第三の砦国境守備隊 03
〈越えた〉
〈あー、久しぶりだ!〉
〈はしゃぐなよ、油断するな!〉
〈了解!〉
ガーランド竜王国、トラヴィス山脈国境線第三の砦、見張り台駐屯地。国境守備第三砦部隊は不審者の国境侵入に備えている。彼らは、対象が国境線である竜鳴きの谷を越えた瞬間を見計らって、美しい灰色の飛竜と共に飛び立った。
飛竜の身体は全身が灰色で、陽の光で黒く濃く、虹色の光沢が輝く。陽が真上に登る頃、谷への侵入の報せが入り四人は飛竜に騎乗して侵入者が国境線を踏み越える事を見ていた。
竜鳴きの谷の岩肌は飛竜と同じ灰色だ。岩壁の窪みに待機すれば、擬態になり風景と溶け込んでしまう。それに全く気付かない外套を着た侵入者三人が谷の岩場を飛び越えると、上空から急襲しようと飛び立った。だが、最後の一人が谷へ転落した。
〈引っ掛かったぞ、間に合うかな?〉
〈エスフォロス、行け〉
上級士官の女が命じると、一頭の飛竜が方向を変え、落下した対象に向かって滑空する。岩の切れ目に引っ掛かっていた幼い少女は、北方大陸地方の顔立ちをしていた。
(落ちそうだな)
少女は頼りなく岩肌にぶら下がり、今にも滑り落ちそうだ。しかし岩壁は、ほぼ垂直で飛竜が掴む足場も無い。羽や胴体の長さから、騎乗しているエスフォロスが手を伸ばそうにも少女に届かないのだ。
少女が飛竜に飛び移る事は無理だろう。かと言って、落下するまで待つというのも酷である。
[動くなよ! 動いたら落ちるぞ!]
『……』
反応が無い。動くなとは言ったが、ピクリとも動かないのも不安だ。もしかすると、北方大陸語が通じないのかもしれない。侵入者はファルド敵国側から入って来たのだ。
「動くな!」
エスフォロス達、国境守備隊は母国ガーランド語の言語意外にも異国語を習得している。特にファルド警戒線では、当たり前の様に東側の言葉も話せるのだ。
思った通り、少女からは拙い東側の言葉が返ってきた。限界だろう。黒髪の少女の引っ掛かる袖の逆、岩肌をつかんだ右手は力が入っていない様に見える。吹き上げる風に煽られて落下すれば、ごつごつと出た岩肌に当たってまず助からないだろう。下に行けば行くほど狭くなり、救出が難しい谷なのだ。
(まずいな)
エスフォロスは一度上空に上がり、相棒の飛竜に岩肌ぎりぎりを掠める手綱を取った。
『ウギャ!!!』
異音と共に少女の救出を成功を確認する。そしてすぐにエスフォロスは、彼の一番の懸念を呟いた。
〈喋るなよ、ゲロ吐くなよ〉
初めて飛竜に乗った者は、大抵これにやられるのだ。
興奮してベラベラと話し舌を噛む。そして、空中に酔っ払って嘔吐する。竜騎士では無い知り合いや、これまで付き合った彼女は全てこれを経験している。何度言っても聞かないのだ。
だからエスフォロスは素人は乗せずに、今は一人で飛ぶことにしている。
(だけど今日は仕事だから仕方が無い。しかも相手は幼い北方国エスクランザの子供だしな)
右肩に乗せた少女の微かな震えが伝わってくる。下を確認すると、山脈の中腹では少女の連れが副隊長により〔地の錠〕を嵌めることのやり取りをしていた。
〔地の錠〕は、地の精霊と誓約した護りの腕輪だが、飛竜に乗る者には使い方によって凶器と変わる。呪文により地へ引き寄せる護符は、遥か上空で使用すれば地上へ落下させる事が出来るのだ。
もちろん地上で使用しても、地に引き寄せる効果は変わらないので逃げる者の足止めになる。飛竜で罪人や不審者を移送する場合は、武装を全て解いて必ずこれを使用するのだが、施錠を渋る者は多い。
エスフォロスは上空を旋回し、施錠対象者に捕獲した少女を見せつけた。
*
「大丈夫だよ、彼等は国境守備隊なんだ。僕の通行証で確認してもらったから、突然捕まえてきたりはしないよ。だから今はミギノを待とう」
ミギノが滑落した直後、エルヴィー達は上空から飛来した竜騎士に、鋭い槍を突きつけられた。応戦しようとエルヴィーが構えると、イグから強く制止の声が飛ぶ。
〈やめてー! 僕たちは商人だよ!〉
〈南方か?〉
イグが竜騎士に腕に印された模様を見せ、自分達の身分証明をすると、その場の険悪な雰囲気が収まった。そして彼はエルヴィーに少女ミギノの救助の話しを伝えたのだ。
南方大陸はガーランド竜王国と国交がある。竜ほどではないが、種族的に気まぐれな南方大陸の民達はたまにふらりと訪れて、商売をして去っていくのだ。
お互いに珍しい物の交換や、大陸の情報交換をしている。ただやはり気まぐれなので、口約束を伴う商売はあまり行わない。国を渡るには身分証明をお互い見せる取り決めがあり、イグの場合は左腕に入れ墨で印が入っているのだ。
〈商人、猫犬のイグ、他の二人は東側の住人か?〉
〈それがね、事情があるんだ。男の人はエルヴィー、女の子はミギノって言うんだけど、トライドの基地から逃げてきたの〉
〈何? どういう事だ?〉
〈実はね……〉
*
ほどなくアラフィア副隊長の合図があり、地上へ降りると少女は安堵して辺りを見回し始める。
[北方の者だな、攫われたのか?]
反応がない。少女は、北方言葉がわからない様だ。
外套の男は少女に向かって叫んでいたが、状況を理解したようで地の錠を受け入れたようだ。手首に錠の腕輪が嵌められている。隣に居る南方大陸の少年が通訳をしているので、彼が説得したのだろう。
『エルビー……』
不安げな少女を抱え直し、顔を覗き込むとやはり北方大陸の顔立ちだ。黒髪、黒目、しかし見慣れた北方国エスクランザの友人達よりも肌の色が白い。髪質も子供だからか、上質の糸の様に艶々ととても柔らかいようだ。大切に育てられてきたのだろう、肌荒れも無い。
ガーランドの竜騎士は、その特殊な出で立ちから幼い子供からは泣かれるか畏れられる場合が多いのだが、腕の中の少女は大きな黒目を興味津々に、頬を紅潮させてエスフォロスを見上げている。無駄に騒がず、竜酔いもせず、優秀な少女に感心していると、腕に違和感があった。
(……ん?)
少女の温かい体温、それを抱える腕の一部が更に温かい。そして、心なしか湿っぽい感じがした。
(まさか、)
持ち上げて見てみると、少女のお尻の部分がじわじわと濡れている。
(……ゲロと尿、どちらがマシかとは決めがたい)
内心のため息を、軽く目を伏せる事でやり過ごす。しかし、少女はふざけて粗相をした訳では無い。落下して極度の緊張感から漏らしたのだろう。仕方が無いのだ。
エスフォロスは少女をそっと降ろすと、連れの男が近づいて来た。見るからに東側の人種の特徴の男は、少女の血縁では無いはずだ。
(東側の男、南方大陸の少年、北方大陸の子供)
即、捕縛されてはいないので、南方大陸の少年と、副隊長の間で何かやり取りがあったのだろう、そうエスフォロスが推測していると、毅然と少女が男に何かを言い放った。
『大丈夫。本当に大丈夫。』
そして彼に持たせていた袋から衣類を取り出し、颯爽と雑木林に歩いて行く。
(聞き慣れない言葉だな。北方大陸語じゃない。しかも、東側の男を使っているということは、あの子供が主なのか?)
少女に命じられた男は、大人しく言葉に従っていた。
〈アラフィア副隊長、砦へ移送するのか?〉
〈そうだ。そこの南方のイグの話しによると、あの少女が東側のファルドの好色な指揮官から逃げて来たらしい。保護を求めているが、オゥストロ隊長に判断してもらう〉
〈好色なって、ファルドの指揮官ヴァルヴォアールといったら、東側中央の騎士団長ではなかったか?それがあんな少女を、追いかけ回しているだと?〉
エスフォロスは愕然とした。だが共に逃げて来た少年イグの証言なのだ。ほぼ間違いは無いだろう。南方大陸の者は嘘をつかない。
〈世も末だな。笑えるが、笑えないとはこの事だ〉
ヴァルヴォアールは自分の立場を利用して、幼い少女を追い回す事に軍を私用で悪用している。
アラフィアは、エスフォロスによく似た色合いの金の瞳を曇らせる。その話しの最中に、少女が林から戻ってきた。手には汚れた衣類を最小の大きさに畳んで持ったまま、すました顔で東側の男の横に立つ。そして強がった表情でエスフォロスを見上げた。
(……恥ずかしいんだな。でも偉いぞ。使用人に任せないで、自分で汚した物を持ち歩くとは)
粗相をしたというのにこの毅然とした態度、やはり貴族かどこか良いところの出だろう。だが子供ゆえか矜持ゆえか、エスフォロスの袖を濡らした謝罪は一切無い。
〈他に先行した二名も先ほど確保した。お前はその男、エミュスは少年、少女は私が運ぶ〉
〈いえ、俺が運びますよ、あの子供〉
弟の反抗に、アラフィアは疑問に眉根を寄せた。
〈…なんだ、お前。まさか、東側の騎士団長と同じ趣味を共有するつもりじゃあるまいな?〉
〈いえ、全く。そうではなく。あの子……その、漏らしたでしょう? 人を変えない方が安心しませんか?〉
〈……ああ、そうか。確かに、〉
〈〈……〉〉
澄まして佇む少女。それにアラフィアは納得を頷く。竜騎士に囲まれても毅然とした態度から、この場に居る隊員は少女が北方国エスクランザの貴族の子供だと思っていた。今も口を引き結んで、強がりにこちらを睨んでいる。
(粗相か、特にあの年頃は気になるかもな)
アラフィアは、弟であるエスフォロスに少女を託した。
**
「彼らは分かってくれたよ!」
「……そう」
「僕達は東からガーランドへ逃げて来たと伝えたの。君が話していた、ミギノがグルディ・オーサ基地の指揮官ヴァルヴォアールに追われているって事もね。あとね、ヤグとアピーとくろちゃんも大丈夫だよ」
「……そう」
獣人は自分が見た事しか語らない。
今回は、少女ミギノがグルディオーサ基地のヴァルヴォアールから逃げている事を、本人ではなくエルヴィーから聞いただけなので、その内容だけが、曖昧にガーランド国境守備隊に伝わった。
「これから第三の砦に移るって。彼らの話では、砦で君たちに質問したいって言ってたよ」
「……そう」
「ミギノは北方の子供だと思ってるみたいだけど、君は数字持ちだから、けっこう聞かれること多いかもね」
「……そう」
エルヴィーは、この状況がどうでも良かった。
ただミギノが滑落した事だけが頭にあり、とっさに助けようにも、少女が失われた事が衝撃で身体が上手く動かなかったのだ。
(外に出たこの三年間で、初めて恐怖で震えた)
ガーランド国の威圧的な女がエルヴィーに腕輪を嵌めるように言い出したが、上空にいるミギノの姿に安堵して深く考えないであっさりそれを受け入れる。通常であれば、そんな事などするはずは無いのだが、今もぼんやりと頭の神経が麻痺していた。
そして漸く少女が飛竜から解放され、抱きしめようと思い手を伸ばしたが何故か強く拒否される。それにもまた激しく動揺した。
(そうだよね、僕が谷であんな事させたから、ミギノは怒って当然だよ。ミギノの足の短さを計算に入れてなかった)
激しく落ち込み、その場を全てイグやガーランドの兵士達に支配されても、エルヴィーは何も反応出来ずに佇んでいた。
(最近……調子悪いな。なんだかずーっと体も頭も怠いし重い。エミーに無視されたよりもぼーっとしてる。そのせいでミギノの事、ちゃんと見れていなかったのかも。……ミギノ、こっち振り向かないかなあ)
先行する灰色の飛竜に乗せられた小さな少女は、谷から落ちた恐怖で粗相をしてしまった。それもエルヴィーの所為だと責めて睨み続けていたのだ。晴れない気持ちを抱えたまま、見渡す山の稜線に人工的な灰色の建物の陰が見え始めた。
***
ーーートラヴィス山脈国境線第三の砦、
見張り台駐屯地。
砦に到着し飛竜を放す。彼等はとても気性が荒い。そしてとても気まぐれだ。竜舎が気に入ってそこを寝ぐらにするものと、駐屯地の近くの岩屋に帰るものと好みが分かれる。
仕事や訓練、食事の時は、彼等にしか聞こえない笛で呼び、友人として接し、けして括って縛り付けておく事はしない。
昔々からの竜との約束事だと幼い頃から教えられ、竜の生態的にそれが向かないことを知っているからだ。
エスフォロスの相棒は、駐屯地の敷地内を探索したい派なので、仕事が終わってもよく人間を観察している。窓の外から中を見ていたり、休息は砦の壁に留まっている。
そして竜はむやみやたらに糞を撒く事はなく、山脈や岩場、決まった場所で済ますのだが、それは突然発生する事がある。
たまに気まぐれに落下する、飛竜の糞。
それに彼らの機嫌を故意に損ねると、わざと人を的に落として遊ぶ事もあるのだ。その場合は国民に、飛竜糞注意警報が発令される。
軍には飛竜糞特別部隊もあり、その部隊は糞対応を専門的に行う。除去清掃、成分分析。等々。ガーランド竜王国では補給部隊と共にとても重要視されている。そんな長い歴史がある。
**
不審者を捕まえたエスフォロス達は、彼らを砦の尋問室へ連行した。だが飛竜を降りて駐竜場から移動し始めると、背の低い黒髪の少女は、うろちょろと隊員の間をすり抜けて勝手に建物へ入ろうとする。
〈待て、勝手に彷徨くな!〉
地の錠を掛けている者は東側の男だけ、南方大陸の三人と北方大陸の少女には付けていない。これは危険性は無いと判断した、アラフィア副隊長の判断だ。何も拘束の無い黒髪の少女はエスフォロスの注意に振り返ると、生意気にもその目は座っていた。
「お手洗い、お手洗い」
言ってきょろきょろ辺りを見回す少女は、東側の言葉を拙く話す。
〈さっき、出しただろう……俺の腕に……〉
〈言ってやるな、気になる年頃なんだぞ。どれ、私が連れて行く〉
アラフィアが少女を連れて用足し場へ向かう。その間にエスフォロス達は、東側の男と南方大陸の者を引き連れて尋問室へ向かった。




