12 目撃 12
シファルの屋敷塀を覗き込んでいた怪しい男は捕らえられ、本来、会うことも叶わない屋敷の当主の前に引き出された。厳つい風貌の破落戸に連れられて来た中年を過ぎた男は、くたびれた風貌で、力無く当主シファルの前で項垂れている。
「グライド・ラルドハート?」
聞き慣れない名前、考える様に問いかけた破落戸の当主に、震える男は下を向いたまま答える。
「はい。うちの、ラルドハートのばあさんが、あ、うちはただの親戚なんですが、あの、ハーメイラばあさん、黒蛇の情婦の所で働いてたんで、貰い手もいなくって、うちで面倒みて…」
要らぬ情報と不愉快な黒蛇に、男を連れてきた破落戸から咳払いが聞こえ、慌てて中年の男は口ごもる。それにシファルは目をやると、怯える男を連れてきた部下に先を促した。
「それが、この男の話が少し気になりまして。二十年ほど前に王都で起きた事件なのですが、大聖堂院の聖導士が何もしていない女を無礼打ちした話です」
その内容には覚えがある。シファルの頷きに男は話を続ける。
「その殺された女は、魔戦士を見て兄だと叫んだそうなのです。周囲で目撃していた者も、魔戦士を目にする事が珍しく、それで二十年前の事を覚えていました」
「ああ。大聖堂院の恐ろしさを、身に感じる事件だったそうだな」
「はい。そして二件目は十年ほど前。今度はファルドの娼館で下働きをする女が、玉狩りりを見て息子だと言い張った事がありました。これも玉狩りが珍しく、長く娼館で記憶に残ったそうです。共通する事は数字持ち以外にも。両者はトライド王国の出身者です」
沈黙が落ちた間に、下を俯く男が意を決して顔を上げた。
「俺、ハーメイラばあさんには、子供の時から世話になってて、母親みたいなもんなんです! その、弟だって言い張る奴に、一目会わせてやりたくて、」
破落戸に囲まれ、震える拳を握り締めた中年の男を、シファルは改めて見下ろした。
「その会わせたい男が、この屋敷の中に入ったのだな?」
男は、強く何度も頷く。
「はい! 俺、子供ん頃に、グライド兄さんには何度も会った事があって、ハーメイラばあさんと同じ、凄い奇麗な顔してて、ここに来たあの人、そっくりというか、もう、本人そのもので、」
男の言うグライド・ラルドハートは姉に性格は似ず気の弱い青年だった。だが、姉のハーメイラと同様に、幼少期の男にとても優しく接してくれた。
「その男はソーラウドが連れて来た男です」
「玉狩りりの、エルヴィーか」
******
(何でこんな事になったんだ…)
アラフィアは、決闘が開催される闘技場で上官のオゥストロの隣に立つ。客席には非番の兵士が隣を陣取り、その視線は中央の二人の女に向けられていた。
この四年間、オゥストロを賭けたハミアの娘との婚約決闘は無かった。なのでもちろん、アラフィアが副隊長になった三年間はその行事は行われていない。
アラフィアは、ハミアの娘もオゥストロの熱狂的な支援者の一人としか考えていなかった。
(なのに何故…)
砦の屋内運動場となる、そう広くはない対決の場は、今は兵士達と来客の熱気で溢れている。
〈ファルネイアー! そんな子供、一撃よ!〉
〈手加減してあげてー〉
黒髪の小さな少女を笑う者たち、観客の殆どは特別に招待されたハミア家の支援者である。アラフィアの管理している少女メイの支援者は、オゥストロとアラフィア、エスフォロス、そして何故かメイの早朝訓練に付き合っている四、五人のみだ。戸口にアピーと黒猫が待機しているが、彼らは周囲に怯えて中に入って来ない。
〈……いいのか、これは〉
立会人のオゥストロの隣には、王都から招致されたエミハール・ゾルデイドが審判として場に座している。齢六十を超える大物大臣が、何故婚約をかけた決闘の審判としてここにいるのかその意味はアラフィアには分からない。
(通常であれば、王都から招致されるのは上級貴族ではあるが、中年で閑職についた者が殆どだというのに、何故よりによって、剣聖大臣が…)
重鎮のエミハールの背後には、第三の砦では見たことの無い上級護衛官が控えていた。
(なんの準備もお迎えもせずに、あの方はあそこに座らせて大丈夫なのか? その準備は、まさか私の仕事だったのか?)
状況に青ざめるアラフィアだが、その中、まるで最新闘技服のお披露目の様に登場したハミアの娘ファルネィアに、彼女の引き連れてきた支援者や信奉者からの熱い声援が飛んだ。一方、アラフィアの急きょ誂えたメイの衣装は、又もや同僚の子供が両親に憧れて特注した、ガーランド竜王国騎士の式典用制服の子供用である。
〈メイ、制服間に合ったんだな〉
〈クラーチェの息子の物だが、なんとかな。袖と裾丈を詰めるだけですんだ〉
〈…クラーチェの息子? たしか、学童場に入ったばかりのか? ……あの子より小さいのか……〉
〈それよりも、決闘に使用するようなものではないんだよ。あの服は〉
子供が親にお強請りした衣服。それはもちろん年の変わり目の〔天月の起祭〕に着る祝祭用の礼服なのだ。生地はペラペラの防御に適した物では無い。
〈……そもそも本気で決闘なんかするのか?ファルネイアっていえば、あまり善い噂は聞かないんだが〉
決闘の事は一切聞かずに、隊長オゥストロからメイの軍服を急きょ用意出来るかと問われ、なんの遊びかと訝しんだが使用目的はこれだった。
〈尋問隊の奴らは黙ってるけど、メイはなんだか一目置かれてるんだよな〉
〈……確かに。ストラ殿やセンディオラ殿も、メイを警戒しているようだったが〉
止めるアラフィアに、問題ないと了承したのは当の少女本人で、いつもの頼りなげな姿は無く、彼女は凛と胸を張って入場して来た。それに朝練仲間達の品のない声援が飛んだので、アラフィアは彼らに釘を刺す。ただでさえ王都で会うことも叶わない大臣が直ぐ隣に居るのだ。オゥストロの格を部下が落とすわけにはいかない。
溜め息を呑み込むと、アラフィアは隣に立つ上官を横目に確認する。オゥストロは何が楽しいのか、中央で細い剣を右手に持った少女メイを見て口の端を上げていた。
ーー〈開始!〉
**
(……)
巨人の隊員たちが、私を見てこそこそ悪口を言っている。
彼らは私の入場にブーイングをかましたが、それも一向に構わない。ギラギラとした瞳で私を睨みつけている男どもは、よく見ると朝の強化訓練の友たちだった。
(おそらく目の前の、ツインテールの熱狂的なファンなのだろう)
彼女の背後を取り囲むお気楽貴族風ファンクラブと同じ様に、私を見てブーイングをかました彼らは、隣に陣取るアラフィア姉さんに怒られた。
ーーざまあ見ろ。
ざまぁ・ざまあみろ・ざまぁみさらせ。
ざまぁ三段活用で攻撃してやりたい。
私は今、孤独でチキンなアウェー戦に一人で挑もうとしているのだ。
(絶対的不利)
ぷるりんはこの戦況を、一体どうやって乗り越えるというのだろう。ツインテールのファンクラブの人数の多さに、闘ってはいないがすでに背水の陣感は半端ではない。
野球観戦をアウェー席で見つめる疎外感。
ホームグラウンドにひしめくホームファンクラブの一体感が、アウェー選手の一発により、一斉にアウェーファンクラブに落胆という牙を向けるあの静寂に似ている。
勝っているのに、背水の陣を味わう孤高。
それが、アウェイ。
(アウェーには様々な試練がおそいかかる)
登場の際のテーマソングが無かったり、巨大スクリーンによる格好いい選手紹介も一切無い。極めつけは、うっかりアウェーで全国制覇してしまった時の、なんだか申し訳なさを含んだ胴上げだ。
(辛すぎる。悲しすぎる。一番なのに)
つい細かいところに目がいってしまう一見さんの未熟な私には、気軽に踏み込めないファンクラブ聖域があるのだろう。
そう、あの敵地での、最新音響機器に負けない声援ソングなどが、まさにその聖域である。
選手の遠征先について行き、原始的なリズムで力強くエールを贈る彼らの歌声は、ホームファンクラブの圧力にも負けはしないのだ。
実にうらやましい。
本当にうらやましい。
完全アウェーの私には、届くのはブーイングのみなのだから。
(いや、アラフィア姉さんと、その仲間達が……弟だけか。いや、弟がいる。)
エールが身内だけとは、最上級にありがたいのだが、何故かもの悲しく世知辛い。
(心が寒い。ぷるりんと入れ替わっていなければ、孤高のチキンは孤独のチキンにレベルダウンして、現地食材と共に美味しく食べられて終わるんだ……)
ーー〈開始!〉
(……)
だがしかし、始まりのゴングは鳴ったのだが、勝敗は一瞬だった。格闘技の事はよく分からない。だが、カン! と、鳴って、バキッとやってケーオー勝ちだった。そんな気がする。
(ぷるりん怖い……おじさんなのに、女の子に容赦ない……。それとも本当におばさんなの? 若い子に嫉妬しちゃったおばさんなの?)
ツインテールは悔しそうに私を睨むが、ぷるりんは冷静に闘いの感想を彼女に述べているようで、この現状に適切な言葉を私はピカンと閃いていた。
火に、油を、注ぐ。
そう、消さなければいけない物に、逆を投入してしまう、正に奇跡の天然を極めたあのフレーズだ。
(ぷるりんの天然が、起爆剤となる前に、私はこの場を後にしたいものである。あ、アピーちゃんとくろちゃん発見!)
助けて! 動物たち!
君たち無敵の可愛らしさで、この凍えた会場を暖かい空気に変えて!
もちろんそんな私の心の悲鳴は、誰にも届かないのである。
**
「……この女、確か騎士の称号なんたら講釈たれてたよな?」
少女に見下ろされたファルネィアは、愕然と膝を折ったまま冷たい石畳を見つめた。
*
「ガーランドでは知らぬ者はいない。ハミア家のファルネイアがお相手するわ」
高らかに自分の竜騎士の立場と貴族の位を宣言し、庶民には踏み入れることの出来ない領域を説明した。家格の高さと自分の竜騎士としての武勲を、目の前の貧相な少女に教えてあげた。
「あなたは見たところ、北方の者のようだけれど、この場に立っているのなら、血筋はもちろん大神官家でなければ釣り合わないわね?」
得体の知れない子供の巫女より、自分の方がオゥストロに相応しいと、この場を見ている全てに語りかけるように。
「さあ、名乗りをどうぞ、北方の御子様」
「……」
促された自己紹介に、目の前の小さな子供は持っていた剣を鞘に戻した。そしてそれを脇に置く。
「なんの真似?」
微笑み困惑顔で問うてみたが、ファルネィアはこれを少女の降参と理解していた。だがもちろん決闘を宣言した以上、オゥストロの前で愚かな少女を不様に打ちのめし、地を這うまでは許しはしない。
〈許しを請いなさい!〉
呆然と立ち竦むだけの小さな少女を、憐れな物を見る目で女神の様に微笑んだ。ファルネィアはこの日のために磨き上げられた美しい剣を斜め上に振りかぶる。
ーーギイィン!!
〈!?〉
鋭い剣先は石畳を叩くが、肩を切り裂いたはずの少女は目の前には居ない。そう思った瞬間に、肩から背中に何かが打ち落とされて膝から崩れた。
〈ぅぐがっ、はっ、はぁっ!〉
強打に呼吸がままならず、肺から抜ける音は静まり返った場内に、不様に響き続ける。
「……」
涙にむせ漸く呼吸が整い、這いつくばったまま見上げると、斬りつけたはずの貧相な少女がファルネィアを見下ろしていた。
〈何を、何をしたのだ、卑怯者、〉
石畳に降参として置かれたままの剣。打ちのめしたはずの少女に逆に涼しい瞳で見下ろされ、ファルネイアの瞳は怒りと屈辱に血走る。それを見つめた小さな少女は、呆れたように溜め息をついた。
「ガーランドでは、これで竜騎士の称号を与えるのか? 大丈夫かよ。ファルドの女騎士が見たらガッカリだな」
困惑にざわめく場内、だが場違いな少女の高い声の呟きにより空気が変わった。
ガーランド領内でこの国を貶めて、敵国ファルドを誉めたのだ。メイの身体を借りたオルディオールは、この場の全てを敵にした。
〈何を言ったのだ、あの者は、〉
〈東側に劣ると言ったのか?〉
少女に対して不穏にざわめく観客席に、エスフォロスは上官のアラフィアを振り返る。しかし再びその空気を変えたのは、審判であるこの場に置いての最高権力者。エミハールは立ち上がると、異国の巫女である少女の暴言には構わずに勝利を告げた。
〈勝者はメイ・カミナ。オゥストロ・グールドとの婚約の権利を認める〉
だがこれに意を唱えたのは、エミハールの遠い部下となる近衛騎士、負けたはずのファルネィアだった。
〈お待ち下さい! これは何かの間違いです!〉
振り返ったエミハールは、許可無く上官に意見した事により、厳罰の対象となった女騎士に抜刀した護衛官を片手で制するとその訴えを聞いた。すがるファルネイアに微笑みかけるエミハールは、孫を見る好々爺といった表情だ。
〈間違いとは?〉
〈私は不意を突かれたのです。皆様も御覧でしょう? その者は、剣を外して私の気を逸らしたのです! それに、私も……剣を持たない者に斬りつけるのは気が躊躇って…〉
言い募るファルネィアを、エミハールは穏やかな表情で見つめていたが、次に鋭く厳しい瞳を女の背後に立つ少女へ向けた。
「再戦を受けるか? 巫女殿」
「構わない。そうだな。侮ったのは悪かったな」
〈侮った、だと?〉
憮然と言った少女を睨み、ファルネィアは立ち上がる。審判のエミハールは再戦を頷いて開始を指示した。
ーーヒュン!
〈〈!!〉〉
少女が剣を拾うために身を屈めると、ファルネィアは小さな背中を渾身の力で叩き斬った。その行動に周囲は息を呑み、敵国を賞賛する愚かな少女ではあるが、卑怯にも背中から斬られた事に血にまみれた小さな身を想像する。
ーーシャリン……。
だがそれは振り向きざまに、抜いた少女の細い剣に先を流された。ファルネィアは均衡を崩し、へたりとそのまま尻を落として石畳の上に座り込む。
〈…………〉
呆然とする女の細い首元に、少女の鋭い剣先が突き付けられた。
「残念という言葉も、当てはまらない程に残念だな」
面倒そうにオゥストロとエミハールを見た少女に、座り込んだままのファルネィアはようやく我に返った。そして可愛らしさの残る美しい顔を真っ赤に染め、小さな背中を憎しみを込めて睨みつける。
〈完全なる勝利を讃えよう〉
エミハールはオゥストロを見ると、そのまま振り返らずに闘技場を後にする。オルディオールも少女の顔で呆れたようにオゥストロを見ると、彼は珍しく楽しそうに笑っていた。
〈オゥストロ様が笑っている。素敵…〉
〈私、あの方の笑顔、初めてだわ〉
〈ファルネイアが負けるなんて〉
周りの者が見たことの無いオゥストロの笑顔に見とれていると、立ち上がった女が黒髪の少女の背後に回る。
「ん?」
気配に気づいた少女が振り返ると、笑う女は何かの液体を少女の顔めがけて振り掛けた。




