プロローグ
四宮凛太朗は俗物な人間である。
自身の出世を求め帝都へ上京したもの、やれ自分に合わないだとか、やれこの会社には未来がないだとかで職についてはすぐに辞めを繰り返し、4度目のいわゆる「ばっくれ」を行ったときに、求める仕事にありつけないのは、自分が凡夫なのだからではないかと考え始めた。
河原に寝そべり、漂う雲を眺めながらふと思った。
明日のことを考えずに未来の大成を考えていた自分は社会人として未熟なのではないだろうか。
自分で自分を見直す反省は凛太朗の人生では初めてのことだった。そして、そのことを考えれば考えるほど、凛太朗のなかで今までの反省やこれからにたいする葛藤が混ざり合ってうごめいていた。
「俺何してんだろう」
ふと口に漏らした言葉が今までの行いのすべての評価だった。
おもむろに財布をとりだすと、ばっくれる直前に退職金という名目で社長の金庫からちょろまかした6万円の薄い札束だけが現在の全財産だった。
帝都の物価の高さでは、住まうところも含めた食事代だけで半月持つか否かといったところだ。
・・・・・次だ。
次の仕事から俺は変わろう。
そう思うや否や、凛太朗は立ち上がり、求人チラシを求めて街中に歩みを進めた。
小一時間ほど歩き、手に入れた求人チラシを眺めながら、今晩の宿をさがしていた。
宿といっても、屋根があり安ければどこでもいいと考えていた。なんなら公園でもよい。
そんなこんなでさらに小一時間、歩き回った結果、ようやっと自身が迷子になっていることに気が付いた。
上京者とはいえ、帝都の地理には慣れ始めていたと思っていたが、考え事をしながら路地の奥へ奥へと近道を進んでいたのがあだとなった。
迷いつづけていたら時刻は夕暮れへと差し掛かっていた。
夕日の光を感じたところで良いとも悪いともいえない雰囲気のある場所へと出ていた。
あたりは車がぎりぎり一台通れるぐらいの幅の道。木製の塀で囲われた和式の家が多く、中には雑草が生え茂っており本当に人が住んでいるのかさえ怪しいくらいのものもあった。
本当にここは帝都か?
そう疑ってしまうほどの場所だった。
それでも今更歩みを止めることはできず、凛太朗は奥へ奥へとさらに進み始めた。
ちょうど、2本目の十字路に足を踏み入れようとした時だった。
感じたのは違和感――、あるいは恐怖だった。
遺伝子の中に入っている本能の部分がこの十字路に入ることを危険だと判断したのだ。
気が付いた時には凛太朗は汗をかいていた。
歩き回ったことで流したものもあるが、なにより冷や水のように冷たい汗がこの瞬間に溢れ出たのを感じたのだ。
恐怖。しかし同時にそれは一種の好奇心にもつながっていた。
何がいるのか。あるいは、あるのか。
気になる好奇心と本能の危険信号は、好奇心が勝った。
凛太朗はおそるおそる、ゆっくりと足を進め十字路に入り、左右を見た。
左側は夕暮れの太陽が煌々と日を差していた。そしてゆっくり右側を見た。
それはいた。
それは、黒だった。夜よりも黒く、そして闇よりも黒いまさに漆黒だった。
人型の姿をした黒は3mほどの大きさ。
こちらを見ているのか、あるいはあちらを見てのか、表裏の区別ができなかった。ただ、立ち尽くしていた。それだけだった。
・・・・・なんだ、こいつは?
得体のしれない存在を前にして凛太朗がとった行動は、無意識なあとずさりだった。
ゆっくりと出した半身を引っ込めようとした。
しかし、その瞬間だった。
黒がくるりとこちらに体を向けたのだ。
今まで背を向けていたということは分かったが、表側も裏と同様に黒だった。
やばい――・・・・・
そう思ったと同時にすべては終わっていた。
黒い者はとんでもない速度で凛太朗の前に駆け、そしてその体躯に見合ったとてつもなく長い腕でずぶりと凛太朗の腹部を貫いた。
「・・・・・・・!」
激痛の訪れを感じるまえに、そして助けを求めて叫ぶ前に意識が薄れていくのを感じた。
「・・・・・――て!」
視界が闇に閉ざされる直前に女性の声が聞こえた。
しかし、最後に見たものは血で汚れた求人チラシだった。