第六話
約束の当日、僕は山口と電車に乗っていた。
僕らは3時間ほど電車に揺られて、とある温泉旅館へとやってきた。
温泉に浸かり、料理に舌鼓を打った後、思わぬ出来事が起こった。
「あれ、中村君?」
廊下を歩いていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
まさか、と思いつつ振り向くと、そこには白井さんと小川さんの2人が立っていた。
「理恵、京子ちゃん、奇遇だなあ」
わざとらしく山口が声を上げる。
どうやらこいつは黒のようだ。
白井さんも小川さんにどういうことか聞いているが、のらりくらりと躱されている。
どうやら僕らは2人に嵌められたようだ。
「そうか、小川さんはたしか自宅生だったっけ」
「な、なんのことかな、中村君」
「まあ、ダシに使われたのは癪だけど許してやろう。ただな、行ってくれればアリバイ作りくらい手伝ったのに」
「なんのことかなー」
山口は声が裏返り挙動不審になっている。
要するにこのカップルは2人で旅行に来たかったが小川さんが家を抜けてくるのは難しい。
よって、白井さんと旅行に行くことで家族を誤魔化したと。
(あれ、僕っていらなくないか?)
「あのさ、僕って必要だった?」
「いや、お前は別で日頃の御礼にね。温泉好きだろお前」
小声で「この代金は持つ」とまで言われては、これ以上追及する気も起きない。
タダで泊まらせてもらえるなら文句などないのだ。
しいて言えば、白井さんをどうするつもりなのか聞きたいところだが。
「それじゃ、俺たちちょっと出かけてくるから」
そう言って逃げるようにして2人はその場を離れた。
まあ、個室を借りてるから鍵の心配はいらないので問題はないが。
「まったく、災難だったね。白井さん」
そう言って、僕は同じく取り残されたもう一人に声をかける。
「ううん、私は理恵ちゃんに先に聞いてたから。中村君がいるのは知らなかったけど」
「そうなんだ」
どうやら完璧に嵌められたのは僕だけらしい。
「それで、どうするの?」
「どうしようか」
「じゃあ、私たちも出かけましょ?」
「お嬢様がお望みならば。……相手が僕で申し訳ないけど」
「ふふっ、よろしくね」
こうして僕らも出かけることになった。
白井さんに歩幅を合わせて、僕らは温泉街を歩いて行く。
時刻は夕方の6時ごろだろう。日は西に沈みつつある。
道の真ん中を、川が流れている。ところどころで湯気が見えるのは、温泉の水と合流しているのだろう。
僕たちはその脇を歩いている。
自転車や自動車が、時折僕らのさらに外側を走り去っていく。
川べりにポツポツと立っている柳が、風に揺れていた。
「少し、硫黄の匂いがするね」
「うん。でもこの匂いがあると、温泉に来たって感じがしない?」
「たしかに」
彼女にそう言われてみれば、このツンと鼻に付く匂いもまた、風情のあるもののように思えてきた。
そのまま風景を眺めながら、2人静かに歩いて行く。
「私たち、他の人からはどう見えるのかな」
ポツリ、と彼女がそう言った。
「さあ、どうなんだろうね」
年頃の男女が2人、と言えば聞こえはいいが、所詮相方に置いて行かれた者同士。
それに、僕は自分が周りからどう見られるかわかっているつもりだ。
「恋人同士だと思われたりして」と冗談半分に言う彼女には「うーん、どうかなあ」とお茶を濁しておくが、とてもそうは思われないだろうというのが本音だ。
さすがにわざわざ口に出して否定する気はないけど。
仲のいい兄妹ならまだいい。が、大多数が思うのは美女と野獣だろう。
もっとも、彼女も本気でそんなことを言ったわけではないだろう。
薄暮に包まれる静寂の中で、蜩の鳴く声だけが街中に響いていた。
「戻ろっか」
彼女はそう切り出した。
気が付けば、夕日はすでに沈んでしまっている。
「そうだね、そろそろ戻ろうか」
それを合図に、僕たちは今来た道をまた歩き始めた。