決意と決断 09
第三の砦基地、その上空には常に飛竜が飛翔している。羽を広げれば陽の光に虹色の膜が透け、背に乗る屈強な騎士達は全身を黒い隊服に包む。
〈お帰りなさいませー!〉
〈アラフィアさまー!〉
巡回を終え、相棒の飛竜スロートで砦の前に降り立った。アラフィアの紅い髪は耳の上まで結いあげても腰まで垂れ、何本にも硬く編み込まれている。
〈すてき、アラフィアお姉さま〉
鍛えられた長い手足、飛竜から颯爽と飛び降りた姿に彼女を目的に砦へ通う少年少女は目を輝かせた。
そして国民の憧れの的である精鋭部隊には、それぞれに熱狂的な支持者がいて、中でも一番人気の部隊は第三の砦オゥストロが率いる部隊だった。
隊長オゥストロは特に絶大的人気を誇り、その部下である副隊長アラフィア、弟のエスファロス、尋問官を兼任するストラなどは、支持者が飛竜の飛び立つ滑空場で常に出待ちをしている。
〈クラマ姉弟よ!!〉
〈アラフィア様! ヘルンの実で焼いたコウゼです!〉
〈今日も凛々しく美しいわ!〉
〈エスファロス様! お願いです! こっち向いて!〉
〈でもお二人共、今日はとても厳しいお顔をされているわね〉
〈その憂いたお顔もステキ!〉
鈴なりになる女達を横目に、二人の姉弟竜騎士は厳しい表情で飛竜を駐竜場へ誘導する。いつもは支持者へ笑顔を向けているのだが、今日はそれが全くない。
姉弟の表情を曇らす懸念、それは今朝起こった。
*
〈メイ・カミナに重傷を負わされた兵士二名、並びに不法侵入者、四十五番、共に先程意識が戻りました〉
一つ頷くオゥストロへ、アラフィアは姿勢を正すと部屋を退出するために踵を返そうとしたが、そこで上官に呼び止められた。
〈メイ・カミナが、保護対象者の東側の男へ面会を希望している。俺の予定で空いているところに入れておけ〉
〈……?〉
隊長オゥストロの指示した内容が理解できずに、逡巡して立ち竦む。
〈そうだな、お前とエスファロスは管理者なので、早めに通告しておく。メイ・カミナと俺は婚約した。だからそのつもりであれに対応しろ〉
〈……え?〉
思わず疑問がこぼれ出る。オゥストロは困惑し立ち竦む部下に結論を述べた。
〈野暮を聞くな。自分の女が他の男を見舞いに行くのだ。それに付いていくと言っている〉
〈だ、了解!〉
アラフィアは返事だけを了承で返し、オゥストロの前から颯爽と退出した。しかしその後の巡回は、上の空でぼんやり空を眺めていた。
相棒の飛竜スロートにそれを見破られ、ふざけて上空から落とされそうになり、それを見咎めた弟に悩みを打ち明けたが、今度は二人で空を眺める。
〈〈…………〉〉
不穏な表情で定期任務を終えた姉弟を、他の兵士達は遠巻きから眺めていた。彼らの姉弟喧嘩には巻き込まれたくはない。二人は各々の飛竜を放竜すると、人気の少ない竜舎の裏で言い争いを始めた。
〈どうしたんだ、あいつら〉
〈副隊長、すげえ機嫌悪そうだな〉
〈アレ、なんの話し? 豆菓子の取り合い?〉
そしてどちらともなく別々の方へ歩き去るのを、黒猫と青い玉だけが見ていた。
******
「エルビー、大丈夫?」
彼が最も聞きたかった拙い呼び声が、目覚めと共に訪れた。見慣れない天井に薬の臭い。視線をずらすと黒髪の少女が心配そうに男を見下ろす。
「エルビー」
小さな温かい手が自分の手を握ったので、男はそれに応えるように握り返した。少女が無事だった事に息を吐き、手の平の温もりに安堵する。
「ミギノ、僕って、情けないね、あそこで、あいつを触らなければ良かった……」
*
少女の肩に乗る目障りなルル、それを林向こうに放り投げたのだが、そこから神経が麻痺し始めた。
痺れは強い痛みでは無い。むしろ、痛みを感じる感覚が遠くなる。少女に触れていると不思議とその麻痺が和らいで、それでなんとか山を登っていたのだが、麻痺は触感だけでなく、エルヴィーの判断も鈍らせて危うくミギノを失いそうになった。
その後のことはよく覚えていない。
繰り返される同じ質問は魔戦士の事で、話すことは何も無かった。そしてミギノが危険に曝される様な答えを返さない為に黙秘を続けた。
尋問が拷問に変わった後も、神経が麻痺している鈍い感覚が続いている。拷問は大聖堂院で、オルヴィア・オーラに遊ばれたものよりは軽いものだったので、なんとか耐える事が出来た。
だが数人の兵士に何度も殴る蹴るを繰り返されて、体から何かが抜け出しそうになった刻、大切な少女が目の前に現れたのだ。
*
「ごめんね、ミギノ、大丈夫?」
頷く少女の黒い大きな瞳に、涙がどんどん溜まっていく。そして潤んだ瞳から、次々にそれはこぼれ落ちていった。
「大丈夫。大丈夫。エルビー大丈夫」
「……うん」
自分が使える安心の言葉をかけ続ける。涙が止まるまでエルヴィーは少女を見つめていたが、不自然に移動しない背の高い男に気がついた。
「誰?」
エルヴィーの問いかけに少女は彼の目線の先を振り返り見て、第十師団の医師団長の様に片方の眉を上げる。
『私はまだ、食べられてはいない』
少女の異国語を、背の高い美丈夫もエルヴィーも何の事だか分からなかったが、彼女が急激に不機嫌になった事だけは理解出来た。
「俺はこの砦の管理者だ。お前の事は、メイが保護する事になった。審問は中断だが、おかしな真似はするなよ」
低い声。男はエルヴィーの手から少女を引き抜くと、肩を引き寄せて連れ去ってしまう。ミギノは何か異国語を喚いていたが、よくは聞こえなかった。
(メイ? って、ミギノが保護するって、何で?)
情報収集が必要だ。とりあえずは自分の回復が先決だと考えたエルヴィーは、大人しく周囲を窺う事にした。
**
「細いな、そして短い」
女性に対して、大変失礼な事を言った。オゥストロは肩を引き寄せて歩いていた、小さな少女の指の感想を言ったのだ。
『……』
*
メイの背中の帽子にはオルディオールはいない。昼過ぎにエルヴィーに面会する事が決まり、その機会で身体を入れ替わったのだ。今メイは、流されるままにオゥストロの隣を歩いている。
(真夜中の意気投合、なのにあの玉は、私に巨人を丸投げてお散歩に出かけやがった……)
昨夜一晩オルディオールはメイの身体を使い、オゥストロと一夜を共にした。オゥストロの勤務が終了次第、今後の打ち合わせをする事になったのだ。もちろん無意味に待つ事はせずに、執務室でガーランドの五十年の歴史を資料で確認していた。
(私にはさっぱり分からなかった読書とミーティング。でも何故か、巨人はにこやかにぷるりんと会話を楽しんでいた)
メイにはいろいろ言いたいことはあったのだが、通常にあり得ない事が立て続き、更に日常が凶器となって彼女を襲い疲弊していた。なのでオルディオールに身体を任せて一晩休憩をしていたのだが、二人の会話にエルヴィーの話が出たところで、反応し刺さり込んでみたのだ。
(そして今に至る)
オルディオールと交代してから、メイの言葉は不自然にカタコトである。だがオゥストロの表情、行動、身振り手振りである程度の意味は理解出来た。
(巨人、きっと私の悪口を言っている。指が短いとか笑ってんだ。こいつ)
奇跡的に、メイは自己否定の予想だけはほぼ的確に当てている。だがそれにも怒りを表す事はない。
(この手のヤカラの対応を間違えれば、呪いのリピート・ビフォーアフターが待っている)
グルディ・オーサ基地で味わった苦行。それを繰り返したくは無い。そんな少女の内心など、余興にしかならないオゥストロは、精霊を宿していないメイの挙動の不審さえ愉快に思い笑っていた。
「子供に指輪を贈った事は無いからな。これでは幅をかなり詰めなければ落としてしまう。規格外とはこの事だ」
『……子供って、聞こえた』
「異国語か、それも興味深くはある。…そして、その目付きは、俺を睨んでいるのか?」
更に笑ったオゥストロを、メイは医師団長の様に生意気に睨んで見上げた。他愛ない会話をしながら長い廊下を歩き、オゥストロの執務室へ少女と共に向かっているとアラフィアが廊下に待機している。
〈何だ?〉
上官の問いかけに、副隊長は敬礼し身を正すとオゥストロへ向き合った。改まったアラフィアは、厳しい表情でオゥストロに対峙する。
〈メイ殿の事について、進言があります〉
〈言ってみろ〉
〈は、昨夜は隊長と過ごされたと伺いました。本日は私が定刻にお迎えに参ります〉
これにオゥストロは部下を見下ろした。アラフィアはこの砦の副隊長である。素晴らしい武術と飛竜との感応性、オゥストロの雑務を処理する有能さを持っている。しかし今まで、彼女は上官に意見を言ったことはあまりない。そのアラフィアの進言の内容が、オゥストロにはよく分からなかった。
〈これは今日から俺のところで住む。迎えは必要ない〉
オゥストロや隊長格の者は、他の兵士の様に兵舎ではなくそれぞれ個別に砦の近くに屋敷を用意されている。部屋数も多く専用の使用人も常駐しており、幹部の慰労会などもそこで開くのだ。もちろんアラフィアも、何度も行った事がある屋敷なので知っているはずだった。だが、目の前の部下はそうではないと首を振る。
〈私は、メイ殿とその使用人の警護担当者です。その任務を放棄は出来ません。メイ殿が第三に滞在中は、私が責任を持って担当させて頂きます。この雑務は、口さがない世間から、隊長と婚約者殿を護るためにも必要な事なのです!〉
〈…………そうか〉
思い詰めたアラフィアの熱心な説得。メイという雑務を任せろと言った部下へ、オゥストロはそれを了承することにした。
『…………』
当事者の黒髪の小さな少女は、可愛い口を不満に引き結び、二人を無言で見上げていた。




