ある魂の覚悟 03
天上人の巫女と認証された少女、メイ・カミナは最上階の天守殿へ移動された。天上の巫女の居室に出入りできるのは、限られた者だけである。
訪れる者も少なく、朝の祈りが終わると午後からは第二皇子アリアと共に、教会までの道のりでエスクランザ国民へ顔見せをする。それを三日繰り返し、飽きた少女はやることも無く暇を持て余していた。そんな折、いつもは現れない刻に第二皇子は訪れた。
[アリア皇太子様から頂いた飴を大切そうにされ、とても喜んでおられますよ]
何をしてもアリアを睨み付ける少女が、飴一つで喜ぶのかと訝しんだが、女官から話を聞いたアリアはいつもより機嫌よく天上人の間へやって来た。
陽の当たる窓辺に、訪れた皇子を出迎えもしない少女はうたた寝をしている。
(相変わらず、呑気な子だね)
気持ちよさそうに眠る少女の横には、包み紙が数枚広げてあった。これは昨日、アリアが少女へ渡した民草の間で流行りの飴の残骸である。
質素な黒の包み紙を開くと、中から鮮やかな桃色の飴が現れ、その差違が女児に人気があるという。戯れにメイに与えたが、それは気に入ったようだ。
(見た目じゃ無くて、中身も子供なのだね)
満更ではない。幸せそうな少女を見下ろし、アリアは自然に口の端が上がっていた自分に気が付き、慌ててそれを引き結んだ。
(しかも飴の包み紙で遊ぶなんて、やっぱり根は下民と同じなんだね・・・ん?)
少女が散らかす黒い紙、それで作った物を見た瞬間、アリアの中に冷たい何かがスッと落ちる。
手元には紙で折った黒い鳥。
それはどう見てもガーランド竜王国を誇る竜騎士、少女の婚約者だと噂に上るオゥストロの飛竜を模った物。アリアがそれを手にすると、浅く眠っていた少女は目を覚ました。
ーーーグシャ。
無惨に握り潰された黒い紙の飛竜は、少女の前に形を変えて落とされる。
『・・・・、』
無言で出て行くアリアを、黒髪の少女もそれを無言で見送った。扉が閉じられて皇子が去ると、巫女の護衛騎士トラーの元に一人の若い騎士がやって来た。
[どうしたのだ、テハ。お前は第一皇子の守護者だろう?]
先輩騎士から問われた少年騎士は、はにかんで改めて挨拶をする。
[本日からメイ様の護衛騎士に配属されました。テハ・カラトです・・・船での事が、アリア様に密告されたようで]
これは昇格なのか、それともこれから断罪されるのかは分からない。だが、人の口に上った事実。天上人のメイが自ら触れた守護者は二人、少女の元へ集められた。
[アリア様は巫女様を穢れさせた我々を、どうなさるおつもりでしょうか?]
悩む少年騎士へやはり返す言葉は無いトラーだが、話の逸れた内容を語り出した。
[メイ様に毒を盛った料理人、それに関わり止められなかった者達が処分されたのは知っているな?]
神妙に頷くテハに、同じく神妙にトラーは静かに語る。窓の外は眼下にエスクランザ国が一望できる。王都にひしめくのは住民の集う街並み。
[彼等の氏族は位を剥奪されて、処刑は免れたそうだ]
少年はそれをアリアの恩情だと頷いた。だがトラーはそれに頷かずに言葉を続ける。
[それは、処刑に立ち会う神官の、手間を省いた事だそうだ]
嘗て天上人が舞い降りた青い空、人々を導いた巫女と皇王が始めた物語は、大きな街並みと形作られ今に至る。それを見つめながら、トラーは先ほど巫女の少女の部屋で起きた出来事を思い出す。
警護として同席した室内、折った直後にトラーにも見せてくれた黒い紙の鳥の名は〔ツル〕。それを目の前で握り潰された、少女の傷付いた顔を思い出した。
[この国は、どうなってしまうのだろうな・・・]
ふと言葉は零れたが、それは少年騎士の耳へは届かなかった。
******
〈いや、ご苦労さまです。遥々とこんな所まで〉
笑う男の顔は北方人だが、彼は長年エスクランザ国に潜入する第八師団の兵士の一人だ。
〈そちらこそ、ご無事でなによりです〉
旅人同士、仲良く挨拶をかわす男達のもう一人は、南方人を装ったファルド帝国中尉エスク・ユベルヴァール。遠い祖先の血を利用し、耳は外套で隠しているが、腰に大猫の黒い尾を付けている。
茶屋の一席に座った男達は、笑顔で互いを労うが小声で東側の言葉を話し出した。
「中はどうですか?」
「医者に確認したが、声だけ拾えたって。天教院付近では、運が良ければそろそろ見れるかも」
「病院はどうですか?」
「治療は難しいって、だけど、来て良かったってよ」
それを告げると互いの商品を見せ合って、男達は茶屋を後にした。潜入兵と別れたエスクは天教院の本院を目指して足早に移動する。
先程の兵士の情報では、密使のメアー医療師団長は少女ミギノを確認したようだ。だが、北方エスクランザ国との交渉は難航し、今回はファルド帝国とのやり取りを保留にしたのだという。北方の神官議会はファルド帝国との交流に、表向き懸念を示した。
(確かに、ガーランドとの仲がぐらついてる、今の機会にファルドと近づくことは北方には微妙だ。だが〔来て良かった〕って言ったって事は、完全に拒絶された訳じゃないって意味だ)
この一歩は大きい。
ガーランド竜王国の顔色を見ていても、ファルド帝国を水面下で拒絶しなければ、後の交渉につながる。その繊細な国政交渉に何故か影響する少女ミギノを追う途中、エスクは警告無しに振り下ろされた剣を中刀で受け止めた。
〈くっ、〉
ギャリ、と刃の擦れる音が鳴り、強度の弱い中刀が長剣に負けて砕け散った。それと同時に大きく身を引き外套を翻す。
[貴様か。尾に神経の通わない、獣人の商人というのは]
変装を見破られた内容に、エスクは周りを囲む町人達の中に即座に身を投じる。少年騎士はそれに狙いを定めるが、人の多さにつがえる弓を引き下げた。
[逃がしました。追いますか?]
長剣を鞘に収めたトラーを振り返ると、彼は首を否定に振る。
[おそらくガーランドの雇われだろう。放っておけ。戻るぞ]
守護者の彼等は踵を返し、もう直ぐこの道を通る少女の護衛に戻って行った。
***
ーーーガーランド王城、王政府議会。
トライド国との国境線トラヴィス山脈、第二、第三の砦をファルド帝国、魔戦士により襲撃され、更に同時期に北方大陸エスクランザ国に、精霊の巫女を攫われたガーランド竜王国の議会は紛糾を極めた。
国境線の事態の収束後、緊急軍事会議により部隊の再編制が行われたのだ。国境線、第二、第三の砦の甚大な被害により、ガーランド国、西側国境線守備隊を含み、見直しの部隊再編制である。
第三の砦はアラフィアが副隊長を降格され、代わりにストラが守備隊長へ就任、対ファルド国とし国境統括隊長としてフランシー・ソートが東側国境指揮官に就任した。
前任のオゥストロは対エスクランザ国、北方特別部隊隊長として王都に待機している。対エスクランザ部隊は、迎撃部隊として名高い十騎を揃え、短期集中戦略となった。隊員には、元より海岸西側を熟知した迎撃隊員七名と、第三の砦からはセンディオラとエスフォロスが加わる。
既に部隊編制は終わり、後は巫女救出の出撃のみの彼等は、王都議会の進捗の遅さに苛ついていた。
**
〈ファルド側〔鳥〕の情報では、気味が悪いほど軍と王都は沈黙しているようです。今のところ、グルディ・オーサ基地の動きもありません〉
〈この刻に、万が一ファルドとエスクランザが共に出て来られては厄介だぞ、〉
〈そんなの!両方ねじ伏せてやれば良い!〉
〈東側、ファルド国への報復は、機を見る必要がある〉
紛糾する議場、冷静に発言したのはエミハール大臣。捕虜から得る情報は少ない。更に新たに見つかった情報源の捕虜候補は、砦襲撃の報復に、宿屋で気付いた住民により殺害されてしまった。そして精霊オルディオールがエミハールへ忠告した内容を、彼は内心重く見ている。
〈大聖堂院という、得体の知れない組織の対応を、第一に考慮しなければファルド国への報復は難しい。軽々に飛び立てば、五十年前の二の舞だ〉
〈五十年前、〉
それに沈黙する者、憤る者は様々だ。
〈だが、驕り高ぶる者。仕える天の教えに背いた北方には、我々の力を示す必要がある〉
その強い言葉に、一同は同意と強い賛同の声を上げる。
砦の襲撃、巫女の拉致の十日後、ガーランド竜王国から十騎の竜影が白の港から北方へ向かって飛び立った。
***
ーーーエスクランザ天王国、天教院。
蒼天、空気は冷たい朝の礼拝堂に、天への祈りを終えたアリアとスラが残っていた。
[まだ子供は出来ていないけど、先にメイ様と婚姻式を挙げるって、皇王様と皆に伝えておいてよ]
[!!]
土の巫女へ事もなげに言い放った言葉に、スラ・エオト巫女は身を強張らせ驚愕に目を見開いた。それはスラこそが、彼に希われる内容なのだ。立ち竦む土の巫女へアリアは怪訝な顔をしたが、スラの本心を知った上でそれを流して言葉を続ける。
[平和に浸り天上人の事を忘れ、愚かにも、魔素が無い事を〔ケガレ〕と呼ぶ目障りな貴族派閥を、これで一掃できるだろう。魔素の全く無い、僕とメイ王妃様が先立ってね。・・・魔素を多く持つ、君には出来ない話だろ?]
[魔素は!後天的にも現れるそうです!きっと偽物の、あの者も、]
納得のいかない反論、だがそれは全て言えなかった。アリアが笑顔を消してスラを見据えたからだ。
[偽物?、それは、僕の事を言ったの?]
冷たい皇子の問いかけにスラが一歩後ろに下がった。それと同じくして神殿の大きな扉が許可無く開く。
ーー[大変です!]
緊急事態にも反応せずに立ち竦むスラを余所に、アリアは蒼白な若い神官へ振り返る。
[ガーランドが!]
[来たか、遅かったね]
素早く長衣を翻すと、人形の様なスラを置き去りに足早に神殿を出る。皇太子の背を追う神官は震える指を胸元に組み合わせて、怯えるように空を見上げた。
[数は東海上に十騎、先頭は、黒竜です!]
[黒竜騎士オゥストロか。あの指輪、まさか本気だったんだ。・・・気にくわないよね、空賊め。来たって無駄なんだよ。あれはこの国の聖天第一位。エスクランザ国の巫女なんだ]
**
エスクランザ国の東入り口、青の港町は騒然となった。灯台から緊急避難の鐘が鳴り響いたが既に遅く、家から外に飛び出た人々は、真っ青な空に鳥より大きな黒い影を捉える。
同盟国のその影を頼もしく見上げる者と、何の触も無く隊列を組んで現れたそれに不審に怯える者。
ーー[セウス国民に告げる!これは要求では無い!命令だ!]
賑わう市場の上空に飛来した一騎が、地上の人々に言い放つ。更に民家上空に飛来した一騎が、地上へ叫んだ。
ーー[誠意を示せ!!]
飛び回る灰色の肢体は陽の光を浴びて、虹色の光沢を放った。去年の夏成月、その勇姿に憧れ頼もしく見つめ、宙に浮かぶ飛竜に走り寄った市場の少年達は、目の前に舞い降りた黒い隊服に、血の赤をなびかせ恫喝する騎士達へ恐怖を覚えて泣き始める。
[同盟を破り、我が国の飛竜へ矢を放った事実!そして、我が国の巫女を攫った事実!]
[一刻の猶予を与える!それまでに、我が国の巫女、メイ・カミナを目視する事が出来なければ、制裁を開始する!]
宣言と共に、一騎の飛竜が青い空、白い陽の光を目指して舞い上がる。上空へ向かうそれは、鳥のように小さな影になりそして地上へ滑空した。
風を切る音が轟音となる。衝撃が灯台にぶつかり上部が音を立てて吹き飛んだ。
[っ、ああぁあ、!?、ヒィッ!]
生かされたのか、生き残ったのか、灯台で鐘を鳴らし見張り番をしていた震える兵は、更に自分に突き付けられた長く鋭い槍を見た。灰色の飛竜に騎乗した、怜悧な表情の騎士は眼鏡を押し上げ冷酷に告げる。
[これは最初の恩情だ。次は、人の居る居住区を狙う]
**
騒然となった港町へ、第一皇子と第二皇子、そして天上の巫女である少女が輿に乗ってたどり着いたのは、一刻を過ぎる少し手前だった。
住民は遠巻きに彼等を不安げに取り囲む。港に降り立ったのは五人の竜騎士。更に上空を旋回し続ける飛竜が五騎。腕を組み、居並ぶ竜騎士の先頭に位置する者は隊長オゥストロである。
〈・・・・〉
神官騎士に守護されて、リーンとアリアは彼等の前に進み出た。
[お久しぶりに御座います。オゥストロ殿]
第一皇子からの挨拶に、ガーランドの黒竜騎士は腰へ腕を当て正式な敬礼を取った。
[御尊顔、拝謁できて光栄です。ですが、この度は北方へ最後通告に参りました]
オゥストロが低い声に精悍で美しい顔を曇らせると、周囲からは誰かの息を飲み込む音だけが聞こえる。
[エスクランザ国は、我が国を敵とされますか?]
[まさか、その様な事、ありません!]
率直な問い掛けに、リーンは慌てて首を横に振った。強く否定し、少し離れた位置に居る天上人の巫女を見ると、それは誤解だと繰り返す。
[メイ・カミナ巫女様は、紛れもない天上人。その方を天教院の本院で、認証するのは当然の事なのです。今回は、巫女様が望まれてこちらに来たと聞いております]
[望まれて?]
それにオゥストロは柳眉を上げた。多くは語らない。特別部隊は十騎士だが、これで神官だらけの脆弱なエスクランザ国を滅ぼせる戦力として編制されている。短期戦、全てが攻撃に特化した隊員が十名。彼等の飛竜もその為に訓練しているのだ。
リーンの本心の願いを冷静に隣で聞いていた皇太子アリアは、初対面のオゥストロを見て微笑んだ。
[お初にお目に掛かります。エン・ジ・エル殿下]
先にオゥストロに名乗らせた。皇太子は頷くと控える守護騎士へ視線をやる。程なく引き出されて来たのは、大神官インクラート・エハだった。
[戦争なんか、するつもりは無いよ。これは一人の神官の過ちなのだ。だが、彼の愚行はエスクランザ天王国には僥倖となった。神が天上人の巫女姫を、我々に引き合わせてくれたのだから]
[アリア?]
〈・・・・〉
それにリーンは瞠目し、オゥストロはアリアの口上の終わりを待つ。皇子達の背後には、天に仕える神官とされる守護騎士が壁のように竜騎士と対峙していた。
[我々は関係が無い。エスクランザ国はこの一人の神官により攫われた巫女姫を保護し、助けたのだから。そうだな、エハ]
[・・・・、]
問われたインクラートは、アリアを見上げ、そしてそれに明確に頷いた。彼等の行動に、第一皇子リーンは混乱に言葉を挟めずにいる。
[しかし、保護した巫女姫は天上人。これは我が国に古より伝わる書物に記されているが、巫女姫は北方大陸でその身に精霊を宿さなければ、とても短命らしいのだ]
〈・・・・〉
アリアの言葉に確証は無い。だが、少女メイの命の話にオゥストロの心が一瞬だけアリアの口上を真摯に捉えた。
[ガーランド同盟国とは、今後も袂を分かつ事無く、共に歩んで行きたいと、竜王様にお伝え願いたい。天上の巫女姫の事は、その命の期限が保証できるまで、ぜひとも我が国に逗留頂きたく思う]
[だがそれでは、我が国の宝、飛竜に弓を引いた罪、その誠意が足りていない]
揺るぎない低い声、それにアリアは理解を示し悲しそうに頷いた。
[なので、誠意の証には我が国の宝を。大神官の位置に存在する天の使い、インクラート・エハの首をお持ち帰り頂きたい]
[!!]
〈・・・・〉
差し出されたインクラートはアリアを強く見つめ、そして仕える皇子リーンを見上げた。リーンへの負担の軽減に、アリアはインクラートに死ねと言ったのだ。
[恩赦だよ]
[ありがとうございます]
[アリア、何を言っているのだ、]
地の下と呼ばれる神官騎士達が、彼の首を落とす準備を始める。それにはオゥストロを始め、ガーランドの騎士達は腕を組んだまま姿勢を変える事はない。
周囲からは突然の凶事への困惑と、大神官への憐れみにすすり泣きが聞こえ始める。その中には、港町で暮らすインクラートの家族もいた。
[母さま、父さまは、なぜあそこに座っているの?]
[父さま、どうなるの?]
為す術無く、リーンがインクラートを見下ろした。だが少し離れていた場所から、ガーランド竜王国への同盟の証としてそこに佇む小さな少女が群衆より一歩前に出る。危険を察し少女を下がらせようとする女官と、腕を取ることを躊躇う守護者達は逡巡した。
『・・・・』
メイは更に進み出ると振袖を一つ外し、更に前に出ると反対の袖も外して捨てる。さすがにオゥストロを初めとする竜騎士達も、突然群衆の中で衣服を解き始めた少女の行動に不審を感じてそちらを見るが、巫女の進む速度に淀みは無い。
円になりインクラートを囲む人々、それを横切るように少女は進む。そして待機する飛竜の前まで来ると、今度は素早く袴の紐を外し、それを地へ落としてしまった。
〈〈!!〉〉
〈・・・・〉
[・・・・]
白い膝下が陽の下に曝されて、足に掛かった布地を行儀悪く逆の足で押さえて抜き取る。
「ミギノ?、?、?、」
『・・・・』
メイはアピーへ頷くと、彼女の肩に乗っていた青い玉をつかみ徐に口の中に入れた。
**
(まあ、なんとか間に合ったか)
十日目、一週間ぶりの少女はどこにも怪我は無さそうだった。それを確認したオルディオールはアピーの肩で安堵に頷く。メイは群衆の中、警護人と使用人に囲まれ不安そうにオゥストロ達を見ていた。
(北方大陸エスクランザ国の皇子は、メイを攫った神官に全ての責を被せて蓋を閉じようとしている。更に落人という不安定要素を持つメイの命を盾に取ったな)
これにはオルディオールも何も言えない。自身の魔物化もメイの落人現象も、全て大聖堂院の仕業だと考えていたからだ。それがエスクランザ国皇子から、詳細に触れる内容が出るとは思ってもいなかった。
(完全な、脅しだとは言い難い。しかし、落人の身体を欲する魔物の存在も不確定)
森では木陰に隠れ、空を見上げ、玉狩りに怯え、身体が落ちてくるのを待っていた。もう戻りたくはない、森での意思のない繰り返すだけの行動。不確定な魔物の存在を語った他国の皇子は、死の使者を前に毅然と胸を張る。
(オゥストロを前にして冷静なあの皇子は、ガーランド国からのメイ奪還を想定していたのだろう。インクラートの首を跳ねる準備も、手際が良すぎる)
アリアは第二皇子だとオゥストロは言っていた。そしてこの国の特殊な事情により、第一皇子を差し置いて王位継承者とされている。
(エスクランザ国、平和惚けし天を崇めるだけの国。そして、死と精霊に関わる天教院の総本院)
ガーランド国で精霊と呼ばれたが、それは憐れにも球体になった比喩のあだ名だとオルディオールは解釈し、気にも止めてはいなかった。所詮はただの魔物認識。目に見えない天に縋る、宗教の四大精霊を具現化させた副産物。
(違うな。そうか、大聖堂院の母体はオーラ公家。元オーラ公国の精霊信仰には、北方から分かれて東側へ来た天教院の一派がいた。それが根付いてファルド帝国にも天教院が普及したはずだ)
オルディオールの中で繋がった。表向きは相反する天教院と大聖堂院の関係が。実際、ファルド帝国内で活動している天教院との関わりは不明だが、魔石や魔法を実験するオーラ公家の秘術には、精霊が関わってくるのだ。
(それを崇める国はエスクランザ国。この国には、その秘術に関わる手掛かりが在るかもしれない。そして、魔物となった自分、空から落ちてきたメイの理由が判明するかもしれない)
オルディオールは人垣の中のメイを見た。探した小さな姿もこちらを見ている。メイはオルディオールを見つめて、そして気持ちが繋がった様に深く一つ頷いた。何故かその少女は、強く前に進み出ると片方の袖を引き千切ったのだ。
(ん・・・?)
[おやめ下さい!!]
[巫女様!]
驚いた周囲に構わず、オルディオールへ向かうメイはまた一歩前に出ると、もう片方の袖を引き千切る。
(何だ?あいつ、鼻息荒く、こっち来るけど、何が、)
「ミギノ、どうしたの?奇麗な服、破ってこっち来るよ、怒ってるの?顔が怒ってるよね?」
怯えるアピーの肩に乗るオルディオールは、少女と同じ感想を持ってそれを見た。唖然とする周囲。少女の奇異な行動に、エスクランザ国の皇子とオゥストロ達、ガーランド兵もそれに目を向ける。肌寒い青空の下に少女の白い二の腕が現れて、子供とはいえ恥じらいを咎め唱える者も出始めた。驚愕し困惑し身を固めた女官に止められる事も無く、オルディオールとアピーの目の前にメイはたどり着いた。
(何だ?おい、)
口を引き結び目を眇めるメイ。それを真正面に震えるアピーは、衆人環視の目にも怯える。更に少女の奇行は止まらず突然下衣に手を掛け、意外にも手際良く赤い長衣を脱ぎ捨てた。
(何やってんだ!!お前!!)
父親になった事は無い。衆人環視の中で、足をむき出しに曝す常識の無い妹を持った事も無い。驚愕に絶句したオルディオールは、少女の後ろで同じ様に絶句し、処刑の手を止めた兵士達と目が合った気がした。
(足!婦女子が人前で、脚を出すな!!あ!、こら!人の話し、聞いてんのか?)
少女の非常識を叱咤したオルディオールを、呆気なくメイは掴んで持ち上げる。
『ぷるりん、やっちまいな』
(え、おぃ、)
ぱくり。もぐ。
「・・・・あぁ、」
不安げに見上げるアピーに、オルディオールは目を向ける。足の下に落ちた長い腰巻きはエスクランザ国の女性用の物で、オルディオールにはそれの着方は分からない。
「・・・・はぁ。」
練習の反射により、片方の眉は第十師団の医師団長を真似て自然に上がる。振り返ると観衆の瞳は全てこちらを向いており、何処にも逃げ場は存在しない。ため息を吐いたオルディオールは、少女の言葉の意図を汲んで処刑場となる場所へ歩いて行った。
「・・・・」
足元に過ぎ去る風は冷たく、男性意識のオルディオールにとっては、女性としてこの姿で歩く事に情けなさ遣るせなさを感じずにはいられないが、それを表さず毅然と胸を張る。
妙齢な娘が惜しげも無く二の腕と膝下を曝す、娼婦よりも大胆な姿になったメイの意図。
(それは長く重たい衣装を脱ぎ、動きやすくなったという事だ。こいつの思考回路から、この場で考えられる望みは一つ。処刑の中断だろう)
オルディオールは首を落とされる前のインクラートの目前まで来た。それを挟むようにエスクランザ国の皇子達、そしてガーランド国の騎士達。
〈・・・・〉
[・・・・]
(まさに国境線、)
[巫女様、]
見下ろした神官は、神を見るように少女姿のオルディオールを見上げた。
「俺は今、どの位置に居るのかなぁー・・・」
呟いた澄んだ少女の声は、死を待つ罪人の頭上に落ちる。
「魔物、だろうなぁ。巫女って立ち位置は、この格好により無くなったよな?」
少女は今まで見せたことの無い、晴れやかな可愛い笑顔でアリアを見つめた。次に同じ表情で皇子よりも背の高いオゥストロを見上げる。そして神妙な表情になり、一つ何かを納得するように頷いた。
「さあ、では交渉を始めようか」




