第19節:反転
「頭が固いのはどっちだよ!」
話を聞いて、思わずアイリは怒鳴っていた。
「まぁ、あのまま言い合っていても時間の無駄だ。今日ここで黒の一号を押さえてしまえばそれで済む」
頭を両手で掻きむしるアイリと違い、室長は平然と言った。
「マタギ、という捜査員には何かあるようですね」
運転席の女性の言葉に、花立は頷いた。
「狐火は臭い。都合の悪い情報は、司法局長に上がる前に全て止められているな」
「Egに拘り過ぎてるきらいがある。司法局内での情報収集まで口を出すとなると、相当だ」
『最初に黒の一号の写真が漏洩した事を伝えて来たのも、副司法局長だな』
おやっさんが花立の言葉に同意し、マサトまでもがそう呟く。
「副司法局長は……『サイクロン』と繋がってる……?」
アイリの呟きに、ジンは面白そうに口元を歪めた。
「司法局ってのは、えらくデカい蟲を飼ってるな。あんたらの疑いが事実なら、大スキャンダルだぜ? 黒の一号を取り逃がした事なんか問題にならねー程だ」
「先に捕まえて発表すれば良い。その為には、まずは証拠だ」
花立は横に座るジンに目を向けて、目を細める。
「そろそろ時間だ。行くか」
ジンはとぼけた顔で花立を無視して、アイリに言った。
「……ジン」
「分かってますって。お仕事はちゃんとやるさ」
「仕事って?」
「黒の一号を捕まえる事だろ? 俺には無理だからお前の仕事だけどな。ほれほれ」
「無理って、え、僕一人で捕まえろって事!?」
「手伝いはするよ」
ジンにせっつかれて、花立が入って来た方と逆のサイドドアを開けて外に出ながらアイリが言うのに、花立が溜息混じりの声を掛ける。
「マサトに代わっても良い。ただし、バレるな」
「う……了解」
「何の事かよく分かんねーけど、嫌そうな顔してんな」
「奥の手があるんだけど、次の日全身筋肉痛になるんだよね……」
マサトとアイリは入れ替わる事が出来るが、マサトの本質は補助頭脳であり、脳が人体に本来掛けているリミッターが存在しない。
なので、戦闘をマサトに任せると圧倒的強さの代償に体に負担が掛かるため、アイリは気が乗らなかった。
だが、黒の一号を相手取ってアイリ一人で勝てる気はしない。
「……まぁ、司法局に助っ人を頼めないから、仕方ないんだけどさ」
花立とおやっさんは情報型なので、戦闘能力に期待は出来ない。
アイリは覚悟を決めた。
ジンと連れ立って建物に入ると、入り口のウェイターに招待状らしきカードを渡す。
それを読み取ってウェイターがうなずくと、ドアが開いて二人は中に入った。
かなりの広さのクラブだ。
上品な室内だが、何故か中央付近がホールのように開けており、テーブルと椅子はカウンターのない壁際へと配置されている。
「何でこんな構造?」
「Egのパーティーだぜ。あそこで賭け試合でもするんだろ」
装殻者同士の非合法な賭け試合は、日々そこかしこで行われている。
しばらく待つと、入口から黒尽くめの男が静かに入室して来るのが見えた。
「来たぜ」
ジンの囁きに、マサトが続ける。
『人体内部に下限が通常より高い霊子エネルギー反応……人体改造型と推定』
つまり、彼が黒の一号なのだ。
最初に対峙したときの重圧を思い出し、アイリは緊張と共に彼を観察する。
どうという特徴もない青年だった。
背が高い訳でも、筋肉質な訳でもない、どちらかと言えば痩せている。
サングラスで隠した顔は伺えないが、とても落ち着いているように見えた。
『アイリ』
マサトが呼びかけとともに視界に矢印が表示されたのでそちらに目を向けると、壁際にもう一人、アイリは見知った姿を見つけた。
「マタギ……!」
暗く剣呑な目をした彼が、アイリ達と同じように黒の一号を見つめていた。
アイリが息を呑む前でゆっくりと足を踏み出したマタギは、ホールの中央に羽織ったサマーコートに両手を突っ込んだまま立ち、丸めていた背を真っすぐに伸ばした。
マタギは元々屈強な体格をしているが、そういう姿勢を取ると退廃的な色を浮かべた凶暴な瞳と相まって、酷く物騒な男に見える。
「前に出ろ、黒の一号!」
熊が吼えるような大声に、クラブ内の喧噪が一斉に静まる。
「ん……?」
横で訝し気にジンが声を漏らすが、アイリはそれどころではなかった。
意味が分からない。
マタギは黒の一号に自分の存在を気付かせて、一体どうしようと言うのか。
しかし黒の一号は、彼の姿を見て、逆に不審そうな顔をした。
まるで彼の存在を知っていて、そういう行動を取る事が不思議だとでも言うように。
「ベアー」
黒の一号は、マタギに対して聞き慣れない名前を投げかけながら足を前に踏み出す。
マタギはそれを受けて、憎悪に濁った笑みを浮かべた。
「こうして会うのは二度目だな。あの時と違うのは、こっちが一人な事だけだ」
「一人……ミスター・サイクロンと、シープはどこだ」
「さぁな。逃げる準備でもしてるんじゃないのか? ここにお前をおびき寄せたのは、俺の独断さ」
マタギは薄ら笑いを消さないまま、腕の装具を撫でた。
「Vaild up」
熊型の装殻を身に纏ったマタギに、逆十字を切った黒の一号が応える。
「……纏身」
漆黒の装殻者。
その姿は、まぎれもなくアイリが以前見た黒の一号だ。
「残りの連中の居場所を教えてもらおう」
「さぁな。痛めつけて、吐かせちゃどうだ?」
アイリは混乱していた。
「マタギは……『サイクロン』と繋がりが?」
「みたいだな」
二人が激突する気配を見せるのに、アイリが足を踏み出そうとするのを、ジンは肩を掴んで止めた。
「止めないと!」
「そんな悠長な事をしてる余裕はねぇよ」
ジンは、冷たい表情を浮かべて周囲を見回しながら、耳のピアスに指を触れていた。
「周りを見な。装殻を纏わなきゃやられるぞ」
言いながらジンは、茶色のサナギを思わせる外観の装殻を纏う。
『ターピライズか。電撃タイプの装殻だが、カスタムしてるな』
両腕にバチバチと電撃を纏うジンに再度促され、アイリは自身も捌式を纏う。
アイリは、ジンの言動の意味に気付いていた。
周囲に居た客のみならず、カウンターの中に立つウェイターや店内の従業員までもが、表情を失ったようにぼんやりと立ち、一斉にのろのろと無針注射器を取り出していたのだ。
「まさか……全員?」
「『サイクロン』に飼われてる連中なんだろうな。ウォーヘッドと言うらしいが」
注射器を自身に突き立てた観客が呻くような声を上げて、扁平な頭を持つのっぺりとした装殻者となった。
「背後を取られないように気をつけな。多分、無差別に襲って来るぜ」
言いながらジンは、手近なウォーヘッドに向かって行き。
『来るぞ、アイリ!』
マサトの警告に、アイリも両腕のスタッグバイトを剣撃モードで展開した。
「マタギ……何で」
アイリの押し殺した呟きに、答えはなかった。




