第23節:伝言
「俺に協力してくれたら、お前に協力する。どうだい?」
一人、店で酒を飲んでいたマタギに、ジンはそう話を持ち掛けた。
彼は自暴自棄になっていた。
「何の話だ?」
「黒の一号の話だよ。お前、黒の一号を恨んでいるんだろう? 理由は推測するしかなかったが……俺は、アヌビスという『サイクロン』の幹部が死んだ事を知ってる。誰から聞いた情報だと思う?」
マタギは、灼けつくような目で小さく呟いたジンを見る
その様子に、ジンは笑みを浮かべた。
「あの人の読みは正しかったな。Egの広がりに対して、司法局の動きが鈍い……内通者いて、情報を止めてるんじゃないか、って話だった。あんたがそうなんだろ?」
「お前……」
「なぁ、ベアー。黒の一号は間違いなくおびき寄せられる。対価は、内通者が司法局の中にいる、っていう確かな情報。内通者はお前だけじゃねぇだろ?」
マタギはしばらく黙って、ぼそりと言った。
「……奴と本当にもう一度会えるなら、協力してやってもいい」
ジンはマタギと詳細を詰め、アイリ達に合流する前に、再びマタギに接触した。
準備の為の時間稼ぎに、直接捜査に当たるアイリに対してわざと情報は小出しにするように伝えていたのはジンだ。
「お前は、黒の一号の協力者なのか?」
路地のガードレールに偶然隣り合わせに腰を据えたような風を装ってジンと接触したマタギは、顔も見ないままにそう訊ねた。
「さぁな。だが、俺は俺の利益の為に行動してる。お互いに利益のある話に、事情の詮索は野暮だろ」
「まぁ、どっちでも構わないがな。どうせ、俺はくたばる」
「そして『サイクロン』も壊滅する。お前の望み通りだ」
マタギは煙草に火を付けた。
「ミスター・サイクロンの逃げる段取りは、司法局の内通者情報と一緒に店のデータバンクに突っ込んである。パスは、黒の一号を確認した後にお前に渡す」
「ああ」
表向きEgに関する捜査の一切を禁止された花立は、ジン経由で『サイクロン』の面々の顔を受け取り、その中にマタギの顔を見つけてジンに伝えて来た。
だが、黒の一号から受け取った資料は、表向きは使えない証拠だ。
花立はそう言い、彼はジンにマタギと接触するように命じた。
必要なのは『サイクロン』と内通者を追い詰めることの出来る正式な資料だった。
「店に来るのは、あの正戸アイリという室員か?」
「だと思うぜ。司法局の中で、あの人が信用してる駒は多くはねーだろうしな」
花立は、秘密裏にサイクロンの内偵を継続する手段として、彼とアイリを接触させたのだ。
「……一つだけ教えておいてやる」
マタギは、自分の装具をとんとん、と叩いた。
「俺の装殻には、爆弾が仕込まれてる。死んだら炸裂する代物だ。ビルの壁を吹き飛ばす程度の威力はある」
「おっかねぇ。なら、お前が死んだらさっさと逃げるぜ」
「そうしろ」
「で、その情報の対価は?」
「黒の一号は、俺とやった後、どこへ逃げる?」
ジンが答え、マタギはただ頷いただけだった。
「アイリと何かあったのか?」
彼がそれを口にしたのは、『サイクロン』壊滅前にジンらに死なれたら困るという理由もあるだろうが、それ以上にアイリの事を重要視しているように見えた。
黒の一号の行き先に関しても、何か自分の為ではない理由があるように思える。
「お前には関係ねぇ」
「最後まで素っ気ないこって。ま、せめてお前が満足いく死に方が出来るように願ってるよ」
「どんな死に方した所で、ミスター・サイクロン諸共地獄行きだ。どうでも良い」
マタギとジンは、それぞれに別の方向へ向かって歩き出した。
「正戸アイリに伝えとけ。お前は、俺みたいになるな、とな」
※※※
話を聞き終えたアイリは、俯いた。
ジンの言葉だけが、アイリの耳に届く。
「俺は、マタギと黒の一号の最後の会話を聞いていた。奴は、黒の一号に憧れてたらしい。まだ、指名手配犯になる前の話だろうな。黒の一号は英雄だった……そういう奴が居ても、おかしくはない」
黒の一号に憧れて、司法局に入り。
そして歪んでしまったマタギ。
「僕は……もう分からないよ」
本当に黒の一号が、北野シュリを殺していたという。
そして話を聞く限り、彼女は『サイクロン』の幹部だった。
何の罪もない少女ではなかった。
「何が正しいの? 北野シュリは『サイクロン』の幹部で、黒の一号に殺されるだけの理由もあったんだ」
殺人は悪だ。
だがそれは法の下に過ごしているからこそ、適用される罪なのだ。
法の下にない存在である黒の一号は、英雄だった頃と何も変わらないのだ。
敵をその手で屠り、人々を守ろうとしているだけじゃないのか。
ジンも、マタギも。
法の守護を必要としていない人々の考えを知るにつけ、アイリは自分というものが分からなくなっていた。
アイリ自身も。
黒の一号が、自分の信念に基づいて動いたから、救われた存在なのだから。
『アイリ……』
マサトの呟きに、アイリは答えられない。
「アイリ。お前は、一体何だ? 何故黒の一号を追ってる?」
「……司法局の、捜査員だからだよ。そんな事は言われなくても分かってる」
「だったら、真実は自分の目で確かめた方が良いんじゃねぇのか?」
「え?」
「お前は情報を聞いた。俺からな。黒の一号には北野シュリを殺す理由があり、実際に殺した。分かってるのはそれだけだ」
ジンが言う間に、司法局病院が見えて来た。
「いつ、誰が、何を、どうして、だよ。どうして殺したのか。彼女が『サイクロン』の幹部だったからか? その時の状況は? お前はそれを知ってるか?」
ジンの問いかけにアイリは顔を上げて、彼の顔をまじまじと見つめる。
彼は、先程の冷たい雰囲気を霧散させていた。
「知らない……」
「だろ。知らない事がまだあるなら、知る努力をすればいい。お前は今、自分の価値観が揺らいでる。黒の一号が理由があれば殺人を犯す人間だと知って、自分の信じていた事が絶対ではないと知って、黒の一号が平和を脅かす者じゃないかと恐れている」
ジンは、まるで何もかも分かっているかのようだった。
「だがお前にとって何が正しいかは、お前自身が決めろ。花立さんも、おやっさんも、俺も、マタギも。自分が信じる事の為に動いてる。そして、黒の一号も」
ジンは、病院につくとアイリの代わりに手続きをして、病室のベッドにアイリを横たえるまで一言も話さなかった。
しかし、去り際に軽い笑みを見せて、アイリの頭を撫でた。
「司法局に帰ったおやっさんから通信があった。マタギの最後の伝言だ」
言われて、アイリはマタギが最後に呟いていた言葉を思い出した。
「どんな伝言?」
「『ミイラはビトウと共に在る』。……あいつも勿体つけるのが好きだな」
ジンは苦笑して、ひらひらと手を振った。
「じゃあな、アイリ。それにマサト。俺は、お前等に会えて良かったよ」




