第28節:真実
「残念でしたね、黒の一号」
『限界機動終了』
急激に超知覚を失う黒の一号の目の前で、装殻の背中が砕けたアヌビスがゆっくりと床に倒れ伏した。
未だ限界機動状態のシープは、黒の一号の脇を超高速ですり抜けるとアンティノラⅦの上半身を拾い上げ、超高速状態を脱する。
限界機動装置は一般的には所持が禁止されている上に、反応機動を行うものは高度な技術を必要とする希少なものだ。
それを相手が所持していた理由は分からないが、黒の一号は自分が怒りに駆られて失敗した事を悟る。
大きな損傷を受けたアヌビスの装殻は解除され、シュリは素顔で目の前に横たわっていた。
シープは涼しい顔で腕の中のアンティノラⅦに問いかける。
「無事ですか、兄弟?」
「もちろんだ、兄弟」
アンティノラⅦは生きていた。
黒の一号が連続限界機動の影により体内に溜め込んだ熱を、補助頭脳が冷却剤を合成して強制排熱する。
噴出音を立てて白煙を吹きながら、黒の一号はゆっくりとシープに顔を向ける。
「―――そうか」
瘴気にも似た、相手を物理的に圧し潰しそうな殺気を放ちながら、黒の一号は静かに呟いた。
「お前も、人体改造型か」
二人の人間を同時に軽く扱い、アヌビスの拘束を振り払う膂力。
そして先ほどの、生身での限界機動。
「ご名答。アンティノラⅧです。お見知り置きを」
本性を現したシープの笑みは、醜悪なものだった。
それが、彼本来の顔なのだろう。
「ああ、忘れはしない。……俺は殺した相手の事を、忘れた事はない」
シープとアンティノラⅦを始末する為に、ゆらり、と前に出る黒の一号に。
「殺せますかね?」
不敵に応えるシープが指を鳴らした。
すると、白煙を上げつつも未だ崩壊せずに姿を保っていたタランテール・パラベラムから、ピピピ、と微かな電子音が響き、急速に干涸びて爆発した。
小規模な威力に抑えられていたらしい装殻核爆弾の威力で、壁が崩壊して大きく穴が開く。
爆発の影響による鳴動の中、黒の一号は拳を握り締めた。
「逃げ道を作った所で、俺の追撃から逃がれられると思うのか?」
「ただでは、無理でしょうね」
シープは、再び指を鳴らした。
「つっ……! ぐっ!」
すると、突然体を痙攣させて声を上げたのはアヌビスだった。
腕の装殻具を掴んで、苦悶の声を上げている。
「お姉ちゃん!?」
アヤが姉に駆け寄ろうとするのを。
「来る、な! ぐ、ぁああっ!」
止めたのもまた、アヌビスだった。
黒の一号は、二体のアンティノラに問いかける。
「貴様ら……一体、何をした?」
「何、別に大した事はしていない。あらかじめアヌビスの装殻具に仕込んでおいた改良型のEgを彼女に注射しただけだ」
黒の一号に対して、アンティノラⅦは楽しげに応える。
「アヌビスの装殻調整はシープとラムダの仕事でね。以前、ウォーヘッドを操る装置を仕込んだ時に一緒に埋めて貰ったのさ。裏切り防止の為の装置だったが、良い所で役に立ってくれた」
「貴方の存在を知った時から、あなたを嵌める為に色々と仕込んだのですよ」
悪意の化身は、揃って笑いを立てる。
「全て計画通りに運んだよ」
「我々が束になっても、おそらく本気の貴方には勝てない」
「だから準備をした」
交互に。
「アヌビスを欺き、コウ君達を呼び寄せて」
「貴様を煽り、コアリミットを解除させ」
「貴方の限界機動に反応するように、貴重な使い切りの限界機動装置を改造した」
愉しげに。
「最後に、貴様に選択を迫る為に。即ち」
「逃げる我々を追って始末するか、寄生殻化したアヌビスを始末して、そこの子ども達を助けるか、です」
「二択だーーー好きな方を選べ」
黒の一号は。
外殻が砕けるかと思う程の怒りを込めて拳にさらに力を込めたまま、怨嗟の如き言葉を投げる。
「覚えていろ、クズ共」
黒の一号は、緋色の目でアンティノラ達を見つめながら、ゆっくりと、親指で首を掻っ切る仕草を示した。
「必ず、息の根を止めてやる」
アンティノラⅦは嘲るように笑った。
「貴様には出来んよ、黒の一号」
「既に解除された貴方のコアエネルギーをシティの検知網が感知して、緊急装殻者対策警報が発令されています。貴方は、守るべき街の人々から追われる事になる」
「逃げながら、我々を探しだせるかな? 愉しみにしているよ、黒の一号!」
アンティノラⅦとシープが、そう言って壁の大穴から姿を消した。
※※※
黒の一号は、アンティノラ達を見送って、コウ達とアヌビスの間に立った。
「出力変更、突撃形態」
『変更』
両手足の追加武装と背中のスラスターだけを残して、黒の一号の兵装が解除される。
黒の一号は、基本形態に一番近い、機動力重視の特化形態に移行した。
コウが目を向けたシュリは、装殻具とほとんど一体化した腕からアヌビスに侵食され、既に半身を喰われている。
「お、お姉ちゃん……」
「ぐ、ゥウウウウ!」
泣きそうな妹の呼び掛けにも答えず、獣のような唸り声を上げるシュリは最早、焦点も定まっていない。
「姉さん!」
その様子があまりにも痛ましく、耐えきれなくなったコウは駆け寄ろうとしたが、黒の一号の腕に遮られた。
「近づくな」
「俺は装殻調整士です! あれが装殻のせいなら、なんとか出来るかも知れない!」
必死のコウに、黒の一号は非情な現実を突きつける。
「ーーーもう、手遅れだ」
シュリは半分犬頭になり、牙を生やした口で唸っている。
「グゥ、アッ!」
突如飛びかかってきたシュリだが、黒の一号に両腕を掴まれて受け止められ、牙をガチガチと鳴らした。
「なんとかならないの!? ねぇ!? お兄ちゃん!」
ついに泣き出したアヤの肩を抱き寄せて、コウは黒の一号に言う。
「……本当に、もう、手段はないんですか? 助ける方法は?」
「今は、どうする事も出来ない」
彼の声音は冷徹だった。
黒の一号はシュリの腹を蹴って、襲いかかって来た彼女の体を強引に離す。
「あるいは、Egの解析が進んでいたら……手段はあったかもしれないが、な」
「でも、あの人は俺達の姉さんなんです! 助けたいんです!」
諦めきれず、吼えるように言い募るコウに。
「……すまない」
黒の一号は謝罪し、ついに足を踏み出した。
「いやぁッ!! お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
「姉さん!」
泣き叫び、近付こうとするアヤ。
それを必死に留めながら、コウも呼び掛ける。
すると。
びくん、と一度体を跳ねさせたシュリが唸るのをやめて、四つん這いの姿勢からじりじり起き上がり始めた。
「あ、ヤ……ゴ、ヴ。ーーーア……」
白目を剥き、涙を流しながら。
既に人として残っているのが、右目の周囲と、右腕だけの状態で。
シュリは、アヤ達に手を伸ばした。
「寄生殻化に、抵抗しているのか?」
流石に黒の一号も呆然と呟く。
「ぐ、が、ァ、あ!」
「アヤさん。そしてコウくん。寄生殻化は、全身を火傷に似た痛みに苛まれる。それは、想像を絶する苦痛の筈だ……」
まるで、シュリを賞賛するようにそう告げる黒の一号に、コウと、彼の腕の中で暴れていたアヤも動きを止める。
「わダシ、をナメるなヨ! 『アヌビス!』」
シュリは。
その痛みとアヌビスの侵食を、意志の力で押さえ込んで見せた。
彼女の顔が、徐々に人のそれに戻っていく。
「……非適合者の、力か」
「え?」
黒の一号の囁くような声をいまいち聞き取れず、コウが問い返すが、彼は答えない。
「コウ、アヤ……巻き込んでしまって、ごめんなさい……」
立ち尽くし、必死に抵抗しているのが見てとれる様子でシュリが言う。
「どうでも良いよ、そんな事! お姉ちゃん、帰ろう!? 一緒に帰ろうよ……!」
アヤの言葉に、シュリは首を横に振る。
「何でだよ、シュリさん! 今、元に戻れてるじゃないか! そのままーーー」
「無理よ。自分がどういう状態か、自分が一番よく分かってる」
シュリは悲しそうにコウを見た。
コウも、無茶を言っているのは理解している。
それでも言わずにはいられなかった。
「コウが、黒の一号に会った、と聞いた時、もっと強く引き止めるべき、だった……近づいて欲しくなかったのに、結局、私のせいでーーー」
シュリの顔が、再び苦痛に歪み始める。
「ねぇ、黒の一号。お願いがあるの」
細く息を吐くように、シュリは言った。
「私を殺して。私が、私で在る内に」
黒の一号は、黙ったまま答えない。
「お願い。私ッガ、コウ達ヲ殺してしまウ前に……」
再び変化を始めるシュリに、黒の一号は静かに呟いた。
「―――分かった」
「ハジメさん!」
「やめてぇ!」
黒の一号は、二本の指を立てた右手を持ち上げた。
「―――我は【黒の装殻】が一人」
そのまま、指を右肩から左腰へ払う。
「従うものは、救わぬ神ではなく、己の心」
左腰から、左肩の上へ。
「律に背き、権を拒み、力を以て望みを通す」
最後に、指を右腰へと切り下ろして逆十字を描き。
「我は、正義を騙る修羅。―――名を、黒の一号」
拳を握り込んだ後、自らの左胸に拳を当てる。
「無念は、晴らすと誓おう。私の中に巣食う怒りの修羅とーーー」
そして、真っ直ぐに拳をシュリに対して突き出した。
「貴女の、気高く強い、人の心に」
シュリは。
泣きながら微笑んで、目を閉じた。
シュリのその様子に、コウもようやく、覚悟を呑む。
もう、無理なのだと。
シュリを救う為には、今、殺さなければならないのだと。
コウは、アヤの頭を抱き込んだ。
せめて、姉が殺される光景を見せないように……。
「出力解放ーーー」
『実行』
黒の一号は弓を絞るように拳を引き。
「ーーー《黒の慈悲》」
『救済を』
彼は一撃で、シュリの心臓のみを破壊して、その命を刈り取った。




