【第6章 求婚と本当の気持ち】
【第6章 求婚と本当の気持ち】
「な、ナグル様、私と結婚してくださいっ!」
これは夢なのか、いや悪夢なのか。
看守として初めて仕事に就いたときに助けた二人組の女性。
一人は呪術によって醜い化け物に姿を変えてしまったスピカ王女。もう一人は、ナグルの目の前に居る、魔法国家アルムルド 第21代国王のシスカ女王だ。
ナグルは困惑し、混乱していた。まさか、女王であるシスカから求婚されるとは思ってもみなかった。
看守として、彼女たちに手を差し伸べ、紆余曲折あって王宮に出入りする身となり、それぞれの女性から確かに慕情を感じてはいた。しかし、それは恩人として、そして気の置けない友人としてのものであって、『男女の愛情』ではないと思い込んでいた。
中流家庭に生まれ育ち、今も中流家庭の一員として毎日労働の汗を流している。いつか、この国を出て、近隣で最も法体制が進んでいる統治国家ロザリアで学び、将来はこの国の未来を担い、支える事が出来る仕組みを作り上げたいと考えていた。
女王シスカは間違いなく、この国の最高権力者である。家も、思想も、何もかもが自分とは違い過ぎる。ただ、一人の女性としてみれば美しく、従順で、そして何よりナグルの事を最も理解している女性の一人であった。
『女王としてではなく、一人の女として貴方が、ナグル様が欲しい』
こんな求婚の文句に、ナグルは大いに戸惑い、混乱していた。こんな話が世の中にあるのだろうか?
- こんな条件を断る馬鹿な男がいるなら、是非に紹介して欲しいものだ。-
確かにシスカと婚姻すれば、権力を手にすることが出来、自分の思い描く理想が、自分自身の手によって実現できるかもしれない。しかし、それは恐らく王宮の力を著しく削ぎ、権力を失墜させる『革命』とも呼べるものになる。しかし、その時、既に王宮の権力の中にいる自分は、その権力に、そして妻となったシスカという美しい女性から全てを奪うことになるであろう自分は、本当の理想をまっすぐに追求する事が出来るのだろうか。
-否- 僕は、彼女の想いを全身で受け止め、女王を、王宮を支える事など出来はしない。
長椅子から床に座りなおし、ナグルの膝に縋っている女王シスカに向かい、ナグルは自分の気持ちを正直に話した。
「シスカさん。僕は貴女の気持ちが凄く嬉しいです。でも、僕は貴女と結婚する事は出来ません。家柄の事でも、王宮の事でもなく、そして男女の感情でもありません。僕には生涯を賭してこの国の未来のために取り組みたいものがあります。それは、女王としての貴女や、魔法国家アルムルドの今の体制を根幹から否定するものです。つまり、国王という制度そのものを否定する考えです。
ですから、僕は貴女の気持ちを受け入れる事は出来ない。」
「ありがとう。シスカさん。こんな僕の事を愛してくれて。でも、僕は近い将来この国を出る つもりです。そして、この国に戻って来た時、女王陛下と、王宮の体制に、真っ向から対立していくことになると思います。…それが、それが僕の夢であり、希望だからです。 だから…本当にすみません…」
ナグルはシスカと同じように、床に両膝をつき、シスカの手を握りながら、土下座をするかのような姿勢で謝罪した。
「ナグル様… 私もこの王国を、王宮を守るつもりなどありません…もう疲れてしまったのです…
心に大きな穴が開いたまま、操り人形の様に来る日も来る日も、署名と承認だけを淡々とこなす日々にも。 配下の者共は、私に何も考えるなと言います。言われた通りにしておけば、全て上手くいくと言います。先日ご相談した死刑囚も、結局そのまま処刑されたと聞き、私は深く傷つきました。ナグル様に助言を頂いたのに、私には何もできないのです。一人ではあまりに無力なのです。」
「シ、シスカさん…」
ナグルはハッとして顔をあげ、美しい瞳に一杯涙を溜めている女王シスカを見る。
「こんな飾り物の女王などと言う仕事を、死ぬまで一人で続けるなんて無理なんですっ!!!」
シスカの瞳から、その滴があふれる。両頬から止めどなく流れる涙をぬぐいもせず、ただ叫んだ。
「隣りに居てくれるだけで良い。愛してくれなくても良い。あなた様が私の隣りにさえ居てくれれば、私はもうそれだけでいい!何も要らない!!何も望まないっ!!!」
シスカはナグルの首に手を回し、胸元に縋り付いて嗚咽を漏らしている。
ナグルは女王がそこまで思い詰めていたことに、驚き、そして自身がその気持ちに気付かなかったことを恨めしく思っていた。
そして、意を決して自分の思いをシスカに伝える。
「シスカさん…すみません…それでも僕は、僕には貴女の想いに答える事が出来ません。」
シスカはただ、幼子のようにイヤイヤと首を横に振り続けている。涙に濡れた瞳は真っ赤になっており、そしてその内側には、ナグルの答えを受け入れられないと縋り付くような色が見て取れた。
「すみません…今日は、失礼させて下さい。」
縋り付くシスカの目を見ないようにし、ナグルは力なく立ち上がり、そしてフラフラと歩きながら、シスカの寝室から退出した。
☆
その晩、シスカはベッドに伏して、愛しい男を想い、そして涙を流し、一途に彼の事を想い続けていた。考え続けていた。
「ナグル様…ナグル様ぁ… 私は、私は胸が張り裂けそうです… あの日、あの時、あなたが私に微笑んでくれた、あの時から、私の心はナグル様の事で一杯に…ナグル様で満たされていったのに… あなたにお会いして、そしてお礼を言えたら、私は女王として生きていくつもりだったのに…なぜあなた様は、私をこんなにも気に掛けて下さったのでしょうか…飾り物の女王に…」
シスカは14歳の時に前々代国王に嫁いだ。そしてスピカを身篭ったのが15歳。この世界の、王族の女性としては決して早婚とは呼べなかった。
新婚の間は良かった。国王には他にも数名の妻がいたが、子供が出来ず若いシスカの肉体に国王は溺れていた。しかし、その女性がスピカという子宝に恵まれ、これを無事に出産してからというもの、その寵愛の全てはシスカという母親にではなく、一人娘で、世継ぎとなるスピカに向けられた。
子どもが、後継ぎが産まれれば後はどうでも良い。そして、一人の女性が沢山の跡継ぎを産むより、沢山の女性が一人ずつ跡継ぎを産んだ方が良い。という『国のしきたり、王宮のしきたり』がそこには存在していた。
夫を愛していたか、と問われれば答える事が出来なかった。元より親同士が決めた結婚で、自分は将来何をしたかったのかなどと考えた事は無かったし、異性の事を気にし始める前に、親よりも年上の王に嫁ぎ、自身の純真をも捧げたのだ。
そして、全てを捧げた夫から、愛されていたか?と問われれば、それさえ答える事が出来なかった。
少なくともスピカを産んでから後、ただの一度たりとも、愛の営みは行われなかった。
娘を溺愛する夫、自分には一切の愛情を向ける事が無くなった夫。それでも、いつか振り向いてくれる時が来るだろうか。淡い希望を、夢を抱いていたある日、夫は帰らぬ人となった。
そしてあの悪夢の日々を牢獄で娘と過ごしてきた。もう自分も、娘もダメだとあきらめていた。絶望に囚われて、全てを諦めていたあの日、ナグルがあの牢獄に入って来たのだ。
あの少年は、努めて仕事に誠実であろうとしていた。しかし態度の端々から、言葉の端々から、温かい心が滲みだしていた。自分も、娘も、女として、人間としてすら扱われなったあの牢獄で、ナグルは『人間』として、私と、娘を温かく包んでくれた。
牢獄での過ごした最後のあの日も、結果として自分たちは王宮魔法騎士に保護されたが、少年はあの時も、私と娘を匿い、そして王宮の地下獄に囚われたのだ。王宮、シスカ達の過ちで自らの命を絶たれようとしてもなお、あの少年はシスカにも、魔法騎士達を責める事をしなかった。
そしてあの日の夜、少年は私たち王宮の人間たちに向かってこう言ったのだ。
『過ぎてしまった事をクヨクヨしていても仕方ありません。 大切なのはこれからなのではないでしょうか?』
どんなに苦しくて、悲しい夜が有っても、明るい朝が必ずやってくる。その朝を迎えた時に、夜の事、昨日の事ばかり考えていても、人間は前に進めないのだ。ナグルはあの時、前に進めと言った。ただ愚直にやるべき事に向き合えと言っていたのだ。あの時、ナグルに会う事を条件に、シスカは女王になると決めた。それでもなお、シスカの心の奥底では強く揺れていた。女王になるべきなのか、そして勤まるのかを。そんな私の背中を押したのは紛れもなくあの一言だった。
私は、あの少年は神からの天啓を、私の為だけの天啓を受けて、私の目の前に降り立った運命の人だと感じた。そしてあの少年、今はもう立派な青年になったナグルは、気が付けば私の心の中に住み着き、それは日々、どんどん私の心の中で広がり、大きくなり、そして強くなっていった。
-私は。私はもう、独りには耐えられない…一人でいる事に、耐えられない… -
一人の女として、あのお方の胸に顔を埋め、全ての寵愛を一身に受けたかった。それが叶うのなら、女王を、王宮を捨てても構わないと思っていた。
身を焦がす想い、これを『恋』とか『愛』と呼ぶのであれば、なぜもっと早くにあの人に逢えなかったのだろうか。自分の運命を、シスカは心底恨めしく感じていた。
☆
同じ深夜の時間帯、ナグルもベッドに横になりながら考え事をしていた。当然、先ほど女王から受けた求婚についてだった。ナグルは酷くショックを受けていた。美しい、それもこの国に住む者なら誰で憧れる女王から求婚されたのだ。嬉しいと言う感情が、そして男としての自尊心が心の奥底から湧き上がってくる。
その反面、自分が何を成したいのか。その人生について考えた時、彼女の気持ちは到底受け入れられるものではなかった。
そして、自分は誰を想っているのだろうか。誰を生涯の伴侶として選ぶのだろうか。自分の気持ちに素直になって…
-そう思った瞬間、何故かナグルの胸に飛び掛ってくる、あの化け物の姿が浮かんだ。-
「ああ…そうか…そうだったのか…」
だから僕はこんなにショックを受けて、悩んでいたのか。とつっかえていた物が、音を立ててスーッと取れていく様な感覚を感じていた。
僕が愛しいと思っている女性の母親から求婚された。母親と婚姻すれば、彼女と婚姻する事は出来ない。そして母親を選ぶ事は王宮を選ぶ事になるが、あの姿の女性を選んでも、今の状況で僕が王宮を選んだことにはならない。
いずれにしても、近い内に、貯めた給金と、高価な法律の本を持って、ナグルは旅に出るつもりだった。自分の生きがいを、生涯を掛けた旅へと踏み出す。それならば、スピカにも、そしてシスカにも、僕の想いを伝えよう。
-そして僕は彼女たちを置いて、自分の為だけに旅に出るのだ。答えられない想いを置き去りにして-
ナグルはそう決意すると、瞼を閉じ、眠りについた。
【第7章へ続く】