第21節:表出
『霊子エネルギー反応増大! マタギが……!』
ウォーヘッドを薙ぎ払ったアイリの脳裏に、マサトの警告が響いた。
見ると、壁際に追いつめていたマタギが体を起こして腕を薙ぎ払い、避けた黒の一号が飛び離れるのがアイリの目に映った。
「マタギ! ……邪魔だッ!」
アイリが進路を塞ごうとするウォーヘッドを打ち倒してスラスターで跳ぶと、マタギがこっちに気付いた。
『これは……寄生殻化?』
マタギは異様な状態だった。
装殻があり得ない程に膨れ上がり、マタギの全身を覆っている。
半分露出した頭には血管のような筋が走っていて、逆の半分は茶色の毛で覆われてまるで本物の熊のように牙を剥いた口元が見えていた。
「……司法局か」
ぼそりと黒の一号が言うが、こちらに手を出してくる訳ではないようだった。
「マタギ。なんで、Egを」
「グゥゥゥ……やっぱり、来テ、たカ」
マタギが苦痛に顔を歪めながら、アイリを見る。
気付いていたらしい。
その間にも首の後ろから肩に掛けて、流状形状記憶体が質量を増してマタギの首が埋まる。
「マサ、ト、アイ、リ……」
「何?」
もう上手く喋れないのか片言で問いかけるマタギに、アイリは首を傾げる。
「俺のデス、ク、ヒント、残しタ。後は……自分デ調べ、ロ」
そしてマタギはmもうほとんど熊のようになった顔で、ニヤッと笑った。
「ジャア、ナ……」
最後にそうつぶやいて、マタギの目から理性が消えた。
「ウグルゥァアアアアアアッッ!!!」
アイリは、ベアーの胸元に、妙な装置が張り付いているのを見た。
(ーーー限界機動装置?)
吼え猛って身を起こしたマタギ……熊型寄生殻に、彼女は咄嗟に反応出来なかった。
『ッアイリ! 反応機動!』
「……ッ!」
マサトが怒鳴り、少し後ろに居た黒の一号が足を踏み出すが間に合わない。
ベアーの姿が消えたと感じたと同時に、指定領域内での限界機動に反応したマサトがアイリも限界機動状態に突入させるが、それも僅かに遅く。
アイリの側頭部を、凄まじい衝撃が襲った。
※※※
黒の一号は、霞むような速さで動いたベアー・パラベラムと一度相見えた司法局の装殻者、正戸アイリの間に衝撃音が響くのを聞いて、即座に補助頭脳に命じた。
「限界機動!」
『実行』
黒の一号に、反応機動の能力はない。
通常の方法で入り込んだ超反応の世界で、返す腕で放たれたベアー・パラベラムの二発目をなんとか腕を交差させて防ぎ、そのまま押し合う。
しかし思った以上のベアー・パラベラムの膂力で、力任せに振り払われた。
「グッ……!」
払われるままに跳んだ黒の一号は、空中で姿勢を制御して、吹き飛ばされているアイリを庇うように立った。
そこで、ベアー・パラベラムの限界機動が終わり、出力解放を伴わない黒の一号も同様のタイミングで戻った。
「アイリ!」
ウォーヘッドの相手でこちらに手を回せないらしきジンに一瞬視線を向けるが、再び迫って来たベアー・パラベラムにすぐに目を戻す。
「無事か? 正戸アイリ」
問いかけるが、返事はない。
黒の一号は思わず舌打ちしつつ、今度は腕をかいくぐるように避けた。
「グルゥゥ……」
ベアー・パラベラムは未だ変質を完全には終えていないようだった。
さらに巨体が肥大し、既に3メートル近い体躯になっている。
装殻の元となる流状形状記憶体は、人の想いに反応してその強さを増す事を、黒の一号は知っていた。
抑制されておらず、ベアーという男が秘めていた想いを喰らった装殻は。
下手をすれば、彼や彼の仲間である【黒の装殻】すら凌ぐ程にその強さを増していた。
しかも厄介な事に、胸元の限界機動装置が壊れていない。
使い捨ての粗悪品に見えたが、それを寄生殻化の際に装殻が取り込んだのだろう。
コア出力の増大と変異を受けて限界機動の能力を自身のものとしたのだ。
「……厄介だな」
ベアー・パラベラムが再び足に力を込める。
相手の限界機動の発動に対して、反応機動出来ない黒の一号は間に合わない。
黒の一号は相手に再び限界機動に入られる前に始末しようとしたが。
「やってくれたな、クソ熊が。―ーー限界機動」
不意に背後から、司法局の装殻者の声が聞こえた。
あの短時間で目覚めたのかーーー聞こえた声に信じ難い想いを抱く黒の一号の横を、疾風が駆け抜けた。
そのまま、黒の一号に飛び掛かる寸前だったベアー・パラベラムが頭を跳ね上げて動きを止める。
ベアー・パラベラムの頭を蹴りで跳ね飛ばしたのは、生身で限界機動し、それを解除したアイリ。
いや。
よく見れば、手足だけが装殻に覆われている。
「スタッグバイト!」
アイリは、両手に装着されたスタッグバイトを遠隔で撃ち放ってベアー・パラベラムを挟み込むように捕獲すると、そのまま壁に押し付けて着地した。
「……無事だったか」
思わず安堵の息を漏らす黒の一号に、アイリは言った。
「そんな訳ないだろう。『アイリ』は気絶してる」
「何?」
アイリが言った事の意味が分からずに問い返す黒の一号を、彼女は振り向いた。
頭から血を流したままのアイリの目が、ひどく冷たい光を放っている。
「俺の名前は、相李マサト。ーーー正戸アイリの、生体移植型補助頭脳だ」
※※※
生体移植型補助頭脳。
それは黒の一号が開発し、黒の伍号に与えた次世代型の補助頭脳の名称だ。
しかしそれは、あくまでも補助頭脳。
本来なら自我など芽生える事は無い筈だった。
それでも、マサトは『そこ』に居た。
「最初に会った時、アイリの名乗りを聞いて気付いてたんじゃないのか? 俺とアイリが、昔、お前が助けた実験体だって事に」
「……ああ。そしてEgの基になったのは、あの時に実験施設から何者かが持ち去った、装殻融合試験薬だ」
黒の一号の答えに、マサトは微かに笑う。
アイリは全く気付いてなかったが、コウに見せて貰ったタランテールのデータとEgの調合方法を見てマサトはそれに気付いていた。
「俺で良かった、と言うべきかな。アイリに聞かせたい話じゃない」
昔の辛い記憶を呼び起こす事になりかねない。
「真の人工知能、か……あまり信用していなかったが、事実のようだ」
実験施設の研究データも、黒の一号は見たのだろう。
「何故アイリを『黒殻』で保護しなかった? お陰で、俺達は恩人であるお前を追うハメになった」
今、黒の一号と話しているマサトという存在は偶然の産物だ。
生体移植型補助頭脳と生体脳の、Egによる完全な融合。
それは人体改造型装殻者以上の超人を生み出す為の実験だった。
だが、研究者がアイリに施した処置は、目指したものと違う結果を生む。
彼女の脳と密接に融合した補助頭脳は、完全に一体化せずに生体脳と同様の回路を形成した。
生まれたのは、真の人工知能。
それがマサトだ。
「『黒殻』はあくまでも、俺の協力者の集まりに過ぎない。実験体とはいえ、幼い少女を普通ではない生活を送らせる訳にはいかなかった」
マサトは、その答えに満足する。
黒の一号は、アイリが慕うに値する人物だ。
「ここは任せてもらう。マタギが何を思ってEgを呑んだのかは知らないが、アイリを傷つける事は、俺にとって万死に値する行為だ」
言って、マサトはベアー・パラベラムに向き直った。
スタッグバイトは、強度的にベアー・パラベラムを拘束するのが限界に達している。
「黒の一号、俺とアイリは貴方に感謝してる。貴方のお陰で俺は感情を知る時間を得て、アイリはあれ以上苦しまずに済んだ」
お喋りはそろそろお終いだ。
だが、アイリが伝えたがってた事は、伝えなければならない。
「ありがとう、黒の一号。俺達は今、幸せに生きている」
黒の一号は。
何かを噛み締めるようにしばらく黙ってからマサトに答えた。
「感謝しなければいけないのは……俺の方だ」
彼が何を思っているのかは分からないが、その言葉は悪い意味を含んではいない、そんな気がした。
「お前を哀れに思うよ、マタギ」
マサトは、スタッグバイトの拘束を解き、ベアー・パラベラムではなく失われたマタギの心に追悼を示した。
「でも、お別れだ」
胸に手を当てて、マサトは宣言した。
「過剰適合」
手足だけでなく、マサトの全身を装殻が覆う。
元が補助頭脳であるマサトは規格外の戦闘能力を有していた。
そして装殻の性能を、補助頭脳自身であるマサトはタイムラグなしに完全に扱う事が出来る。
過剰適合状態と化した捌式装殻が、艶を帯びて白銀色になる。
羽根状追加装殻が、六対にその数を増して、両腕のスタッグバイトは、展開して腕と融合する形で二本の長大な刃と化した。
頭部を覆うのは、ヘッドギアのような装殻のみで、普段の素顔を隠すフルフェイスは存在しない。
白銀の執行者・捌式変異型。
アイリの脳を傷つけない為に、頭部との接続融合は情報用の強化神経のみに抑えて。
肉体を一時的に寄生殻化する反則のような荒業をもって、マサトはベアー・パラベラムに刑を執行する。
こちらに向かって頭から突っ込んで来る敵に、両腕の双刃を広げて構えたマサトは、突進してくる相手に向けて自らも跳んだ。
「〈断罪〉」
決着は一瞬だった。
十字に薙がれた刃によって音もなく首を跳ねられ、ベアー・パラベラムはゆっくりとその場に倒れ込む。
「死後に幸あれ」
右の刃を縦に、左の刃を横に構えた正十字を象り、シャラン、と刃同士の擦れる音を立てながら、マサトは刃を左右に払った。
「……ジンはどこだ?」
マサトがベアー・パラベラムを始末すると、周囲のウォーヘッドはあらかた始末されていた。
しかし、ジンの姿がない。
彼はいつの間にやらカウンターの奥に居て、そこから出て来た。
「何をしていた?」
「別に何も。だけど、のんびりしてて良いのか?」
「何?」
装殻を解除していないジンは、油断無くマサトを伺っている黒の一号に少しだけ目を向けてから、首を跳ねたベアー・パラベラムの方を指差した。
「すぐに爆発するぜ。逃げた方が良い」
ベアー・パラベラムの体から、ピピピ、と微かな電子音が響いて来る。
「そいつには装殻核爆弾が仕掛けられてる。黒の一号を捕まえてる余裕はねぇぜ!」
「お前……まさか、最初からそのつもりで!」
入り口に向かって駆け出すジンに、マサトは一度、黒の一号に目を向けるが、すぐに視線を逸らした。
「―――出力解放」
彼は店の奥に、拳を灼熱させながら向かっていた。
壁を破壊して脱出するつもりなのだろう。
マサトはジンを追いかけ、追い付くと、早口に事実を告げる。
「ジン。一つ言っとく」
「何だよ?」
ドアに手を掛けたジンに、マサトは抱きついた。
「アイリが気絶してる状態じゃ、俺はそこまで長い事活動出来ない。限界だ」
「って、おい!」
マサトを抱きとめたジンが焦ったように店の奥を見るのに視線を合わせると、生体エネルギーを爆弾に吸い尽くされ、急速に干からびていくベアー・パラベラムの姿があった。
「後は頼んだ」
「そういう大事な事は、先に言っとけよ!」
……そんなタイミングなかっただろ。
声も出せないマサトは心の中でそう呟く。
ジンはマサトの体を抱き止めて、覆い隠すように固く腕に包み込んだ。
そのまま、ジンがドアを開けて身を投げ出した瞬間。
マサトの視界を、閃光が白く染めた。




