第15節:招待
ハジメは、装殻によって視界に表示したマップに表示された目的地へ着き、そのビルを見上げた。
『あなたのお友だちを、預かっているわ』
どうやってハジメを見つけたのか、白い仮面の少女は楽し気な声音で言った。
『行っても行かなくても、私はどっちでも良いけど、こなければご友人の命はないらしいわ。私に手を出しても一緒。理解出来たら、これをどうぞ』
ハジメは彼女に差し出された招待状を受け取り、、今、ここに居る。
ビルの前には癖毛で柔和な顔をした、最初にハジメを誘った男がいて、ハジメが近付くのに合わせてドアを開ける。
ハジメが中に入って後ろのドアが閉まると、そこは内装に当たる装飾の類が一切なく、壁紙どころか剥き出しの配管やコンクリ壁が覗く、建設中の作業現場か倉庫のような空間だった。
ぶち抜きのワンフロアだ。
奥の方に、大勢の人影が待ち受けていた。
「招待に応えてくれた事を、感謝しよう。本条ハジメーーーいや、黒の一号」
フロアの中央付近で立ち止まったハジメに対して声を上げたのは、賭試合の後に会った者達の一人である、大柄な男だった。
「俺の名前はベアー。こちらはアヌビスだ」
その脇には、黒いレースに顔を隠したドレスの女性の姿も見える。
周囲では、黒スーツにサングラスの集団が、彼らを守るように立っていた。
「人を招待した割に、部屋の内装に品がないな」
ハジメの物言いに対して、ベアーは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「そもそも、招待の仕方に品がないんだ。気取ったところで仕方がないだろう」
ベアーの背後から、黒スーツの男が一人の少年を前に引っ張り出した。
顔はゴミ袋を被せられていて見えないが、ツナギには見覚えがある。
北野コウ、という名の、非適合者の少年だ。
「無事なんだろうな」
ハジメが言うと、ベアーがコウの肩に手を置いた。
身じろぎした彼には生体反応があり、生きている事が分かる。
「抵抗はするな。従わなければどうなるかは分かるだろう」
ハジメは、コウの肩から手を離さないベアーに対して告げた。
「俺を殺せば、彼を解放するのか?」
「約束しよう。あくまでも、俺達の目的はお前だ」
ベアーの合図で黒スーツ達が動き出し、全員が一斉に無針注射器を腕に押し当てて変質を始めた。
黒スーツ達から不気味な呻きが響き、やがて静まると、クラゲのような扁平な頭の醜悪な装殻者が姿を見せた。
「コイツ等は、Egによる強化を施された兵士どもだ。寄生殻化はしていないが、その手前にある。Egに犯され廃人化した連中を再利用した存在……ウォーヘッド、と我々は呼んでいる」
ウォーヘッド達は、身じろぎすらしない。
「コイツ等に人の意識は既にない。だがこの状態なら、アヌビスの能力で操る事が出来る」
ベアーの合図でアヌビスが静かに腕を上げると、ウォーヘッド達はハジメの周囲を取り囲んだ。
「そしてプレゼントは、これだけではない」
ベアーの合図で、さらにもう一人、ベアーの背後から姿を見せた者がいた。
クモだ。
目は虚ろで、何も映っていない。
「やれ、クモ」
ベアーの言葉に、不意にクモの目の焦点が合い、ハジメを見た。
「ハジメェ……ハァジィメェええええッ!」
恨みを凝り固めたような目をしたクモが絶叫し、無針注射器を取り出して自分の腕に当てた。
クモの体を、装殻が覆い始める。
「ゲ、グゲ、グゲゲゲゲッ!」
纏い切ったと思った途端に体を折って、最早異音とすら言える声を発したクモはmさらにぎちぎちと音を立てながら変質した。
苦鳴のような叫びを聞いて、ハジメは思った。
寄生殻化は、凄まじい痛みを伴うらしい。
ドラクルの細胞片を解析した結果、判明した事だ。
流動形状記憶媒体と融合した細胞は、焼けた鉄の棒を腕に押し当てた後のような、火傷に似た変質が起こっていたのだ。
「グギゲェエエエエエエエエエッ!」
変質を終え、全身に毛のような毛細を生やした巨大なクモは、真っ赤な色を覗かせる口内が覗く程、顎を開いた。
蜘蛛型寄生殻。
彼は本物の蜘蛛のように地面に這いつくばり、今にもハジメに襲いかかりそうなほどにいきり立っていた。
「もう一度言う。抵抗はするな。そうすれば、この少年の命は保証する」
「……信用出来ると思うか?」
ハジメが言うと、ベアーは首を横に振った。
「信じようと信じまいと、お前に他に取れる手は無い。俺としてもこんな真似はしたくはなかったが、事情があってな。この少年を殺しては騒ぎも大きくなるだろう」
ベアーは冷たく目を細めてはいたが、嘘をついているようには見えなかった。
「こちらとしても、これ以上騒がしくなるのは困る」
「そうか」
ハジメは、目線をコウから逸らさない。
やがて、彼の補助頭脳が告げた。
『警告』
「では、ベアー。律儀なお前に一つ言っておくが……」
ハジメは軽く、片足に重心を預けた。
「人体改造型装殻者を、あまり舐めない方がいい」
ハジメはいきなり、目の前のウォーヘッドに対して重心を乗せていない足で前蹴りを叩き込んだ。
ウォーヘッドは、人に蹴られたとは思えない勢いで吹き飛ぶ。
「貴様!」
仲間がやられたのを見て、ウォーヘッドとタランテールは一斉に動き出した。
ハジメは左右から飛びかかって来たウォーヘッドに対して連続で裏拳を叩き込むと、次に後ろから迫って来た一体に向き直り、頭を掴んで膝蹴りを叩き込む。
頭部がひしゃげたそいつを放り出して、残ったウォーヘッドの内の一体を牽制した。
そこに、タランテールの巨体が突っ込んで来るのを脇に跳んで避け、ハジメの動きに追従して来たウォーヘッドの一体が放つ拳をかいくぐって後ろに回り込むと、首を脇で挟んでそのまま締め折る。
ゴキリ、と鈍い音が響き、人間よりも強固な筈の首がぶらん、と垂れ下がった。
タランテールはその巨体をまだ上手く操れていないようで、動きが鈍い。
元々ハジメが居た場所に突っ込んだ姿勢のまま、のろのろと頭を巡らせかけていた。
「コイツの命が惜しくないのか!?」
ベアーの顔が何故か怒りに染まるのを横目に見ながら、ハジメは壁際を回り込むようにベアー達のいる方向へ向けて駆け抜ける。
「我ら【黒の装殻】は確かに、装殻を纏えば通常の装殻者とは比較にならない力を得る……」
ハジメは駆け抜け様に逆十字を切りながら、静かに告げる。
「しかしそれ以前に、この肉体そのものが、既に人では―――ない」
「質問に答えろ! Veild up!」
あだ名通り、グリズリア系列の熊型装殻を身に纏ったベアーが吼えながら、ハジメの蹴りをいなした。
蹴りを防がれたハジメはトンボを切って着地すると、拳を体の両脇で握り込む。
「ーーー纏身」
外殻を鎧って黒の一号と成ったハジメは。
「人質を装うなら、もう少し上手くやるべきだったな。光屈折型か、変体型かは知らないが……」
頭を隠されたコウを……正確にはコウを装った誰かに、指を突きつけた。
「コウ君は非適合者だ。彼に装殻反応があるのは、そもそもおかしな話だ」
「チッ! アヌビス!」
「……Veild up」
ハジメは、黒いレースの女、アヌビスの声を初めて聞いた。
まだ若そうな女の声と共に、彼女の姿が変化する。
漆黒色の犬型装殻だ。
外見をいじっているのか、記憶の中にある装殻に該当するものは見当たらなかった。
コウを装っていた誰かは、後ろ手に縛っているように見えたヒモをぱらりと落とし、こちらはぐにゃりと姿が歪んでカメレオン型の装殻者となる。
後ろにウォーヘッドとタランテール、正面に三人の装殻者。
圧倒的に不利な状況にも関わらず、ハジメはまるで焦っていなかった。