異形処理課
「うぉおおおおおおおおおおおお!」
俺は叫びながら目を覚ました。
悪い夢を見ていたのか体が汗でびしょびしょなのを感じた。しかし、悪夢以前に自身が経験したことをゆっくりと思い出そうとした。
巨大な人型の黒――。腹を貫く長い腕――。求人チラシ――。
「なんだったんだ・・・・・」
いきなりの出来事に困惑するなか、ふと気が付いた。
ここは俺の家じゃない。
そもそも家は前の職場の寮だったため、あの日バックレた時点でもう戻ることはできない。
病院かと思ったが、それにしてはあまりきちんした設備がされていないような気がする。ナースコールもなし、プライバシー保護のためのカーテンもない。
ベッドよこの小柄な収納棚の上には花のない花瓶と、デジタル時計が置いてあった。
8月7日 13時12分
この時計がくるってなければ、1日もたっていないことになる。
いや、まてよ?
そもそも俺はあの時死んだんじゃないのか?
それを考えるだけの重傷を負ったことは鮮明に覚えている。
あの化け物の腕は、まるで槍のように鋭く、そして鉄のように固かった。太くはなかったが決して細くもなかった。成人男性の腕ぐらいの太さだった。
それが深々と俺のへそのあたりを貫いた。臓器が破壊され、腸だか肝臓だか、なんか知らんが背骨をえぐりながら後ろに飛んでいくのも感じた。
なのにどうして生きてる?
痛みもなく、そして平然と体を起こして、思案もできる。
俺は一つの結論に至った。
「なるほど。ここは、あの世か」
それならすべてのつじつまが合う。
「なかなかユニークな発想だが、それは違うな」
突然、ドスのきいた声が扉を開きながら入ってきた。。
現れたのは声に見合った黒髪の大男だった。。灰色のスーツに目が見える薄めのサングラスをつけていた。
第一印象はやくざか、あるいは死神だった。
死神やくざはベットの横においてあった椅子に腰かけ、少し間をおいてから手を差し伸べてきた。
「はじめまして四宮凛太朗くん。私は那須龍業だ」
「どうも・・・」
見かけによらず礼儀正しさにどうようしつつもなんとなしに握手をかわした。しかし、いまだに男の威圧感から悪いイメージしかでてこない。
「さて、傷の具合はどうかね?」
男は自然に微笑みながら体調を尋ねてきた。
ここはこの人の家か?だとしたらなんで助けた?しかも病院につれていかず。
疑問があふれ出た末に、俺は思わず質問した。
「それよりも、ここはどこなんですか?んで、あなたは誰なんですか?あと、俺、変な奴に襲われて、んで多分なんて言うか・・・、死んだ気がしたんですが・・・。」
早口で何言ってんだ、俺・・・・・。
「うむ、君にはそれらを知る権利があるな。一つ一つ答えよう。ただ、まず最初に知ってもらいたいのは、私は君の味方だ。こんななりをしているがこれでも公務員でね」
那須さんはあっぷあっぷな俺とは正反対に落ち着いていた。
「さて、まず最初の質問に答えよう。ここはどこか?ここは、帝都第三市役所の看護室だ。第三市役所は分かるかね?」
俺は素直にうなずいた。
帝都は広いため三つの市役所に分かれている。その中の第三市役所は、俺自身も以前の職場が第三市役所の管轄だったため何度かいろんな申請のために訪れたことがあった。
だがしかし・・・・・。
「なんで病院じゃないんですか?俺はあの時――」
「待った待った待った。慌てずにいこう。次の質問は、私は誰かだったね?先ほども言った通り、私の名は那須 龍業。帝都第三市役所特務室異形処理課の室長兼課長をやっている。これが名刺だ」
「異形処理課?」
市役所にそんな課があったように思えない。ますます怪しくなってきた。
「君がいう変な奴。あれは異形といってね、何が目的でなんで現れるのかがわからない。ただ、必ずこの世界に住むものに対して害をなす存在なんだ」
「それらを倒すのが異形処理課?」
「そのとおり。信じてもらえるかな?」
「信じれるわけないでしょ。化け物退治を市役所職員がやるなんて」
「しかし、化け物は存在している。となると、それらを倒す存在が裏家業として存在していてもおかしくないとは思わないかい?市役所という隠れ蓑に潜んでね」
間髪入れずに口にした那須さんの言葉に何も返せなかった。
そう、この人が言う異形を俺は目の当たりにし、そして襲われたのだ。ゆえに異形の存在に対しては否定することができないし、その対抗組織に対しても完全に否定できる判断材料がなかった。なにより俺は生きているのだから、あの後、俺がとどめをされる前に、後に黒い異形を処理課が処理し――・・・・・。
いや、まて―。
「なんで俺は生きてるんですか?」
那須さんの表情が変わった。穏やかだったものが少しけわしくなった。
「あの時おれは、自分が死ぬのを感じました。いや、間違いなく死んでいたはずです。出血多量、臓器損傷、ショック死。死因はともかく、俺はあの時死んだはずです。生きてる今でもあのことを思い返せば、今生きている事の方が信じられないくらいです」
ここまで今生きていることを否定するのはそうそうないことだと思うが、それだけあの時確信したのだ。
俺の命が終わったことを・・・・・。
那須さんは深く息を吐いて少し間を開けてから話し出した。
「異形に襲われた人間は良くて重傷、悪くて死亡が基本だ。五体満足でいられることはまずない」
「じゃあ――」
那須さんはポケットからリンゴと小さなナイフを取り出した。
手慣れた手つきで、リンゴを一切れうさぎさん仕様にカットし俺に手渡した。
なんの意図があるのかはわからず困惑したが、とりあえず口にした。
「おいしいかい?」
「いや、うまいですけど――」
「そのリンゴは腐っているかい?」
「・・・・・?」
その質問の意味が俺にはわからなかった。かじった分には腐っていたように感じなかったし、まだ手に持っている残っている分もつやがありみずみずしさも損なわれていない。
「腐っていないですけど・・・・・」
「そう、そのリンゴは腐っていない。でもこっちはどうかな?」
那須さんはそう言うと、俺が座っているベッド横にある棚の引き出しから、紙皿を取り出した。
そして、一切れだけ欠けたリンゴを紙皿に乗せて俺に見せた。
そのリンゴはどろどろとしており色も変色していた。異臭のする液体が紙皿を侵食していた。
俺は驚いた。
といっても俺はリンゴが腐っていたことに驚いたわけではなく、リンゴが腐ったことに驚いた。
つい先ほどまで、このリンゴは俺の手にある一切れのリンゴ同様にみずみずしくきれいな赤色だった。
しかし、那須さんが紙皿を棚から取り出し、残ったリンゴを紙皿の上に置いたときに腐ったのだ。紙皿に置く瞬間まではリンゴは腐っていなかった。
「異形処理課が市役所にありながら公にされない理由は、その職員の中に人知を超えた能力を持つ者がいるからだ。その能力は暴力的で殺傷能力の高いものもある。場合のよっては世間から危険視される可能性もあるため、秘匿に動くしかないんだ。しかし、異形は危険な存在だ」
那須さんは立ち上がり、腐ったリンゴをゴミ箱に捨てた。
「不思議なことに異形の存在を誰も信じない。都市伝説や噂話で伝わることはあっても、公式に認められることはない。だから私たち異形処理課が裏で戦うわけだ。この処理能力を使ってね」
処理能力・・・・・。
リンゴを瞬間で腐らせたのもその処理能力というものというわけか。
「わかりました。異形処理課のことも、異形も信じますし、認めます。で、その話と俺の死亡説。何がかかわってるんですか?」
そういった俺に対し、那須さんは一度咳払いをして再び席に戻った。
「そう、ここからが重要なのだよ。処理能力というのは先天的にしか生まれない。遺伝かあるいは胎児の時での経験か。なんにせよ生まれ持った時から備わっている技術の一つというのが処理能力者がもつ処理能力の定義なんだ」
だからどうした、という言葉を俺は飲み込んだ。
「そのことは絶対だったのだが、例外が生まれてしまった。それが君だ」
「・・・・・は?」
一瞬何を言っているのかわからなかった。今の話からすれば、俺は処理能力を手に入れたということになる気がするが。
「あの時君は死ぬはずだった。いや、死んでいたかもしれない。しかしどいうわけか、あの瞬間、君は処理能力を手にし処理能力者として生命を永らえることに成功したのだ」
「ちょっとまってください!処理能力を手に入れたからと言ってなんで生きていることにつながるんですか?」
「確かに、あれは致命傷だった。しかし、処理能力者においては常人ならば即死の傷も重傷で止まるんだ。処理能力者の身体能力は常人の数倍はあり、回復力や肉体の耐久力も比べ物にならない。ゆえに君は生き永らえ、そしてたった数時間で回復した。それは誰がどう見ても処理能力者になったという証明だよ」
「・・・・・信じられない」
「私たちも驚いた。君のことを徹底的に調べたが、生まれつき処理能力者だった面影は全く感じられない。まったくの凡人だった」
それを言われるとなんかつらい。
「しかし、君は特別になった。誇るべきだ君のその覚醒を」
「覚醒って言われたって・・・・」
もう何度目かわからないぐらいの困惑に陥った。昨日からとんでもないことが連発しすぎている。
「君さえよければ異形処理課で働いてみないか?」
「え?」
唐突な勧誘でさらに俺は戸惑った。
「君の処理能力がどういうものかはまだわからない。しかし、その手にした才能を使わない手はない。少し考えてみてくれ」
そういうと那須さんは再び立ち上がった。
「君の衣類は修繕して持ち物と一緒に受付に渡してある。とりあえず、返事はいつでもまってるよ。なんてたって、ここは市役所だからね。それでは」
那須さんは扉をゆっくり閉め、部屋を後にした。
那須さんが部屋を後にしてしばらくしてから、俺も部屋を出た。
受付で俺の私物と着ていた服をもらい、着替えをすますと第三市役所を後にした。
しかし、行く当てもなかったため、気が付けばあの日と同じ夕暮れ時になっていた。
自分が生まれ変わった日と同じ夕暮れ時――。
自然と襲われた瞬間の記憶がよみがえった。あの時受けた傷の痛みがよみがえった。
「・・・・・あんなのとは、もう二度かかわりあいたくねえな」
思わず口にしてしまった言葉が那須さんの提案に対する答えなのかもしれない。
ただ、怖い。
自分に特別な力が備わり、異形と戦えるようになったとはいえ、心までは強くなることはなかった。
あの時受けた体の傷は癒えても、心の傷は癒えることはできなかった。
俺は特別かもしれないが、それに見合った人間ではない。それが俺自身に対する評価だ。
異形。
異形処理課。
処理能力。
それらすべてが自分の知らない世界の話であり、そしてそれがいきなり自分の世界となってしまった。
そのことに、頭も心もついていけなかった。その結果、第三市役所を逃げるように後にし、そしてぷらりぷらりと意図も目的もないまま道を歩くことになった。
これからどうしよう?
金が無限に増やせる力だったら不労所得者に慣れるのになどと、気を紛らわすために冗談交じりなことも考えたが、そんなうまい話もあるわけがない。
「処理能力・・・・・」
どう発動するのか、どんな力なのか。何もわからないままでいるのは逆に危険だ。
人ごみの中で大爆発なんて能力が、何かのはずみで発動してしまったら、一気に俺は歴史的大犯罪者になるだろう。
それだけは避けたい。
河原の土手にあぐらをかいて座ると、自分の能力について考えた。
俺を襲った黒い異形が原因で、俺に処理能力が付いたのならばあいつの力が宿っていると考えるのは不自然ではないはずだ。
あの時にわかった黒い異形の力は二つあった。
一つは強力な貫通力を持った腕だ。つまるところ、腕力強化かあるいは身体能力そのものの強化か?
もう一つは高速移動だ。あいつがこっちに振り向き、俺を襲うまでの間に俺自身ができたことは、ただ「まずい」と危機察知することだけだった。
高速移動が俺の処理能力、あるいは一つ目とどうように身体能力の強化なのかもしれない。
しかし、処理能力者となったことで那須さん曰く、身体能力そのものの強化はすでにされているようだ。
それが、人の皮膚を貫き、筋肉を退け、臓器を破壊するぐらいにまで変わったのかはしらないが、少なくともちょっとやそっとでは疲労しないことや、今まで無理だと判断した肉体行動も十分できるということが、無意識でわかるくらいの変化は感じている。
肉体強化はすでにされているため、処理能力とは違うような気がする。
・・・・・・。
「高速移動おおおおおおおおおおおッ!」
周りに人がいないことを確かめたうえで、叫んでみた。
何も変わった気がしない。
「腕力強化あああああああああああッ!」
結果は同様、何も変わった気がしなかった。
無論、現に変わってはいないことは確かめるまでもなく明白だった。
なにやってんだ、おれ。
ふと自分の行いが、ばかばかしく感じた。
そしてその考えが自身に宿る処理能力の存在の疑念につながった。
本当に処理能力なんて持っているのだろうか?
傷がいえたのは現代の医療技術のたまもの故ではないのだろうか?
俺はむくりと起き上がった。
疑念が頭をよぎっては、それらを否定した。
医療技術がどれだけ優れていようと、一日またずにぽっかり空いた穴がふさがるわけがない。
俺には間違いなく処理能力がある。
ふと河原を眺めた。その瞬間はまさに悟りの境地だった。
無――・・・・・。
いっさいの思考感情がなくただ川の流れを眺めていた。
その時、何を思ったのか俺は一言口にした。
「飛べ」
刹那、それは起こった。
何が起きたか全くわからなかった。
俺の体はいきなり大量の水を浴び、そして俺はおぼれた。
すぐに我に返り立ち上がると、そこは先ほどまで自分が眺めていた川の中心だった。
息を整えながら、鼻から入った水を吐き出した。
「な、なにがおきたんだ?」
俺が何をしたのか、そして何が起きたのかはすぐに理解した。
これは間違いなく処理能力の発動だった。そして俺の処理能力は高速移動なんてもんじゃなかった。
「瞬間移動、か?」
俺は、ここで初めて、自分が特別な存在になったことを実感した。