第27節:策略
その日。
コウとアヤは、予定していたレストランに入ろうとすると、脇から現れたウェイターに呼び止められた。
「失礼。北野シュリ様のご家族の方でしょうか?」
「そうです」
ウェイターは頷き、そのレストランがあるのとは、道を挟んで反対方向にあるビルを指差した。
「申し訳ありません。こちらの手違いで、別館の方に席をご用意してしまいまして。北野シュリ様はそちらで既にお待ちです」
コウとアヤの視界にビルの地下一階と店の名前が表示され、確かにそれはこのレストランのB館と書かれていた。
「はぁ、分かりました」
特に疑う事も無く頷いたコウに、ウェイターは柔和な笑みを浮かべてコウらをそちらへと案内する。
歩道を下りて少し路地を入ると、丁度店の前に横付けしていた高級車が走りだしたところで、コウ達はすれ違う高級車を避けて道の端に寄った。
その間にアヤがこっそり、コウの服の裾を引っ張る。
「ねぇ。こんな格好で良かったのかなぁ?」
「確かに、ウェイターさんがわざわざ案内してくれる程、高そうなところだと思わなかったけどね……」
コウも少し緊張していた。
新調はしたが、コウはごく普通の私服だった。
アヤも同じだ。
「どうぞ、中へ」
店の前に着くと、ウェイターが恭しく頭を下げてから、ドアを開ける。
二人がおずおずと中に入ると、ウェイターに軽く背中を押されて危うくこけそうになった。
しかし抗議の声を上げる間も無く、ウェイターが続けて中に入って、ドアを静かに閉める。
「え……?」
「何?」
店の中に広がる光景に、コウ達は唖然とした。
まるで、倉庫のように内装すらない広い空間。
奥の方に、床に転がっている黒い装殻者と、前に立つ二体の装殻者が居た。
立っている方の一人、見覚えのあるジャッカルの装殻者と倒れた黒い装殻者が、コウ達を見てそれぞれに驚愕の声を上げた。
「コウ、君?」
「アヤ……!?」
「招待した二人を、お連れしました」
ウェイターが、笑いを含んだ声で言うと、一人、見覚えがないが黒い装殻者によく似た最後の一人も喉を鳴らした。
「ショーは佳境だ。楽しんでくれたまえ」
コウとアヤは、呆然と、状況を理解出来ないまま言った。
「その声、ハジメ、さん?」
「お姉ちゃんーーー何、してるの?」
「どういう事なの、ミスター・サイクロン……何故、あの二人がここに居るの!?」
ミスター・サイクロンと呼んだ装殻者に食ってかかるアヌビスーーーシュリに、相手は落ち着いた様子で言葉を返した。
「事前に説明しておいただろう。黒の一号と関わりのある人物を利用する、と」
「人質に取った振りをして誘き出すとは聞いていたわ。でも、何故二人をここまで来させる必要があるの!? 協力すれば、家族に手は出さないと……!」
「シープ。どうやら言葉が足りていなかったようだぞ。人質の振りをして誘き出した後に、もし黒の一号が抵抗するようであれば、二人をこの場に招待する……そういう話ではなかったかな?」
「おっと。少し歳を食い過ぎましたかね。すっかりアヌビスに後半部分を説明するのを忘れておりました」
わざとらしく言うミスター・サイクロンとウェイターに、シュリは歯ぎしりするような声を上げた。
「あんた達……!」
「騒ぐな、アヌビス。別に二人に危害を加えるつもりはない」
ミスター・サイクロンは淡々と続けた。
「黒の一号に止めを刺す。そうすれば二人を解放する。貴様も手伝え、アヌビス」
シープと呼ばれたウェイターはその間にコウ達の腕を掴み、その細身からは想像も出来ない力で近くへと引きずっていった。
「離して!」
「やめろ、この……」
抵抗虚しく、ミスター・サイクロンの真横まで引っ張って行かれるコウ達の姿に、シュリが吼える。
「乱暴な事をするな、シープ!」
「抵抗されなければ手荒な真似をしなくても済みます。貴女からも言ってください」
「お姉ちゃん、何なの? 一体……どういう事なの?」
「アヤ……」
混乱しているのはコウも一緒だが、痛めつけられているの装殻者がハジメと知って、コウは自分の置かれた状況を朧気に理解していた。
「ハジメさん。……こいつらもしかして、こないだのタランテールや蝙蝠の?」
「……そうだ」
倒れながらも諦める意思を見せないまま、ハジメが答える。
「巻き込んでしまって、すまない」
「全くだ」
口を挟んだのは、ミスター・サイクロン。
「お前がこの街に現れなければ、アヌビスも知られたくない事を知られる事もなく、この子らも平穏に暮らせたのにな」
ミスター・サイクロンが、黒の一号に歩み寄って、その喉元に鎌の切っ先を突きつける。
「大切な者らを救う為に、くたばれ、黒の一号」
そのまま鎌を振り上げ、叩き付けようとするミスター・サイクロンに。
思わず、コウは叫んでいた。
※※※
黒の一号は、アンティノラⅦとシープのやり口に怒りを覚えていた。
アヌビスの事情は、会話から察せられる。
彼女は家族の命を盾に、アンティノラⅦに脅されて仕方なく協力していたのだろう。
コウらを巻き込んだ事も、彼女自身は知らされていなかった。
自らの持つ悪意を他者に向ける事に躊躇を覚えない相手の存在そのものに、黒の一号は内心で断じる。
こいつらは、邪悪だ。
邪悪を前にして、最早躊躇う理由はなかった。
「巻き込んでしまって、すまない」
コウに謝罪した黒の一号は。
保身を捨てて、相手を滅ぼす覚悟を決めた。
振り上げられる鎌。
そこに、コウの叫びが重なる。
「やめろぉおおおおッ!」
心の底からのコウの制止に、黒の一号の眼前で鎌が止まる。
「何!?」
動きを止めた自分自身が信じ難いのか、アンティノラⅦが隙を見せた。
「ーーー第二制限解除」
『実行?』
「やれ」
疑問系で尋ねる補助頭脳に応えながら、黒の一号は鎌を払いのけて立ち上がる。
「ぬっ!?」
『制限解除』
宣告と共に、桁違いのエネルギーが制限を解除されたコアから出力され始め、黒の一号の全身に伸びた赤い出力供給線が瞬時に輝きを取り戻す。
ラインがより強く発光し始めると、外殻の損傷がある程度修復された後に、全身に追加武装とより強大な外殻が形成されていく。
黒の一号の両腕が鎧われ、胸郭が僅かに開いて背部スラスターが展開。
さらに、両肩、両手甲、両足首に三対の出力増幅核が現れる。
最後に、腰に斬殻剣、両腰に双頭の銃が再度出現した。
『装殻状態:強襲形態』
「おおおおおおッ!」
全身に暴れ狂うエネルギーと怒りのままに、黒の一号は咆哮しながら腰の双頭銃を引き抜いてアンティノラⅦに向けて乱射した。
束縛から解放されたアンティノラⅦが、鎌と回避行動によって銃弾を避けるが、幾らかの損傷を負う。
「ッ! 黒の一号、忘れたか! 人質がどうなってもーーー」
だがシープは、最後まで言い切る事が出来なかった。
「私の家族をーーー殺させると思うの?」
即座にシープの背後を取ったアヌビスが、シープの両腕を叩き落としてからコウとアヤを掌で左右に払う。
「きゃあ!」
「ッ!」
アヌビスは、そのままシープの首と腕を全力で拘束した。
「やれ、黒の一号!」
アヌビスの声に応えて。
黒の一号が、双頭銃を構えたまま声を上げた。
「出力、解放ーーー!」
『実行』
黒の一号の両目が輝き、全身の出力供給線が煌めく燐光を放つ。
「邪悪は、滅ぼす。ーーー〈黒の連撃〉」
『限界機動開始……連続励起!』
黒の一号の主観の中で、周囲の全てが緩やかな時の流れに呑まれる。
そして、破壊の化身となった黒の一号が、動き出した。
『3』
補助頭脳のカウントダウンが始まると同時に。
黒の一号が地面を蹴り、双頭の犬が凶悪な雄叫びを上げた。
再びアンティノラⅦを襲う、音すら引き裂く弾丸が、アンティノラⅦの鎌を破壊し、腕を喰らい、無数の牙の跡を穿つ。
黒の一号はそのままアンティノラⅦの懐に潜り込んで、二つの銃口を相手の肩口に押し当てた。
『接射』
そこで、アンティノラⅦは驚異の反応を見せた。
装殻侵入弾は、彼の右腕を吹き飛ばしたが、僅かに体を反らした事で指向性熱核弾は狙いが逸れて壁に大穴を開ける。
「ぬーーーぅ―――」
片腕を失って呻くアンティノラNo.7の声の隙間に、補助頭脳の声が潜り込む。
『2』
「一意、専心」
銃を投げ捨て、黒の一号は斬殻剣を引き抜き様に居合の一閃。
なす術もなく腰で体を両断され、アンティノラⅦの上半身がゆっくりと地面に堕ちていく中で。
『1』
斬殻剣を宙に放り出し、黒の一号はアヌビスに拘束されたシープに向き直り、右の拳を握り込んだ。
「―――喰らえ」
黒の一号の全身に配置された、三対の出力増幅核が輝く。
そのまま、本来の出力を取り戻したスラスターのアシストを受けて突撃する黒の一号。
しかし、その拳がシープに届く直前。
『反応機動』
シープから補助頭脳の高速音声が響いたかと思うと、拘束されていた筈のシープが黒の一号の世界に入り込んだ。
「―――!」
シープは笑みを邪悪に歪め、背後の拘束を無理矢理外しすと、そのままアヌビスの腰を払って彼女を黒の一号に対する盾にした。
だが、アシストを受けて限界機動している黒の一号は、威力を緩める事は出来たが止まれなかった。
『0』
補助頭脳の、無情な声と共に。
アヌビスの背中に、《黒の突撃》の拳が突き刺さった。




