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【第3章 勤労青年と化け物姫】

中々難しいですね。忌憚のないご意見をお願いします。


【第3章 勤労青年と化け物姫】


自宅に戻ったナグルは、家族にこれまでに起こった事を話した。当然女王とその娘、そしてお国の動乱については伏せていた。信じて貰えるとは思っていなかったし、何より自分が手痛い目にあって、死に掛けた事を家族に心配して欲しくなかった。


「これからどうするんだ。ナグル。」

父親が問う。


「うーん。でも勿論新しい仕事は探すつもりだよ。父さん。」


とはいっても、あては全くなかった。仕事が見つからないから、父の伝手であの牢獄に職を求めたのだ。


「取りあえず、色んな所で頭を下げてみるつもりだよ。職に貴賤なしさ。」

こうして、看守という温い仕事を失ったナグルの就職活動が始まった。



10日を過ぎても仕事は見つからなかった。まだまだ仕事を選び過ぎているのかもしれない。そう思ったナグルは、得意ではない肉体労働を中心に仕事を探す事にした。仕事を選ばずに探すこと5日目、ようやく土木の作業を専門に請け負っている、5人程の小さな組で仕事を貰えることになった。


「おぅ!おめぇさんが新入りか! 俺が棟梁のトビだ。しっかり頼むぜ。」


「はいっ!肉体労働は初めてですが、精一杯付いていきます。宜しくお願いします。」

元気よく挨拶をする。肉体労働者の間では、元気とやる気が重要な社交力である。


「今日からは、西の川から城下町までの水路を掘っていく仕事だ。新入りは掘った土を集めて水路の周りを平らにならして行ってくれ。」

「じゃぁ、今日もご安全に。だ。」

トビの締めで、5人はそれぞれ持ち場に着き、仕事を始めた。


『ドスッ。ドスッ』と音を立てながらトビ達が土を起こしていく。

その土を一つの車輪が付いている車で運び出していく。くぼんだ箇所にばらまく。踏み固めて、木の杵で叩いていく。


本当に単純作業だ。しかも炎天下で非常に暑い。一生懸命に体を動かすが、2時間もするとバテテくる。


「新入りぃ!おめぇ大丈夫か~?」

トビの大きな声が現場に響く。


「だ、大丈夫ですぅ~」

ヒィヒィ言いながら返事をする。


「もうちょいで飯の時間だ~!気張れよ!」

ナグルは必死に土を運び、地均しをしていく。服も下着も、全身汗でビタビタだ。


昼食は塩のおにぎりだったが、こんなに美味いおにぎりを食べたのは初めてだった。あの二人組が、何も無かった牢獄で、塩粥に入れたおにぎりを口にした時も、こんな風に美味しく感じられたのだろうか…いや、恐らくは食べる事に精一杯で、今のナグルの様に風や日差しを感じながら食べるおにぎりのその美味さを感じる事は出来なっただろう。


そう思うと、このおにぎりの味を伝えてあげたくなってきた。もっとも、王宮ではおにぎりなんて出ないし、彼女たちが肉体労働をするはずはないのだが。

そんな事を想いながら、働いて食べる事を幸せに感じる事を憶えたナグルは、

筋肉が悲鳴を上げるまで働き続けた。このモチベーションなら、明日の筋肉痛だってきっと大丈夫だろう。ナグルは働く事の意味、そして喜びをかみしめていた。


翌朝は流石に筋肉痛が酷く、少々ギグシャクした動きになっていたが、それでも身を粉にして一生懸命に働いた。一輪車と呼ばれる謎の運搬車の扱いにも慣れてきた。


「新入り、お前中々筋がいいな!その調子だ!!そらよっ!!」

トビは一輪車に掘ったばかりの土を思いっきり放り込む。おっとっと…一つしか車輪が無い為、少しバランスが崩れると一輪車は倒れてしまう。


必死にバランスを取りながら、土を運び、均していく。暑さ対策で用意した帽子も効果覿面で、ナグルは少しずつ肉体労働の楽しみが分かり始めてきた。



トビの組で働き始めて2週間が過ぎた。肌はすっかり日焼けし、精悍な小麦色になり、体も締まってきた。夜になるとトビと仲間と酒場に行き、酒も嗜むようになっていた。ナグルは労働の喜びを味わい、そして仕事の後の1杯の酒で仲間と親睦を深め、充実した毎日を噛みしめていた。肉体労働では、法律の勉強が出来なかったが、中流家庭の出自を考えれば、このまま自分はこの仕事を生業にしても良いのではないかと思う時も有った。


確かに辛くて、危険な事もあるが、目に見えて自分が手掛けた仕事が、『形』になるのが、ナグルの心を躍らせていた。


『いつか、僕にも王宮の様な大きな建物の建設に携わる事が出来るだろうか』

漠然ではあったが、己の肉体から生まれる力が、建造物という形に変わる様が、仕事の結果として目の前に現れるこの仕事が楽しかった。


そんなある日の夕方の事。酒場で1杯酒を飲み、帰路についていた時に、ナグルの後ろ側が急に騒がしくなっていった。


遠くから怒声の様な声が聞こえる。やがてその声はどんどんと近づいてくる。


『どけーい!どけどけーい!! 王宮馬車のお通りであるぞーー!!』

見覚えのある魔法使いの杖を模った紋章の鎧に身を包んだ王宮魔法騎士だ。


ナグルは道端によるともの凄い速度で通過していく王宮馬車を一瞥し、

「あんまり変わってないんだな。」とため息をついた。


ナグルはそのまま自宅に至る道を歩き続ける。いつもと変わらない帰り道。夕日が路上と、その両側に立つレンガ作りの建物を赤く染め上げている。

あの時、王宮の人達がこれから変わっていってくれるのではないか。そんな風に期待をしていた。

だが、相変わらず王宮魔法騎士に先導された馬車は、あんな風に暴走している。きっと、うっかり道を飛び出してきた少年少女が居たとして、あの馬車に引かれてその体が傷付いたとしても、王宮馬車に当る奴が悪い。そして、王宮の人間の邪魔をする方が悪いと判断されてしまうのだ。王宮の人々は微塵も心を痛めることはないのだろう。


それが今までの習わしでもあり、『国の決まり』でもあった。一体、王宮とは、王族とは何なんだろう。あの優しい二人の王族を以てしても、この魔法王国アルムルドは、変わる事がないのだろうか。


ナグルは二人の顔を思い浮かべながら、一抹の寂しさを憶えていた。


そんな風な事を考えながら歩みを進めていると、前方から王宮魔法騎士の一団がなにやら叫びながらこちらに近付いてくる。再び投獄されるような覚えもいわれも無かったが、ナグルの頭には、あの忌々しい記憶が蘇ってくる。手違いだろうが、冤罪だろうが、王国が、騎士団が黒と言えば、黒になってしまうのがこの国の決まりである。


ナグルは小さな恐怖を感じながら、適当な裏路地に身を隠した。裏路地を通ると、遠回りになってしまうが、理由もなく以前の様に罪を着せられるのは二度と御免だ。

小走りに裏路地を進み、曲がり角に差し掛かった所で歩みを緩める。

何やら慌てふためいている騎士団が、こんな狭い路地に踏み込んでくる事はないだろうと思っていた。


「ふぅ。やれやれだな。」

ナグルがため息をついた時、背後から足音が近づいてくる。それも明らかに走っている速度で。


えっ?と思い、ナグルが振り向く。振り向いた先には、真っ赤な髪の毛、灰色の肌、上を向いた特徴的な鼻、そして貴族が着るフリフリ付のドレスを身に纏った、あの化け物- スピカ姫 -がこちらを目掛けて猛然と、シューシューと異音を放ちながら、その距離を確実に詰めて来ていた。


化け物が更に突進の速度を上げる。ナグルとの距離は5メートルに満たない。ナグルは口元を少し緩めると、両手を広げ、両足を踏ん張った。

ビョンっ!と化け物がナグルに向かって飛び掛る。

全力疾走をしながら、その勢いのままに化け物は一直線にナグルに向かって飛んでくる。

『ドンっ!』と鈍い音が響く。ナグルはその勢いを精一杯緩和する。

化け物はナグルの首に両手を回すと、そのまま胸に顔を埋める。


「元気だったかい?スピカ?」


「ガウっ!ガウガガッガ!!」


「そうか、僕も会いたかったよ。」

ナグルは化け物にやさしく微笑みかける。まるで積年の友に、数年ぶりに会ったかのように。


「所で、スピカは何でこんな所にいるのかな?」


「ガウガウガゥ!ガウガウガウガウ、ガガウガウ…」

一生懸命事情を説明してくれているようだが、残念なことに全く理解できない。


「うーん。やはり言葉の壁があるね…」

「そうだ。スピカは字を書く事は出来るかい??」


「ガウ!」


「そうか!良かった!じゃぁ、次からは紙と炭筆を持ち歩くようにするよ。」

ナグルはそう言いながら、化け物の髪の毛を優しく梳く。スピカの後ろから、更に王宮魔法騎士たちが走って追いかけてくる姿が目に入る。


「スピカ、お迎えの人たちが来ているよ。そろそろ帰らないと、シスカさんやマームさんも心配するだろう。」


「ガウガ!ガウガ!!」

化け物はイヤイヤをするように全身で体を左右に振り、拒否を表す。


「そうは言っても、王宮魔法騎士には僕も逆らえないんだよ。それに、僕も今は仕事をしているんだ。」


「ウゴガ?ガウガ、ガウガガウウガ??」


「そうだよ。僕は今、トビさんと言う人の元で、水路を掘ったり、家を作ったりしてるんだよ。今日もその帰りなんだ。」


「ガゥウ」

化け物のその表情から、感情を窺い知る事は出来ないが、きっと感心しているのだろう。


「ガゥ! ガウガウガウガウっガガウガウ!」

「うーん…やっぱり全然わかんないよ。スピカ。大体、君は王宮の外に出たりして大丈夫なのかい?君の見た目に怯えたり、良くない感情を持つ人だっているかもしれないんだから、気を付けないと。」


「ガウガウガウガウ! ガウガウガ、ガウガガガウウガ!!」

このうめき声ではどうにもならないな…ナグルは少し困った様子で頬を人差し指で掻く。


「今日はちゃんと王宮に戻るんだ。僕は当分、西の川から城下町までの水路を掘る仕事をしてるから、ちゃんとシスカさんに行先を告げてから来ればいい。」


「スピカさまぁーーー!!」丁度その時、王宮魔法騎士が追いついてきた。


「じゃぁ、スピカ、また今度会おうね。今日は嬉しかったよ、僕の事を追いかけてきてくれて。」

少し照れ臭さも混ざりながら、ナグルは化け物の髪の毛、頭を撫でる。化け物は俯いて下を見ていたが、やがて次の機会にと思い直したのだろう、ナグルを見つめ、唸り声を上げる。


「ガウ!ガウガウガ、ガウガウガ、ガウガガウガっ!!」

「うん。わかった。じゃあまたね。スピカ。」

わかってはいなかったが、こう言うしかなかった。


肩で息をしている数名の王宮魔法騎士たちに、化け物を引き渡すと、ナグルは隊長格の男に小さな声で話しかける。

「スピカは街中を歩いて大丈夫なのか?」


「いえ…決して人前には晒すなとシスカ様からきつく言われているのですが…」

隊長格の男は言葉を濁しながら、答える。


「そうだよね…呪いとはいえ、あの姿で街を歩いていたら、それはそれで目立ってしまうし、しかも王宮の御付が居ればすぐに王宮内の要人で有る事は明らかになってしまうでしょうしね。」

「まぁ、次回からはちゃんと意思疎通が出来ると思いますから、もう少し建設的な会話が出来る

 でしょう。スピカとも。」

ナグルがそう言うと、隊長格の男は驚きを隠せず、目を丸くしてナグルに詰め寄った。


「ほ、本当ですかっ!!本当にスピカ様と意思疎通が出来る様になるのですか!!」


「えっ?皆さんは出来ないんですか??」


「は、はい。恥ずかしながら、シスカ様以外は、他の誰ともスピカ様は意思疎通をなさりません。」

まぁ、あれだけ懐かれているのだ、少しは心を開いてもらわないと、こちらはこちらで困る。恐らくシスカさんも、筆談をしているのだろう。流石にあの唸り声だけでは、化け物の気持ちは殆どわからない。


「そうですか。所で街中を歩くなと言われているのに、こんな所に突如現れたのですか?皆さんは?」


隊長格の男は苦虫を噛み潰した様な表情で経緯を語る。

「それが我々にも分からないのです。王宮に向かって馬車を走らせていた所、突然スピカ様がドアを開け、馬車から飛び降りてしまいまして…」


「えぇっ!? 先ほどの、あの暴走していた馬車から飛び降りたのですか??」

これにはかえってナグルの方が驚いた。


「スピカ様は朝から気晴らしの為に郊外から街の中を遊覧しておいでだったのです。そうした所、早馬が来て、スピカ様の呪術を解ける可能性がある司教が王宮に寄られているからすぐに戻る様にとの伝文があったのです。スピカ様にも伝え、急ぎ戻っていたのですが…」


道理で暴走していた訳だ。しかし、スピカの呪術が解けるのであれば、今ここでゆっくりとしていてはダメだ。

「では急いで戻られた方が賢明でしょうね。スピカの呪術が解ける事。私も祈っています。」


隊長格の男にそう告げると、ナグルは帰路についた。



翌朝、ナグルはトビの組と合流し、水路の現場に赴く。道中でトビが昔話をしている。


-その昔、アルムルドの隣国で川の水をせき止める為の大きな建物を建造した事 -

-天にも届かんと空に伸びる教会の塔を完成させたとき、その一番高い所から、下に居た意中の女性に

 愛を告げ、妻として迎えた事-

-その後新たにもう一人の妻を迎えたのだが、正妻と上手く折り合えず、第2妻ばかりに目を

 向けていたら、正妻と第2妻と同時に逃げられた事-


-結局、今は一人寂しい暮らしをしている事-


「どっかにいい女、いねぇかなぁ。」

トビはすっかり遠い目線である。


「いい女は、見つけるものではなく、自分が磨くものではないでしょうか?」

などと、生まれてこの方16年、親しい異性すらいないナグルが嘯いてみる。


「がぁはっはっ!!新入りぃ!てめえ上手い事言うじゃねぇかよ!!

 えぇ?じゃぁお前が磨いた女ってぇのはさぞかしスゲェんだろうなっ!」


「ぃませんょ」

ナグルは消え入る様な声でつぶやく。


「あぁん?なんだって??」

トビがニヤニヤしながらナグルの肩に手を回し、組み合う。


「だから、僕が磨いた女性なんていませんよ!!というか、女性の知り合いすら居ないに等しいんですがっ!!」

間もなく女王になるシスカや、王女である化け物は流石に出せなかった。仮に出したところで、夢物語だ、空想だ、妄想乙だの言われる事は間違いないのだが。


「そうか。そうか。ロンリーチェリーは寂しいのぅ…嗚呼寂しいのぅ!」

爆笑しながらトビと仲間たちがナグルをからかう。ナグルは肩をブルブル震わせながら、

唇から血が滲むほどに唇を噛みしめた。


『こいつら…いつか精神的に立ち直れない位のダメージを与えてやる…』

ナグルは昔の自分を、酒場で甘いマスクで女性を虜にする『お手伝い』をしていた時の思い出を、ほんの少しだけ思い出しながら、固く誓った。


程なくして今日の作業現場に到着する。


「よし、今日も暑さに負けず、頑張ろうやっ! ご安全にっ!!」

トビの勢いのよい声と共に、皆一斉に持ち場について仕事を始める。


炎天下の中、いつものようにせっせと土を運ぶ。この頃は一輪車の扱いにも慣れ、トビ達が掘り起こした土を、直接一輪車で受け止めながら移動し、一杯になった土を窪地にまき、均していけるようになってきた。


一輪車を押しながら、数メートル先に石が落ちているのを確認する。そのまま前進すれば、車輪が石に乗り上げ、バランスを崩して一輪車が転倒する。そんな予知をしながら、その石を避けようと少し右手を引き、進行方向を変えようとした瞬間、

『ドシンっ!』

ナグルは一輪車諸共、派手に転倒していた。



化け物は昨日ナグルに聞いた場所、西の川から城下町までの街道沿いを馬車で移動していた。

移動の車中で、化け物は過去の日々を思い返していた。


父である国王が殺害されたと聞いた。母親とは殆ど会話をすることが無かった父だが、私にはとても優しく、甘い父親だった。父親が殺されたと聞いて、母親も同じようにショックを受けているだろうと気遣った。


黒いローブの男が何やら母に向かって魔法を詠唱をしているのが目に入った。

魔法が母を包み込もうとした瞬間、私は母親を庇い突き飛ばし、呪術の光を一身に受けた。


初めて変わり果てた自身のその姿を見た時、深い、深い悲しみが彼女を襲った。しかし、自分がそれを悲しんでは、母親はもっと深い悲しみに捉われてしまう。

そう思い精一杯、努めて明るく振舞っていた。母親は辛そうだったが、私は初めて母親の役に立てた

事が嬉しかったし、誇らしかった。


でも、私たちはその後追っ手に捕まり、あの牢獄に囚われてしまった。


牢獄では、人間扱いされた事は一度たりともなかった。こんな外見なのだ。最初は当然だと思っていたし、愛しい母親を庇った自分には誇らしい気持ちがあった。ここでも母親を守ればいいと。

しかし、時が経つにつれて、扱いは更に酷くなり、心はすり減り、体は疲弊していく。心も醜くなっていくような気がして、毎日が怖かった。自分は王女としての高貴な、美しい心を無くし、この醜い外見に呑まれ、いつか本当の化け物になってしまうのではないか- そう考えると、ますます精神がすり減って行った。


やがて体がまともに動かせなくなってきた。いっそ自分の心が、自分らしさが少しでも残っている内にその命が燃え尽きた方が幸せなのではないかと思う様になっていた。

母、シスカは毎晩毎晩涙を流しながら『ごめんなさい。ごめんなさい。』と呻くように語りかけてくる。

どれ位の月日が、あの暗く、狭く、異臭立ち込める部屋で流れたのかすら分からなかった。


-そんな時、母と私の元に光が差し込んだ-


痩身のあの看守が、私たちを、私を『人間』として扱ってくれた。私の醜い外見になんの拒絶もなく、私の体を気遣ってくれた。粗食の中に、思いやりのある差し入れをしてくれた。差し入れは私の体を支え、そして彼という存在が、私の心を支えてくれた。

燃え尽きる寸前、最後の灯が消えようとしていたあの時、私の心と体を救ったのは彼だった。恐らくは母親もそう思っている。


そしてあの日、彼は母と私を匿い、助けようとしてくれた。私はあの時、彼の腕に包まれて小さな部屋に連れられていった時の、あの腕の、彼の温もりを決して忘れはしない。


そんな彼は、私たち王国の過ちで、その命を奪われようとしていた。もし母、シスカの決断があと数分遅れていたら…


今でも私は夢の中で、彼の胴体に -首が落とされた後の亡骸に- 縋り付く悪夢を見る。


-今は、彼と言葉を交わす事は出来ないけれど、いつか必ず -


王女の地位も、王国の権威も、一度全て失ったものだ。そしてこの醜い姿であっても、彼が私を『人間』として見てくれている限り、私は全てを捨てて、彼の傍に居る。そう決めていた。


どうすればこの呪術が解けるのか、それは術者がこの世を去ってしまった今、誰にも分からない。

しかし、私にとって、全ての事はどうでも良い事であった。一度、全てを失い、生きる屍となった私に、新しい命を吹き込んでくれたあの青年に、全てを捧げる事が出来るのであれば、他に何も要らない。


- そう、私のすべては、彼の物だ -


ガラガラと音を立てて進む馬車。

ふと我に返ると、遠くに数名の人影が見える。どうせ声を出しても、誰もわかってくれない。

「ガゥーーーン」と呻いて走っている馬車から飛び降りる。

化け物の体は、以前の自分よりも身体面で非常に強くなっている。その分、得意としていた魔法は全く使えなくなってしまったが…

化け物は、想い人の元に向かって、迷うことなく突き進んでいった。気持ちが昂るがままに。


☆☆


「おいおいっ!大丈夫か新入り!」

トビの声でナグルはハッと我に返る。なぜだ?なぜ自分はここで転んだのか?転ばないように一輪車を操作したはずだった。なのに、その石に到達する前に、自分では全く理解出来ない状態で突然ひっくり返ったのだ。


体の痛みと共に、何やら柔らかい感触が体を包んでいる。そしてその正体は確かめるまでもなく、化け物のそれであった。


「スピカ…飛び付いてはいけないし、仕事の邪魔もしてはいけないよ。」

ギュッとナグルにしがみ付いている化け物に、ナグルはそっと語りかける。化け物の両肩に、自分の両手を添え、化け物を引き起こす。


「ガウウ…ガウガガウガ…」

化け物の瞳が僅かに潤っているように思えたが、恐らくは気のせいだろう。ナグルは体を起こして一輪車から飛び散った土をスコップで回収しようとする。


「… 新入り…おめぇ…そいつは、ま、まさか…」

少し離れた所から、トビが顔を青くしながらガクガクと震えている。化け物の姿に恐れているのか。それともまさか、彼女の正体に気が付いたのか…

ナグルも内心では相当に動揺していた。しかし、ここで自分が少しでもその心の内を外に出した時に、大変な騒動になる事も理解していた。心の大きな乱れ、動揺を無理やりに押し込んで、トビの出方を伺った。そして、長い沈黙の後、遂にトビが核心を突く一言を放った。


「新入りが磨いた…お、女??」


炎天下の現場に、少し砂っぽい、乾いた風が流れる。確かに服装を見れば女性であることは分かる。しかし、この外見で『磨いた女』と呼ばれる事に、流石のナグルでも抵抗があった。


「僕はまだ、み、磨いていませんよ!彼女はまだ原石なんです!!綺麗な原石でしょう!!」

と口走ってしまう。あぁ…僕は人前で何を言ってしまったのだ…と自己嫌悪に陥る。

ナグルは人を、人間を外見で判断したことなどない。確かに人並みに美しい女性と良い関係になってみたいと思っていたが、将来は優しくて、自分の事も、家族の事も愛してくれる、家庭的な女性と一緒になりたいと言う、憧れを、理想を持っていた。

ナグルにとって外見はあくまでの外見であった。年を取れば、自分も、相手も、何れは見劣りする様になってしまう。何れ失われてしまう輝きだけで人生の伴侶を決めるつもりはなかったし、自分を外見のみで判断するような女性には、興味もなかった。


それでも、この化け物を見て、『自分が磨いた』などと言われては、磨く前は一体どんなのだったんだ。とナグル自身も思ったし、自身の焦りから、『綺麗な原石』などと付け加えたら、自分はこの化け物をこれから一体どうやって磨くつもりなのだ。と自分自身に聞き返してしまう有様だった。


「しっかし、おめぇさん。個性的な顔してんなぁ。今まで数か国色々と渡り歩いて来た俺様でもこんな種族には出会ったことがねぇや。」

「あの先に見える馬車から飛び出して来たってことは、あれか! 新入りに恋する乙女って所だなぁ!!」

明らかにトビはニヤニヤしながら、僕たちを冷かしている。


「ガ、ガウガウっ!! ガウガガウガウガウガウガウガウガウガっ!!」

…えーっと、スピカさん。全然分かりません。


「ちょっと待って!スピカ!!今日はちゃんと準備しているから!ねっちょっと待ってて!」

壊れた機械の様に、フーフー!シューシュー!!シューーシューーー!!と、どこからその異音が発せられているのか全く分からない、目の前の化け物を宥め、昼食を入れている布袋からごそごそと『アレ』を取り出す。そう紙と炭筆を。

今日、遂に初めて明らかになるんだ。こんな簡単な事をどうして皆気付かなかいのか。王宮魔法騎士の面々を思い浮かべながら、ナグルは勝ち誇ったような高揚感を味わっていた。


出逢ってから、今までの一方通行だった、僕の言葉と、化け物の唸り声がこの紙を通じて、そう、紙と筆が意思疎通の道具となり、彼女と僕を次の新たな関係へと、次のステージへといざなうのだ。


「スピカ。君の気持ちを、僕にしっかりと伝えて欲しい。さぁ。ここに書いてくれ。」


化け物に紙と炭筆を渡す。化け物は喜々として、そして目には涙を浮かべながら、一心不乱に紙に炭筆を叩きつけている。言いたい事、伝えたい事が一杯あるに違いない。

化け物はわき目も振らず、尚も一心不乱に紙に炭筆を叩きつけている。もう少しで、そうもう少しで彼女の言いたい事が、本当の思いが分かる。

ナグルも、化け物の一生懸命な姿を、健気な姿を、そして瞳に溢れる滴を見ていると、胸が熱くなり

胸の奥から熱いものが込み上げてくる。


化け物は思いの丈を紙にぶつけながら、段々とヒートアップしているのか、フーフー…フォーフォー…そして通常通り、シューシューシューと異音を発し始めていた。


「ガウガっ!!ガウガガっ!!!」

もの凄い不気味な形相で、化け物は涙目になりながら、書き綴ったその紙をナグルに差し出す。


ナグルは感動すら覚えていた。トビや仲間たちが周りに居る事も忘れかけていた。

ただただ、化け物が一生懸命に思いを綴ってくれた紙を、真っ先に自分に差し出してくれたこと、そして、これからお互いの思いを伝えられるようになる事に感動していた。


「す、スピカ…ありがとうね…」

化け物の髪の毛を優しく撫でながら、ナグルはその手紙に目を通す。ナグルはその瞬間、頭の中が真っ白になり、そして真っ暗になった。


- 綺麗とか乱筆とか言うものではなく、謎の記号により数枚綴りの手紙は、真っ黒に埋め尽くされていた-



「読めない… 読めないよ…スピカ…」

ナグルは涙目で化け物に語りかけていた。


-もう、どうなっているの?同じ国だったら、同じ言語じゃないの?-

ナグルは相当にへこんでいた。


そして、化け物の謎の記号が書きなぐられた紙を捲り、自分でアルムルド語を書いていく。


『スピカ様へ 僕の名前はナグルと言います。今日はどうしてこんな所まで来たのですか?』


化け物はそれを読むや否や、「ガウっ!ガウガウ!!」と呻き、紙と炭筆をナグルから奪い取ると、ザザザザザッと紙に何やら書き殴っている。


『%$&&@%@^P(*@&@^*@%$%$#@?>}(*@^|}*@#$%』

実に表現しにくいが、ナグルが見ている文字はこんな感じである。


ナグルはこの時点で筆談を諦めた。そして、彼女が発するうめき声から、何とかその意味を見出そうと

努力する事を誓った。


「よし、スピカ! 僕と一緒に働こうっ!!」

最早投げやりに近かったが、こうでもしないとやり切れなかった。



スピカは持ち前の腕力と瞬発力を活かして、既にナグルを凌駕するほどの働きを見せ始めていた。

- 僕だってこの2週間、この場所で必死に汗を流して来たんだっ!!-


「負けるわけには、いかないっ!!」

そう叫びながら、ナグルは一輪車を必死に押す。そのすぐ近くで、妙なリズムが付いた異音が聞こえる。


「ガゥガゥガ~♪ ガウガガウガウガウガォ~♪」

化け物はまるで豆腐を掘り出しているかの様な、もの凄い勢いで土を起こしていく。


「負けるもんかぁあああ~~!!」ナグルは昼食5分前にぶっ倒れた。


何とか意識を取り戻して昼食にする。昼飯は塩おにぎりだ。ナグルは昼食を化け物の目の前で広げる事を

少し躊躇していた。

今日、どんな理由で、どうしてここに来たのかは分からないけど、化け物は今確かに隣に座っている。

もし、自分がここでおにぎりを出して食べはじめたら、化け物はあの時の、あの生活を。辛かった囚人生活の、思い出したくない深い所まで思い出してしまうのでは無いか。深く傷つくのではないか。

そう思うと不安だった。心に深い傷を負っている事は間違いない。そして、僕自身も、あの牢獄では『そちら側、つまり傷を負わせた側』だったのだ。


ナグルは考えれば考える程、頭が痛くなってきた。一体どうすればいいのか…


「…ねぇ…スピカ…あの…御飯なんだけどね…」

ナグルはなるべく優しく、そっと化け物に声を掛けた。


えっ? 


えぇっ??



「えええええーーーーーーーーっ!!??」


化け物は、ナグルの昼食の塩おにぎりを、それはそれはとても美味しそうに、頬をリスの様に膨らませて、咀嚼していた。今朝、いつものように二個握ったはずだ。良く見ると二つとも綺麗に消滅していた。と言う事は当然、ナグルの昼食は全て化け物の胃袋に収まった訳である。


化け物は自分の昼食を準備するはずなどなかった。何せ王女なのだから。化け物はナグルのおにぎりを飲みこんだ後、ガウガウと唸りながら帰って行った。


この日、ナグルは初体験をしてしまった。夕方まで空腹で仕事を続けると、夕食は普通の量では絶対に

満足出来ないと言う事を。そして、そこに酒が入ると、人間は突然スイッチが切れたように、意識が途切れてしまうと言う初めての体験を。



化け物と一緒に仕事をするようになってから、2週間が過ぎた。ナグルはこの仕事を始めて1か月が過ぎ、肉体的にも随分と精悍さを増していた。帽子をかぶるとはいえ、炎天下で肌はどんどん焼けて行く。しかし、そんな中にあっても、化け物の肌は相変わらず『灰色』で、日に焼けることも、陽を浴びて灰になる事もなかった。


水路は城下町のすぐ横まで掘り進んで来ており、ナグルはこれを片付けたら次はどんな建造物に取り掛かれるのだろう。と期待に胸を膨らませていた。

化け物は相変わらず堅い土をまるで豆腐を掘っている様な軽い腕の振りでどんどん先に進んでいる。


流石のトビも感嘆し、一緒にうちの組に入ってくれと懇願するほどであった。

化け物は肉体労働に実に向いていた。大変残念な事に、ナグルなど比べ物にならないほどに、力仕事にその才能と能力が偏っていた。


今日も昼御飯は塩おにぎりである。しかし、ナグルは少し趣向を凝らしていた。

それは、『野菜の塩漬け』である。通常、おにぎりは掌に塩をまぶして、そのまま素手で米を握るだけである。しかし、今日は敢えて表面に塩を塗さず、中に塩漬けにした野菜を入れてある。


「スピカ。お疲れ様だね。ありがとう、一緒に仕事をしてくれて。」

化け物の仕事はもはや手伝いと言うレベルではない、むしろナグルの方が先に追い出されそうな働きぶりである。ナグルは心底感謝の意味を込めて、満面の笑みで化け物に御礼を述べる。


「ガ…ガウガウガウガ…ガウガ…ガウガウガウガウガウガウガウウガウグガ!」

えーっと…これはどうしたら良いのだろうか…


「ごめんね。スピカ…今のは僕には良く分からないよ。本当にごめんね。あっ、そうそう! 僕、今日の昼御飯は君の為におにぎりを作ってきたんだよ。」

そう言うと、包みを開けて化け物におにぎりを渡す。


「ガッぅ」

化け物は一心不乱にコメの塊を口に入れる。一口で半分以上を納めている。

そう、一口目はおにぎりの半分以上を口に含む、二口目は『ぽいっ』っと開けた口の中にコメを放り込んで、ゴクリと飲み干す。味わっているのではなく、『食事を胃袋に放り込む』即ち作業であった。


「こらっ!スピカっ! 折角僕が朝早く起きて気持ちを込めたんだから、もっと味わって食べなさいっ!」

ナグルはスピカの額を人差し指で軽く弾くと、赤子に接するかの様な慈愛の目で化け物を見つめる。


「…ガゥ…ガウガガウガガウっ!!」

化け物はシューシューと異音を放ちながら唸っている。全然意味は分からなかったが、きっと化け物には

通じただろう。とナグルは勝手に解釈していた。


そして更に1か月後。ナグルがこの仕事に就いてから、2か月に、水路は城下町まで到達した。



ある日の事、いつもは昼御飯を食べると満足して帰って行く化け物が、昼御飯を食べた後も働いていた。今日の現場は城下町の中にある、とある家の修理だった。崩れかけたレンガを取り払い、再び新しいレンガを積んでいく。左右の端に糸が張ってあり、その糸にそって灰色の粘土を水に溶かしたものを塗り、レンガを積み上げていく。

水路の仕事に比べてば、肉体的には相当楽だった。それもあって、化け物は昼を過ぎても働いているのだろう。


所でこの化け物はどうやってここまで来たのだろうか?


「スピカ。そう言えば、どうやってここまで来たの?」

先日までとは異なり、作業場所は違うし、化け物はナグルとも、トビの組の者たちとも、会話をする事が出来ないはずだ。


「ガ、ガウっ!」

背中越しに、化け物が何かに驚いている様子だけは見てとれる。


「ガゥーー。ガウガウガウガウガウガウ、ガウガウガガウガー。」

何やら離れた向こう側を指さして一生懸命に説明してくる。相変わらず何を言っているのかはさっぱりだ。


指の方向を見ると、そこには王宮馬車と、銀色の鎧の人間が見えた。なるほど。王宮魔法騎士がトビに仕事の内容を聞いているのだろう。


「トビ、ちょっといいかな。」

忙しそうに働く棟梁に声を掛け、ナグルは少し離れた場所へと移動する。


「あの女の子の事なんだけどさ…」


トビはガシッとナグルの肩に乱暴に腕を回す。

「大丈夫だよ!大体の話は魔法騎士様に聞いた。それにこっちもばっちり身入り良くなってんだ。助かったよ!」


「えっ?それってつまり…」

ナグルは驚きを隠し切れず、棟梁であるトビに尋ねる。


「そう。今までは俺たちみたいな小さな組はよ。大きい組から仕事を貰って細々やって来たんだが、当然大きな組は俺たちみたいな組に、まともな対価は支払わねぇ。つまり上前を撥ねられちまうんだ。だがな、魔法騎士様が大きい組に掛け合ってくれてよ。それなりの報酬が貰えるようになったってわけだ。」


この国では強者が弱者から搾取する事は公然と言ってもよかった。正当な対価ではなく、それぞれが日々生きていくための僅かな給金を貰い、食いつないでいく。小さな組の替えなどそこかしこに有ったし、大きな仕事は大きな組が独占し、それを沢山の小さな組に、安くばらまく。そこには確かにこの国の『決まり』があった。


ナグルは思った。

正しい仕事をした人たちが、その仕事に見合った給金を貰い、豊かな生活が出来なければ、何れこの国は豊かに、富める者と、貧しい者との差が大きくなる。そしてそれは国の体制を覆す流れになる。

それは、他国の歴史が間違いなく証明している事実である。


やはり僕は、法律について学ぼう。この国を正しく導いていく者たちに、自らを律して、万民の為に政[まつりごと]をしなければ、いずれこの国で多くの血が流れる事を説いて行こう。


ナグルは今日も一つ、大きく成長する事が出来た。


「さぁ、スピカ! 競争だっ!! 今日は力仕事じゃないから、負けないよ!!」

「ガウー!」


ナグルと化け物は笑いながら、一生懸命レンガを積み上げた。今のこの仕事が楽しい。それは看守という温くて、時間を持て余す様な仕事では得られない、真の意味での労働の喜びだった。


そして、トビから貰った初めての給金で、他国の法律について書かれた高価な本を買った。ナグルは初めて自ら稼いだお金で、自分の夢を切り開く為の『投資』を行った。


彼は見えていなかった将来の夢が陽炎のように見え始めたことに、明日への労働の意欲が更に高まっていることを実感していた。彼の未来は希望に満ち溢れていた。


【第4章に続く】

『つまんねーからやめろ』ってのだけはご勘弁を。

チラシの裏だと思って、ぬるーい目で見守ってください。m(★)m

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