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永久の眠りに寄り添う花  作者: 蝶月
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2話

 その依頼人は不思議な雰囲気を纏った青年だった。あまり見慣れない褐色の肌と混じり気のない白い髪。無機物の如き端正な顔は笑みを浮かべている。動作一つにしても気品が溢れており、元は貴族か文官か、育ちの良さが窺えた。

 一点、気になる所といえば冷たく濁った金の瞳だ。心を、思考を直接覗き込むかのような薄暗い瞳がリーゼロッテを見つめている。本来ならば見惚れてしまいそうな青年をリーゼロッテは気持ち悪く感じた。


 今では珍しい執事服に身を包んだ男は『よろしいでしょうか』と言う。正直、大きな問題を抱えていそうなので断りたい。根拠はこの辺境の地であるノースレイクの探偵事務所を頼ったことであろうか。交通の便が悪く帝都から離れた足のつかない探偵事務所を頼るなど、後ろめたい依頼しかなかろう。しかしここまで足を運んでもらったのに門前払いにするのも今後に響いてくる。リーゼロッテは(つと)めて笑みを浮かべながら『こちらへどうぞ』と招き入れた。


「ようこそ、ブラント探偵事務所へ。ご依頼はなんでしょうか」


 革張りの椅子に座ったリーゼロッテは決まり文句を口にする。あまりに酷い依頼ならば追い返そう。時々居るのだ。田舎の探偵事務所だからと無茶をいう輩が。女だからと舐める輩が。それは貴族の名残を持った人間によく表れる。今度の依頼主は明らかに貴族の息がかかった人間だ。どのような無茶振りを言ってくることやら。

 貼り付けたような笑みを浮かべる青年は笑みを深めながら紅茶を飲む。使用人に思えない堂々とした態度は青年本来の性格か。それともバックの貴族が高位なのか。嫌な予感が(よぎ)ぎるがリーゼロッテは言葉を待つ。ふっ、と小さく息を吐いた青年は漸く口を開いた。


「まずは自己紹介から始めましょう。私の名前はシモン・ラプラス。シモンと呼んで下さいませ」

「申し遅れました。私の名前はリーゼロッテ・ブラントです」

「ええ、貴女の名は聞き及んでおります。ブラント探偵事務所の副所長様でございますよね? お初にお目にかかります」

「ほう。名ばかりの探偵事務所の事まで知っていらっしゃるとは」


 リーゼロッテは驚いたように声を上げる。わざとらしい驚きの声に青年は機嫌を損ねること無くただ微笑むだけ。ますます怪しい依頼人だとリーゼロッテは眉を顰める。探し物や浮気調査ならばいい方だが、犯罪の片棒を担がされるならばたまらない。


「…依頼内容によって断らせていただく可能性がありますのでご了承ください」

「その点は心配いりません。貴女は必ずこの依頼を請けますよ」

「ふむ、何故そう思うのですか?」

「ただの勘…だと言えばお笑いになられますか?」


 くすくすと笑う青年は堂々とした口調でそう宣う。まるで事実を言っているような口振りだ。この男は私が引き受けると信じて疑わないらしい。

 ―――まただ。また、あの気持ちの悪い目だ。

 リーゼロッテは青年に強い眼差しを向ける。


「勘の割には事実を述べているように聞こえますね。何か確証でもあるのでは?」

「私の勘が確証ではいけませんか?」

「…なるほど。言う気は無いということか。それではご依頼内容をお聞かせください」

「不安そうにしないでくださいませ。至極簡単。物語を観るよりも心が踊る依頼でございます。私の依頼は―――」


 と、青年が言葉を続ける前に扉が開く。そこには服を着替えた母、カミラが立っていた。なんと間の悪い。言葉を遮ってしまった事に謝罪を述べて、そろりと母の顔を見る。その表情にリーゼロッテの顔が固まった。


「おや、カミラ・ブラント様でいらっしゃいますね。お初にお目にかかります。私の名前は―――」

「知っていますのでお構いなく。今回のご依頼、申し訳ありませんがお断りさせていただきますわ」


 笑みを消し真剣な表情のカミラが青年に言う。青年は『おや?』と驚く様子を見せるが、それはリーゼロッテの表情を真似た皮肉に見えた。

 カミラは一切表情を変えず玄関口を開ける。『お帰りください』。(にべ)も無く追い出そうとする母に驚きながら行く末を見るが、青年は怒ることも(まし)してや出ていくこともなかった。ただ、迎え入れた時のように貼り付けた笑みで微笑むばかり。断られても尚余裕のある表情はリーゼロッテには不気味に映った。


「何か失礼なことをしてしまいましたか? 申し訳ありません。しかし、お話だけでも聞いていただけませんか?」

「二言などありませんわ。お引き取りくださいませ」

「そうですか…残念です。それならばリーゼロッテ様。貴女個人に依頼させていただきましょう」

「…ふむ」

「リーゼロッテ」


 カミラの咎める声が聞こえる。彼女の勘はよく当たる。私と母が危険と判断したのならば、この男の依頼は十中八九危険な依頼なのだろう。

 だが、とリーゼロッテは考えた。この男の態度からするに私が依頼を断るなどほんの少しも思っていない。何の確証を持って挑んでいるのだろうか。


「お話だけでも聞いていただければよろしいのです。本当に危険かどうかはその後お考えになられればよろしいのでは?」

「そう、ですね。…話を聞きましょうか」

「リーゼロッテ!」

「話を聞くぐらいいいでしょう?」


 元はと言えば母が必要経費と称し、旅費交通費と生活費を混同しなければよかったのだ。金がないのだよ。この探偵事務所には。

 ノースレイクで探偵事務所を営んでいなければ、まだ生活できたかもしれない。だが私達はノースレイクで事務所を構えており、客が来ないが故に生活が困窮している。初めから選べる立場ではなかった。ならば至極簡単だと(のたま)う依頼内容を聞くぐらいいいではないか。


「申し訳ありません。それではご依頼内容をお聞かせください」

「よろしいのですか? カミラ様は止めておられましたよ?」

「お気になさらず。ああ、紅茶が冷えてしまいましたね。母さん、申し訳ないけど替えてくれる?」


 不服そうな母に申し訳なく思いながら部屋から追い出す。姿勢を直して青年に向き直ると、青年は『ありがとうございます』と微笑んだ。


「先程も申した通り、至極簡単な依頼でございます。【銀の石】を回収していただきたいのです」

「【銀の石】、ですか」

「ええ。と言っても【銀の石】は本当の銀の石ではございません。美しい輝きを放つ銀の時計細工の事でございます。とある村に【銀の石】が発見されたようなので手に入れたいのです」

「ふむ、確かに聞く限り簡単な依頼ですね」

「簡単な依頼でございますよ。難点といえばその村のどこにあるかわからないという点でしょうが…探し物はお手の物でございましょう?」


 お手の物と言われればお手の物だ。探し物は探偵業で最も多い依頼の一つ。プロとして営業するならば出来なければおかしい。

 しかし、考えていたよりも簡単そうな依頼だ。難所となるところは青年が言う通り、探さなければならないこと。もしも既に誰かが入手していた時、譲り受けてもらうための交渉をすること。実物を知らないため、多少は時間がかかってしまうだろう。

 なら何故こんなに胸がもやもやするのだろう。この違和感の正体は―――?


「ふふ、迷っておられますね。そうですね…依頼料は金貨二十枚で如何でしょう?」

「金貨二十枚?! ず、随分と太っ腹ですね」


 金貨一枚で三ヶ月程度は生活できる。二十枚となると単純計算で六十ヶ月。物凄く贅沢な生活をしなければ五年は生活できる値段だ。


「それほどの価値がありますからね、【銀の石】は。こちらとしましてもどうしても欲しいのです」

「なるほど」

「期限は一週間。一週間後にまた足を運ばせていただきます。どうです? 依頼を請けて頂けますか?」


 依頼を請けるかどうか。リーゼロッテは思わず顎に手を添える。初めは怪しい依頼だろうと思っていたが、話を聞くにそのような様子はなかった。強いていえば依頼料が高すぎるという点だが、【銀の石】とやらがそれほどの価値があるのだとすれば盗難防止に高く設定したのだろうと理解できる。探偵が決して正義の職業ではないが故の配慮だ。要は信頼されていないのだ。まあ、辺境の探偵事務所に信頼などないに等しいから仕方がない。

 …請けよう。悪くない依頼にみえるし、断る理由がない。


「このご依頼、請けさせていただきます」

「ありがとうございます。もしも既に誰かが入手している場合、言っていただければ工面いたしますゆえご安心ください。それでは、こちらが前払金として金貨二枚と、その村までの地図でございます」

「…ええ、しかと受け取りました」

「そしてこちらが【銀の石】を保管する箱でございます。時計の動きは止まりますが問題ありませんので、必ず保管してください」


 青年は不思議な紋様の箱を置く。黒を基調とした箱は草木を思わせる蔓を這わせたこの国に珍しい紋様だ。

 もうすることがない。そんな様子の青年は『カミラ様には申し訳ないことをしました』と呟いて席を立った。リーゼロッテも彼を見送るために席を立つ。青年はポツリと言葉を落とした。


「この依頼をするにあたって失礼ながらお一つ、助言をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「なんでしょう?」

「どうか、自分を見失わずに」

「…は?」

「悪魔の助言でございます」


 青年は口を三日月に歪め、懐から手紙を取り出す。そこには秀麗な字で『カミラ・ブラント様』と書かれている。『これは?』と手紙を手に取り青年を見ると―――姿が消えていた。契約書がひらりと机に落ちる。


「―――っ、どこに」


 慌てて部屋を見渡す。どこにもいない。玄関を開けて通りを確認するが青年の影はどこにもいなかった。予想外の事態に呆然とする。青年は霧の如く消えてしまった。初めから不思議な雰囲気の青年だとは感じていたが、魔法のように消えるとは聞いていない。

 釈然としない面持ちで部屋に戻る。本当に依頼を受けてもよかったのか。頭の中で私が私に問いかける。【銀の石】がどんなものなのか。もっと詳しく聞くべきではなかったのか。


「…失敗したかもなぁ」


 はあ、とため息をついて椅子に座る。低い金属音が物悲しく響く。冷えたコーヒーを飲みながら、いつの間にか記入されていた契約書を眺めた。

『シモン・ラプラス』。今後も付き合いが続きそうな予感がする。得てしてこういう予感は当たってしまうものだ。


「ああもう。後悔先に立たず、だ。今は考える時間も惜しい。行く前に下調べでもしておかなければ」


 一週間後には【銀の石】とやらをあの青年に渡さなければならない。リーゼロッテはバッグにメモ帳と筆記用具、導力電話を押し込んで肩にかける。

 すると紅茶を持ったカミラが部屋から出てきた。『あら?』と青年が座っていたソファを見る。


「彼はお帰りに?」

「うん。あ、これ母さんにって」


 少し皺がついた手紙をカミラに渡す。カミラは不思議そうに目を(またた)いて紅茶を机に置いた。封を切って手紙を読み始める。

 彼女の優しげな瞳は徐々に真剣味を帯び、低い声で『あらあら』と呟く。ただならぬ雰囲気にリーゼロッテは思わず『何かあったの?』と聞いた。


「ふふふ、何も。リーゼロッテは気にしなくてもいいの」

「だって母さん…怖い顔になってるよ?」

「あら、ごめんなさいね。けど本当に何もないの。リーゼロッテは今から出かけるのかしら」

「うん。結局請けることになったから資料集めに」

「…そう。私も外に出ようかしら。今日の昼食は外で食べましょう?」

「そうだね」


 リーゼロッテとカミラは荷物を持って外に出る。カミラが一瞬ソファを睨むように見ていたのを、リーゼロッテは気が付かなかった。





 ☆☆☆


「おや、早かったですね」


 指定の場所に行くと青年―――シモン・ラプラスは紅茶を飲みながら本を読んでいた。彼女を視認した青年は笑顔で手を上げる。

 カミラ・ブラントは返事をせず手紙を机に叩きつける。ガシャンと不快な音が午後のカフェテリアに響く。不思議そうに見る客の目を気にすることなく、青年は『どうぞ』と席に手を向けた。しかしカミラは座ろうとせずに青年を睨みつける。


「貴方…これはどういう事かしら?」

「どういう、とは?」

「この依頼のことよ」


 そこには王弟殿下の身辺調査依頼が書かれていた。

 カミラは声を抑えて青年に問いかける。


「私に死ねというのかしら。王政が廃止されたとはいえ王族は王族。私達が嗅ぎ回っても良い人間ではないわよ」

「そうでございますか。しかし、貴女は引き受けますよ。こちらも決定事項でございますゆえ」

「そう…ならば教えていただきましょうか。私にも納得のいく説明を」

「勿論でございます」


 青年はリーゼロッテに向けたように口元を三日月に歪め、カミラに耳打ちする。静かに耳を傾けていた彼女は不意に目を鋭く細め、彼の言葉を反芻した。その話は決して常人が理解できる範疇の話ではなく、カミラ自身も完全に理解することが出来ない。ただ一点、言うことがあればそれは探偵の役目ではないということだ。カミラはすぐさま青年に告げる。


「それならば教会に依頼するのがよろしいのでは?」

「おや、私に何か間違えでもあると?」

「これは貴方にとっての最善なのではないかしら」

「私にとっての最善とはおかしなことをおっしゃられる。最善などではございません。これから貴女が歩む事実でございます」

「ならばこれから私がする行動も許されると?」

「ええ。それが貴女の運命ですから」

「そう…」


 カミラは言葉を続けようとして止める。これ以上話を続けても堂々巡りだ。要はこの青年はあくまでも関与するつもりは無いらしい。全ての判断は私に。彼の中での私達の行動は既に決まっているのだ。そして、行く末も。やはり彼は―――


「私が貴女を呼び出す未来は今ではありません。本来ならもっと後―――リーゼロッテ様が依頼を受けて村に行った後、何も知らぬ貴女に依頼するつもりでした。しかし貴女はリーゼロッテ様の依頼を知ったのでしょう? それゆえ急遽呼び出させていただきました」

「ならば今はイレギュラーの対処ということね。しかし、本当にこれだけで貴方のストーリーは軌道修正するのかしら」

「ええ。しますよ。()()()()()()()()()()()()()()()。聡明な貴女なら分かるはずでございます」

「っ、やはり貴方は」

「カミラ様。貴女は運命に逆らいますか?」


 運命。

 嗚呼、彼はなんと残酷なことを言うのだろう。私の行動全てが運命づけられているならば、この苦悩も、葛藤も、これからいう言葉すら彼にとって分かりきっていることなのだ。


「私は運命を信じません。しかし本当に生まれた時から運命が決まっているのなら―――」


 カミラは一瞬言葉を詰まらせる。次に出た言葉は悲鳴をあげる母の声だった。


「娘は、リーゼロッテは無事に帰ってきますか?」

「さあ?」

「っ、」

「私としましても彼女が死ぬことは望んでおりません。彼女は主役。舞台の華でございますゆえ。…それではカミラ様。夢々おかしなことはお考えなられませんように」


 青年が席を立つ。

 カミラは諦めたよう瞳を閉じた。

この世界では王政が終わり、封建制度が瓦解しました。しかし一部の元貴族は未だ権力を持ち、封建時代から変わらぬ生活を送っています。そういう家の使用人じゃね?と主人公は言ってます。

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