第42節:使徒
「一体、何が?」
唖然とするアイリに、ハジメは説明した。
「人体改造型装殻者の装殻は、ただの装殻よりも、元になった装殻細胞に近しい。―――特に初期型であるアンティノラに関しては、『使徒』と呼ばれる存在と同義と言ってもいいほど変質がない」
「使徒? って、何?」
「……黒の0号が生み出す事が出来る、自身に従う装殻者の事だ」
黒の0号。
そんな存在の話を、アイリは聞いた事がなかった。
『0号……という事は、黒の一号よりも前に、人体改造型装殻者がいたのか?』
マサトの疑問をアイリがそのままハジメに伝えると、ハジメは首を横に振った。
「いいや。0号は、人体改造型じゃない。人体改造型の、さらに基礎となった存在だ」
「どういう事!?」
人体改造型でない、黒の一号よりも前に存在した装殻者。
一体、それは何なのか。
「装殻細胞ーーー流動形状記憶体は、使用者の意思に応じて形を変える物質だ。機械的に作られた装殻を、流動形状記憶媒体に変換する物質があるのは知っているか?」
「ええと、パウダー、だっけ?」
装殻とは言うなれば強化スーツである。
それを使う為には、コアを移植してエネルギーを得ると同時に、補助頭脳による制御を行い、装具に収納する為にはパウダーを使用して流動形状記憶媒体化する必要がある。
「パウダーは、その0号の外殻を培養して砕いたものだ。機械と融和し、装殻とするものでもある。故に全ての装殻はある意味、人体改造型を含めて、全て0号の人体細胞であると言える」
だから、とハジメは続けた。
「根源である0号の意思に死を命じられれば、取り込んだ装殻者ごと死に至る。それだけの事だ」
「じゃあ、……コウ、が?」
アイリの推測に、ハジメは頷いた。
彼が花立、おやっさんと共に気絶したコウの腹部に止血を施す間に、ヘリを降りたジンが駆け寄って来る。
「コウくんは、0号の生まれ変わりだ。彼の中には、全ての始まりとなった0号コアがあった。―――それが、目覚めたんだ」
「0号って、一体何なの?」
「装殻者とは、本来は自然発生する者だ。0号という呼称は、人体改造型を俺が生み出した事で便宜的にあの人に付けただけで、当初、装殻者とは、ただ一人の存在を指し示す言葉だった」
ハジメは、コウを抱き上げながらアイリに丁寧に説明する。
「……俺の研究、人体改造型装殻者の研究は、そもそも『あの人』の再現を目指して始めたものだったんだ」
コウを抱えてヘリへ向けて歩きながら、黒の一号は言う。
非適合者とは。
流動形状記憶体の元になった存在の『コア』を保有する者。
それがコウ。
「真の『コア』を持つ者に、装殻は適合しない。肉体を形成する真性装殻細胞が反発し、許可なく変質させられた装殻細胞を拒絶するからだ」
だからコウは、装殻を纏えなかったのだと、ハジメは言う。
「【黒の装殻】は、自身の肉体と装殻を融合させる事で、通常の装殻者よりも0号に近い存在となった者達だ」
「じゃあ、寄生殻は?」
「強力な存在に適合するだけの肉体調整を行わずに、融合度を高めすぎて0号の『因子』を目覚めさせた結果、魂を喰われて狂ったモノだ。シープも、肉体こそ人であったものの、魂が浸蝕される痛みに狂ったんだ」
溶け崩れたシープの脇をすり抜けたハジメは、そちらを一度だけ見てすぐに目を反らした。
「コウくんは感情が激した時、あるいは、守るべき者に危機が迫った時。その片鱗はは垣間見せていた。アヤさんがドラクルに襲われた時も、シュリさんの事件の時、アンティノラⅦが俺への攻撃を止められたのも、シュリさんが一時的に意識を取り戻したのも、全ては0号であるコウくんの、真性装殻細胞の為した事だ」
「……その、0号は、何人もいるの?」
アイリは、恐る恐る口にする。
彼女自身も、非適合者だったと言われている。
自分が適合率0%だったのかどうかは知らない。
単に装殻を纏えないだけの存在だったのかも知れない。
アイリの問いかけに、ハジメは首を横に振る。
「0号は、真の『コア』を持つ者、ただ1人だけだ」
「じゃあ、コウは」
言外に、アイリは違うと言われて、彼女はさらに問いかける。
「人間じゃ、ないの?」
「0号は人間だ。あの人は、誰よりも人間らしく生きようとした。あの人はいなくなったが……真性細胞となっても、その本質の命じるままに、人に害なす者の存在を許さない事が、コウくんがあの人の生まれ変わりである事の、証左だ」
ハジメはヘリの前で立ち止まり、黙って二人のやり取りを聞いていたジンやおやっさん、花立を見回す。
「コウくんは連れて行く」
それに声を上げたのは、おやっさんだった。
「……ハジメ。その子はフラスコルシティの人間だ。連れ出したら騒ぎになる。誘拐扱いになるぞ」
「構いはしない。元々危険な状態だ。『黒殻』に連れて帰って、処置を施す」
ハジメはジンに目を向けた。
彼の手の中にいるコウは、青い顔をして気絶している。
「沖合に、仲間を待たせてるんだろう?」
「ああ。大型船だ。万一に備えて、医療班も待機させてる」
「カツヤ。俺たちが連れて帰るのが、一番彼を助けられる可能性が高いんだ。行かせてくれ」
おやっさんは溜息を吐き、花立を見た。
「……やるのか?」
「ああ」
花立の主語の無い問いかけに、ハジメは頷いた。
「彼を救う」
その口調に、迷いはなかった。
「―――彼を、【黒の装殻】に。我らの同胞に迎える」
花立は頷いた。
「連れて行け」
「良いのか?」
おやっさんがなおも言うのに、ジンが言う。
「その事も考慮して、俺と花立さんはプランを立ててた」
ジンはそれだけを言い置いて、ヘリに乗り込む。
「本条。筋書きはこうだ。……Eg工場を襲撃した後、黒の一号は司法局の追跡を振り切り、西エリアの私設飛行場に向かう際に、近くに居た民間を人質に取った。そのままヘリを奪い、黒の一号は日本海を目指した」
ハジメは、服の裾をはためかせながらヘリのステップに足を掛けて、一つうなずく。
花立は続けた。
「七課と航空隊がそれを追跡したが、逃亡の途中、エンジントラブルか他の理由か、黒の一号が乗ったヘリは海に墜落。周囲の探索を行ったが、少年、及び黒の一号の消息は不明だ」
花立は、まるでこれから起こる事を予見しているかの口調で、断定的に告げた。
「十数日で、司法局は黒の一号に関する事態は収束したと見なし、探索を打ち切る」
「……分かった」
「しくじるなよ」
「ああ。花立……感謝する」
「そう思うなら、最初から相談しておけ。余計な手間が掛かっただろうが」
「……すまない」
こんな時でも、室長は室長だ、と、アイリは思い。
ハジメが苦笑してヘリに乗り込むのを見届けて、彼女等は退避した。
ローターの回転が増し、アイリは風に目を細めながら、飛び立とうとするヘリを見つめ続けた。




