第五話
あれから1ヶ月が経った。
その間、白井さんとは週に何度かあの店で会って話をする間柄になった。
話の内容は、最近あった出来事、友人との様子、講義や演習に関してなど様々だ。
――何のことはない。相手が女の子というだけで、僕への相談者リストに1人名前が増えただけだ。
もう何度目かもわからないが、今日もいつもの喫茶店でコーヒーを片手に向かい合っている。
「ねぇ、中村君。私のこと、女の子扱いしてないよね」
女の子扱いねぇ、どうしろっていうんだか。
「それは悪いかったね。ただ、女の子扱いされたければ僕じゃなくて他の相手の所へ行くのをお勧めするよ」
「いや、その、別にそれが嫌ってわけじゃなくて」
僕が思ったことをそのまま口にすると、彼女はえらく慌てた風にして言った。
「その、無理しなくていいっていうか、気を抜いても大丈夫でいられるから」
「そう。それじゃあ、このままでいることにしようか」
僕は他人に合わせるのは苦手だ。
どうしても必要ならやるのもやぶさかではないが、できる限り肩の力を抜いて自由にやっていきたい。
我ながら女の子に向けて酷いと思うが、長話に付き合っているこっちの身にしてみれば、相手を丁重になんて扱えるわけもない。
「ちなみに、他の女の子にはどうなの?」
何を期待しているのか知らないが、妙なことを聞いてくるものだ。
「はぁ、他も何も……。そもそも白井さんだけだからねぇ、僕のとこに来るのは」
「ふぅん、そうなんだ」
気の無い返事だが、どうやらこの答えに納得したようだ。
悪かったな、女っ気が無くて。
そんなに心配されなくても、何でもない相手には普通に接するさ。
……僕に面倒事を持ってこない限りは。
「ところで、中村君は夏休みどうするの?」
何気ない世間話なんだろうけど、僕としてはあまり触れたくない話題だ。
何せ僕は、彼女とは違ってスケジュール帳は真っ白なのだから。
「バイトと集中講義」
「えっと、それだけ?」
「それだけで悪かったね」と内心で毒つきつつ、その話を黙殺した。
これだから世の所謂「リア充」と呼ばれる人たちとは最後には決定的に話が合わないのだと思う。
休みに引きこもって何が悪い。別にわざわざ無理してどこかに行く必要もないだろう。
僕のそんな態度を見て取ったのか、彼女は気を遣うように「別に何でもないの」と話題を終わらせた。
僕としては、この話がこれでおしまいなら願ったり叶ったりだ。
「とりあえず、全く暇がないってことはないのよね?」
「そうだね」
それからまた取り留めのない話をして、この場はお開きとなった。
そんな会話からしばらくしたある日、山口が酒瓶を片手に家へ転がり込んできた。
先日僕が晴れて20歳になったことを機に、うちへ上り込んでくる頻度が上がっている。
「最近、京子ちゃんといい感じなんだって?」
訊ねる、というよりは確認するようにして山口が言った。
「はぁ、何を言ってんのさ? というか誰だよそんなこと言ったの」
僕の、というよりむしろ白井さんへの風評被害だ、これは。
「そんなに言わなくてもいいだろ。まあ、理恵から聞いたんだけどな」
「小川さんか……」
そもそも僕のもとに彼女が顔を出すようになった元凶のくせに、何を言ってるんだか。
正直に言うとこういった誤解が広がるのは困る。
全くそんな関係ではないにもかかわらず、次の瞬間には勘違いした連中が「お前には白井さんはふさわしくない」とかなんとか言って湧いてくるからだ。
「ないない、絶対にない」
「そこまで否定するか?」
「だって事実だし。というかさ、そもそも僕じゃなくて白井さんに聞いた方が早いって」
「でもたまに会って話はするんだろう?」
「まあね、でもそれだけさ。もしそれが付き合ってるのに入るなら、今頃僕はハーレムでも作ってるんじゃないかな」
「そ、そうか」
そうだとも。
こう見えても女性陣に遣いっぱしりにされるのは高校時代も少なくなかったから。
言ってて悲しくなってくるけどね。
「なんでまた小川さんもそんな勘違いをしたんだか」
「そりゃ、何日かに一度行先も告げずに1人でどこかに行ってたら勘繰りもするって。しかもそれで男と会ってるとなれば、そりゃあな」
「まあ、たまに男と会っているという部分だけを抜き出せば間違っちゃいないか」
「だろう?」
「他が全くおざなりな推理だがな」
「悪かったって――それで、本当に何もないのか?」
「ないね」
「ほんとに?」
「クドイ!!」
「だってさ、あんなかわいい子と一緒なんだぜ」
「相手にその気がないけどね。それこそあの子にとってみればいい迷惑じゃないか」
そう僕が言った後、山口はバツが悪そうな顔をした。
余計な話を持ってくるからだ。
「……ところで話は変わるんだけどさ」
来たよ。大体こいつがこのセリフを言う時は決まって長い愚痴が始まるか、さもなくば面倒事を持ってくるときなんだよな。
「はあ、それで一体全体どうしたの?」
僕が返事を返せば、話を聞く用意ができたという合図だ。
「来週の土日はヒマか?」
来週か、たしかに空いてはいるな。
「うん、ヒマだけど」
さあ、今度はいったいどんな厄介ごとを持ってきたのやら。
「じゃあさ、2人で温泉行かないか?」
山口の提案はいつもと異なり、極めて普通の、驚くほど常識的なお誘いだった。