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ぷるりんと異世界旅行  作者: wawa
誓約の地~エスクランザ天王国
95/221

07 誓約 07


 ーー僕をここに閉じ込めて、殺すの?


 何度も口から出そうになり、同じ回数を飲み下した。宮殿での暇つぶし、女官たちの噂話に恐怖の回廊の話があった。


 ーー[掟を破って最奥の重い扉を開いた若い神官が、翌朝死体で見つかったのよ]

 ーー[しかもその亡骸の見た目がとても恐ろしくて、家族にも対面させずに焼却されたと聞いたわ]


 ーー[亡骸が恐ろしいって、引き裂かれたのかしら?]

 ーー[きっとあの回廊にはね、恐ろしい魔物が棲み着いているのよ!]


 ーーキャアーーー!


 ーー[やめてよ!驚かさないで!]


 ーーキャハハハハハハハハ・・・。

  


 [ここから先は天の上の道。天上人であらせられる巫女姫ミスメアリ様か天神官ドーシャ様、エン・ジ・エルであるあなた様しか通れないのです]



 [!!]


 耳に焼き付いた女官たちの悲鳴と笑い声。それを老齢な最高神官の冷たい声が押し潰した。

 

 [・・・・・・・・っ、]


 [さあ、お進み下さい]


 [・・・・]


 ーーこわいよ、行きたくないよ。


 恐怖で足が竦んだが、少年を生んだだけの地位の低い女の泣き顔を思い出し前に進んだ。


 ーー[私には力がなくてごめんなさい。私に出来た事は、あなたを魔素アルケウスの無い選ばれた子供として生んだ事だけ]


 そう言って、少年を抱きしめた事のない女は、会うたびに泣きながら跪く。

 

 恐怖の死の回廊、この先に進まなければ更に女の地位は低くなり少年への恨み言が増す。恨み言といっても罵詈雑言に詰るわけではないのだが、少年が苛められぼろぼろに傷付いても、泣きながら自分の地位の低さを言い訳し助けてはくれないのだ。それがとても厭わしく煩わしい。


 ーーもう、あの女に、あんな目で睨まれたくない。


 兄や同学級の者たちには存在する優しい母親というもの、目障りなそれと比較して、情けなくも心が悲しみに沈んでしまう。


 [さあ、どうぞ。お進みくだ[戻ったら]


 [?]


 [この先から戻ったら、お前、僕の進む道を、もう二度と指し示すなよ]


 [!、・・・畏まりました、]





 [懐かしいね]



 暗闇の回廊、瓦礫の遺物、そして寂れて機能しない研究施設。アリアがエル・ジ・エルとして幼少の頃に訪れ、数百年ぶりに開いた最奥の古びた扉。聖櫃に収められていた経典には、嘗ての大神官達がそれを封じたとされる痕跡が残っていた。




 『・・・・』


 暗闇でよくは見えないが故郷の遺物を見上げていた少女は、埃を被る崩れた物の残骸に、帰り道の手がかりを感じる事が出来ずに沈黙する。


 (この場所に入ってから、特に不安定にメイと身体の支配権が入れ代わる)


 少女の不安定な揺らぎを懸念しオルディオールは振り返ると、滔々と語っていたアリアを見上げて素早く疑問を口にした。


 「ここには確かに人の出入りの形跡は無いようだが、さっきまでの道中は、かなり多くの見張りを感じた。オゥストロの奴は完全に部外者だが、王族以外立ち入り禁止なのではなかったのか?」


 天の者のみ権利を持つ。二つ目の扉からの進入は皇族だけと言った。その疑問に、アリアは背の低い少女を馬鹿にした様に見下ろした。


 [彼等は地の下、それは天の上と同じく人では無い扱いなのさ。但し、意味は全く逆。血に穢れ、人では無いという意味だ。それをこの国では、ケガレと呼ぶんだよ]


 『けがれ、?』


 アリアは北方セウス人の顔立ちによく似た少女を見て、何かを思い出し笑う。


 [何代か前の天上人エ・ローハに、北方セウス人と同じ顔立ちの神官が天から降りて来た事がある。ニ・ポンという天から降りて来た彼は、翼をもがれて大きな怪我をしていたそうだが、この国の発展に様々な協力を惜しまなかった]


 (ニッポン!?)


 大きな黒目を輝かせて見上げるメイに、アリアはそれを皮肉げに見下ろした。


 [石の結界、守護聖獣の石像、様々な礼儀と建築様式、そして〔血の穢れ〕については、命の尊さと殺生の愚かさを嘆く]


 当たり前の知識の復唱をメイは無言で見上げていたが、小さな光に陰るアリアの顔が微かに歪んで目を見開いた。


 [天上人の訓示で綴った経典カオン。彼はこうも一節に残した。〔穢れ〕とは〔気枯れ〕と成ると。天上人の真意は分からないが、この一文を直接的に解釈した者達はそれを魔素アルケウスに当て嵌めて、魔素アルケウスが無い者は〔気枯れ〕だと言って影で笑うのさ。天上人エ・ローハはさすがに人では無いからね。魔素アルケウスの無い者をエル・ジ・エルと賞賛したり、僕には意味が理解出来ないよ。君には分かるの?]


 吐き捨てられたメイは初めて見たアリアの真摯な表情に、穢れの事を思い出そうとしたが専門的な知識は無い。


 (〔ケガレ〕と言われても、それを差別や偏見に、人を苛める事は善くない内容だ、としか思い浮かばないけど、漫画の怖い話でなんとなく見たとか、・・・あとは神社の厄払い的な?)


 [子供の頃は、お陰で面倒事が多かったよ]


 親の推測で説明もなくそれを聞かされた子供達は、大人の見えない場所でアリアを穢れと言って触れずに物で暴行した。頼るべき母親は給仕の女官で貴族に対して力が無く、幼いアリアは血の繋がった兄に必死で救いを求めたが、彼は困った顔でこう言った。


 ーー[それが経典カオンに記されているのだから、耐えなさい]


 半分だけ血の繋がった年上の男は、正妃譲りの誰もが認める優しい心を持っていたが、その優しさは常に昔の誰かが決めた枠の中のもの。自分の意思での行動では無い。


 成人し正式に皇太子として認められると、それまで笑いながら彼に暴行をしていた者達は、手の平を返して媚びへつらうようになった。アリアは様々な些細な理由で彼等を陥れ存在を消す事も出来るようになったが、気持ちがすっきりと晴れる事は無い。目の前に守護者として現れる地の下と呼ばれる者達が、同じ様に蔑まされている姿を見るたび苛立ちが甦り、反吐を飲み下すのだ。


 置かれた現状に、囚われるだけの者達。

 

 (そしてエル・ジ・エル、その称号も人では無いものとの区別に過ぎない事実)


 [魔素アルケウスが無い者は欠陥だと、過去に差別で虐げられていた。だがそれを昔の天上人エ・ローハが、自分と同じ者だと宣言した事により反転する。それからは欠陥ではなく、皇王よりも尊い者だと経典カオンで保護したんだ。だけど魔素アルケウスを持つ者達は、今も影でそれを地の下と同じケガレと呼ぶんだ。笑っちゃうだろ?通りすがりに僕に頭を下げている者の中には、ケガレに自分が触れないように愚かにも怯えている者も居るのさ]


 古き悪しき因習に、囚われたこの国。


 たちが悪いのは、その思想が根付いた国民も差別を受ける側も、それを当たりまえと甘受している現状。


 [国を護る者達を、血のケガレと蔑み憐れむなんて滑稽だろ?敵国の脅威から、彼等の存在が国を護っている事実があるにも関わらずだ。甘い第一皇子は彼等を平等に扱おうとして、自分が良い人だって示すけど、それだけだよ。ここまで根が張った悪しき因習は、それと等しいか、それ以上の力でねじ伏せなければ変えることが出来ない]


 この場には、誰も〔人〕は居ない。 


 幼少期に泣きながら、初めて一人でここを訪れたアリアは知っている。数百年前、嘗て数人の神官が原因不明の病で死んだ事があり、それを警告にこの異質な空間には他に人は立ち入らない。


 だが天上人の遺物が収められたこの場所へは、エル・ジ・エルが皇族に誕生すると、魔素アルケウスが無い特別を理由に、儀式の一つに組み入れて最奥の中を確かめさせるのだ。アリアは幸い原因不明の病には罹らずに、生きて戻る事が出来た。


 〔人〕は一人も居ない、その場でアリアは、思いを少女に吐き続ける。


 エスクランザ国を支配する神官達の絶対的信仰心、しかし、降臨した巫女げんじつにそれに対応出来ず、持て余してしまった今。


 [王座に座ってるだけの、あの人を即座に引きずり下ろして、天上人エ・ローハの巫女である君を玉座に座らせる力ある派閥が居れば、また話は変わったけどね。どこからも、あの人に触る声は上がらなかったよ]


 『・・・・』


 皮肉な笑顔はそのままにアリアは呟いた。見上げる少女は精霊と呼ばれる男では無く、話の内容に無意識に疑問が膨らむメイである。


 (良く分からない。だけど、そういえばこの国の王様をまだ見ていない。今の痴漢男の話だと、王様にヒッキー臭が漂うが・・・ハーレム大奥?そこの永久会員?この痴漢のお父さん?血筋偏見は悪なのだが、あり得そう・・・)


 『まあ、見たいといって、見れる存在じゃないけど、』


 (なんだか、外交や国内行脚に、戦後から働き詰めの方達を思い出す。皇族、王族の事は雲の上過ぎてよく分からないけど、やっぱりそこに現れただけで、国民がありがたいと思える存在って、すごいことなんだ。我が国の皇族様と、この国の王族とは全然タイプが違う)


 『難しい問題だね』


 (懐かしい故郷、子供の頃に家族と訪れた皇居周辺。人の多さに花見を早々に諦めて、満場一致でショッピングモールへスライドした思い出)


 思いを馳せ、メイは何度もしんみりと頷いた。その少女の表情に、アリアの思いは揺るがないものに変わった。


 [僕はまだ、君を諦めていないよ]


 突然メイの前に跪き両手を差し出した。王族が他者の前で膝を折る事はあり得ない。少女の中のオルディオールはそれに驚いたが、メイ自身は軽薄なアリアの切羽詰まる表情に、戸惑い腰が引けている。


 『な、なんですか?、』


 [一部の者にしか都合が良くない、差別ってやつを無くしたい。これは僕の幼稚な私憤だが、それはこの国に必要な事なんだ]


 『差別、無くする?』


 何かを恵んで貰う様に、アリアはメイに両手の平を揃えて差し出した。


 [そのために、天上人エ・ローハである君の力が必要なんだ。お願いだ。僕に力を貸してくれ]


 (イジメ・ダメ・絶対・了解!)


 メイはアリアのことは苦手だが、縋るように延ばされた両手に小さな手を置くと賛成に力強く頷いた。微笑む第二皇子、その顔にいつもの嫌な笑いが浮かぶ。


 [僕はこれを、君との〔誓約グランデルーサ〕とするよ]


 置かれた少女の手は、彼女自身によって跳ね上げられる。跪き、見上げたままのアリアは取れた了承を勝利と笑った。


 「無効だ。誓いの言葉は天へ届いてはいない!」


 強く言い放つ少女に、アリアは無駄だと精霊を笑う。


 「それは東の国で流行っている、誓約グランデルーサの祝詞の事だろ?そんなもの、本当の誓約グランデルーサには要らないんだよ」


 (グランふふーん・・・。

  久しぶりに聞いたワード・・・)


 アリアはフラン大陸の精霊に話し掛ける様に、突然言語を変えた。現在少女を支配するオルディオールは、今までに無い形相でアリアを睨み付ける。


 「そもそも、ガーランド国では、誓約グランデルーサを人と人では行わないと言っていた。危険だからだと。それはどういう意味だ?」


 強く精霊に問われたアリアは、立ち上がり睨んでも凄みの無い黒い瞳を笑顔で見下ろした。


 「〔誓約グランデルーサ〕の始まりは、天教院エル・シン・オール経典カオン、つまり、北方セウスだ。始まりの巫女と精霊使いの青年が、永久とこしえに共に居られるように、巫女が青年へ誓いの祝詞を述べたらしい」


 二人の男女の声は、冷たい暗闇の静謐、瓦礫の残骸に響き落ちる。


 「一節に、ーー蒼天の下、健やかなる刻も、病める刻も、死が二人を別つまで、「ヤメロ!」共に在る事を誓うーーこれが本来の誓約グランデルーサだ。決して〔違った者達を、死で別つ〕ものでは無い。まあ、精神を支配する意味合いは同じだよね」


 少女は耳を塞いでいたが、目の前で笑う青年の声は確実に全て届いた。


 「誓約これの重要な部分はね、お互いの心が通じ合う事なんだ。片方のみの思いでは、成立しないと天上巫女ミスメアリは言ったらしい」


 遺物の瓦礫の中、小さな光を翳したアリアの手の先に、真白い男女の石像。石の男は跪いて女の手を取っている。


 「真意は最大の祝福と記されているが、本質的には精霊や人間を縛り拘束する呪文だ。我が国エスクランザでは精霊を抑え支配する刻に、これに近い呪を使う。精霊の思いは無視だけどね」


 (やっぱりグランふふーんさ、結婚式の宣誓に似てる)


 アリアの言葉の理解はメイの中ではあまり出来ていないが、始まりの巫女の思いの解釈とは一番近いのだろう。一方、珍しく取り乱したオルディオールは皇子を舌打ちし、忌々しげに顔を見上げた。

 

 「と、言うわけで、君は僕と婚姻するからね」


 「・・・・」


 (・・・ん?・・・ホワイ?パードゥン?)、

 『じゃないな、こいつ、今なんて言ったんだ?』


 「盛大な式は急に明日は無理だけど、なんなら見せ付けるために、ガーランド国で披露しようか」


 『しない!!!あんたとは、結婚なんて、しない!!!おいおい。何を言ってるのだ!』


 全身全霊で異国語で怒り出した少女に、アリアは笑って首を横に振ると「絶対にする」と、奇跡的に会話は噛み合った。


 『しない!!!』

 「する。」

 『しない!!!』

 「する。」

 『絶対に、しない!!!』


 アリアに適うはずのないメイを本気で抑え込み、オルディオールは再び正面の青年を見据える。


 「こいつとお前の心は微塵も通じ合って無い。無効だ。それに、何故ガーランド国では人と人では行わないのか、理由を聞いてはいない」


 「おや?精霊殿。貴方は既にお分かりだろうと思っていましたよ。理由は先程の魔具と同じだ。我が国より劣る蛮族の国に、聖なる誓約グランデルーサは必要ないと、そういった事さ」

  

 劣化魔法製品、誓約グランデルーサの偽り、力では勝てないガーランド竜王国に、それで溜飲を下げているのだろう。エスクランザ国の小さな抵抗の努力に、オルディオールは目を伏せたが再度「無効だ」と、アリアへ言い放った。


 「だが人と人で、安易にすると危険なのは本当だ。それを理解しているのは東の利用者達だろう?お互いを誓約グランデルーサという呪いで縛り、しかも死で別つを実行にしているのだから」

 









******









 「よう、よく生きてたな」


 エスクランザ王宮殿を後にしたメアーは、神官に指定された宮殿へ渡り、部屋に入ると見知った顔に笑顔になった。


 「団長の指示で、ミギノを追って北方セウス行きの船には乗り込めたのですが、その先が厳重でした」


 エスクランザ国の騎士に指摘を受けたので、ガーランド国内では気付かれなかった獣人の変装を今エスクはしていない。あの後、待ち伏せしたメアーの一行に忍び寄り、供として付いてきたファルド兵に上手く紛れる事が出来たのだ。


 奴隷保護国民の受け渡し交渉、ファルド国内で発見された巫女ミギノの確認と、それをエスクランザ国へ受け渡そうという誠意。この二つの切り札で国交の無い北方セウスへ、個人的に知り合いが居るメアーが密使として訪れたのだが、結果は水面下に終わり表向きの国交は見送るとエスクランザ神官議会はメアーに告げた。


 「ならばファルド国内で保護された北方セウスの民は、そのままファルドの天教院エル・シン・オールへ丸投げされてしまったのですか?」


 「まあな。それは想定内だ。だが表向き渡航交渉の成果は薄いが、俺が王宮殿へ招かれた事実は大きい。今までは医療の技術向上に、薬学の方向から第一皇子リーンへ打診をしても、先に検閲する神官達により皇子へ手紙が渡される事は無かった。それが今回、ミギノの存在の問い合わせにより話が通ったんだ」


 「ミギノが、」


 「交渉は簡単には行かず見送られた。だが帰国を考えていた矢先に今日、宮殿より晩餐会の案内が来たんだ。まあ、そこでは想定外の厄介な野郎と同席させられたがな」


 「黒竜騎士、オゥストロとの宴席なんて、」


 「リーン第一皇子の意図は純粋な友情とガーランド国の騎士達との交流だが、その二組を晩餐会へ招待しそれを神官達が許諾した事に意味がある」


 「天上人の巫女を取り戻しに強襲を掛けたガーランド国へ、エスクランザ国はファルド帝国との繋がりを主張した、ですね」


 「あくまでも、俺は第一皇子の友人。危ない琴線だが、皇太子アリアを人質に取られる事が決定した今、ただガーランドの言いなりにはならないという意思表示を竜騎士達へ示したかったんだろう」


 「では、今後の戦局には、エスクランザ国は中立となるかもしれませんね」


 「いや、皇太子はガーランド国の人質になるんだ。この国の世襲制は特殊だからな。エル・ジ・エルと崇められる神官皇子が、どの程度の影響力になるかは分からないだろう。ただ、うちにとっては、今後の道が閉ざされなかった事が大きい」


 次の戦争を想定した、その内容にエスクは北方セウスの軍需利益を考える。十騎の竜騎士で大打撃を与えられてしまう弱小国は、おそらくファルド帝国が現在知り得ない旨みが隠されているのだ。


 「ところで、お前が命懸けで追ってきたあのガキ。相変わらず面白かったぞ」


 これにエスクは、自分の任務が完了していない、嫌な事実を思い出した。


 「噂では、ガーランド国の黒竜騎士と、いい仲だって聞きましたが、」


 「いい仲、」


 笑うメアーは、着慣れない軍服の上衣を外して椅子に放ると、重厚な黒木の卓に置いてあった酒を手に取った。


 「どうせお前だろ?フロウの奴が、あの仔犬テノに手を出してるって言いふらせって、妙な通達しじ流してんのは。本人と、黒竜騎士を目の前に、俺がその大役に与ってマジで焦ったぞ」


 「いえ、団長、きっとこの現状に満更ではないと思いますよ。では、俺は戻ります」


 「・・・・」


 嫌な笑顔で返し、立ち上がり仕事へ戻って行った第九師団の特別任務を背負った中尉に、メアーはその先に続いたエスクと対になる相棒のステルの話をしなかった。遺恨を残したままのファルド帝国とガーランド竜王国では、戦前交渉をしたところでメアーは無駄になると分かっている。


 ファルドでは見かけない、メアーが好む民族洋式の整えられた庭園。青い星に照らされた小さな池を見ながら、メアーは強い酒を呷った。




***


ーーーエスクランザ国、天教院エル・シン・オール大社殿。




 皇太子アリアがエスクランザを出国する日、早朝。居並ぶ最高神官と大神官、それに巫女達の中央を歩き、壇上へ上がったオゥストロは、そこに待っていた次期皇王アリアと共に、両国同盟の再調印を交わした。


 中央には見守る古参の大神官が、巻き上げた教典を社殿内にある大きな御神木へ捧げ奉る。彼等より少し高い壇上は皇王が座る場は空席となっており、その横の席には天上の巫女が式を見守っていた。


 (ひな壇の上、ふるえる、でも、それどころではない、多重婚約詐欺発生、)


 アリアは昨夜の少女メイとの誓約グランデルーサの話をした以降、それを口に出してはいない。それが逆に不気味であり、少女の中のオルディオールはアリアの動向に目を光らせていた。


 (皇子がおかしな事を言い出したら、即座にそれを否定しなければならない。わかってんのか?邪魔すんなよ、メイ)


 (バレたらヤバイ。バレたらヤバイ)


 正装のアリアとオゥストロに、この場の神聖さも忘れて周囲の者達が心を恋情に震わせる中、最上階に位置した巫女だけは、神聖さに見合う厳しい表情と姿勢で彼等を見つめている。




 調印式が無事に終了し、オゥストロの付き添いでメイが椅子から立ち上がると、アリアに続いてそのまま社殿を後にする。鳥居を通ると上空から飛竜が監視する中、外には神官騎士と天弓騎士が列を成して叩頭礼をして出迎えた。全て口は布で封じ、顔を伏せた騎士達。社殿の参道を見渡して、オゥストロは後ろに列を成す神官達を振り返った。



 [卓越した天弓を、つがえる相手を間違えれば、古くからの伝統は全て途絶えると心得よ。未だその腕があるのは、ガーランド竜王の温情で在ることを忘れるな]



 卓越した弓騎士達にでは無く、それを使う神の神官達に命じた。静まり返った参道に返事は無い。反意無しと見たオゥストロは、先を進むアリアに続く。黒竜騎士を荘厳な表情で見上げた天上の巫女は、差し出された大きな手を握ると無言の騎士達の間を共に歩き始めた。




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