10 あいつは遅れてやって来た。
私がキャリアアップウーマンに連れられて行ったのは、調理場ではなくメガネの居る部屋だった。
(本が沢山ある……)
見渡せど見渡せど本棚。
五階くらいの高さの吹き抜けの壁には、びっしりと本棚に本が詰まっている。
ファンタズィー。
(箒でなければ上階へは行けないんだ! だって、階段無いもん!)
横に立て掛けた梯子を見ないフリをする。見上げる私。口は開きっぱなしだ。
(古びた本のにおい、くんくん。何故か大量の本を見ると、おトイレに行きたくなる)
[*****、*****]
おや?
メガネの横に、アジア風の顔立ちを発見。
我が国の国民か?
でも肌の色が南国、サロンやビルの屋上で不自然に焼いたようではなく、南国の妖精と戯れサトウキビや海ぶどうを主食にしている彼らと同じ空気感。
(しかも、巨人ほど背も高くない。きっと二メートルは超えてはいない。まさか、)
ーーいや、あり得ない。
何でもかんでも、誰でもかれでも鈴木医師と結びつけることはよくない。だって、あの汚部屋病院の場所からは、山を挟むほど遠い距離なのだ。
(でも、でも、)
[****、***************]
やはり、彼の言葉は分からない。
しかし何か話し掛けてくれているので、挨拶はしておこう。人に挨拶の出来ない者は、社交の場において上位に食い込む印象の悪さを誇るらしい。
にっこり。
私、大人の私。
「メイ・カミナです。こんにちは」
するとなんと、日焼けさっぱり顔の男性は、私に片膝を付いて手を取ると手の甲にキスをしたのだ。
(ぷ、プロポーズ!?)
ここはパスタやピッツァで有名な、あの国だったのか?
情熱なのか軽薄なのかは受け取る人によるのだが、男性は挨拶変わりに女性を口説くと有名な、あの国。
挨拶変わりに、プロポーズ?
私の恋愛課受付窓口は、職員が怠慢なせいもあるのだが既に終了している。
(初対面でプロポーズなんて、絶対に価値観が違いすぎる。いくら開放感に溢れた南国の顔立ちだからって、きっと後々すれ違いが生じて苦労が目に見えているのだ)
それに生意気な事を言わせてもらえば、彼は私の好みではない。雰囲気が初対面でときめく風貌ではないのだ。早めにお断りしよう。
「ごめんなさい。ヤメテェ、ヤメテェ、怖いよぅ怖いよぅ、やぁーだ」
[……!]
〈……!〉
〈…………〉
目上の人への対応にこれがある。
フロウ・チャラソウに対して、やんわりと断りたい、否定を含んだ誠意を伝えたい時はこうしなさいと黒豹が教えてくれたのだ。
謝罪が頭には入るので『申し訳ありません。ご期待に添えることが出来ません』の、ような感じだろう。更に媚びを売る場合にはこの言葉を繰り返しアイーン敬礼で締め括られる。
(でもこれ、毎回思うんだけど、あってるよね? 使用法)
このフレーズを使う度に、周囲はそわそわし始めるのだ。そして怒りそうになるか、半笑いか、困った顔。
たしかに、フロウ・チャラソウに対しては有効だった。
彼はしばらく私を見つめ、フリーズするのだ。呪いの召喚呪文まではいかないが、長々と同じことの繰り返し、もうそろそろ勉強を切り上げたい時など、これを使用すると解放される。
おや?
キャリアアップウーマンにつかまえられた。
怒ってる。歯を食いしばっている。
怖い、やめて!
『食べるの?私を?』、
「食・べ・ちゃ・う?」、
『あ、間違えた、これなんか違う』
使用方法は違うが思わず出た。
ややこしい。
ここでは〔食べる〕はだらだら区切ると〔さようなら〕だったのだ。本当にややこしい。彼女は私の〔さようなら〕の言葉に絶句する。そうだろう。なんの会話も始まらないうちから〔さようなら〕だなんて、そんな失礼なことはない。
キャリアアップウーマンが振り返った先には、諦めたように首を横に振るメガネ。そして先ほど電撃プロポーズを素気なく断った私を、切ない瞳で見守る日焼けアジア風。
(そんな目で見ないで、ただでさえ私は巨人を罠に掛ける使命を担っているのだから。これ以上のハニートラップは荷が重すぎる)
異国に落とされてからというもの、何故か微妙なモテ期到来なのである。しかもビーエールの狭間に挟まったままの、微妙なモテ期がビッチ疑惑を呼び、更には望んでいないオレオレぷるりんの、オレオレ結婚詐欺事件、現在進行中である。
ビッチといえば、忘れてはならないのが魔性の女。
無銭飲食無職の女が、ボランティアの青年に〔金をくれ。〕と言ってしまったタカリ発言。
本来、私は恋愛に対し消極的なのだ。
友人の恋愛経験に不快感を感じて尻込みし、冷めた瞳で恋する彼らに嫉妬していた、チキンである。告白し、告白される勇気からはほど遠い所に存在する、まさに孤独のチキン。
孤独のチキン。そこはかとなく寂しいが、何故か美味そうなネーミングである。
(チキン。今年って、酉年……。そして、私、成人し…、)
はっ! ダメダメ。今はダメ。
ただ今置かれた状況に、想定を織り交ぜた自虐妄想復活は承認するが、リアル私が居なくなった場所の想像は、軽めに軽めに。
深掘りは、今はダメ。
辺りを見回すと、ウーマンが心配そうに私を覗き込んでいた。そうだろう、彼女に無礼にも〔さようなら〕を告げて突然黙り込んだのだ。首を横に振り必死に弁解する私。
「メイ。大丈夫だよ。ここで勉強するだけだ」
(勉強?)
まさか、またもや言葉の勉強か?
ありがたい、いや、ありがたいのだが、何故、今ここで?
山岳救助隊員の施設なのに、そこまで遭難登山者に優しいシステムを揃えているのか? 海外語学留学を福祉でサービスされているのだろうか? なんて素晴らしい福祉システム。電気設備が不自由なことから、失礼ながらこの異国は発展途上の最中かと思っていたのに。
(最新式ドローンはあったけれど。お金の使い方が微妙にずれているけれど)
とても旅人への人道支援に優れている。
(……でも、やっぱり、何もしてないエルビーに、暴力を振るったことは、先進的ではない。うたがわしきはばっせずなのに、)
異国の文化は難しい。
郷に入っても郷に従えないこともあるが、とりあえず私は目的達成のため、ぷるりんに協力しなければならないのだ。
現実的な話し、エルビーは治療されていたので一先ずは安全だろう。彼の回復を優先して待たなければいけない。ここで表面的には親切な彼らの機嫌を損なう行為は意味が無いと、そう判断した。
私は状況を見極められる、大人の女なのだ。
大人。
(やっぱり、今月だよな、成人し……!)
あ、ダメダメ。やめよう。帰ってから考えよう。
大人といえば、十代選挙権の解禁である。
私、十九。
初めて選挙に行きました。
私、十九歳。
初の選挙権。
しかし世間は十八という、ピチピチの高校生に注目し、既存の二十、そしてピチピチに挟まれた十九には大して注目が集まらなかった気がするのだ。
マスコミ各社も、ピチピチの高校生にキャッキャ、ウフフとふわついて報道されていた事を思い出す。
気のせい?
被害妄想かな?
そうかな、そうかもね?
様々な狭間に生きる私には、今更そんな小さなことにはこだわりはしない。
(〔あの〕式って、何日だったかな、まだ過ぎてないかな? 祝日だよね……は!)
ダメダメ! 楽しみにしてたとか、ダメダメ!
現実に向き合う私。
私の言語塾講師は、メガネ。
そして塾の受付はウーマン、アラフィアさんだ。
「よろしくお願いします」
ぺこり。
微笑むアラフィアさん。
そしてメガネとアジア風。
(言葉の勉強といえば、呪いのヴァルヴォアール召喚呪文を思い出すが、このメガネ、そうはならないと願うのみだ)
本日は挨拶のみで魔法使いの図書室を後にすると、ケモミミの皆さんがエントランスに集まっていた。どうやら、彼らは新たな場所へ旅立つらしい。
今までありがとう、楽しかったよ。
帰国したら、今度は勇気を持って、あの異郷アー・キィー・バーを探索し、君たちの仲間を見つけるからね。
『ケモミミ様、またね!』、
「たぁーべぇーちゃーうー!」
少し寂しい気もしたが、イグヤグ君達は旅立った。
だが! アピーちゃんは残ってくれたのだ! うれしい。本当に。本当に。チーム・小人族は解散しなくて済んだのである。
遠離るケモミミ様たち、アラフィアさんとアピーちゃんと門前で彼らを見送っていると、不意にアピーちゃんが私の方を見てくんくんしだした。
なんだ?
(他の人に臭われるって、なんか、嫌かも……。不安。まさか私から、気になる汚臭が発生しているのか?)
「……」
(ホントに? なんだろう、私の、?)
アピーちゃんは可愛らしい大きな翡翠の瞳で私を見つめると、お尻を覗き込んだ。
「ミギノ、お尻…」
『え、!!!』
皆まで言うな。
アラフィア姉さんも私のお尻を覗き込む。
〈ああ、〉
(そう言われてみれば、どことなく下腹部が痛い)
空から落とされて、日常を忘れがちだった。しかも、環境の急激な変化により、かなり遅れてやってきた。
そう、月のモノが……。
あれだけ粗相の洗濯に、神経を尖らせていた私だが、これは自分の意思ではどうにもならないモノ。そう、まさに不可抗力の上位に位置するモノなのだ。
慌てる私。
私につられるアピーちゃん。
微笑んで頷く姉さん。
何も用意が無い。しかも、異国の地。トイレ事情から、優れた吸収性のあるアレがあるのかないのか不安だ。
私は今まで貼り付けタイプしか、使用経験が無い。
(どうしよう、中に詰めるタイプは怖い)
いろいろ不安は増したのだが、姉さんはこの国のアレの使用方を親切に教えてくれた。安心ナイトガード。大きなアレは私が使用するとオムツのようになったが、まあ、いい。詰めることが無くて安心した。
モコモコ。モコモコ。
それ専用にと、姉さんの知り合いの女隊員さんからスカートを借りた。異国情緒が増す。
モコモコと歩く私を見る、周りの瞳が温かい。
『……』
その日の夜は、アラフィア姉さんのご自宅でお祝いだった。
アピーちゃんと私の歓迎会だったのではと思う。エルビーの事で彼ら救助隊員への不信感は拭えないが、皆が私たちを見る目は温かい。そしてそのまま、私とアピーちゃんはアラフィア姉さんのお家に滞在を許され、中身は子供様改め、弟エスフォロス君とも寝食を共にする事になったのだ。




