第24節:墓前
予定の日、コウとアヤはシュリの墓の前に花を供えて二人で手を合わせた。
空は青く晴れて、気持ちよく風が吹いている。
暑いがからっとしていて蒸すような不快さとは無縁の、シュリの気質をそのまま表したような天気だった。
「お姉ちゃんは、夏が好きだったよねぇ」
「ああ」
手を合わせた後、墓石の前にしゃがんだアヤがそう言うのに、コウは頷いた。
アヤは、桃色の麦わら帽子に白いノースリーブワンピースという、涼しげな格好をしている。
シュリは、暑い方が調子が良い、と言っていた。
実際に、夏に外で行われる大会の方が勝率が良かったのを、コウは覚えている。
太陽の下で装殻格闘大会の表彰台に登る彼女の姿を、応援に行ったコウは何度見ただろう。
『コウ! 勝ったよ!』
大会終わりに家族で会いに行くと、シュリはいつも、輝くような笑顔で拳を突き出して来た。
そんな顔を見ると沈みがちだったコウも自然に笑顔になる位に、シュリは明るく表裏のない人だった。
あの輝くような笑顔には、もう会えない。
黒光りする真新しい墓石に刻まれた名前を見ながら、コウは思う。
「俺は一体、姉さんの何を見ていたんだろうな」
義理の家族に何かあったら駆けつけられるように、と言い訳して。
傍から離れなきゃいけない、一人立ちしなきゃいけない、と言いながら、結局コウは甘えていただけだったのかも知れない。
実際にこうして何かが起こった時には、コウに出来る事など何も無かった。
「お姉ちゃんは人の事は凄く気にするのに、自分の事はいっつも後回しにして隠しちゃうもんねぇ」
そう言うアヤの顔は墓石を見つめていて、後ろに立つコウからは背中しか見えない。
「お兄ちゃん、また、あの人に会うつもりなんだよね。……黒の一号に」
「……ああ」
「私ね、あの人に感謝してるんだよ。お姉ちゃんを……」
アヤは、迷うように言葉を切った後に、深く息を吸い込んでから続けた。
「お姉ちゃんを、殺してくれて」
アヤの声は震えていた。
もしかしたら、泣いているのかもしれない。
「でもね、殺す以外の手段があったんじゃないか、っていう気持ちもあるの。おかしいよね、こんなの」
彼女の矛盾した想いを聞いて、コウは空を仰いだ。
自分も、全く同じ気持ちなのだ。
事あるごとに、シュリを殺す以外の手段は、何かなかったのかと考えてしまう。
「だから、直接は言えないから。あの人に会ったら、お兄ちゃんから伝えて」
そう言うアヤの声は、もう震えていない。
彼女が今、何を思っているのかはコウには分からないが。
「ありがとう、って」
アヤは、ただ我侭を言って泣くだけの子供だった頃とは違うのだと。
その言葉だけで、理解できた。
アヤはコウの知らない間に、大人になっていたのだ。
多分、コウが思うよりもずっと。
もしかしたらそれは、シュリが死んだから、なのかも知れない。
「分かった。会えたら、必ず伝える」
「うん」
立ち上がり、コウを振り向いたアヤは、笑顔だった。
墓参りの道具を片手に持って歩いていると、アヤがコウの服の裾をつまんだ。
彼女が不安な時に、よくやる癖だ。
そういう所は変わっていないのだと、少しおかしくなる。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんは、そのままで居てね」
「何だよ、いきなり」
「だってね」
アヤがコウの服をつまんだまま、立ち止まる。
「私、も、もうお兄ちゃんに自由に、会いに行けなくなるから」
「え?」
蚊の鳴くような言葉の意味が分からず、コウは一緒に立ち止まり、そこで墓場の入り口に立つ二人の人物を見つけた。
一人は、五十代後半に見える老齢で、くたびれたスーツ姿の男性。
もう一人は、司法局のジャケットを羽織った、ショートカットにボーイッシュな恰好をした美貌の少女。
どちらも見覚えのある、司法局の捜査員だった。
「鯉幟さん。それに、アイリ?」
アイリは、どこか硬い表情で前に出るとコウに告げた。
「コウ。僕たちは、君の妹の身柄を拘束する」
「何で?」
コウはアヤを庇うように片手を軽く上げて彼女を背に庇うが、アヤ自身が、コウの伸ばされた腕に手を掛けてそっと下ろした。
「アヤ?」
「お兄ちゃん。良いの。せめてお墓参りだけ、って、私がお願いしたんだよ。少しでも時間を遅らせようとしたんだけど、司法局は凄いよね。あっという間に見つかっちゃった」
「意味が分からない。何がどうなってるんだよ……?」
コウはアヤと彼女を見つめるアイリの顔を交互に見て、混乱しながらも声を上げた。
「何で、アヤが司法局に?」
「コウ。君の妹には、薬事法違反の容疑が掛かってるんだ。彼女は司法局の近辺で、Egの製法と類似した薬物を僕に手渡した」
コウに対してそう説明する彼女の表情は固く、決して彼女自身が望んでそれを口にしている訳ではない事が伺える。
「アヤさんに任意同行を求めたけど、彼女は君と、殺された北野シュリさんの墓参りをする事を望んだ。対価としてEgに関して知っている事を全て喋るという条件で」
「お兄ちゃん」
アヤはコウに向かって、まるで懺悔するように呟いた。
「Egを作ったのは、私なの」
その言葉は。
コウの頭の中を、真っ白に染め上げた。
「私ね、お兄ちゃんが非適合者だって知って、それを馬鹿にされる度に悔しかった。お兄ちゃんは凄いのに。努力家で、装殻に関する知識だって他の人達なんか相手にもならない。お兄ちゃんに調整してもらうと、凄く装殻の調子が良かった」
アヤの告げる心情を、コウは呆然と聞く。
「なのに装殻化出来ないだけで馬鹿にされるなんて、そんなのおかしいって思ってた。だからネットで偶然見つけたその論文に、私、夢中になったの。装殻への適合率を上げる薬物の理論……これが完成すれば、お兄ちゃんも装殻化出来るようになる、って」
そうして出来たのがEgなのだと、アヤは言った。
「アレで変質した姿を見て、私、すぐに気付いたんだ。これはEgだって。理論を研究してただけなのに、いつの間にか不完全な状態で作られて、街に広まってた」
アヤはコウの前に出て、彼の顔を見上げた。
「私が、お姉ちゃんを殺したんだよ」
唇も、握りしめた両手も震えていて。
でもアヤは泣いていなかった。
自分には、そんな資格はないのだとでも言うように。
「ごめんね、お兄ちゃん」
「嘘だ……」
コウは首を横に振る。
仮にそれが真実だとしても、コウは信じたくなかった。
シュリが死んで、アヤが捕まる。
その事の発端が、自分が非適合者であった事だった、なんて。
「俺は信じないぞ……」
足元が崩れるような感覚に、コウは魂の底から絞り出すような呻きを漏らす。
「お兄ちゃん」
「コウ」
二人の少女が自分へ向けて言葉を発すると、コウは目を上げて司法局の二人を睨みつけた。
「何でこんな事になる。姉さんだけじゃなくてアヤまで、何でお前等に捕まらなきゃならない。……こんな余計な事をしてる暇があるなら、さっさと『サイクロン』の連中と黒の一号を捕まえろよ……ッ!」
「やめて、お兄ちゃん」
コウがあまりの怒りに足を一歩前に踏み出すと、アヤがそれを留めた。
アイリは青ざめて怯んだような顔をして、その背中を男性がそっと手で支える。
「おやっさん……」
「あー、コウくん」
アイリが顔を見上げて言うのを無視して、以前、鯉幟と名乗った捜査員は、静かに口を開いた。
「勘違いをしているようだが、彼女はあくまでも参考人扱いだ。罪に問われるかどうかは聴取と事実確認の結果次第で、彼女自身はまだ犯罪者じゃねぇ。君の言う、『サイクロン』の尻尾を掴む為に協力してもらうだけだ」
「モノは言いようだな。今の今まで、アヤの協力がなきゃ『サイクロン』の尻尾も掴めない無能の集まりなんだろ、司法局っていうのは」
「お兄ちゃん!」
「そう言われれば、返す言葉もねぇがな」
おやっさんは苦笑する。
「俺達はそれでも、知っちまったら見逃せねぇんだよ。アヤさんが、悪意があってEgを作ったんじゃねぇって事は知ってる。コイツを見たからな」
と言って、おやっさんは密封された袋に入ったカプセルと記録媒体を取り出した。
その記録媒体は調整士用の、コウが使っているのと同一のものだ。
「なぁ、アヤさん。これは君が、記録媒体に入ってるEgの製法と一緒にアイリに渡したクスリだ。これ、Egとは逆に、適合率を下げる薬物、なんじゃねぇのか?」
コウが、胸元にしがみつくアヤの顔を見下ろすと、彼女はおやっさんの顔を振り向いていた。
「……そうです」
「何の為に作った?」
おやっさんは、答えが分かっている事をあえて問いかけているようだった。
アヤは迷ったようにコウの顔を見上げてから、目を伏せて答えを返す。
「……それは、Egの理論を立てていた時の副産物です。使い道がないと思っていましたが、理論を引っ張り出して、数個、作りました。寄生殻を、元に戻せるかもしれないもの……Dg、と、私は呼んでいます」
「やっぱりそうか」
「贖罪になるとは思いませんけど、そんなものを作る事しか、私には出来ませんでした。あの、アイリさんがお兄ちゃんを尋ねた日、本当はお兄ちゃんに自首する事を伝えに行こうとしてたんです」
アイリが帰った後に見た伝言の事を、コウは思い出した。
帰るね、と書かれたそれを見た後、彼は記録媒体が一個なくなっているのに気付いたが、またアヤが勝手に借りて行ったのだと、そう思って忘れていた。
「でも、アイリさんとの話を聞いて、装殻に記録してたEgの製法を記録媒体に入れて渡そうとしたところで、お兄ちゃんと一緒に、お姉ちゃんのお墓に一度行きたいと思って。変装して、それだけ渡したんです」
「……髪を下ろして、マスクをしていたから一度映像を見ただけじゃ分からなかったけど、今の恰好なら一目で分かる」
アイリは、アヤを見て言った。
アヤは普段髪をツインテールに纏めているが、彼女が髪を下ろすと幼い印象が薄れてシュリによく似た大人びた雰囲気になる事を、コウはよく知っていた。
「じゃあね、お兄ちゃん。……あんまり、アイリさんを責めないであげて」
そう言って、コウの傍を離れたアヤはおやっさんに近付き、彼は丁重にアヤを入り口から外に出す。
「坊。行かねぇのか?」
おやっさんの問いかけに、アイリは手を振った。
「ゴメン。ちょっとコウに用があるんだ。すぐに行くよ」
「おう」
コウには、アヤとおやっさんの背中を見送る事しか出来なかった。
少し間を置いて、アイリが口を開く。
「コウ」
「……何だよ」
ささくれ立った気分のまま、アイリに目を向けるコウに、彼女は何か決意を秘めた目で言った。
「君にも、聞きたい事があるんだ」
コウは、無言でアイリの言葉を待つ。
疲れたような顔をしているが、彼女の瞳に悲しみや疲労はあっても陰りは無い。
「さっき君は、黒の一号を捕まえろ、と言ったけど」
かつては自分と同じように非適合者だった少女。
だが、彼女と自分は決定的に違う、とコウは思った。
大切なものを守ろうとして全てを失い掛けているコウは、結局何も得られない無力な存在であるのに対し。
正戸アイリは、どこまでも正しく明るい場所にいるように、コウには思えた。
「君は今、黒の一号を匿っているんじゃないのか?」




