青い星に向かう者 05
ガーランド竜王国、王都カルシーダ。王城の一角には軍事施設があり、そこでガーランド領土全ての隊長が集い軍事会議が開かれる。
最近はこの召集が例年になく多くなった。
理由はファルド領内に放った、間諜〔鳥〕からの報告にある。ガーランドとトラヴィス山脈を挟んだ隣国、今やファルド国の一部と化した、トライド国のグルディ・オーサ領土内に設置されたファルド国の軍事基地が動き出したとの情報だ。
トライド国、グルディ・オーサの悲劇。
五十年前に起きた戦争で、国境の山脈を越えた竜騎士達は、卑怯なファルド国の得体の知れない大魔法により、為す術無く数十名が命を落とした。その不幸の中、魔法は飛竜には効かずに彼らだけは無事に帰還したという。
因縁のトライド国で、またファルド国は戦準備を始めているのだ。五十年を経て、ガーランドはその怒りを再燃させる。
国境守備隊、第三の砦の騎士隊長はオゥストロ・グールドは、立て続いた軍事会議が終わり、ようやく砦へ戻る準備をしていたのだが、そこに緊急の報せが入った。
第三砦、不法入国者の捕縛。
**
〈オゥストロ様ーー!〉
〈こちらを向いてーー!〉
会議場である右城を出ると、黒い飛竜に騎乗したオゥストロへ、街の女達が地上から歓喜の悲鳴を上げる。
第三の砦、隊長オゥストロの数々の武勇伝。彼の職務に対する冷静な判断は、冷酷で残酷に人々の目に映る。しかし自分達が断罪の対象では無い者達は、けして理不尽では無い合理的なそれを歓迎し、犯罪者や国賊に躊躇無いオゥストロを賛美しているのだ。
そしてオゥストロの冷たい雰囲気と、美しく整った見た目に女達からの支持は圧倒的だった。
〈こちらを!〉
〈一目だけでも! オゥストロ様ー!〉
止まない女たちの悲鳴。オゥストロは一切の反応を示さないで、その場を後にトラヴィス山脈へ向かい飛び立った。
******
「……」
一向に無表情のまま態度を変えない東側の客人に、尋問官は溜息をついた。何を聞いても返事は無い。頑なに拒否をする。
(携帯武器は小刀が二本。それに赤の魔石一つ。危険であることには違いないが、この砦を急襲するにしては数が少なすぎる。魔石を暴発させれば部屋は一つ吹き飛ばせるが、それで終わりだしなぁ)
「……」
「あんた、いい加減少しでも話してくれないか?」
ファルド国の戦闘準備の噂は、既にガーランド国内に行き渡っていた。その敵国である東側の侵入者からは、慎重に情報を引き出さなくてはならない。
〈失礼します。ストラ上士から伝言です。南方大陸の商人達の証言を踏まえ……〉
〈了解〉
現れた伝令の耳打ちに軽くため息を吐く。最上官が不在の今、エルヴィーと呼ばれる男とその主と思われる少女は、尋問官長ストラの判断により数日間様子を観察する事に決定したようだ。
「本日はこれで終了する」
「……」
***
ーー第三の砦、西の兵舎。
砦の敷地内、本舎より少し離れている宿営舎。
飛竜の唾液を洗い流したメイは、エスフォロスとアラフィアから改めて自己紹介を受けた。そこで彼等が姉弟だと知り、じろじろと顔を見つめている。
『似てるような、似てないような。姉さんの方が男前ですね。ヅカですね』
〈なんだって?〉
〈きっと悪いことしか考えてねえよ。こいつの顔〉
『……』
〈だな。まあ、とりあえず茶でも飲むか〉
「そこに座っていいぞ。座る」
「……座ります。私。ありがとう。しかし私は……探し物、探し物、どこかにありますか? 私は、」
「なんだ? ああ、お前の服か? そこにある」
「たぁーべーるぅー!」にこり!
〈〈!?〉〉
『いたいた。ぷるりん、生きてますか?』
〈〈……〉〉
*
少女が浴室で身体を清めている間に、彼女の衣類や持ち物を全て改めた。メイの服装は東側ファルド国軍人の隊服によく似ている。その事に気づいたアラフィアは、敵国最高騎士の称号を冠する噂の変態を思い浮かべて、少女への執着に嫌悪した。
〈僕とお揃いっだよってか? 病気だなアイツ〉
〈同意だな。幼児に軍服着せて喜ぶのは、騎士に憧れる子供を持つ親だけに許される〉
〈なあ、娼館にもたまにそういう変態来るって聞いたことあるんだが、男って、女が娼館で隊服着ると、何がどうなんだ?〉
〈……は? お前今、俺に具体的にその症状を語らせようとしたの? それを感想で述べたら、俺はどうなるの?〉
〈そんな教育した覚えはねえってな。制裁を加えてやるよ〉
姉弟という理由で、大雑把な姉は弟と同室でいいと彼の入隊が決まった直後に勝手に部屋割りを申請した。その事も含めて、エスフォロスは未だ腹に不満を溜め続けている。
どうせ着替えて寝るだけの部屋なのだ。お互い付き合う異性を、常に部屋に引き込む訳でも無い。そういった場所は砦を出た隣町に、恋人や夫婦の専門の店や部屋があるのだ。大衆食堂では無い、個室の飲食店などは大抵それが目的だ。
エスフォロスは勝手に物事をどんどん進めてしまう、考え無しの姉が嫌だった。だが特に不都合は無いと、そのまま姉の思うままに同室を許諾している自分にも辟易している。
〈先に生まれたってだけで、オメエからの理不尽な教育的指導は、もう二度と受け付けない〉
〈言ってろよ。上官に逆らうとどうなるか、次の任務が楽しみだなあ〉
〈オマエ! 立場を公私混同してんじゃねえぞっ!〉
〈いいから。さっさと終わらすぞ。手え動かせよ〉
〈っ、チッ〉
浴場に耳を澄まし、脱衣所から持ち出した衣服を探る。その中、不思議な青い玉が上着付属の帽子に入っているのを発見した。
〈なんだこれ。柔らかいな〉
アラフィアは手にした玉を何度も軽く放り、感触を確かめる。
〈やめろよ、魔石の類ならどうするんだっ!!〉
慌てる弟に笑ってそれを彼に投げつける。とっさに避けたエスフォロスの横の壁、青い玉はぺたっと音を立ててぶつかると、ぺしゃりと床に落ち広がった。
〈あの子供にも、その玉にも驚異になる魔素は無い。おかしな物を持ち込めば、砦の結界魔石と反発するから分かるだろ。ホント臆病者だな、お前は〉
〈用心深いと言え。お前は軽率すぎなんだよ。それでよく副隊長が務まるな〉
〈ああ、この豪胆さはガーランドでは美徳なのにな。なんで同じ親から出たのに、お前は気が細かいのかが不思議だよ〉
ーーキィ。
〈〈!!〉〉
少女が浴室から出た音に、姉弟はいつもの言い合いを中断する。エスフォロスは用途不明の玉を帽子に戻すと、調べ終わった衣服を姉に渡した。
「ありがとうございます」、
『着替えもお借りしてしまって』
「…気にするな」
「ありがとうございます」
「では自己紹介しよう」
*
小さな少女はエスフォロスを仰ぎ見て、軽く会釈をすると卓に座る。浴室から出て来たメイは、白い頬がほんのり赤くなっていた。
飛竜に乗り常に強い日よけの肌保護薬を塗って肌が荒れ、それでも日焼けをしてしまう竜騎士のエスフォロス達にとって、少女の艶々の肌は新鮮だ。
(この前、アーダんとこで生まれた赤児、あれの頬みたいだな。あとあいつ)
土地柄か民族性か、ガーランドの国民はどちらかというと地肌は浅黒い。北方大陸民族の褐色ほどではないが、日に焼けていなくても白とは言い難いのだ。少女の白くて丸い頬は、まるで赤児か白兎を愛でる様な気持ちになる。
(この、少し目尻が上がってる生意気そうなところも、昔飼ってた白兎にそっくりだな…)
浴室から出たメイにお茶を渡すと、少女は両手で杯を受け取り礼を言った。そして粗末な山茶を、大人しく文句も言わずに飲んでいる。少し葉の匂いが強い山茶は、貴族の間では飲まれない庶民のお茶だ。だが少女はくんくんと匂いを嗅いで、何度か軽く頷き飲み干した。
昔、こっそり裏山で飼っていたエスフォロスの白兎は、心無い姉に見つかり、長いふさふさの尾を掴まれ引っ張られるという暴挙によって山に逃げてしまい、二度と現れなかった。
苦い思い出をぶり返した頃、鋭く扉を叩く音に二人は顔を上げ、弟を目で制したアラフィアが立ち上がる。隙間から見える見慣れた同僚の女隊員が言葉少なに会話して立ち去っていくと、振り返ったアラフィアは部下のエスフォロスに頷いた。
「連れの男はまだ来ない。南方大陸のアピーと一緒に、お前はここで待つといい」
兵舎の外、窓の外には少女アピーが黒猫とあちこちの匂いを嗅いで歩いている姿が見える。
「エルビー、大丈夫? エルビー帰る? 大丈夫? いつ?」
「調べが終わったらな。彼は君の使用人か付き人かい? カミナの家はファルド国にあるのか?」
名前はメイ・カミナ。
出身国はニホン国。
所はタイシカン・ソレトモリョウジカン。
いずれも聞いた事の無い地名だ。ガーランド竜王国以外、北方国エスクランザの地図にも無い。
「終わる、……使用、ファルド?」
エスフォロスの問いかけが少し長くなると、メイは困った顔をした。そして首を傾げて「待って待って、長い、むりむり、お願い」と甘えてくる。その姿にエスフォロスの思い出の白兎が重なった。
(あいつ、獣人化したら、こんなかんじかな?)
ーー〈おい!!〉
バシッと後頭部を叩かれる音と共に、姉の容赦ない突っ込みの目線が弟を射抜く。
〈東の、ヴァルヴォアールの轍は踏むなよ〉
姉とも上官とも言えない、人としての何かを蔑んだ、鋭く厳しい金色の瞳。
〈…冗談でも踏むつもりは無い〉
アラフィアは返答した部下を見据えると、少し離れた椅子にどかりと音を立てて腰掛けた。二人のやり取りを目の前に、メイは怯えるでも無く部屋の中をきょろきょろと見回している。
〈まあ、聞き出しは追い追いする。刻は増えたからな〉
アラフィアを見ないまま、エスフォロスはそれを告げると少女に向き合った。
「エルヴィーは遅くなる。また明日、それまでここで、待とう」
「エルビーは遅くなる。また明日、……待とう」
繰り返した言葉に、少女は少し考える表情をしていたが素直に理解を頷いた。
**
〈全く話しをしないらしい。魔戦士だと南方の少年達は言うが、確証は無い。獣人は嘘はつかないが、欺される事も多いからな〉
夜の食卓に姉弟が揃うことは珍しい。
普段はわざと弟がずらしているからだ。しかし今日は異国の少女と獣人の少女、黒猫という来客が居る。並ぶ料理は兵舎の配給料理ではあるが、食堂では無くゆっくり話しが出来る個室は都合が良いと運んできた。
〈確かに。南方人は日頃は用心深いくせに、たまに信じられない単純な詐欺に騙される。イグが嘘を教えられ、あの野蛮な国ファルド、変態ヴァルヴォアールから本当に逃げて来たのであれば、メイの使用人に濡れ衣を着せる事になるしな〉
〈そもそも魔戦士って、極東の海賊国を根絶やしにしたってあれだろ?〉
〈ファルドが最後まで手を焼いた海賊国ラグー、首都エリドート〉
〈噂では十に満たない数人で、五日で制圧〉
〈噂には、詩人の憧れと国家的策略が乗るからな〉、
「おい、本当に飲まないのか? 甘いぞ」
「大丈夫大丈夫」
いつもの味。代わり映えの無い野菜炒めと焼いた肉、それを果実酒を飲みながら味わうのだが、子供でも飲める軽い酒を、メイは嫌がり山茶を飲んでいる。
それに習ったアピーも同じ山茶を飲もうとするが、これは獣人の者には臭いが強いらしく、アピーは困って黒猫にお茶を勧めていた。
「うにゃ!」
「あ、くろちゃん!」
〈それにファルドに入った諜報部隊も、魔戦士なんて殆ど見たこと無いって話じゃないか。どっちにしろ、うちの飛竜に敵うものは、この世には存在しない〉
〈当たり前だ。魔戦士だろうが、ヴァルヴォアールだろうが、竜騎士団の敵では無いからな〉
『……?』
お茶を拒絶し部屋の隅に逃げた黒猫。それを横目に食卓で敵国ファルドの事や、エルヴィーという男の状況を話しても何も問題は無い。エスフォロス達にとって代わり映えの無い肉料理を、嬉しそうに頬張る少女達には、どうせ言葉は理解出来ないのだ。しかし、ある名前にメイは大きく反応を示した。
「ヴァルヴォアール」、
『今、フロウ・チャラソウの事言った?』、
「ゼレイス・フロウ・ルイン・ヴァルヴォアール」、
『ミスター・粘着質』、
「分かります。私」
「そうか、ヴァルヴォアールの奴……」、
〈こんな子供にまで〔団長〕と呼ばせて喜んでいるのか。ちっ、本気でイカレテやがるな〉、
「ああ、気にするな、分かったよ。大変だったな」
こくり「……たいへん、」
アラフィアの親身な語りかけに、メイは〔大変〕という異国語を理解して、何度も何度も頷いた。
**
食後、メイはアラフィアとエスフォロスの髪型にとても興味があるようで、浴室からエスフォロスが出て来て髪を整え始めると、目を離さずにそれを見ていた。
数本の編み込みを耳上で結い上げている。解いて下ろせば腰を超える長さ、ガーランドの竜騎士は基本がこの長さが多い。
『……』
「なんだ? 気になるか?」
エスフォロスの問いかけに、興味津々のメイは目を輝かせた。敷布の上に胡座をかいていた男の横にちょこんと膝を折り、姿勢を正してエスフォロスを見上げている。
〈おい!〉
その様子にエスフォロスがたじろいだ。貴族や高貴な者は、格下の、それも軍人の前で絶対に膝を折ったりはしない。それを矜持として幼少期からたたき込まれるはずなのだ。
エスフォロス達、貴族では無い騎士達も一般庶民でさえ、膝を強いられて折ることには抵抗があるだろう。これは北方大陸、東ファルドでも同じ習慣だろう。だが少女はなんの躊躇いも見せず、躾けられた使用人の様に綺麗に座っていた。
(ほんと、よく分かんないな……)
自分以外にも、同じ台詞を聞いた気がする。少女に当て嵌める言葉として、これ以上にしっくりとくる言葉が見つからないほどに。
〈よし、わかった〉
エスフォロスは胡座のままだが、彼も姿勢を正して少女に向き合った。
「ガーランドの竜騎士は、なんで髪が長いか教えてあげよう。それは、」
身を乗り出す少女。言葉を理解しているのかは不明だが、エスフォロスは話の区切りを強調し、少女の顔を見つめてみた。少女も何故か鼻の穴を広げて身を乗り出してくる。
「首が温かいからではないぞ。格好いいからでもない」
突然のアラフィアのヤジ。話の腰を折られたエスフォロスは舌打ちをする。それに過剰反応した者は、メイの真似をして隣に座っていたアピーだった。舌打ちにへたり込む獣人の少女の耳に笑いかけ、エスフォロスは話しを元に戻す。
「それは、飛竜がやる気出すからだ。雄は特にな」
「?」
よく分からない。元々、言葉も分からないだろうが、分かるはずのアピーも分かっていない表情をしている。
「俺達、人間の騎士は、あいつらにとっては羽飾りみたいなもんなんだ。だから乗ってる騎士の髪が長いと、飛竜はやる気出す。黒と赤の組み合わせは特に喜ぶから、隊服は基本が黒、裏地は赤」
「町の子供なんか、異様な格好、怖いって泣く子もいるけどな、笑っちゃうだろ? 私らは基本が飛竜の好き嫌いに、振りまわされてんのさ」
笑う姉弟。慎重に頷くメイは姿勢を正したまま、グルディ・オーサに滞在中の医者の様に片眉を上げて、エスフォロスの編み込む手元を観察していた。
**
夜が更け、闇夜を照らす大きな青星が今日はよく見える。
エスフォロスは自分の部屋を追い出され、居間の長椅子に寝ることを姉に強要された。少女達はアラフィアの部屋の寝台を使う事になっている。
東側の言葉も拙いメイからは、大した情報は引き出せず夜が更けようとしていた。同じく同行者のアピーからも、エルヴィーという男の話は何も出ない。それでもアラフィアは何か情報を引き出そうと、寝物語にかこつけて盛んに話しかけていた。
「そうか、では軍の追っ手にいつもいち早く気が付くのは、アピーなんだな。優秀だ。ガーランド軍に入隊出来るぞ」
「そうなの! アピー、あの黒い人のことだけは、少しの匂いでも、どこに居るか分かっちゃう! すごくすごく分かるの!」
アラフィアに褒められて、興奮したアピーは尻尾をパタパタと振り回す。一方メイは、分かっているのかいないのか、アピーの話に繰り返し質問しながら聞いていたが、不意に首を傾げてアピーを見た。甘えるように媚びるでもなく、疑問に首を傾げている。
「アピーちゃん」、
『まさか黒豹の事が好きなんじゃ、あ、えーと黒』、
「黒、好き?」
「……好き?」
「そんな訳はないだろう、ファルドの兵士は腰抜けの変態ばかりだ。な!」
突然力強く豪快に笑うアラフィアに、メイは固まりアピーは耳がへたりと下がる。
「好き……」
アピーはぽそりと呟き、目線が下がっていく。それにメイとアラフィアは慌て出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい」、
『んな訳無いよね! 変なこと言ってごめんね! 冷やかしとかじゃないからね! もう、言わないから安心して!』
〈ファルドの腰抜けなんか不愉快だよな!〉、
「ガーランドには良い男が沢山居るからな! 君はこれから沢山、いい出会いがあるぞ!」
「……好き」
また繰り返したアピーはそわそわと立ち上がり、今度は寝台の上をぐるぐる歩くと、隅でしゃがみ込み丸くなる。
『おませなお年頃なのに、デリケートな恋愛ネタを、無神経にも直撃してしまった。ごめんね、アピーちゃん』
〈追い詰められた南方のものに見られる、自己防衛体勢。あれの最善対応策は様子見しかない〉
メイとアラフィアは顔を見合わせ、それ以上触れないようにと確認を頷き合う。丸くなる少女にメイは布団を被せてあげた。
「……」
被せられた暖かい毛布。その中、アピーはぐるぐると考えていた。
とても気になる黒い人の事をいち早く察知して、皆に教えると喜ばれる。だが、その度に黒い人からは遠離るのだ。
それに寂しい気持ちはあるが、彼の事を一番先に見つけられる者は自分だと、誇る気持ちで黒い人の接近を皆に知らせてしまう。
そしてまた、離れて寂しくなるのだ。
(どきどき。これが〔好き〕?)
更に縮こまり丸くなる。顔は火照り、頭の中は初めて優しく頭を撫でられた、彼の腕の匂いで一杯になった。記憶の中の黒い人、荷台からぼんやり見ていた風景、御者台には彼の後ろ姿。二度目は薬臭い部屋の窓から覗き見た、遠く遠くに歩いていた小さな姿を思い出す。
(これが、好き…)
アピーはこの日、生まれて初めて恋を知った。
**
〈動いたぞ〉
夜は完全に更けて、周りが寝静まった頃。
音を立てないように忍び、兵舎の裏手へ歩いて行く者が一人。雲一つ無い夜空には、煌々と青い大きな星が輝いている。
人影は青い星に向かい進む。
そして兵舎から少し離れた木々の中へ足を入れると、慎重に辺りに人が居ないことを確認し、木々の中へ踏み込んだ。
〈……〉
後を付けた者達は、気付かれないようにそれを追う。音も無く、眼で合図をし二手に分かれて回り込む。捉えた目標を確認し、木々の中、息を潜ませ様子を見張る。
後を付けられている事に気がつかない少女は、青い星の光が射し込む木々の切れ間で足を止めると、また、用心深く周囲を窺う。そして、自分を見つめる金の眼には一切気がつかずに、木々の闇に向かって話し掛けた。
『ここだよ……』
深夜の冷たい空気だけが木々を通り過ぎる。
『ここに居るよ、……さん、……さん、じゅん、』
それを二度ほど繰り返し、少女は両手で口元を覆うと声を殺して嗚咽を上げ始めた。
〈……〉
暗闇からそれを見ていた二人は、辺りを確認するが少女が誰に接触しようとしていたのか、合図を送っていたのかは確認出来ない。暫く一人で肩を震わせていた少女は立ち上がると、振り返らずに元の道をたどり部屋の寝台へ戻って行った。
〈……〉
閉じられた兵舎の扉、後を追っていた人影が青い星の下に二人。それに呼び寄せられる様に、辺りからは更に数人現れた。
〈周囲を調べましたが、誰も何も見当たりませんでした〉
一人の報告に、周囲の数人が同意を頷く。
〈どう見た?〉
上官の問いかけに、エスフォロスは少女の嗚咽を思い出す。
〈人質を取られているのかもしれない〉
〈妥当だな。更に確証を得る〉
上官の言葉を最後に、青い星が照らす闇夜には誰も居なくなった。




