不可解な死亡事件として迷宮入りしているのではないかと思ったのだ。

 鷹ノ目を一般的な事件で満足させられなくした責任を取ってもらう。設計者(トリッカー)には一生鷹ノ目のために事件(ゲーム)を作り続けてほしいものだとさえ思う。

 もし叶えば、鷹ノ目の人生はバラ色に違いなかった。


「その真犯人を捕まえたいのかい?」

「まさか。檻に入れたら遊べないでしょう? せっかく見つけた僕のおもちゃなのに。まあ、会ってお話してみたい気持ちはありますけどね」


 侭夜は心からの笑顔を浮かべる鷹ノ目に心底あきれていた。自分の楽しみの前には他人など路傍の石だと言っているようなものだからだ。

 ただ同時に、どうしようもなく期待してしまっているのも事実だった。彼は思ったよりも侭夜の退屈な日常を紛らわせてくれそうだ。

 データ上では優秀なだけのつまらない男で、なんなら左遷先(ここ)に来すらしないだろうと高を括っていたが、なかなかどうして気の抜けない相手だ。


「まあ、知りたい情報があればいいなさい、調べてあげよう。ムカつくハゲデブ本部長の不倫現場でも、無能のくせに威張り散らすお局の年齢でも、可能な限り調べてあげよう。情報収集は得意なんだ」

「それ、合法ですよね?」

「知らないのかい? 『誰か』の願いをかなえるために国家権力があるのだよ」


 全力で歓迎しようじゃないか。

 呆れる鷹ノ目に侭夜は静かになったスマホに唇を寄せてほくそ笑む。鷹ノ目には見えないその画面には、見知らぬ誰かからのメールが表示されていた。


『title:【犯行設計依頼】他殺に見せかけて自殺する方法』


 ――さっきの一局はわざと(・・・)負けてあげた《・・・・・・》けど。きみは『(トリッカー)』を見つけられるかな?



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