第16節:善意
「坊から預かった、データとカプセルなんだがよ」
アイリがジンの条件を呑んだ翌朝の事だ。
彼女が第三室長室に足を運ぶと、徹夜したらしいおやっさんが居て、眠た気な顔で言った。
「ありゃ、中々とんでもねぇ代物だったぜ」
「何だったの?」
「記憶媒体の中身は、Egの製法だ。もう一つのカプセルの中身はEgに似ちゃいるが別物の何か。解析班でもどういうモンなのか分からねぇとよ」
「正戸にそれを渡したと言う少女を、早急に探す必要があるな。Egの事を知っているのであれば、黒の一号や『サイクロン』に関する情報も持っている可能性がある」
室長の言葉にアイリはうなずいたが、おやっさんは何故か浮かない顔をしている。
「探す必要はねぇかも知んねぇ」
「何で?」
「この記録媒体なんだが」
おやっさんは、少女に渡された記録媒体を室長とアイリに示した。
「ちょっと一般販売されてるモンとは規格が違う。特殊な訳じゃないんだが容量がデカい」
アイリの見るかぎり、普段使うものと外観はほとんど変わらないが、言われてみれば一回りほど大きいようだ。
室長は、それが何に使う記録媒体か分かったようだった。
「……装殻調整士用のものか」
「そう……で、Eg以外のデータは消されてたが、一応破棄データの復元を行った。念入りに消されててデータそのものは分からなかったが、プロテクト解析でアクセスパスが入手出来た」
調整士、と聞いた時点でアイリにも大体予測は出来ていたが。
示された情報には『KOU-KITANO』という名前が表示されていた。
「北野コウは、本当に何者なんだろう」
黒の一号に関わる事全てに、彼の名前が絡んでいるような気がした。
「参考人として、司法局に呼ぶかい? 彼はタランテールやEgに関する話を司法局に提供してくれた。もっと重大な事を知っている可能性もある」
おやっさんは室長に確認するが、室長は首を横に振った。
「それが黒の一号の所在を突き止める事に繋がりますか?」
「さーなぁ。それは聞いてみなきゃ分からんだろう」
「私達の目的は、あくまでも北野シュリ殺害の犯人と思しき黒の一号を拘束する事です。もし仮に北野コウが黒の一号に関する重大な事実を知っていたとして、それが黒の一号の行方を突き止める事に繋がらないのなら時間の無駄になります」
室長の表情は変わらない。
だが彼の態度は、アイリの良く知る室長とはどこか違う気がした。
それはマサトも同様に感じたようだ。
『室長は、北野コウに触る事を避けているように見えるな』
ぽつりと呟かれたマサトの言葉に、アイリは目を細める。
コウだけではなく、室長もアイリに対して何かを隠しているように見えた。
そんなアイリの内心に気付いているのかいないのか、室長はこちらに目を向ける。
「『サイクロン』と黒の一号に接触する手段は、既にジンから入手してるんだろう?」
「今夜。もしジンの情報が本当なら、だよ?」
「奴は信頼出来る。嘘は言わないだろう。……北野コウの知っている事に関して調べるのは、黒の一号を拘束してからでも遅くはない」
室長は、少し強引に話題を打ち切った。
「むしろこの件で考えるべきは、黒の一号と、殺された北野シュリと、『サイクロン』の間にどんな繋がりがあるのか、という部分だ」
「不可解ってんなら、なんで『サイクロン』の奴らが寄生殻に関する技術を持ってんのか、てぇ部分もだな。あの技術はラボ壊滅と同時に消滅した筈だ」
かつて寄生殻は、ラボが壊滅した後に抑えを失って各地で暴走を始めた。
暴走する寄生殻は、犠牲を出しながらも十数年前に撲滅した、との公式発表がなされている。
「『サイクロン』が、生き残ってた寄生殻を捕まえて実験でもしたんじゃないの?」
「こういう技術ってのはな、サンプル一体で再現出来る類いのもんじゃねぇ」
アイリの言葉に、反論したのは煙草を取り出したおやっさんだった。
室長に配慮したのか、煙草に無煙フィルターを取り付ける。
「仮に余所モンが研究資料を秘密裏に確保してたとしても、それはラボの生命線だったんだ。おいそれと完璧な資料を外に持ち出せやしないだろう」
「だから実験して、再現出来たのが最近だったのかもしれないよ」
「俺の手元にある資料では」
室長が、二人のやり取りに口を挟む。
「『サイクロン』は、厳密には寄生殻を再現したわけではない。夜に、アイリがマタギに接触した緑地公園を探させたが」
『相変わらず人使いが荒いね』
室長の仕事の速さも善し悪しだ。
平気で深夜残業をさせられた鑑識には、アイリも同情を禁じえない。
「その結果、細胞片が幾つか採取出来たようだ。それを解析させた所、以前に入手した寄生殻との一致率は70%……似てはいるが別のもの、と判断している」
「別のもの」
「Egは、装殻者を寄生殻に似たものに変質させているんだ。ただ寄生殻を作るよりも、よほど高等でタチの悪い技術だ」
室長は、渋面を浮かべていた。
おやっさんも同じような表情をしている。
「Egは、装殻者を寄生殻に変える為に開発されたクスリなんだね。可能なの?」
「もし本当にEgにそうした作用があるのなら、技術革新というレベルではないな。技術革命だ。銃で言えば、リボルバーをオートマティックにボタン一つで改造するようなものだからな」
「Egは、偶然出来ちまった、って事もあり得る」
室長の言葉に、おやっさんがぽつりと言った。
「どういう意味です?」
「俺は、既にあのクスリを開発した人間にアタリを付けてる。良いかい、Egってのは結果的には装殻者を寄生殻化しちまうクスリだ。しかし中身のデータに入ってた論文を読む限りでは、装殻者の適合率を上げる為の薬品開発の試作品って事になってる」
それはコウも言っていた。
Egは、装殻者の適合率を上げる作用があるクスリだ、と。
「装殻ってのが何なのか、根本的なところを知るのは開発者である黒の一号だけだ。奴自身も、もしかしたら知らないかも知れねぇ」
おやっさんは口から煙を吐き、こめかみを揉んだ。
徹夜で記憶売女の解析作業していたせいで、頭痛がするのかも知れない。
「装殻と人体の適合率を上げた結果、装殻者が寄生殻になるってんなら……それはもしかしたら、装殻を流動形状記憶媒体化する流動化粉末に何か秘密がある可能性も捨て切れねぇ」
装殻自体は機械的なものだ。
それを流動形状記憶媒体にするには、通称『パウダー』と呼ばれる粉末を使う必要がある。
その粉末は、廃棄された装殻を粉砕することで作られるのだが、大本が何なのか、というのは開発者である黒の一号は公表していない。
作り方が分かるだけで、正体の分からない粉末。
「装殻そのものが、Egと反応する事で寄生殻化する要素を元々持ってた、って事?」
「そう判断するのは早計だが、ない可能性じゃない。……だから、鯉幟さんは偶然だと思ったんですね?」
室長は、おやっさんの言わんとする事を察したようだった。
「そうだよ。黒の一号自身すらも知らない可能性のある事を、あの子が知ってるとは思えねぇからな」
おやっさんの目は、どこかやり切れない色を帯びていた。
「Egは多分、本来は善意の産物だったんだ」