21 反抗 21
第三の砦は凄惨を極めた。
避難場所から不安げに空を見上げていた、麓の町の住人達は、空を覆うおびただしい数の飛竜の数が、ゆっくりと減っていくの見て安堵する。飛竜は形作った円を解き、緩やかに地上へ舞い降りていった。その光景に人々は、非常事態は取りあえず去ったのだと頷き合う。
子供たちは大人たちに手を引かれる道すがら不安げに空を見ていたが、最後の飛竜の影が空から地上へ舞い降り、雲の切れ間から青い星の輝きを目にすると、ようやく笑顔を取り戻した。
**
〈怪我人は全て集会場に運べ!被害状況の確認を急げ!〉
アラフィアの号令と共に散会した兵士達、その背後には火葬された魔物の肢体を見下ろすオゥストロの姿がある。灰と化した部分から握りこぶしほどの丸い物体が現れたのを、覗き込んだアラフィアは訝しむ。
〈これが、ルルですか?、精霊殿に似ていませんか?〉
〈・・・・〉
灰に塗れているが、大きさ的に同じもの。アラフィアの問いをオゥストロは黙殺したまま、その塊の行動を注視する。だが現れたルルは少しずつ灰から抜け出すと、やがて青い星の光に溶けるように消えてなくなった。
〈報告します!〉
慌ただしく駆け寄る兵は、二人の上官に敬礼した。
〈東側の囚人の男の姿が見当たりません!〉
〈なんだと?〉
**
「王都って、この道でいいのかな?」
人気の無い薄暗い山道、空には青い星の位置とその横に寄り添う白い小さな星。更には数多の星々から方角を確認した男は二股に分かれた道に首を傾げる。
「・・・あの獣人の子たち、便利だったな・・・」
ため息とと共に進み始めた小径、オゥストロと共に戻ってくるはずの少女の姿が見えない事に気が付いたエルヴィーは、騒ぎに乗じて一人で砦を後にしていた。
それを見張り台の上から見ていたのは、暗闇でも夜目の利く黒猫だけ。
******
『・・・・・・・・』
厠の中に長居しているメイは、真剣に脱出方法を考えていた。広い個室には化粧台が設置され、その椅子に座り込んで作戦を考える。だが鏡に映った頬杖をついた自分の姿に、違和感を感じた。
(・・・?・・・あ!)
手だ。手に嵌めていた指輪が無くなっている。これにメイは慌て、歩いた場所を隈無く確認するが、しかし落下物は見当たらない。
『やばい、何で?いや、船に乗った時は絶対つけてた、あれ?』
厠の個室の何処を探しても無いと慌てるメイに、扉からインクラートの心配する声が聞こえる。短い籠城を諦めたメイだったが、扉を開けると彼が手にしている物に目を丸くした。
『あ、それ』、
「私は指輪です!」
[・・・・]
インクラートがメイの指輪を見つけてくれたのだ。安堵に出たため息、礼と共に手を差し出すと男は哀しそうに微笑んだ。
「とても素晴らしく、そして高価な指輪です。虹彩の入った空貴石は、王族でも簡単には手に入れられないでしょう」
高価な物と、それの説明だとは分かった。エスフォロスにはオゥストロの英雄伝と共に、指輪の希少性を散々語られたのだから。
「はい。とても大切な指輪です」
「石だけの総彫、意匠は愛を誓う月光花、それを護るように竜羽、月光花の中央には黒竜石、地金ではなく一連の空貴石。この石の名は北方ではメイフィと呼ぶのです」
「メイフィ、石の名前?」
それに少女は何かを感じて前のめりに身を傾げる。神官は指輪の意匠と石の説明を指さししながら説明していたが、終始インクラートは哀しげな表情のままだった。
「貴女の名前に擬えたのでしょう。彼は家柄が低いので、代々続く宝飾が無いことは想像出来ますが、オゥストロが女性にこんな忠実なことをするとは思いませんでした。正にこれは貴女と彼だけの指輪」
『・・・石の名前?、メイフィ?、』
言葉の全ては分からないが、美しい指輪の色はオゥストロの髪の雰囲気と黒い眼を思い出させる。そしてその石の名がメイフィだという事にメイは頬を赤く染めた。
『照れる』、
「ありがとうございます」
説明の礼も付け加え再びインクラートに手を差し出したが、指輪を渡す気配が無い。更に何故か神官は頷きながら微笑んだ。
「こんな物に、欺されてはいけません。人を惑わす容姿を持ったオゥストロは、恋する相手に不自由はないのです」
『・・・・』
言葉は拙いが聞き取りは上達している。メイはインクラートが、オゥストロの女性遍歴を語ったのだと理解した。
(分かった。分かった。イケメンズ、モテモテだって分かってる。想定内。予想通り。子供だって分かってる)
メイとオゥストロが共に居るとき、周囲からの嫉妬の悲鳴に怯えていたのだ。
(だが、それとこれとは別なのだ。指輪の返却を焦らさないでほしい)
同じように頷きながら差し出されたのは小さな手の平。それに首を横に振り否定を示した神官は、最後に一つ深く頷いた。
「なのでこれは海へ捨てましょう」
言葉にこくりと頷くメイ。だが受け取った言葉と笑顔の違和感に振り子を止める。
(あれ?今〔捨てる〕ってワードが聞こえた?)
「分かってくれましたか」、
[我が天の神子姫]
(・・・ミス・メアリ?アイアム・ノー・メアリ?)
メイの了承にインクラートも歓喜に頷き微笑み合う二人。すると突然インクラートは、何事かを外に話すと扉が外側から大きく開かれた。
(待って、ミスったメアリーじゃなくて、マズイ。絶対、マズイ。絶対捨てるってきこえた、)
メイは目の前の神官の、尋常ではない自己中心的な行動力を理解している。
(このタイプ、否定の意見は耳には入らないタイプ。だけどあれ、私が初めてもらった指輪!)、
「私が!!」
背後から強く出た声に、インクラートは振り返った。
「私が捨てます!」
これに神官は大仰に賛成を頷いた。間を置かずに風除けをメイに被せると、少女を船室から連れ出し風が冷たい甲板に向かう。
(待って待って、)
そこには十数人の男達が列を成し、メイに頭をたれている。二列の中央へ共に歩くインクラートに先を促されると、直ぐに甲板の淵にたどり着いた。出港前、見渡す限りの黒い海。波は穏やかだが、この中に小さな指輪を放り込めば、二度と再び出会える事は無いだろう。
「こちらを」
『・・・・』
息を詰めて見つめた蠢く暗闇。そこで漸く、手の平に大切な指輪が戻ってきた。
「さあ、彼との繋がりを断ち切るのです」
引き結んだ唇。メイはインクラートに頷くと、それを大きく黒い海へ振りかぶる。
[おお、]
喜びに呻いた神官、居並ぶ男たちを背に少女の腕は完全に海へ振り切った。
[[[・・・・]]]
『・・・・』
見守っていた周囲の男達は、振り切った少女の腕を見た後に横に立つインクラートの顔を見た。その神官はメイの振り抜いた手を無表情に見つめている。
「巫女様」
『・・・・』
甲板を吹き抜ける冷たい風に、インクラートの冷たい声色が重なりそれはメイに突き刺さる。
(バレたのか?)
少女は腕を大きく波へ振り抜いたのだが、小さな手の平は硬く握られたままなのは誰の目から見ても明らかだった。
[・・・・]
『・・・・』
片方の眉を上げ、見上げるメイに見下ろすインクラート。それを見つめる者たちは息をゴクリと飲み込んだ。
ーーたっ!
神官の腕が少女に届く前に、メイは縁から下りて走り出す。突然の巫女の奇異な行動に、列を成していた男達も逡巡したが少女の足は冗談のように遅かった。そして逃げ場無く直ぐに操舵室の壁に行き当たると、インクラートの数歩で簡単に追い詰められる。
『っ、はぁ、はぁっ、はぁ、はぁ、』
取り囲む男達を見上げる巫女の黒い瞳は、周囲を睨みつけている。しかし追い詰められた小動物の様に凄みは一切無い。ゆったりと歩み寄る神官は、困った子供を叱るように少女を見下ろし手を差し出した。穏やかな笑顔に、有無を言わさない威圧的な空気。
『はぁ、はぁ、・・・、』
(どうする!私!絶対絶命!)
だが易々と大切な指輪を渡す訳にはいかない。メイは男の手から背を向けると、巫女装束の胸元におもむろに手を突っ込んだ。そしてくるりと神官を振り返る。
「どうしましたか?さあ、躊躇いがあるのであれば、私が代わりに行いましょう」
優しい脅迫に小さな少女は首を横に振る。つり目の黒目は大きな神官を見上げると、毅然と言い放った。
「私は捨てません。指輪は大切。とても大切」
インクラートはメイの宣言に困った表情を貼り付けたまま、強く手を差し出した。男たちに取り囲まれ、威圧的に突き付けられた手の平。それと独りで戦う少女は、自分の胸元に指を当てる。
『取れるものなら取ってみて。指輪はここだから』
[ユビワワ・・・、]
聞き慣れないが、どこかで聞いたことのある音の言葉。男たちは戸惑い、虚勢を張る少女を見下ろす神官は自分への拒絶の抵抗に瞠目した。
(胸の谷間。背中肉を寄せて上げればシーカップ。私の中では立派な巨乳。だけど神に仕える神官と言うのならば、人前で女性の谷間に不躾にも手を入れることが出来るのだろうか?・・・異世界の文化は、分からないけど、でも、)
ーーヤメテ。
[・・・・・・・・、]
インクラートは、指輪を庇って小さな巫女の少女が自分を威嚇して胸を張る、その姿にオゥストロを重ね見て歯噛みをした。精一杯に虚勢を張り、口を引き結び細い両足は震えて、少しつり気味の大きな黒目からは今にも涙がこぼれ落ちそうである。
[大神官様、]
その様子を見ていた周りの兵士達が、小さな少女を追い詰めたインクラートを訝しむ。天の巫女は自らの意思で、望んで北方大陸に到着しなくてはならないのだ。エスクランザ国に祝福を授けるために。
(けして、不本意に攫われて来たのではない、)
インクラートは暗闇を笑顔で隠し、少女から一歩身を引いた。
**
[巫女様、*****]
囲みから進み出てきた一人の男は年若い。短い丈の下衣に法衣の外套を羽織る少年神官だ。腰には細い帯剣に、矢羽が筒から見えている。
『・・・・、』
「お寒いでしょう、さあ、船内へ」
促される船室。遠離るインクラートの姿にメイは作戦の成功を確信した。
(南国アジア風は、私から指輪を奪う事を諦めたようだ。・・・よかった・・・はぁ、)
虚勢を張った胸、この世界に落とされてから初めての孤独。何処を探しても、メイと約束を交わした青い塊はここにはいない。
その存在の大きさに今さら気が付いた。
『・・・・』
少女は自分の身体を支配する魔物、自分を助けてくれた怪我人の恩人の安否、そして指輪の贈り主を思い出しながら、それを大切に隠した胸元を震える手で握り締めた。
***
ーーーガーランド国、城下街。
オルディオールの推薦により引き出されたアピーは、思い人である〔黒い人〕に焦点を当て、それを全力で探し出す。少女の上空にはフエルに騎乗したエスフォロスがそれを追尾しながら、攫われた巫女、不審な者達の探索をしているのだ。
神官インクラートは姿を消した。エスフォロスの懸念、だだの気になる予感は的中だったのだ。
(注視はしたが、天教院での祈祷、奉仕活動での住民への巫女の顔見せに、笑顔で同行していたインクラート。やはり気のせいだったかと思った自分が甘かった)
硝子杯を落とした給仕の青年の目撃した、夜会の場に現れた珍しい神官。それがインクラートだという証拠は無いが、姿を暗ましたことに彼への疑念は深まったのだ。だが逼迫した状況の中、行方の知れない神官を追うよりも、明確な足跡が今はある。
「きゃん!」
〈フエル、右方向!〉
メイの失踪に確実に関わるファルドの兵士の行方を、アピーは分かると言った。
ヴァルヴォアールの命令で、遥々敵地へ潜入し危険な任務を遂行しようとしている男。潜入者の名はエスク・ユベルヴァール。ファルド騎士団としては珍しく片親が庶民出身の男は、南方の血を引くという。要は奴隷としていた者との混血なのだ。未だに南方の者を奴隷と言ってのさばる国が、彼を生粋の貴族の集まりである第一師団へ入団させたことは、ガーランド竜王国でもちょっとした話題に上ったことがある。
奴隷の解放と保護を宣言したが、それはまだ発展途上のファルド国で才能を引き抜かれ第一師団へ入団したエスクは、人権派への貴族院側の演出だと揶揄されていた。
(しかし、現状エスクの名前は要注意人物としてガーランド国軍でも名が知れている。これは敵ではあるが誉れな事だ)
「わんわん!」
〈市場通りを左迂回・・・、この方向は、〉
アピーは大きな耳を世話しなく四方へ動かし、宙の匂いを嗅ぐ。その肩には飾りのように青い玉が乗っていた。飛竜に乗っての追跡を勧めたが、アピーは嫌だと頑なだったのだ。地上を走る少女は遅いが、確実に迷い無く一方向へ進んでいる。上空からその先にある物をエスフォロスが目にすると、併走してきた飛竜が伝令を叫んだ。
〈報告します!港から、出港許可の出ていない船が、強行出港したとのことです!識別、北方要人専用船フライング・ダッチマン〉
〈インクラートだ!〉
エスフォロスは地上を走る少女よりも先に、遠く海原に浮かぶまだ目に見える船へ向かって速度を上げた。フエルは疾風を切り、エスフォロスの逸る気持ちと変わらない速度で船を目指す。
目視で北方の紋章を捉え眼下に甲板が見えた。そして寄り集まる船員の中に、目的の小さな白い花を発見する。
〈いたぞ、メイだ!行け!〉
甲板をふわふわと移動する、それを捉えようとフエルが甲板に滑空したところで、音速に掠めた物がエスフォロスの頬に熱を落とす。
〈何!?〉
過ぎ去った物は矢羽。エスフォロスは攻撃を受けたのだ。それを皮切りにガーランド竜王国の竜騎士が、同盟国エスクランザの船上から次々に弓矢を放たれる。
[巫女様をお護りしろ!]
流れすぎる羽音を躱しながら、エスフォロスはフエルに常備してある弓を素早く組み立てると、警告に集う男達の足元に一矢を放った。
ーーズダンッ!
〈停船しろ!!私は第三の砦、竜騎隊エスフォロスである!〉
エスクランザ国が飛竜に弓矢を放つこと自体あり得ないが、エスフォロスは名乗りを上げて警告を続ける。しかし神官騎士からの弓矢は止まらず、船の周囲を飛ぶフエルへ弓矢は向けられる。その中に、エスフォロスは馴染みのある顔を見つけた。
〈インクラート!!貴様!!ガーランドへ弓を引いたか!!〉
怒りと共に叫んだエスフォロスに、神官は応えず巫女を連れて船内に消えた。
ーー〈ギャ!〉
〈フエル!!〉
一矢がフエルの首を掠めて飛竜は体勢を崩す。更に二撃目が羽を貫き失速した。
〈ヴォウッ!!、天弓騎士か!?〉
的確な射撃はエスクランザ国の精鋭。続く雨の様に降り注いだ矢を躱し、射程範囲から大きく距離を置く。
〈飛竜の嫌う弓兵を、インクラートは護衛として多数乗船させていた、〉
それにより、既に何を敵としているかの証明には十分なのだ。エスフォロスは行き先を変えない白い船を、上空からただ見下ろした。
青い星に照らされた、黒い海に浮かぶ白い船。少女は敵国となった、嘗ての同盟国へ連れ去られてしまった。




