ある魂の憂鬱 01
「ねぇ、君たちって、報復はしないの?」
魔戦士からの問いかけに、イグは跳び上がった。
*
人気のない獣道になり果てた、古い農道を探し出し、五人は竜王国の国境を目指す。トライド地区を出ると、少女への恩は返し終わったからもういいと、エルヴィーに伝えられた獣人の三人は顔を見合わせた。
彼らは特に行く場所は決まっておらず、ヤグとアピーはイグの決定を待った。この三人の中の、行動決定権は今は賢いイグにある。
「僕たち、君たちに付いて行きたいんだ」
イグの言葉に、恩人の少女にしか関心の無い魔戦士は、意外にも否定を唱えなかった。イグとヤグの目的は、東大陸の探索と商談、珍しい物の収集。少女アピーは、なんとなく一人が嫌で付いて来ただけだった。
(イグってまだ、魔戦士に興味あるんだね)
友人の決定にヤグは頷き、エルヴィーの否定も無く恩人ミギノも喜んだことから、彼らの旅の同行は決まった。
軍人の追っ手を避け、黒髪の少女が歩ける場所を探してガーランドの国境を目指す。その道中、珍しくエルヴィーが話しかけてきたのだが、内容は、イグ達を奴隷にした人間への報復行為についての質問だった。
*
「僕たちを閉じ込めていた人は、皆、捕まったからね」
「白狐は捕まって無いよ」
イグは白狐と言われて首を傾げたが、直ぐにミギノに纏わり付いていた、全身が白い男を思い浮かべる。
「色無人の彼は、ミギノが来てくれた刻に初めて会ったんだ」
「へぇ、そうなんだ」
質問してきたはずのエルヴィーは、興味がなくなったと言わんばかりに無表情になる。イグは焦った。魔戦士からの積極的な会話の機会を逃したくは無い。
「でも、僕たちを殴ったあの人たちの臭いは、一生忘れないよ。次は拘束されないように狙うよ」
「捕まった刻は、この大陸に来たばかりで、僕たち無知だったしね」
「……」
ヤグもイグに同調したがエルヴィーの目線は、アピーと先をぶらぶら歩く少女ミギノへ向かったたまま、会話は終了してしまった。
******
「ガーランドへ行く」
「いいよ、ミギノが行きたい所なら、何処へでも連れて行ってあげる」
(だが玉狩りを信用する事は出来ない。未だに何を考えているか分からんからな)
オルディオールは今、メイの肩に乗っている。少女の両隣には獣人の少女と黒猫が同じ歩調で歩いていた。
(しかし。まー、なんつーか、ほのぼのと気の抜ける光景だな)
これからオルディオールは、五十年前より以前から、国交が断絶しているガーランド竜王国へ軍事協力の依頼をしに行くのだ。通常の過程であれば、軍事会議を召集し、相手国へ打診をし、会合を開き、必要な部隊編制をして、などなど、慎重に事を進めるのだが、今回のオルディオールはふざけた少女の肩に乗り、のんびり農道を散策していた。
(この人員編制。任務達成不可しか、想定出来ねぇな)
人間とは音信不通を極める玉狩り。
人間を観察対象としている獣人。
メイ。
(不安要素しか見当たらないが、特にエルヴィーだ)
いくらメイが、しがみついてガーランドへ行きたいと言ったところで、どの機会で行動を翻すか分からない。青年は外套に顔を隠して少し後ろを歩いているが、その目は監視するようにオルディオールを捉えていた。
(かと言って、こいつとメイを誓約させて、縛り付けることは不安がある)
一番気にかかる事は、少女を大切に見ている様で、見ていない視線があるのだ。人の目や感情を読む訓練をしていたオルディオールでも、エルヴィーの思惑が測れない。
(注意する事にこしたことはないが、…!)
そう、オルディオールが思案していた刻だった。突然つかまれ、少女の肩から遠く、見えない藪の中へ放り投げ飛ばされたのだ。
(膂力は申し分ない。いい、投げっぷりだ)
遥か空中に放られたオルディオールは、冷静にそれを考える。もちろん自分を投げ飛ばした者は、エルヴィーだと判断出来た。完全に油断をしていたが、まさかこんなに気持ちの良い正攻法で、オルディオールを排除しにかかるとは思っていなかった。
ぱさり。
ぺちゃ。
自分の軽い体積が大きな葉に乗り地に落ちる、とても憐れな音がした。
(……)
オルディオールには顔は無いが、むくりと起き上がり辺りを見回す。
(ち、何処だ。ここは。……あの野郎。面倒くせぇことしやがって……)
生い茂る葉しか見えない。だが相当遠くに投げ飛ばされた感覚はある。
葉の茎を登り、背の高い広い葉っぱに飛び乗った。安定感があり落ちない事を確かめる。そして上空を確認。
(よし、鳥は居ねぇ、が、本当に何処だか分かんねぇな……困った)
広がる草原、そして目の前には遠方を遮る林。内心ため息して振り向くと、そこには黒猫が真上からオルディオールを見つめていた。
(……!!!)
ブルリ!
「にゃん」
(びっくりさせてんじゃねえよ! バカルピノル!)
猫は街角で出会した刻と同じ、じゃれつくでも無くクルリと向きを変えて歩き出した。
(……待てよ!)
オルディオールは跳び上がり黒猫を追う。そして猫も仲間だった事を思い出した。
(乗せていけ!)
ぴょんぴょん、ぴょん。
無事、背中に着地。
「ナーン!」
この日、オルディオールの中で黒猫は、この班の副長へと昇進した。
***
ーーートライド南西、とある宿屋。
(くだらない事で、揉めやがって)
宿屋に着いて、イグは部屋を二つ取った。しかし、いざ部屋の前に来てみると、ミギノがアピーと同室になると駄々をこね始めたのだ。
『女子、女子。私たち、チーム女子。男子はあっち』
何を言っているかは相変わらずよく分からないが、文句を言っていることは表情を見れば分かる。これにはエルヴィーも難色を示した。彼は当然、保護する少女と同じ部屋だと思っていたからだ。
「ミギノ。我がまま言わないの。何かあったら困るから、絶対に僕と一緒」
『隣なんだし、いいよね?』、
「ヤメテよぅ、ヤメテよぅ、やぁだよぅ、お願いします」、
『女子トーク女子トーク! 男子禁制、秘密の花園!』
よく喋る黒髪の少女。身振り手振りもついているが、願っている以外はよく分からない。獣人達も困惑気味だ。
「甘えたって駄目なの。無理無理。ダメダメ」
『エルビー、しつこいな。乙女の女子トークの恐ろしさを、繊細な君たち男の子に耐えられると思っているのか? 下ネタだって、実際の女子は夢も希望も無い、リアルな情報交換なんだぞ。私はそれで、夢も希望も壊されたままなんだそ!』
「……」
まだ異国語が終わらない。
エルヴィーは無表情になっていく。
折れる様子が双方には無かった。そこで気を利かせたイグは二部屋を取り止めて、四人部屋を一つ取ったのだ。この宿屋での最大人数の収容部屋だ。それでひとまずは落ち着いた。
夕食後、少女の熱望により彼女は就寝前に宿の浴場を使う事になったのだが、オルディオールは玉狩りと少女が完全に離れる、その機会を逃すまいと浴場に駆け込んだ。
**
「おい。クソガキ。勘違いしてんじゃねぇぞ。お前のペラッペラに興味があんのは、ごく一部の変態どもだけだ」
(……)
脱衣場で下穿き一枚で黙するメイ。丸い玉が脱衣場に投げ込まれたと思ったら、急に口の中へ飛び込んできた。突然の入れ替わり。そんな紳士では無いオルディオールを見下し中なのである。しかし、鏡の中の自分は、逆に自分を見下している。
(……)
「あいつがお前にべったりで離れないからな。いいか、言っておくが、あの玉狩り野郎に、俺とお前の誓約の事は一言も喋るなよ」
(イヤな予感。喋ったら、ドウナルノ?)
オルディオールは少女とは入れ替わりもせず、的確に質問に答を返す。
「…裸で農村を歩き回っても、つまらねぇしな。ここには残念な後輩も居ない。だから白狐には悪いが、玉狩り野郎にこのペラッペラの身を捧ぐ」
(!!!)
ルデア野郎。それはエルビーのあだ名である。
「基地でヴァルヴォアールが言ってただろう? あいつも奴と同じ、娼館仲間の素人日照りだから。聞いた感じじゃ、残念なヴァルヴォアール様よりやばいかも。次の日、立てないだけで、済めばいいけどなぁー……。この村には、医者は居るかなぁー」
(……!!!)
経験豊富な友人による、メイの耳年増性教育はレベルが高い。それにより、メイの初体験への恐怖が増していったことも事実である。
「頑張れよ。それが嫌なら、喋るなよ」
(……グランふふーん、恐るべし……)
少女はこの日初めて、誓約の恐怖を思い知った。
「あと、お前には、体力作りをしてもらう。毎朝走り込みをしてもらうからな。しょうがないから起こしてやるよ」
(……)
メイは黙して語らない。今のは聞かなかった事にしようとしている。もちろんオルディオールにはお見通しだった。
「命令だからな。やらなかった場合の罰は、そうだな。……新たに考えておく」
(……ぎゃふん、ぎゃふん、やだなぁー、やだなぁー、絶対やだなぁー。運動のために、早起きしたくないなぁー、)
「それと、何故ガーランドへ行くのか説明しておく。これはお前の誓約への道筋でもある」
鏡の中、強く自分を見つめる自分。オルディオールには見えないが、メイも強く頷いた。
ーー『帰る』
そのために、ガーランドへ行くのだ。メイから反対の意見が出るはずは無い。それだけ言うと、オルディオールはメイと会話のやり取りをせずに身体から抜け出す。液状から球体に固まると、そのまま浴室から出て行った。
**
「柔らかいよねー……」
浴場から戻って来たメイは、疲れが出たのか先に寝ていたアピーの寝台に潜り込むと、ぐっすりと寝てしまった。その横には黒猫も寄り添って暖をとる。
無防備に完全熟睡を始めた少女を、イグとヤグは興味津々で覗き込んでいた。もちろん一緒に寝ているアピーと黒猫は、熟睡なんてしていない。イグ達が近づくと気配で目を開け、確認後にまた閉じる。だが黒髪の少女だけは、寝台にぱたりと倒れ、それから微塵も身動きせずに熟睡していた。
珍しい。
そんな者を見ることは、獣人の三人は初めてだった。ここまで一緒に居たエルヴィーも、やはり熟睡なんてしているところを見たことが無い。東大陸へ渡る為に利用した密航船には人が乗っていたが、やはり熟睡なんてしてはいなかった。
この世の中、何処の地方でも戦争や内乱があるのだ。完全に安全が確保された家でさえ、獣人でなくともやはり音や気配で起きてしまう。
しかし殆ど初対面のイグ達、しかも男性達を前にこの状態。彼らは旅を許された十四歳、獣人の中では立派な大人である。イグは別の文化への興味が強いが、ヤグは番探しの旅でもあった。
異性は気になる。
だが、これほど無防備な生き物は、いかがなものかとも考えていた。危機管理が足りなすぎると、長く生きていけないのだ。子孫を残す事にも不安が過ぎる。
イグに白くて丸い頬を、爪で突かれても一向に起きる気配が無い。触れても起きないなんて、獣人達にとってはとても珍品だった。
「ふにゃふにゃだよ」
「今が一番食べ頃だよねぇ」
「ミギノに何かしたら殺すからね」
物騒な会話が自然に混ざり込んできた。しかも決定だった。振り返ると少女達の隣の寝台に座っていた魔戦士が、無表情でこちらを見ている。
イグとヤグは頷くと、何をするつもりもなく、ただ世間話で言った自分達の言葉に戦慄し、慎重に頷きながらそれぞれの寝台に戻っていく。
その光景を、青い玉は少女の寝台の端から、ぼんやりと眺めていた。




