第18節:圧力
夜、主要幹線道路の脇に、静かに一台のワゴンが止まった。
車の通りも多く、周囲にはタクシーが数台、同じように並んでいる。
「あそこだな」
おやっさんが指差したのは、少し裏通りに入った辺りに見える、落ち着いた意匠の入り口だった。
看板も、木彫りに墨流しという目立たないものだが、そこでEgのドラッグパーティーが行われるらしい。
「待ち時間が長ぇな。やっぱ早く来すぎだよ」
後部座席のジンは、退屈そうに欠伸をした。
袖をまくったノータイのワイシャツ姿にスラックスを身につけ、右手には腕輪型の装殻具を付けている。
スタイルの良さも相まってとても様になっている。
ワイルド系ホストのような出で立ちのジンに、助手席に座るおやっさんが言った。
「俺らにとっちゃ、待つのも仕事の内なんだよ。遅れて黒の一号が先におっ始めたらシャレにならんだろうが」
「カタいね。それはそれでアリだろ」
「そんな訳ないでしょ」
まるで楽しんでるかのような隣のジンを横目に見て、アイリは突っ込んだ。
「嫌なら来なくて良かったんだけど」
「そういう訳にもいかねーんだよ。俺にゃ俺の目的があるからな」
「へぇ、どんな?」
「企業秘密」
運転席に座っているスーツの女性は、興味深げにジンを見ていた。
短い茶髪の美人だ。
華やかさはないが、目元涼しく整った日本的な顔立ちをしている。
司法局の交通課に所属している女性で、おやっさんの知り合いだという彼女を、アイリはどこかで見た事がある気がしていたが、思い出せない。
司法局の中ですれ違った事があるのかも知れなかった。
『……ん?』
不意に、マサトが反応を見せた。
彼は車の四隅に取り付けられたカメラから情報を取得して周囲を見張っている。
「どうしたの、マサト」
『あれ、室長じゃないか?』
「へ?」
アイリが声を上げるのと同時に女性がドアを開き、中にきっちりスーツを着こなした、銀縁眼鏡の怜悧な容貌の男が入ってくる。
「寄れ、ジン。デカい図体で邪魔だ」
「花立さんも大して変わんねーじゃんか」
ジンが言い返しながら体をズラすと、花立はドアを閉めた。
「室長、何でここにいるの?」
「少し事情があってな。司法局の中で動き回るのが面倒になったから、様子見にな」
「副司法局長ですか?」
運転席の女性が口を挟み、花立は頷いた。
「あのキツネ、仕事もせずにEgを張っているらしい。わざわざ人の部屋まで出向いて文句を言いに来た。司法局長の許可があり次第、第三室を黒の一号捜索から外すそうだ」
「あらあら」
楽しそうに笑う女性は、どうやら何か事情を知っているらしい。
おやっさんの知り合いで、捜査に参加させるくらいだから知っていてもおかしくはないのだが。
「この人と室長たちは親しいの?」
「昔馴染みだ。同じ時期に司法局に入った」
室長は短く言い、ジンが口を開く。
「副司法局長ねぇ。随分な偉いさんから横槍が入ってるんだな」
「Egの情報を封鎖している張本人だからな」
「それはそれは。で、何を言われたんだ?」
ジンの問いかけに、室長は話し始めた。
※※※
「どういうつもりだ?」
いきなり訪ねて来て、開口一番副司法局長は言った。
「どう、とは?」
ずる賢そうな顔をした中年男に、花立は立ち上がりもしないまま平然と問い返した。
副司法局長の名前は、狐火アカリと言う。
花立の認識では、司法局内での政治手腕のみで上に上がった人物で、大した輩ではない。
「君のやるべき事は、黒の一号の探索だった筈だが?」
「ええ。それがどうされました?」
「ならば何故、私が禁じたEgの事を、未だに司法局内で嗅ぎ回っている?」
ここ二日ほど、室長は司法局内から出ていなかった。
狐火の言う通り、司法局内で情報を集めて回っていたのだ。
「Egは、黒の一号の行動を追う上で重大な要素です。ご指示通りに外での探索は打ち切らせましたが、何か問題でも?」
「私はEgそのものに関わるな、と指示したんだ」
「黒の一号の捜索が遅れる事になります」
「私はそうは思わんな。単に怠慢なのではないか?」
室長は溜息を吐いた。
「秘匿情報開示の許可が出なかった事で、既に支障が出ているのです」
副司法局長は机の前に立ち、威圧するように体を反らす。
特に怯えを感じる事など無いが、不愉快だと、花立は思った。
権威を誇示しなければ気が済まない小物なのだろう。
「許可が降りないという事は、必要がないという事だ。余計な事をしていないで、黒の一号捜索に全力を上げてはどうかね?」
「その捜索に必要なので、情報の開示を求めた、と先程から申し上げているのですが。黒の一号の殺人という重大案件……彼の足取りを追ううちに、室員がEgと黒の一号の繋がりを突き止めたのですよ。要望に添付した報告書にも書いた筈ですが?」
副司法局長は鼻から息を吐いた。
「信憑性がない。逆に情報提供者の氏名を秘匿しているのは君の方だろう。出所の分からない情報を誰が信用するのかね?」
副司法局長の口は滑らかに回る。
「こちらの知りうる事実では、おそらく黒の一号に関わりがあるかもしれない民間人が、不確かな情報を漏らしたという程度の認識だ。秘匿情報の開示を、そんな曖昧な推測に基づいて行う訳にはいかない」
「同時に資料も渡した筈ですがね。タランテール99という装殻が本来有り得ないスペックを持っていた。その資料を彼に渡したのは、黒の一号です」
室長は引かなかった。
「薬物使用者の寄生殻への変貌が起こっている。寄生殻のある所に、黒の一号が現れた……この一事を持ってしても、充分な開示用件に成りうると、私は判断しています」
「寄生殻とEgの間に因果関係があるという確たる証拠もなしに、よくそんな事が言えるものだ」
副司法局長の舌鋒が鋭くなった。
「せめて情報提供者の氏名を公開してはどうかね? その内容如何によっては、情報の開示が可能だと私は思うがね。判断材料が不足している段階で、無闇な事は出来ん。秘匿の意味がない」
「その言葉はそのままお返し致します。司法取引の内容に関しては、情報提供者を保護する為の措置です。既に司法局内部から、放映局への情報漏洩が起こっている可能性がある。この上、無闇に一般人を危険に晒す訳にはいかない」
室長は、デスクに肘を置いて対峙の姿勢を取り、まっすぐに副司法局長の目を見返した。
「信憑性がないというのなら、この間死亡状態で発見された飛行型装殻の解析結果はどうなのです? あの飛行型装殻者は寄生殻に極めて酷似した体組織を形成していた、という司法局の解析までもお疑いになられますか?」
「その装殻者がEgを服用していたとする根拠は? タランテールの情報そのものの対する信憑性がない時点で、ただのこじつけと見なされても仕方がないだろう」
話は平行線だった。
室長は矛先を変えてみる。
「このEg秘匿に関する件は、司法局長の元へ上がっているのですかね?」
彼にとって不利な要素を提示したが、副司法局長は揺らがない。
「私のところで止めているに決まっているだろう。黒の一号の情報漏洩に関する件で、ただでさえ司法局長はご多忙だ。勿論私もな。それは現場の責任だろう」
「聞き取りを行いましたが、あの時点で放映局に接触した人物は捜査員にも鑑識にも居ませんでした。現場からの漏洩ではない、と私は判断しています」
「先程の言と矛盾するようだが?」
「私は、現場からの漏洩ではない、と言ったのですよ」
副司法局長は目を細めた。
「現場以外に、どこから漏れると言う?」
「それは私の知り及ぶところではありませんね。お調べになられては?」
副司法局長は、話にならない、とでも言わんばかりに鼻を鳴らし、踵を返した。
「とにかく、無駄な事をしている暇があるのなら、少しでも早く黒の一号を確保しろ」
「ですから」
「花立第三室室長。君は少し自分の読みに拘りすぎるきらいがあるようだ。司法局長の許可が下り次第、第三室を捜査から外す。これ以上、Egの件に関わろうとするのなら、服務規程違反に問う。話は以上だ」
一方的に言い捨てて、副司法局長は第三室から出て行った。