第14節:進展
「くそっ、くそが!」
クモは、裏路地に積まれた飲食店のゴミ袋の山の中で大の字になり、ぼこぼこに腫れた顔でぶつぶつと呟いていた。
周囲には蝿が飛び回り、腐った汁に濡れた彼自身は異臭を放っている。
「あの野郎が……あの野郎さえいなければ……」
あの古臭い装殻を使う男に負けた後。
クモは今までコケにしていた連中に散々馬鹿にされ、痛ぶられ、落ちぶれていた。
装殻を壊されて修理に出している間、彼は無防備だった。
今まで痛め付けた連中に対してやり返す手段もなく、あげくに金を巻き上げられて、無一文。
修理の終わった装殻を引き取る金もなくなり、最早彼には何も残っていない……。
胸に燻る、そのどす黒い怨み以外は。
「殺してやる……見つけ出して……八つ裂きに……ぐしゃぐしゃに……」
薬物と屈辱で壊れた頭には、最早正常な判断力は残されていない。
出来る事と言えば、妄想の中で、転落の始まりとなった黒い装殻者をなぶり殺す事だけだった。
そんな社会の落伍者である彼に、一人、声を掛けた男が居た。
「クモさん。こんな所に居られたのですか」
癖のある髪に、きっちりとスーツを纏った男。
にこやかな笑みを浮かべる彼を、クモは知っていた。
「あ……あぁ……」
その男は、弱く、搾取されるだけだったクモにEgとタランテールを与えてくれた恩人。
好きに相手を痛ぶれる場所を提供してくれた救い主だった。
「シープさん……くれよぉ……Egを、装殻を……」
クモは体を起こそうとして失敗し、無様に転げる。それでも、涙を流しながら、幼子がすがるように手を伸ばす。
「あの、あのクソ野郎どもをぶち殺してやれる力を……また、俺にぃ……」
「ええ、良いですとも」
慈悲深くうなずき、シープはクモに向かって足を踏み出した。
「さぁ、そんな所に座っていないで。あなたのタランテールは、ちゃんと私が引き取っておきました」
シープは一点の曇りもない笑顔でクモの手を取ると優しく立ち上がらせ、ゴミを丁寧に払い落としてやった。
「大丈夫。貴方はまだまだ強くなれる。私が全て、与えてあげますよ」
シープは、甘い言葉でクモを誘う。
―――奈落の、底へと。
「力を……ね」
クモは知らない。
目の前に立つシープが、今ならクモからの報復の心配はない、と彼を襲った者達をけしかけたという事実を。
そしてクモが手にすがった男の目は、実は少しも笑っていない事を……。
※※※
花立に言われたカフェバーへ行くと、アイリは店内を見回した。
「逆立てた髪に、後ろ髪をゴムで纏めた長髪・長身の男……」
写真がない、という事で、送られて来たデータの中にメモとして保存されていた特徴を口にしながら、アイリは観察していく。
『あの男じゃないか?』
アイリの視覚情報から、その人物と特徴が一致する相手を割り出したマサトが、Ar表示によってフォーカスする。
枠内に納まった彼は、確かに一致する外見で、カウンターにもたれながら一人で烏龍茶を口にしていた。
軽薄そうな男だ、とアイリは思いながら近づき、話し掛けた。
「ちょっとゴメン」
「ん?」
ジンはアイリを見下ろして、軽く口元を緩ませる。
「お、可愛い顔してるな。何か用か? 逆ナンなら嬉しいんだが」
予想通りの軽薄さに、アイリは眉をしかめた。
「違うし。室長の言ってた情報提供者って、君の事でしょ? ジンって名前の」
「俺は確かにジンって名前だが。そっちの室長ってのは、銀縁眼鏡にオールバックの?」
「そう、花立室長だよ」
「見えねーな」
「何が?」
「お前が花立さんの部下って事だろ? 随分若い」
若い、というのは、司法局員には見えない、という事だろう。
夜のバーに行くとあって、当然ながらジャケットは制服から私物に変えている。
そうなると、ますます司法局員には見えない事も自覚があった。
「よく言われる。主に悪い意味で」
「身分証」
偉そうなジンに、アイリは黙って見文章を提示しながら、彼の脇にあった空いてるストゥールに腰を下ろした。
同じものを頼み、電子マネーで清算する。
「あの日、コウのところにいたのも仕事でか?」
グラスに口をつけながら、店の奥で演奏しているバンドマンに目を向けているジンにそう言われてアイリは首を傾げたが、マサトに指摘された。
『こいつ、北野コウに話を聞きに言った日に、出入り口でぶつかった男だ』
「あ」
「思い出したか?」
ジンは横目でアイリを見て、ニヤリと笑った。
「正戸アイリさん。ちょっと注意力散漫なんじゃないか?」
『また、北野コウか……』
マサトの呟きに、アイリも全く同感だった。
シュリの親族で、黒の一号と関わりがあり、不審な目撃情報の時もそこに居て。
今また、室長の関係者までも。
一体、彼は何者だ。
「コウとどんな関係なの、君」
「ただの客だよ。本人に聞いてみれば良い」
「そうする。で、君が持ってるのはどんな情報?」
「結論を急ぐなよ。ちょっとは会話を楽しもうぜ」
「悪いけど、暇じゃないんだ」
首を横に振るアイリに、ジンは肩を竦めた。
「そいつは残念」
「で、情報」
「何だと思う?」
「ふざけてるの?」
「至ってマジメな話」
「そんなの、僕に分かる訳ないじゃない」
「お前が探してるのは?」
「黒の一号」
「だろ? 奴の目的は?」
「さぁね。言っとくけど、腹の探り合いは好きじゃないよ」
「捜査員のお言葉とは思えねぇな。ま、俺の持ってる情報は大したモンじゃない。奴の目的を知ってるってだけだ」
「何でそんな事を知ってるの?」
「それは秘密だな。さて、情報を伝えるにあたって条件がある」
ジンが呑み干したグラスを置き、本題に入ろうとするのを、アイリは遮った。
「本当に君が知ってるのが彼の目的だけなら、取引は必要ないよ」
「何で?」
「Egでしょ?」
ジンは、端的に黒の一号の目的を口にしたアイリに対して、軽く口笛を吹いた。
「優秀だね」
「ここに来たのは、時間の無駄だったかな?」
「いいや、まだまだ。そのEgの卸元も、俺は知ってる」
「僕も知ってるよ」
「でも、実際にどこでパーティーが開かれてるかまでは分からねぇだろ?」
「……知ってるの?」
「ああ、知ってる。そして黒の一号がそこに現れるって事も、知ってる」
「なんだって?」
「俺は黒の一号にパーティー会場の日時情報とチケットを売った。つまり俺が伝えた時間に伝えた場所へ行くと、奴が現れる」
「どこ?」
「そこで取引だ」
ジンは胸元から、チケットを二枚取り出した。
「そのパーティー会場への潜入に、俺を同伴させな。それがこのチケットを渡す為の条件だ」
「何で?」
「さてね。それは言ってやる必要がない」
どうする? と目で問いかけるジンに、マサトが頭の中で呟いた。
『乗れ、アイリ。花立室長は、おそらくその条件もコミでジンに情報を提供させた』
アイリは、マサトの言葉に溜息を吐いた。
「まぁ、良いけどさ」
「何だよ、随分不満そうだな」
「最近、新しく知り合った男にまともな奴がいないなぁ、と思って」
コウにマタギ、そしてジン。
クセが強く、アイリをイライラさせる男ばかりだった。