12 掌握 12
「どういうことですか?」
信じる訳は無い。
しかし黒い瞳は揺るぎが無い。北方の幼い顔立ち、猫のように少し上がった目尻、生意気な表情はそのまま、真摯に少女はシファルを見つめた。
**
大人の話は難しい。
いや、私も大人の女なのだが、あと約半年は子供なのだ。選挙権はあるのに、酒もタバコも法によって禁止されている。
大人の都合は世知辛い。
そして今、私は妄想もせずに本当の無になっている。
……サイレント……。
半目、悟り、もはやこれは釈迦の境地。
瞑想、内観、己を振り返るとても有意義な時間。
…………………………ぐぅーーーーぱん!!!
(はっ!!!)
**
「何ですか?」
静まり返った緊迫した室内。
屈強な男達に囲まれ、貴族の青年と対峙した少女は、突然なんの前触れも無く空中に手を叩いた。
「いや。虫だ」
「虫……?」
(ワタシ……虫……?)
メイの居眠りに気づいて冷静に対応する。何故かオルディオール自身、この大事な場面で眠くなってきたのだ。原因はふざけた少女しかいない。
「誓約に関しては、差し出すものは何も無い。まあ、敢えて言えば、イエール・トル・アレとミルリー・プラーム、ファルド帝国の〔英雄〕の犠牲になった二人に捧げる、としか言えないな」
シファルは怪訝な表情で少女を見返した。
「誓約は、取れれば都合が良いというだけの事だ。俺とお前では、信頼関係は何も無いからな。まあ、簡単に取れるのは無知なガキくらいだろう」
「では、お引き取りに「大掃上は知ってるな?」
無礼にも、少女はシファルの言葉に被せて話しを切り出す。これには温厚を装うシファルも、苛立ちに眉間を寄せた。
「その、二発目が来るだろう。この一年以内に」
「「「!!」」」
〔大掃上〕、トライド王国に悲劇をもたらした狂気の大魔法。
シファルは目を見開き、周囲の男達も肩を揺らす。これは意外な情報なのだ。誰しもが予想していなかった。
「騎士団長による、グルディ・オーサ基地の地固め。あれはガーランドとの戦準備だろう」
グルディ・オーサへの騎士団長の集結、それはシファル達も知っている。より詳しく調べようと、西のグルディ・オーサ基地のリマ公爵に接近していたが、ファルドの第一師団に動きがあり直ぐに手を引いた。
「せっかく集めた奴隷被害者達。それを指示したトライド王。これをファルドに知られては問題があるだろう」
シファルは目の前の少女に、詰めていた息を軽く吐いた。観念を表そうとしたシファルの前に、少女の白く幼い指が一本上げられる。
「まだだ。お前達は何故、トライド王国が未だ〔属国〕であるか理解しているか?」
これにはシファルも皮肉めいた表情で少女を笑った。
「〔英雄〕エールダー公爵が、命をかけて護ってくれたからでしょうか? または、彼を目にかけていたファルド帝王の遺言か」
誰しもがそう思う。皮肉にも、トライド国民も王族も、これだけは黒蛇に感謝をしなければならないのだ。蹂躙され、国の名前すら奪われて、ファルド帝国に統合された周辺諸国との違い。
それはエールダー公爵が、この国に情婦を持ち騎士団長を誑かしたこと。
死んで〔英雄〕となったオルディオール・ランダ・エールダー公爵は、皮肉にもトライド王国の名前だけは奪わなかった。
「違う」
少女はシファルを強く見つめる。
(俺が居ないのに、理由無く他国を存続させることは、あの国にはあり得ない)
「この地をファルド帝国の盾にするためだ」
これには周囲の男達からも異論が上がったが、シファルはもう止めなかった。
「盾になる、軍も兵士も居ない! 王城に少数居るだけの、近衛騎士でも引っ張って来るって言うのか?」
「爺さんばっかだぜ。それを強いてるのも、ファルドじゃねえか!」
「どうせ戦争になったって、ここは通過点になるだけだ!」
その通りだ、笑わせる。それは次々に強いヤジとなる。彼等は五十年前に、国境線の戦いで男家族を盾にされた子孫なのだ。少女は騒がしくなった辺りを見回すと、またシファルに視線を戻す。そして周りのヤジを一通り聞き流すと、小さな桜色の唇を開いた。
「別の国を戦地にする事が重要だ。それだけで、ファルド国内の不満は下がる」
「なに?」
「ファルド国民の不満を下げる。その為だけの盾」
「ファルド帝国の土地を、戦地にしない為だけの盾か、」
ーーあまりにも単純で、それを想像しなかった。
(いや、頭の片隅にはあったが、そうはならないと無意識に外していた)
これはこの国に生まれた者には、耐え難い屈辱だ。
口々に人々はエールダー公爵への賛辞を謳うファルド帝国。そして逆に、エールダー公爵を禍と呪うトライド王国。ファルド帝国への復讐。その怒りを利用され、黒蛇に国を残して貰ったことを屈辱だと、無意識にこの問題を逸らしていた。
(こんな単純なことを)
気づいた時にはもう遅い。
小さな小国トライド王国。
シファルは自然に、きつく拳を握り締めていた。
「ここは俺達の、帰る場所なんだ」
悪事に手を染め、ファルド帝国へ細々と復讐を重ねてきた。奴隷となった同胞を買い戻し、ファルドに麻薬をばらまいた。トライド王国で生まれ代々王族に仕え、復讐と救済を悲願と決めた一族がシファルの家ノイスだ。
(それが次の戦争で、全て無に帰す)
呆然と少女を見つめ、シファルは佇んだ。
(大魔法を使う大聖堂院を相手にするような組織は無い。ファルドの城下街を仕切っているとはいえ、所詮は裏でこそこそと犯罪を犯しているだけだ)
「方法はある」
消沈したトライド国民シファル達の前に、少女の生意気な表情だけは変わらない。胡乱な瞳を向けると、それは晴々と笑った。
「ミギノ殿、あなたは一体、」
何者だ。
何度でも、この不思議な少女に同じ疑問を投げかける。だが、全てに関わりのある者と自称する、少女は笑って同じ事を言うだけだった。
**
結局、オルディオールとシファルは誓約をしなかった。
「ならば我々との商談は、あなたが信用に値する結果を示してからということで」
「もちろんだ。だが俺が結果を形で示せば、お前たちにも逃げ道はなくなると覚悟を決めろ」
「……」
(胡散臭いこのガキを全て信じた訳ではないが、この内容を、子供の戯れ言と無視する事は出来ない)
もちろんシファルは、結果を示すと言った猶予期間に少女の怪しい背後に関して探りを入れるつもりだ。
「では契約書類に魔石をかざして下さい」
(……)
「こうか?」
「はい。内容が転写されました。ではお連れの方の部屋にご案内を」
シファルはミギノの無礼な態度を不問にすると、そのまま速やかに玉狩りとの帰宅を促した。だが小さな少女は、大きな椅子に悠然と腰掛けて動かない。首を傾げた案内の者に、退出を促したシファルは軽く顎を上げた。
「ところで白狐はどうする気だ?」
「……係の者が適切な対応を取っているでしょう。…好いた者は気にかかるのかな?」
思い人の安否を尋ねた。少女の弱音にいつもの自分を取り戻したシファルは慇懃に微笑む。この生意気な少女と対峙してから、常に心を乱されたままだったのだ。
(所詮は愛やら恋やらに、現を抜かすただの小娘だったということか。いや、妙に落ち着き払ったこのガキの、年頃の姿が垣間見えて安堵感の方が強いかもな)
適切な内容とは死へ誘う拷問である。意味を知ってか知らずか少女はまた大人ぶるような表情で一つ頷くと、床に届かない足をぶら下げ身を乗り出した。
「お前達は忙しくなる。拠点はここ、トライドが中心になるはずだ。今更、新しく他の手足を探す事は無い。俺が情で、お前が誓約で縛ってしまえば、奴はかなり使い物になる。違うか?」
この内容に、シファルは目を閉じた。
「使い物……?」
シファルの思いを口から零したのは、少女を促すために待機した背後の男。
今回のありふれた失敗に失望したとはいえ、ソーラウドはシファルの子飼いの中では、一番期待をかけた者だった。
人としての情が無い事から仲間に引き入れるのを保留し、様子を見ていた破落戸ソーラウド。彼の情の成長を望み、今回その対象の少女を連れて来たので、内心喜んでもいたのだ。それが。
(片恋だったのか、やっかいな者に惚れたものだ)
「刻が惜しいからな。使えるものは多い方がいい」
一度切り捨てたとはいえ、少女の言いようにソーラウドへの憐れが滲む。
(言われるまでも無い)
言いなりになるわけではないが、それは考えていた事だ。
「俺もあれには、成長を期待している」
「……」
シファルが言うはずの言葉を、何故か得意げに少女は言った。まるで何処かの隊長の様に満足げな少女に、シファルの部下達は顔を見合わせた。
******
エルヴィーは獣人三人とここで待つように、ミギノに強く指示された。
(トライド国で再会してから、ミギノの様子がおかしい)
グルディ・オーサ基地内では、エルヴィーを見ると喜び飛びついて愛情表現してくれたのに、ここに来てそれはまだ一度も無いのだ。それどころか、妙に距離を置かれている気がしてならない。
(それと気になる事がもう一つ。言葉遣いが、すごく雑。基地内では、言葉を覚えたてで拙い感じだった。それがとても可愛かったけど、今は)
たった一週間ほど離れただけでそれが無くなった。おまけに男言葉をスラスラと喋り、良くない教育を受けていると推測する。
(基地内ではメアーとステルの真似をたまにしてたけど、ここには彼らのような人達しか居なかったみたいだね)
窓から見下ろした寂れたトライド王国は、破落戸が往来を闊歩する。それを取り締まる者達も破落戸との見分けがつかない。
(……よくないよね。教育に)
「それにしても、なんか、大丈夫なのかな、ここに居ても」
イグはヤグとお茶を飲みながら、窓際に佇むエルヴィーを見上げる。アピーは頻りに辺りを彷徨き、匂いを嗅いでは止めてを繰り返していた。
獣人の彼らの役目はまだ終了していない。ミギノはまだトライド国を出ていないのだ。エルヴィーも、居れば便利と気づいた彼らの使い道を考えて接している。問いかけに故意の無視はもちろんしていない。
「さっきから、物騒な言葉ばかりが聞こえるよね。遊びで言っているのかな?」
「わかんない。でも声の高さから、楽しそうじゃないよね。…本当に僕たち、ここに居てもいいのかな?」
「ミギノが興味を持っているみたい。大丈夫じゃないかな」
「「……」」
曖昧だ。
質問返しこそなかったが、イグとヤグの不安は一切解消されない。
「ねぇ、そういえば、さっきの誰だったの?」
イグはこの屋敷に来て、恩人ミギノが別室に移動する間際、エルヴィーとしていた会話が気になった。
ーーハーメイラ・ラルドハートを知っているか?
ミギノがエルヴィーに言った誰かの名前。言われた方は「うーん、」と、言ったきり首を横に振る。それで終了したのだがイグにはとても気になった。
エルヴィーはイグにも再度、首を横に振る。
「知らないよ」
とても明確な答えに満足し、何故か質問の内容がどうでも良くなったイグは、高級な香りのお茶を沢山飲み始めた。
「お茶菓子無いね」
「僕持ってるよ、トライド鼠の干物。アピーも食べる?」
「……いらない」
「ミギノの様子を見てくるね」
この部屋から出るなと、少女に強く言い含められはしたが、所詮は口約束なのだ。エルヴィーは三人を置いて客間を後にした。
***
ーーートライド王国、シオル商会本拠地。
執務室前の廊下。
誓約が終わったソーラウドは、少女ミギノとシファルの執務室を後にした。廊下に出ると隣下から、ソーラウドの大切な少女が不満げに見上げている。
「おいお前。しっかりしろよ」
ぶっきらぼうに、可愛らしく吐き捨てた少女を、傷だらけの男は突然抱きしめた。
(生きている。俺。しかも、何故か昇進までしてしまった)
占いなど一切信じはしないが、それが全て、目の前の少女が幸運を運んで来たように感じてしまう。
「止めろ」
オルディオールにとっては、最早ソーラウドは出来の悪い部下の一人になっている。大きなソーラウドに小さな少女は抱きしめられたまま、だが。
(……おい、あれ、)
廊下の先、それは静かに佇んでいた。
音も無く歩み寄る人陰の、気配は一切無い。
(ヤバイ。殺られる。白狐が、)
更に無表情のそれがソーラウドの背後にたどり着くと、鋭い少女の声が廊下に響いた。
「待て!!」
エルヴィーに片手を上げて行動を制する。訝しむソーラウド。無表情のままのエルヴィー。しかし、動きは止まったが、灰色の瞳は白い頭髪を見つめたまま。
(俺の部下となったこいつに、手は出させないぞ)
オルディオールは身体を張った。張るのは自分の保護者の少女なのだが、気持ち的には相当張った。すがり付くソーラウドの腕から猫の様にスルッと飛び出て、エルヴィーの身体に飛びつきしがみつく。
(これは大きな犬。これは大きな犬)
「ミギノ?」
「……ぅオツカレー?」
「ふふ、大丈夫、疲れてないよ」
少女の国では見知った者への挨拶に、何故か相手の体調不良を問いかけるものがある。これを言いながらしがみつくと、エルヴィーが喜ぶ事をオルディオールは基地で学んでいた。そして狙い通り、無表情だった顔はとても緩やかに緩み微笑む。
「……」
(ん? お、ヤベぇ、)
振り返ると、赤い目を大きく見開いたソーラウドが、愕然と浮気を目撃していた。切れた瞼は腫れ上がっているが、赤い瞳はだんだんと眇められていく。
しかしオルディオールは冷静にそれを目で制し、ソーラウドに二度、強く頷いた。
「……?」
ソーラウドは、解せない顔で頷き返すと、堪えるように口を引き結ぶ。
(よしいいぞ。そのまま待機。そのまま、そのまま。しかし犬と狐かよ。俺は調教師じゃねぇし。なんなんだこれ……ん?)
エルヴィーに抱きつき、ソーラウドに〔待て〕と頷きこの場を制した少女姿のオルディオールだが、開け放たれた扉の中、十数人の厳つい男達の奥に佇む当主の青年と目が合った。
「……」
(……見てんじゃねえよ!)
廊下で突然響いた少女の鋭い声に、退出したばかりの執務室の扉は大きく開かれていたのだ。凄味無く眉間に皺を寄せるオルディオールだが、彼の中の少女は静かに状況を分析していた。
(白狐面との強烈ハグの後にすぐ、待ちきれずエルビーにボディーアタックしながらの、媚び媚びお疲れさま? …私、今、クールな表情の紳士風に、絶対ビッチ認定された気がする)
彼氏居たことナイノニ……。




