第二話
事の起こりは、ほんの十数分前のことだ。
僕はたまたま学内の図書館へ行ったのだけど、その帰り道の途中、一人の女性がベンチでうずくまっているのが見えた。
(あれってもしかして)
どうやら同じ研究室の白井京子という子のようだ。
「あれっ、白井さん?」
普段なら同じ研究室とはいえ女の子に声をかけたりしない。
が、今回は別だ。
こんなところでうずくまっているとすると、体調を崩している可能性が高い。
「えっと、中村君?」
しかし、どうやら僕の予想は外れだったようだ。
彼女の手には、ゲーム画面を表示したスマホがある。
つまり、ただ単にスマホを弄っていただけのようだ。
(うーん、どうしよ)
彼女とは事務的な会話で数回話したことがあるかないかだ。
彼女たちのグループはあまり男性陣と交流はない。
しいて言えばみんな「白井って美人だよなー」「彼氏いるのかな」「いるんじゃない? さすがに」などと話のネタにしている程度だ。
実際僕としてはグループ間の関係を考えると間違いなく厄ネタなわけで、必要以上に関わる予定はなかった。この場で声をかけたのも、もしほんとに体調不良だった時にここで見捨てていたら寝覚めが悪いからというくらいのものだ。
そんな事情は脇に置いておくとしよう。
とりあえず、このまま「何でもないよ」とはいかないので、とっさに声をかけた理由を切り替えて話しかける。
そこそこのところで切り上げるにしても、声をかけた以上もう少し会話は続けておきたい。
「人待ちですか?」
言外に「こんなところで?」というニュアンスを含めながら言った。
「いいえ、場所が空いていなかったので」
「ああ、たしかに食堂も図書館もいっぱいでしたね」
それにしても他に場所はあるだろうと思いつつ、彼女がどこで何をしようと自由なのでそれは口にしない。
「人待ちですか?」
今度は白井さんの方から訊ねてきた。
自分にそう聞いてきたということから、僕の方こそ待ち合わせか何かなのだと思ったのだろう。
すいません、とっさに口から出てきた言葉です。
「いえいえ」
「それじゃあ、どうして?」
「こんなところにわざわざ」ということだろう。
「いえ、知りい合いがそこにいたら声をかけるのは普通でしょう?」
さらにとっさに言葉を紡ぐ。
我ながら下手な言い草だと思うが、今のところ矛盾はない。
僕は学部でも有名な変人と噂されているし、少々の奇行なら問題はないさ。
……言ってて悲しくなってきたけど。
「そ、う……ですね」
若干不審そうだが、僕の様子から何もふくむものがないことを見てとったのだろう。(実際そんなものはないし)なんとか誤魔化せたようだ。
「何にせよ、この暑い中にこんな日向にいたら倒れちゃいますよ。特に無駄に頑丈な野郎どもと違って女の子なんですから」
と、話を切り上げるためにもっともらしくうそぶいて話をまとめにかかる。
いや、倒れそうな暑さなのはほんとなんだけど。
そうして「それじゃあ、僕はこれで」とその場を立ち去るつもりだったのだ。
「それ――」
「それじゃあ、涼しいところに連れて行ってもらえませんか?」
白井さんは僕の発言に被せるようにして、とんでもないことをのたまった。
「へっ?」
それを聞いた瞬間、僕は目を白黒させながら彼女を見た。
「ですから、そこまでおっしゃるなら私が倒れないように中村君が凉しいところへ連れて行ってください」
口調こそ丁寧だが、今度は有無を言わせぬ力が籠っていた。
そして最後に「ね、お願い」と上目使いで頼まれてしまっては、もはや僕としては降伏宣言をする以外に仕様がなかった。
(さて、どこに行くべきか)
自慢ではないが、生まれてこのかた女の子と一緒にどこかへ行ったことなどない。
そうして散々頭を悩ませた結果向かったのが――この喫茶店だった。