20 盲点 20
〈見慣れない男二名、猫と犬の売買の話に聞こえたんだけど、巫女様を探っていた話は確実さ〉
〈猫と犬、ね。二人の男、顔は?〉
城下街の一角は旅人の為の飲食店が軒を連ねる。その一軒、角羊亭の女店主は国内の間諜、木鼠の一人だ。外套を深く被った男の問い掛けに小声で返し頷いた店主は、数枚の硬貨を渡されると路地裏に消えていった。
〈たしか帝国の有名人の中には、黒猫と呼ばれる騎士がいたな〉
**
オゥストロに続き、砦の竜騎士が次々に国境線へ飛び立つ中、エスフォロスは攫われた巫女の捜索に城内を奔走する。
だが直ぐに行き詰まり、衛兵に捕らえられていた給仕の男を再度詰問するが、やはり何も出て来ない。彼は誰に頼まれる事も無く、ただ忠実に職務をこなし空いた硝子杯を片付けただけなのだ。給仕は身に覚えの無い疑いに怯えるが、稀なる巫女少女の誘拐に、彼なりにその刻の記憶を思い返していた。
〈そういえば、一つ気になる事と言えば、〉
衛兵に囲まれてエスフォロスに見下ろされた給仕の青年は、鋭い目付きの彼らを見上げて震えたが、なんとか言葉を絞り出す。
〈い、意外な方を見ました〉
〈意外?誰だ?〉
〈はい、あの、あまり夜会では見た事がないので、それで、〉
〈だから、誰だと言っている?〉
「・・・・、」
ーーペタン、ペタン。
エスフォロスは要領を得ない給仕の男を睨みつけ、肝心の目的の人物の特徴を急かす。だがその間にも、視界の端には先程から気の抜けた光景が映っており、それにより内心の苛つきが増幅していった。
〈はい!あの、その、神官様が、会場に、〉
〈神官?〉
〈はい!硝子杯を落とした大広間で、神官様の長衣の裾を見た気がしたのですが、〉
曖昧な表現に見下ろした衛兵達は訝しむが、エスフォロスは共に王都へ訪れたインクラートを思い出していた。
(朝方に天教院で会ってから、姿を見ていない。あれだけメイに執着していたが、王への謁見の場に現れないのも違和感がある)
ーーペタン、ペタン。
「玉さん、やめて。髪の毛乱れちゃう」
視界の端の苛つきがようやく終わる。苛立ちの要因、エスフォロスの詰問中に精霊オルディオールがアピーの頭の上で一定の間で跳ね続けていたのだ。
(もっと、早く言ってくれ。)
よくよく考えると、青い玉はオゥストロが飛び立った直後からアピーの頭で跳ねていた。気が小さく気の長いアピーの拒絶がようやく出た事により、この場の緊張感の緩和は終了する。
ーーペタン、ペタン。
〈ウォル?、〉
だがしかし、精霊の弾みは止まらなかった。給仕の青年への尋問という緊迫した空気の中、共に巫女を探す周囲の兵士達もその違和感に苛々と気が散り出している。
ーーペタン、テンテンテンテン!
「玉さん、やめて、やめてよぉ!、みんなにらんでる!アピーがにらまれてる!」
ーーテンテンテン!!テン!!
〈いい加減に(お前が気付け!!愚鈍めが!!!)
怒りと共にアピーへ詰めよったエスフォロスへ、同じくエスフォロスへ体当たりしたオルディオールは、怒りに開いた大口に飛び込んだ。
(あ、うぉっ!!!)
〈うぐあっ!ペッ!〉
ぺしゃりと吐き出されて憐れに床に広がった青いものは、くるくると丸まり球体になる。
(・・・・・・・・、危なかった、)
〈エスフォロス、遊ぶなよ、〉
〈遊んでいない。この玉が、〉
だが竜騎士たちを見上げたオルディオールは彼らが横目で気にかける中、アピーの頭に乗ると再び弾み出した。
〈何なんだ!!!〉
〈おい、いい加減に、〉
〈エスフォロス、この方は精霊なのだろう?その少女に言いたい事があるんじゃないか?〉
殺気立つ男たち、だが冷静に外野から見ていた呆れ顔の衛兵からの一言に、怒りで我を忘れていたエスフォロスはそれに気付いてアピーを見た。
「!!・・・、」
〈・・・アピー?〉
目が合った瞬間、少女はエスフォロスからやましく目を逸らした。更に一歩近寄ると、柔らかく大きな獣の耳がへたりと下がる。不審な行動を問い詰めると、獣人の少女は隠していた内容を謝りながら白状した。
「黒い人?」
「でもね、黒い人は悪い人じゃないの、あのね、その人がお仕事してる所のえらい人がね、すごく駄目な人で、ミギノをねらってるの、だからね、黒い人は大丈夫・・・、」
〈・・・・・・・・〉
アピーの言い訳。それはファルド国からヴァルヴォアールの命で少女メイを追う、ある兵士の接近だった。
******
神という名の求心力には、たまに疑問が湧く。
ワールドワイドなニュース、政治、戦争と様々な事に〔その名〕が使われるが〔その名〕を使わなければどれ程の人は集まるのだろうか。
「この指、とーまれ!」
神の名の下に計る集客率。
それを使わない集客率。
はたして、そのシェアは何パーセントの集客率?
だって、神様に救われたくて集うのに〔その名〕を使った結局はただの人間に左右されて、その個人の意見にどうこうされるなんて、なんか私だったら悲しすぎる。
現実は神の名は後付けで、真実と現状の辛さとの戦いに差し伸べられる救いの手なのだろう。
だが季節企業戦略に踊らされて、盆暮れ正月・メリクリハロインなどと無宗教だと揶揄されヒネタ訳ではないのだが、少し気になってしまったのだ。
真実に神に救いを求めたのに、最終的には金目的の心無い人間の手を掴んでしまった悲劇。
これはもう。
人間じゃねーよ!
神!神だせよ!
金と祈った時間返せよ!
神、返せよ!
とんだモンスター・クレーマーである。
信仰心はプライス☆レスなのである。
信者という漢字が、儲かるという漢字と同じに見える事に、昔の人のクールなセンスがキラリと光るのである。
(まさにカミッテル・・・。カミッテル、カミテル?、これも使い方が違うのか?)
情報番組にたまに取りあげられていたカミッテル。だが私の中のカミッテル使用方法と、情報番組での使用方法は微妙に違った事を思い出す。カミッテルの用法用量が分からないのである。
何故に今、カミッテル?
(生きている、私、生きている)
色とりどりの宝石の様なお菓子を堪能中、突然、喉をぐっとやられて、息がひっとなって、目の前が暗くなった。
後悔は、好きなものを後に食べる私。
とっておきのチョコトリュフ擬きを食べられなかったのだ。
ショック。
だがそんな馬鹿げた後悔など、どうでもいい。現状、私は攫われたのだ。ぷるりんに意地悪をした、私に神は罰を与えたのか。猫がコップに顔を突っ込んだ動画のように、少し形が変わったぷるりんを、ほくそ笑んだ罰が当たったのか?
目を開けると、私を見下ろして笑う南国アジア風が居た。彼の職業は神官。神に使える使者なのだ。そして、口は笑っているが、目は怖い。むしろ何かに怒っている。神官は神の御業でぷるりんを陥れた私の非道を見抜き、忌まわしきヴァルヴォアール召喚術に続く説教という新技で、私を懲らしめようと言うのだろうか?
もしくは・・・。
(まさかトイレ掃除?そこまでご立腹?)
その他に、この人との接点が無い私。出会い頭に跪いて求婚されて、断ったことを根に持って・・・なんて事はあり得ない。南国アジア風が私に初対面で求婚したなどの発想は、私のただの妄想だと理解出来ている。
初対面妄想求婚。
おトイレ掃除ミステイク。
拝まれるだけ巫女職人。
(南国アジア風神官、その他に?どこかで彼に粗相した?私?)
怖い。理解不能。盲信的に何かを信じると、他人の事情を思いやれずにこうなるのだろうか?
私の信じているものが、絶・対・善。
〔その名〕を盾におすすめするのは結構だが、〔その名〕を使用したところで、この絶・対・悪の現実の解釈は変わらない。神に仕えるこいつは、自己処理で何かを正当化して卑怯にも私を攫ったのだ。
自己肯定、自己承認欲求。
他人の意見は丸で無視。
目の前にいる見えない神様に、何かを承認されている。
(ある意味、無敵。)
だが、調和を重んじる社会性はゼロ。
追いつめられるほど、理不尽に怒りを増幅。
(握られている手が痛い、)
有無を言わさず私を引っ張る神官は、大きな船に近づいて行く。夜の海、波は穏やか、雲の切れ間から今日も青い星はきれい。
『あ、あれ?』
船着場、港の奥、水の中、悠然と立つあれは。
『鳥居だ!』
そう、あれは我が国のとある地方、白球に集う赤い群衆、そして西の粉ものと輩弁の論争を子々孫々と繰り広げる者達の、街のシンボルマーク。
(それの白いバージョン!大きな鳥居、白い!)
郷愁は沸き起こるが、目の前にある船には乗ってはいけない気がする。
何故って?なんだか怖いからだ!
後悔。
何故、ぷるりんに意地悪をしたのだ私!
無駄な抵抗に腰を引くが、笑顔の神官に引きずられ私は船に、乗せられてしまった。
***
ーーーガーランド国境線、第三の砦。
爆風と共に窓から飛び出したアラフィアは、滑空してきた竜騎隊に拾われた。
〈ご無事で!副隊長!〉
〈いや、壁に腕をやられた。左に力が入らん。私のスロートは飛んでいるか?〉
〈はい、上です〉
見上げると、上空で整列し陣を組む隊列の更に上空、乗り手のいない飛竜が無数に空を漂っている。アラフィアはその中に相棒のスロートを見つけたが、笛で呼ばずに自分を地上へ降ろせと言った。
〈無茶です!このまま飛竜戦へ!〉
〈いや、まだ奴は隊舎の中に居る。お前達は目標が出て来るまで上空待機だ〉
〈アラフィア!〉
羽ばたきと共にストラが現れた。偉丈夫は見下ろしたこの場の最高指揮官が飛竜に騎乗していないことに、崩れ落ちた外壁に目を眇める。
〈オゥストロ隊長に連絡が通った。一刻の内には戻るだろう〉
頷いたアラフィアは、再びの魔石の爆発音を聞き渡り廊下に血だらけの魔物を発見した。近くの見張り台へ飛び移り、正面入り口へ移動する者を仕留める為に走り続ける。
動ける兵と合流し、次々に攻撃を仕掛けるが一進一退を繰り返していた。傍に寄れば無軌道に素早く動き、反撃は致命傷となる。弓矢は魔物の背中一面に放たれているが、鏃は残されたまま動くことに邪魔になる矢は無造作に引き抜かれてそのままだ。素早く動いた魔物の身体から臓腑の一部が落ちた時、周囲の兵から怯懦の苦鳴が漏れた。
〈何をしても動いているな、〉
〈はい、そして反応速度も攻撃速度も変わらない〉
〈・・・・・・・・、〉
怯懦、恐怖は戦意と戦力を削ぐことになる。これは恐ろしい戦略だ。不気味な敵に対してアラフィアに怯懦は無かったが、疲弊と進捗の悪さに内心は一刻を待ち焦がれた。
(長い、)
通常であれば、砦から王都まではどんなに急いでも二刻を要する。それを一刻で戻ると言ったがそれさえも遅く感じる。
(隊長なら、どうする?、隊長なら、屋外へ出て竜騎戦を初めから指示しただろうか、)
大将の迷いは伝染する。
それは直ぐに形になり、拮抗していた陣形の一角が崩されて、魔物は手の届く範囲、逃げ腰の兵士を殺し始めた。
〈ぐあああっ、〉
〈副隊長!〉
ーー〈止めろ!!!〉
間合いも取らずに背後から槍で斬り込むが、魔物はどの方向からでも反応し反撃してくるのだ。アラフィアは不様に蹴り飛ばされて、硬い机に強かに叩きつけられる。頭を打ち付け目眩にふらつき顔を上げると、目の前に血だらけのそれは立っていた。
〈・・・っ!、〉
右手にはアラフィアが取り落とした槍を持っている。それは大きく振りかぶり、耳の奥では誰かが自分の名前を呼ぶ叫び声が聞こえた気がした。
ーーード、ーーガアン!!!
〈っ!?、〉
衝撃と共に粉塵が舞い上がる。散乱した硬い机が長大な槍に貫かれ、それは石の床に突き刺さった。
(黒い槍?、隊長オゥストロの長槍!?)
上空、外から叩き込まれた槍の衝撃で、窓と壁には大きな穴が空き木枠がむき出しになっている。
〈隊長だ!!!〉
〈ドーライアだ!ドーライアが飛んでるぞ!〉
〈オゥストロ隊長!!〉
悲鳴の様な歓声が上がり、アラフィアは上空、黒い飛竜に立って騎乗するオゥストロを見上げた。安堵と共に肺から息が抜けた、だが。
「何やってるの!?」
歓声に紛れたが違和感のある強い声が耳を打つ。振り返ると、粉塵の中に血だらけのものは立っていた。
〈なんだ、あれは、〉
その身体は、今は肩から胸におそらく穴が空いている。千切れた衣服と血によってよく見えないのだが、これに今度は兵から盛大な苦鳴が上がった。
〈何故、立っているんだ?〉
〈ま、魔物だ、〉
「ねえ、何処に居るの?」
アラフィアは恐怖の対象より、声の主、異国語の男を目で追った。少し離れた壊れた扉の前に、存在を忘れていた問題の美しい囚人が立っている。おそらく麻酔が切れて逃げ出したのだろう。だがこの現状にそれは重要ではない。既に正常な判断が鈍ついているアラフィアは、エルヴィーが何故逃げずにここに居るのかも分からなかった。
「あれ、黒い竜が来たってことは、ミギノが帰って来たんでしょう?何処に居るの?」
(またそれか。そんな事はどうでもいい。それより今は、あいつだ、)
ここには居ない、小さな少女を男は常に探す。アラフィアは立ち上がると、重く動かない左手を思い出し、魔物が落とした自分の槍を取り戻した。
「知らん。居るとしても、そいつが居るから降りて来れないだろ」
「!」
その言葉にエルヴィーは、今は人の形から遠くなった貴族の青年を見た。動く度に何かが落ちる音がするが、魔物は落ちていた剣を拾い上げると手の平に魔石が無いことを確認し、それを探すのに下を向いている。
「ここだよ」
オゥストロの投擲によって飛ばされた折に、魔石は弾け飛んでいた。それを拾った者はエルヴィーである。
〈お前!〉
アラフィアは驚愕と怒声を上げたが、何故かエルヴィーは魔物に向かって魔石の攻撃を撃ち込んでいた。辺りに石壁を崩す衝撃音が響き渡り、身を屈めたアラフィアと爆風に吹き飛ばされた兵士達は新たな粉塵へ目を凝らす。
砕ける破片、上階が爆発により吹き抜けになり、剥き出しの大きな石の破片が今にも落ちそうだ。その中、粉塵と落下物に目をこらす。
〈ほう、これはどうなっているのだ?〉
〈!?〉
至近距離で聞こえた聞き慣れた低い男の声に、アラフィアは隣を見た。そこには壊れた窓から飛び移った、オゥストロが立っている。彼の視線の先に目をやると粉塵の中、影に左肩が見えた。
〈・・・ッイ、!、〉
喉から絞り出たものを、アラフィアは何とか飲み下した。部下の前で不様に叫ぶことはしたくない。だが目の前には、左肩より上が無い何かが立っていた。
頭部から右脇腹にかけて、魔物の身体は無くなっている。なのに倒れずに立ったまま、そしてそれはぐらりと動いてこちらに向かって走り出した。
〈ひっ!うわあああ!〉
腰を抜かした兵士に、頭は無いのに変わらない速さで走り寄り、左手を振り上げたところでアラフィアが間に入ってそれを止めた。
〈っ、ぐ、!〉
残ったのは左腕だけ、だが力は凄まじい。それを槍の柄で押すが逆に押し返されている。至近距離、人の形が残った魔物との戦いは初めてである。
(これなら、獣や異形の方が、まだ数倍ましだ、いや、目の前のこいつに、集中しなければ、)
恐怖に思考を向けずに、ただ背後の部下、倒れる兵士を助ける事だけに集中する。そのアラフィアに、またもこの場に不釣り合いな問いが掛かった。
「ミギノは何処なの?」
(・・・・この野郎。その台詞を聞くことは、もはや精神的に苦痛だぜ、)
アラフィアは意外と傍に立っているエルヴィーを睨みつけると「魔物にメイをくれてやるつもりか貴様!!」と怒鳴りつけた。それにエルヴィーは即座に首を横に振るが、軽く頷いたのはアラフィアではなくオゥストロだった。
「巫女を拐かした大聖堂院の離反者か。玉狩りというのは、そこの魔戦士の出来損ないらしいな」
魔戦士という言葉に、アラフィアは目を見はる。オゥストロの言葉にエルヴィーは無表情の顔を向けると、それに素直に頷いた。
「そうだよ、僕はこうはなれないから失敗なんだ。でもいいよ。もうミギノが居るからね。・・・で、いつまでやるの?何かの実験なの?」
何の事かとアラフィアは、槍で力任せに弾き飛ばした魔物を見据えながら、間の抜けた質問を繰り返すエルヴィーへ再度怒鳴った。
〈巫山戯んな!!命かけてんだよ!バカヤロウ!!!〉
しかしガーランド語が分からないエルヴィーは、変わらず無表情のままだったが、状況を分析して少女ミギノに早く会うために答えを言った。
「早く動かなくすればいいのに」
「もう既に通常動ける状態じゃねーんだよ!バカヤロウ!!!状況をしっかり見やがれ!バカヤロウ!!!」
アラフィアの至近距離での怒鳴り声に、エルヴィーはさすがに眉間に皺を寄せるが、それにオゥストロは気がついた。
「足か、足を切り落とすのか」
アラフィアと取り囲む兵達は訝しむが、エルヴィーはそれに付け足した。
「手もだよ。そしてルルが出るまで焼くんだ」
「焼く?あいつは火に弱いのか?」
「弱くはないよ。ある程度は動き回るから、手足を先に落とすんだ。火事になるからね。じっくり灰になるまで焼き込んで、身体からルルを出すと動かなくなるんだ」
「どの程度焼けばいいんだ?」
続く質問、その間にも魔物は的確に兵士達に襲いかかる。頭が無いのに見えているように、その俊敏さは変わらない。逃げ腰に魔戦士を逃がし続ける兵士たちに、エルヴィーは少女と会えない苛立ちを募らせていく。
「分かった。僕が捕まえる。ただ、手伝ってよ。一人じゃ無理だからね」
「お前が?出来損ないが役に立つのか?」
本気で驚いたオゥストロに、エルヴィーは表情を変えないまま頷く。
「初めだけだ。後は頼むよ。僕は魔素がもう無いから魔石は使えないからね」
散乱した床に落ちていた剣を拾い上げると、エルヴィーはオゥストロを振り返り確認した。そして若い兵士の頭を掴まえた首の無い魔物の背後に気配無く走り寄ると、エルヴィーの振りかぶった長剣は魔物の残る左肩を切り落とす。無くなった腕に漸く気付いた魔物は、振り向き様にエルヴィーを蹴り飛ばした。だが、続いたオゥストロが蹴り上げた魔物の足を素早く切り落とす。次に流れるように身体を支えた残りの一本も跳ね飛ばされた。
ズシャリ、胴体の落ちる音だけが重く響く。今度こそ、地に落ちたものは動かなくなった。
〈・・・これで?、〉
余りにも呆気なく全てが終わった。瓦礫に転がる肉塊。それを見たアラフィアを始め兵士達は、本当に安堵のため息をはき出す事が出来たのだった。
***
ーーーガーランド国、白結界港。
第三の砦、隊長オゥストロはインクラートにとって許されざる事をした。
それは聖なる巫女を、ガーランド国の因習、下らない決闘で闘わせた事だ。しかも自身の婚約をかけた、実に唾棄すべき理由で。
それをインクラートが知ったのは、既に全てが終わった後だった。当日に噂で知ったのである。
「ガーランド国と我が国、北方エスクランザ。国交はありますがそれは力関係によるもので、海を渡って飛竜で強襲されればひとたまりも無いのです」
まだ出港準備の船の中、広い船内の一室にお茶を用意されたメイは、為す術無く穏やかな表情の神官の話を聞いている。
「私達、神官は人質なのです。ガーランド国に故郷を人質に取られ、故郷であるエスクランザ国に家族を人質として取られる。神官は脅されて他国に留め置かれるのです」
『・・・・・・・・』
メイは馴染みのある平坦な顔付きを見ていたが、その表情の変化に気付き、気を逸らす為に出されたお茶を手にした。インクラートの表情は、隠しきれない怒りに溢れている。そして突然、湯飲み碗を手にしたその手を上から包まれた。メイは驚いて身を硬くするが、咄嗟に引いた両手を強く握られた。
ーー逃がさない。
真剣な瞳はメイを真正面から見つめて語りかける。
「巫女であれば神官へ、神官であれば巫女へ、貴方達、天上の方はガーランド国ではなく、我が国エスクランザで血を結び、共に天へ帰るのです」
『・・・・、』
握られたく手は熱く、そして力強いまま。
(怖い。やばい。本気でマズイ。気の利いた妄想も出て来ない。ただ確実に言える事は、早急にこの場から逃げなくてはならない。そしてこの場に於いて、今私に使える魔法の言葉はただ一つ)
「お手洗い、お手洗い」
不自然に微笑んだメイは同意を誘導するために何度も頷く。そしてやんわりと握られた手を外し、自然に立ち上がると船室外への扉に向かった。
「お手洗いは、そこの扉ですよ」
『え、?、・・・・・・・・』
高級なエスクランザ国の船には、個室にトイレが付属されている。メイの唯一渾身の抵抗は無に帰した。




