第七話
僕らが宿に戻ると、山口たちはすでに戻ってきているようだった。
山口はわざわざご丁寧にも僕の部屋の前に立っていた。
「おう、遅かったな」
(「遅かったな」じゃないよ)
そう心の中で毒つくものの、言葉にしたところでこの男には通用しない。
山口とはそういう男なのだ。
「とりあえず、もう一回浴場に行ってくる」
予定では男2人で酒盛りするつもりだが、この分だと女性陣も合流しかねない。
その前に一度汗を流してしまいたかった。
浴場に向かう途中、白井さんと顔を合わせた。
どうやら考えることは同じらしい。
「山口め、人を散々振り回しやがって」
「まあまあ、山口君も悪気はないと思うよ。理恵ちゃんのこともあるし」
「たしかに、小川さんのことを考えればね」
白井さんに宥められてしまえば、これ以上怒る気にもならなかった。
山口には、今夜の酒代を多めに徴収させてもらうこととしよう。
浴場の入り口で別れた後、僕は汗を流して露天風呂に浸かっていた。
夜空には満点の星が広がっている。
幸いにして、他の利用者はいないようだ。
星空を眺めながら、僕はこの1ヶ月の出来事を思い起こしていた。
「まさか自分が白井さんとここまで話す仲になるとは思わなかったな」
それが正直な感想だ。
“恋人同士だと思われたりして”
不意に、先程の白井さんのセリフが脳内にリフレインした。
それは多分、不覚にも「そうだったらいいな」と思ってしまったからだろう。
あれほどの美人を相手にして、そう思わないはずがないというのは、山口にも言われたことだった。
(まあ、あくまで冗談の範疇だ)
実際に彼女とどうこうとまで考えるほど、僕もバカじゃない。
たぶん、急に美人の女の子と接点が増えて舞い上がっていた部分があったのだろう。
我ながら、少しばかり情けなくなった。
もっと自分は、現実を見えているのだと思っていたからさ。
――女の子は怖い――
それが、僕の基本認識だ。
これは、山口にも言ってないことだけど。
実は、僕はちょっとしたしぐさから他人の悪意を感じ取るのが得意だ。
特に僕に対して悪いものであればあるほど。
女の子たちが僕に向けて微笑みかけながら内心で見下しているというのを読み取るのは、中学高校を経て嫌になるほど経験してきた。
だからこそ、最近になるまでできる限り女の子たちとは距離を置いていたのだけれど。
それがどうしたことか、白井さんの内心だけは読み取れない。
もちろん、今までも心を読んでいたわけではなくて、態度や言葉の端々から透けて見える感情を読み取ってきたのだ。
故に、しばらく相手のことがわからないというのは珍しくない。
ただ、1ヶ月かけても読み取れないというのには参ってしまった。
油断なく観察してきたつもりだけど、僕を軽侮するような様子が見当たらない。
それどころか――
「楽しい、んだよなぁ」
僕が呟いた言の葉は、そのまま虚空へと吸い込まれていった。
そう、楽しいのだ。彼女の相手をするのは。
「まあ、向こうとしては、使えるうちは仲良くしておこうというくらいなんだろうけどね」
その点に関しては、僕は希望的観測は持たないようにしている。
僕に利用価値がなくなってしまえば、この関係も終わるのだろう。
金の切れ目が縁の切れ目とは、よく言ったものだ。
正確には金銭は絡まないけど、さして変わりはしない。
水滴が落ちて広がった波紋が、一瞬にしてもとの水面に戻っていく様を、僕はじっと見つめていた。