第10節:邂逅
アヤに覆い被さって目を強く閉じていたコウは、閃光と爆風が通りすぎるのを瞼の裏で感じて目を開いた。
化け物が消えており、周囲の地面から何故か幾筋も煙が上がっている。
「無事か?」
声を掛けられて顔を向けると、そこにタランテールの話をした青年が立っていた。
「化け物は……?」
「何処かへ消えた」
近づいてきた青年も、コウに気付いたようだった。
サングラスをかけた彼が、軽く首を傾げる。
「君は……調整士の」
「北野コウです。あなたは何でこんな所に……?」
「探し物をしていたら、ちょっとした知り合いに出会ってね。話をして出ようとしていたら悲鳴が聞こえた」
そこでコウは慌てて体を起こして、庇っていたアヤに目を落とした。
「アヤ……」
「そんな心配しなくても、怪我してないよー。装殻は壊れちゃったけど」
何故かコウを見て少し残念そうな顔をしたアヤが、次に自分の装殻に目を落とす。
胸元に大きな亀裂が走っていたが、本人の言葉通り無事ではあるようだ。
「装殻だけなら、俺が幾らでも直してやる。……お前が無事で良かった」
「うん。私もお兄ちゃんが無事で良かった」
コウの言葉に笑顔でうなずいたアヤは、装殻を解除した。
「君は、何故装殻を展開しなかったんだ?」
二人のやり取りを見ていた青年の問いかけに、コウは目を伏せた。
こういう時は、自分の事が嫌になる。
「俺は、非適合者なんです」
青年が、何故かひどく驚いたような顔をした後、強い口調で言った。
「非適合? それは、適合率が低いのではなく……!?」
「……0%です」
「ちょっと!」
コウが答えると、アヤが青年に噛み付いてきた。
「そんな言い方しなくても良いじゃない! お兄ちゃんだって好きでこんな体質なんじゃないんだから!」
アヤは怒った目を青年に向けていた。
青年は、そんなアヤとコウを交互に見て、何故か少し微笑んだ。
「バカにしてるの!?」
「アヤ、やめろ」
コウは居たたまれなくなり、アヤを止めた。
「だって!」
「いや、すまなかった」
青年は謝罪すると、綺麗な仕草で頭を下げた。
年上の人間が自分に頭を下げる様子にアヤは面食らったようだ。
「決してバカにした訳じゃない。ただ、驚いただけだ」
青年が嬉しそうな理由が分からず、コウとアヤは顔を見合わせる。
「君の妹は、良い子だな。大切な誰かの為に本気で怒り、声を上げるのは簡単な事じゃない」
「家族なんだから当たり前でしょ!」
まだ少し怒りが残っているらしいアヤが、コウにぴったりと寄り添う。
「大事にすると良い。コウくん。……君の得たものは、何ものにも変えがたいものだ」
「得たもの……?」
北野の家に、義理の家族として迎え入れられた事を指しているのではなさそうだった。
そもそも青年は、そんな細かい事情までは知らない筈だ。
そのまま背を向けて去ろうとする青年に、コウは自分でもよく分からないまま再び声を掛ける。
「あの!」
「何だ?」
「タランテールの件なんですが」
コウが、特に話題もなかったのでまだ伝えていなかった答えを伝えると、青年は頷いた。
「分かった」
「……こんな答えで、良かったんですか?」
「ああ。やはり普通の方法ではなし得ない、という事が分かっただけで、十分だ」
「このタランテールは、実在するとあなたは言いました。俺は答えを示した。正解を教えて下さい」
青年は、コウの言葉に少し迷っているようだったが、やがて言った。
「関わらない、と約束してくれるか?」
「何でです?」
「君は非適合者だ。だが、適合率より大事なものがある。もし仮に、今から俺が言う事に魅力を感じても、関わらないと約束してほしい」
「それは」
コウは息を呑み、言葉を続けた。
「適合率を、上げる方法が、ある、って事ですか?」
「そうだ。しかしそれは、自分の命や理性と引き換えにする、極めて危険なものでもある」
コウは、アヤを見た。
心配そうな顔をする彼女を見て、コウは首を横に振る。
「約束します。俺は、家族のお陰で非適合者であっても自力で生きる手段を得る事が出来ました。適合者になれれば良いとは思いますが、俺は、装殻への適合を渇望している訳ではありません」
青年はコウの答えに満足そうに笑みを浮かべると、表情を引き締めて言った。
「今、フラスコル・シティではある薬物が流行っている。Egと呼ばれる薬物で、これを摂取すると流動形状記憶媒体と人体組織の融和を誘発する作用がある事が確認されている」
コウは、青年の言葉の意味を考えた。
それは後に、アイリが口にしたのと同じ言葉だった。
「人体改造型装殻者になる、という事ですか?」
青年は、未来のアイリに対するコウ同様に首を横に振る。
「いいや。Egは、過剰摂取によって寄生殻化する薬物だ。最後には、先程の化け物のようになる」
青年の言葉の重さを、コウは正確に理解した。
さっき襲ってきた異様な装殻者は元々人間であり、青年の言葉が事実なら二度と人には戻れない存在だ。
「あなたは……それを追っているんですか?」
「それ以上は、知らない方が良い」
青年は告げ、コウに対してさらに言葉を重ねる。
「だが、知っておいた方がいい事を、一つ教えよう。装殻に適合しない事は、悪い事じゃないという話だ」
青年の意図が分からずコウが黙っていると、青年はアヤに問いかけた。
「君は、コウくんの近くにいる時、装殻の調子が良いように感じた事はないか?」
「え?」
問われたアヤは、少し考える。
「確かに、お兄ちゃんが側にいると、普段よりも調子が良い感じがする事があったけど……でもそんなの、気のせいかも知れないくらいの気持ちだよ?」
自信のなさそうなアヤに、ハジメは言う。
「だが、その力は確実にある。非適合者には、装殻と装殻者を活性化させる能力があるんだ」
「……そんな話は、聞いた事がありません」
そもそも、非適合者自体の絶対数が少なく、研究など進んでいない筈だ。
しかし、青年は確信を持っている口調でコウの否定に反論した。
「一般的には知られていない。しかし、俺は知っている。気付いていなかったみたいだが、君を守ろうとした彼女の装殻は、通常以上の強度になっていた。情報処理特化型装殻である彼女の『クルアン』は、君が改造したんだろう? 俺が知るものよりも、かなり外殻の覆う範囲が少ない。その容量を処理能力の強化に当てているように見える」
「ええ」
青年の正確な看破に、コウは内心舌を巻いた。
「外殻そのものもかなり薄くしてある筈だ。先程の化け物の爪を阻むほどの厚さではなかった筈なのに、彼女の生身に攻撃は届いていない。そしてもう一つ」
青年は、そこで一度言葉を切った。
「君の制止に対して、先程の装殻者は攻撃の勢いを少しだけ緩めた。その二つの要素が重なって彼女は生き残ったんだ。……それが、君の力だ、コウくん」
コウは、自分の掌を見つめた。
何の力もないと思っていた自分に、装殻が反応するなどというのは、理解の難しい話だ。
「もちろん、非適合者の力はそこまで大きな力じゃない。だが、その力は確実に存在するんだ。何故だか分かるか?」
「……いいえ」
コウは、首を横に振り、青年の答えを待った。
彼は、どこか懐かしそうに言う。
「装殻は……装殻の元になったモノは、本来、力無き者達を助ける為に存在したモノだからだ」
青年は、サングラスの奥からコウの目を見ているような気がした。
まるで自分の言葉を、コウの心に真っすぐに届かせようとするかのように。
「装殻の、元?」
コウの疑問に、青年は答えなかった。
「だから装殻者でない者が近くにいる時に、装殻は最も力を発揮する。装殻者自身もそうだ。皆、知りもしないが……」
青年はアヤを手で示す。
「普段戦う者ではない君の妹が、君を救うために取った行動こそが、その証左にならないか?」
コウは、はっとした。
横を見ると、アヤはうろたえていた。
「いえ、あの。私、ただ夢中で」
「無意識のうちに、装殻者としてコウくんを救おうとしたんだろう。それはコウくんが、君の大切な人だからだ」
言われて、アヤが少し赤くなる。
「だからコウくん。非適合者である事を気に病む必要は、君にはない。まして今幸せに暮らせているのなら、君にはそのままでいて欲しいと、俺は思う」
そう言い残して、青年は今度こそ去った。
※※※
「ドラクルがやられましたね」
闇の中で、柔和な声が言う。
「最早、間違いはないだろう」
無機質な声が答えた。
「奴が、黒の一号だ」
闇は沈黙し、やがて再び震える。
「どうされますか?」
「決まっている」
無機質な声は答える。
「奴を、確実に始末する」
舌なめずりをするように。
「奴の、一番弱い部分を突いて、な」
毒のような含み笑いが、密やかに闇に響くーーー。