第20節:告白
「マタギが黙って限界機動装置を持ち出したわ。改良型のEgもね」
執務室に当たる部屋でミスター・サイクロンとシープの前に姿を見せたラムダは、彼らにそう告げた。
彼が居るのは、落ち着いた雰囲気の部屋だ。
部屋を彩る高価な品々は、調和をもって中にいるものに安らぎを与えるように整えられている。
ミスター・サイクロンは高級な執務椅子に身を沈め、逃げる準備を進めているようだった。
「そうか」
「あら、驚かないのね」
「我々は仲間という訳ではない。ベアーは、単に利用していただけの相手だ。自ら黒の一号の相手をしてくれるというのなら好都合だろう」
ミスター・サイクロンの表情は変わらない。
そんな彼を観察して、ラムダは告げた。
「体の調子は良さそうね」
「お陰でな」
黒の一号との戦闘で傷ついたミスター・サイクロンに、ラムダが施した再改造は成功したようだった。
自分の成果に満足して、ラムダは告げる。
「じゃ、私も消えるわね」
「好きにしろ」
「おや。もう少し手伝っていかれませんか?」
シープの引き止めに、ラムダは肩を竦める。
「義理は十分に果たしたでしょ? ミスター・サイクロンの体を再改造する代わりに、Egのデータは貰って行く。何か問題ある?」
「いいや、何もない」
「ああ、ついでに、ベアーの装殻にもアレを仕掛けておいたわ。一度使った手だから、気休めかも知れないけど」
ラムダの言葉に、最早目も上げないままミスター・サイクロンは頷いた。
彼女は執務室を後にし、廊下を歩きながら考える。
ミスター・サイクロンの目論みは成功しているように見えた。
黒の一号を罠に嵌め、これだけの騒ぎになり、奴は自由に動けなくなった。
「でも……」
相手が黒の一号にしては、大人し過ぎるようにも思える。
この程度の妨害で止まる程、彼は御しやすい男ではない筈だった。
「思わぬ伏兵に、喉を喰い千切られなければ良いわね、ミスター・サイクロン……」
実際には、限界機動装置と改良型のEgは、ベアーの手で勝手に持ち出されたのではない。
ラムダが、ベアーに手渡したのだ。
体に仕掛けたものの事も、本人には伝えていた。
ラムダが見るかぎり、既にベアーは死んだ目をしていた。
生き残ったところで、社会的にも再起は出来ないだろう。
しかし彼女は、ミスター・サイクロンよりもベアーの方が好ましいと感じていた。
「ま、これからどうなろうと、私には関係ないんだけどね」
ラムダはそう言って、一足先にフラスコル・シティの騒動から姿を消した。
※※※
「出力変更、突撃特化」
『変更』
黒の一号は、両手足にスラスター装備の拳撃型追加武装を纏い、ベアーを待ち受けている。
「おおおおおおおッ!」
ベアーは吼え、黒の一号へ向かって駆けた。
そして二人は激突するが……。
ほんの十分。
ベアーは壁に叩き付けられて、そのままズルズルと床に腰を落とした。
周りのウォーヘッドも黒の一号に襲いかかって来たが、それを含めてもまるで相手にならない。
強い。
そう思いながら、ベアーは倒れ込み掛けた体を、壁に爪を立てて体を支える。
「喋る気になったか?」
「まだ……まだだ……」
「何故、そこまで奴等に義理を立てる? 前の戦いの傷も癒えていないだろう。そして今は仲間もいない。勝てると思っていたのか?」
黒の一号の問いかけに、ベアーは皮肉に笑みを浮かべた。
「仲間、か。そうだな。いないな」
「……?」
「アヌビスはいない……お前が、殺したからな」
黒の一号は黙ってベアーを見つめている。
ベアーはゆっくりと壁から体を起こしたが、両腕が上がらなかった。
「ミスター・サイクロンに、義理立て……? そんなつもりは、さらさらねぇ……奴等にも、報いは受けさせるさ」
ベアーは深呼吸を繰り返して、ぐ、と身をたわめる。
「俺が義理を立ててるのは……アヌビスだ。奴は、俺の恋人だった」
ベアーの言葉に。
黒の一号は、僅かに肩を震わせた。
「だから、黒の一号……俺は生きている限り、お前に挑まなきゃならねぇんだッ!」
足を踏み出し、ベアーは爪を振り上げたが。
それを振り下ろす前に黒の一号の姿が消え、腹に爆発を受けたような衝撃を覚えて、気付けばベアーは再び壁に叩き付けられていた。
もう、立ち上がる事は出来なかった。
「諦めろ、ベアー。お前では、俺には勝てない」
「……そんな事は、分かってる」
ベアーは首だけを動かして、黒の一号を見上げる。
「黒の一号。……ガキの頃、あんたは俺の憧れだった」
ベアーは、今まで誰にも告げた事のない内心を、黒の一号本人に向けて吐露する。
「誰にも負けない、最強の装殻者。気高く、強く。人を守る者の象徴だった」
ベアーは、彼に憧れて、人を守る司法局に入ろうと思ったのだ。
だが、彼が入局した翌年。
黒の一号は、人類の敵になった。
「あんたの、今の、そのザマは何だ」
守られたくせに、掌を返したように黒の一号を批難する者達を、ベアーは散々目の当たりにした。
そして、目標を見失った彼の心にはいつの間にか暗い隙間が生まれていたのだ。
ベアーは、汚れた世の中を目の当たりにして心がすり切れた。
やがてドラッグ対策課として働く一方、潜入した麻薬組織で普通に麻薬を売買し、小遣い稼ぎをするようになり、ミスター・サイクロンに出会った。
だがそこでアヌビスと触れ合う事で、そんな自分が恥ずかしくなった。
アヌビスは『サイクロン』の中にいて、尚、清廉だった。
何故こんな奴が、と疑問に思い、ベアーは軽く彼女の事を調べた。
彼女は家族を人質に取られ、仕方なくミスター・サイクロンに協力していたのだ。
ひたすらに、頑なな程に装殻者として高みを目指すアヌビスはベアーにはとても眩しく映った。
黒の一号を慕っている、と素直に口にしたアイリの姿が、アヌビスに重なった。
ベアーのアヌビスに対するその感情は、憧れ、と言っても良かった。
恋慕に変わるまで、幾らも時間は掛からなかった。
年下の娘に、本気で惚れた。
だが、彼女は死んだ。
「あんたが、守ろうとする価値があるのか。恩を忘れるような奴らを」
コウを人質に取った振りをしておびき寄せた黒の一号も、ベアーが憧れたあの頃と同じ、高潔な人物に見えた。
「何で……あんたとアヌビスが戦わなきゃならなかった」
薄汚れ、人質を取って目の前に立つ自分こそ、黒の一号や昔のベアー自身が憎んだ悪意の使者だった。
しかし、アヌビスは。
「何故。ミスター・サイクロンとシープだけが生き延びて、アイツが死んだ? Egを呑んで寄生殻と化し、お前に殺された、とミスター・サイクロンは言った。それは事実なのか?」
ベアーの問いかけに、黒の一号は静かに頷いた。
「ああ。彼女は、俺がこの手で殺した」
「ッ……黒の一号。あいつはな」
ベアーは奥歯を噛み締め、彼の知るアヌビスという名の女を語る。
「装殻者である自分を誇っていた。追い詰められたからって自分からEgに手は出さん。絶対にな。装殻者として負けたなら、潔く負けを認めただろう」
「……そうだな。彼女は、そういう人物だった」
「それでも寄生殻になり、お前に殺されたっつーんなら、ミスター・サイクロン達があいつを嵌めたんだ。邪魔な俺を適当に追いやってな」
それでも、ベアーは。
「分かっていても、俺はあんたが憎い。殺す以外に方法はなかったのか。俺の、アヌビスは……あんな所で、くたばっていい奴じゃ、なかった!」
ベアーの憧れた二人が。
あんな薄汚れた暗い場所で。
「俺らみたいなクズに構って。意に沿わないやり取りをして。アヌビスだって本当は、あんな場所じゃなく太陽の下で、サシであんたと戦いたかっただろうに」
ベアーは幻視した。
明るい場所で、満員の観客の前で。
人を沸かすような素晴らしい格闘を魅せる二人を。
「何であんたみたいな人が、闇に堕ちてるんだ。闇に堕ちてなお、人を守ろうとするんだ。あんたがクズ共から守ろうとしてる奴らは! あんたを捕まえようと追い回してる同じようなクズどもだ! 何で! そんな奴らの為にアヌビスが……ッ!」
ベアーは、装殻の下で涙を流して俯いた。
「そして、あんたは。何で……恨みを買ってまで、戦い続けようと思えるんだ……」
沈黙の後に。
黒の一号は静かに返事をした。
「そこに、救いを求める者がいるからだ。君のように。……アヌビスのように」
ベアーが、弾かれたように顔を上げる。
「救われたいと願う者に、手を差し伸べようと思ってはいけないのか?」
黒の一号の装殻に覆われて、本条ハジメの顔は見えない。
「別に感謝を求めようとは思わない。俺が救えた者達が笑顔でいてくれれば良いと。俺は、そう思いながら戦い続けている」
彼は今、優しい顔をしているのだろう。
そうベアーには感じられた。
「俺は、それだけで構わない」
ああ、と。
ベアーは思う。
彼の目の前にいるのは間違いなく、かつて憧れた黒の一号なのだと。
だから、素直に口に出来る。
「俺を助けてくれ。黒の一号」
ベアーは、隠し持っていた改良型のEgを取り出して。
自分の腕に、躊躇いなく突き立てた。
「ベアー……ッ!?」
黒の一号が、驚いたように声を上げる。
ベアーは、懺悔するように、救いを望んだ。
「救ってくれ……あんたを恨まなきゃいけないこの苦しみから」
そして、ベアーの変質が始まった。
「アヌビスの……シュリのいないこの世界から、俺を救い出してくれ」




