09 相違 09
狭い部屋には沢山の子供達。
定期的に食事は与えられ、たまに外に出されると、怖い顔の男と女が子供達を叩きながら言葉を教え、身の回りの世話をする。
部屋から出て、生まれて初めての長い外出。
そこで待ち構えていたのは、臭い男と女と、その子供達だった。彼らは少女を乱暴に扱った。彼女を暗くてとても汚い、今までの部屋よりも更に狭い部屋に閉じこめると、早く子供を産めと怒鳴り始める。
その狭すぎる部屋には他に二人の男が居たが、匂いから同じ部屋で暮らした子供達では無い事がわかる。
何日も何日も、少女は独り、狭い部屋の中で蹲っていた。
ーーガチャン!
ギギギ、カツカツカツカツ。
「生きているのか?」
騒音と共に大勢の男が部屋に入って来た。
男は狭い部屋から少女を連れ出すと目に布を巻く。とても怖くて耳を伏せ怯え続けていたのだが、柔らかく柔らかく頭に触れられた事が気になって、徐々に恐怖が薄まってきた。
初めての優しい感覚。
穏やかな声。
この匂いを忘れない。
******
アピーの忠告に、真っ先に反応したのはエルヴィーだった。
(あの子の言う〔黒い人〕とは、エスク・ユベルヴァールのことだ)
彼女はこの国に入る前、同じ内容を忠告してくれたのだ。エルヴィーは今、フロウの率いる第九師団に追われている。何故ここに向かっているのか訝しんでいたが、意外にもその答えを黒髪の少女が冷静に言った。
「さっきの爆音か」
「そうだよね、ミギノ。よく分かったね」
あれだけの大きな音だ。周辺の住民が騒いだのだろう。少女の成長に、頭をぽんぽんと褒めるエルヴィー。
(ここで軍には関わりたくないな、)
突然ミギノが破落戸の白狐ソーラウドを、好きだと言い出した。これは脅されて言わされているのだと分かっている。それ以外に、ミギノが白狐と関わり合う理由が無いからだ。
ソーラウドはミギノを俺の女と喚いていた。
(何かの企みだろうとは思うけど、本気であるのなら許しはしないけどね。ミギノは僕のものだから)
ーー『よかった、よかった』
異国語で喜びを繰り返した。エルヴィーとの再会を喜んでくれた少女に、彼は言い様のない喜びを感じていた。
エルヴィーはグルディ・オーサ基地内で言葉の勉強をしていたのだ。ミギノはエルヴィーの言葉を、エルヴィーはミギノの国の言葉を。フロウが居ないメアーの医療室に戻ると、エルヴィーは少女の言葉を覚えようと毎晩会話をしていた。
『あそこにあるよ。ありがとう』
『こっち、こっち、ダメダメ』
『ここだよ、ここに居るよ』
少女がたまに発する言葉を聞いて繰り返し、ミギノが簡単な言葉を理解してくると、それと意味を照らし合わせた。そうすれば、いつも緊張で気を張っているミギノが、とても柔らかく笑うから。
だから今回それを利用した。
*
東に位置した貴族の屋敷は広く、周囲は軍人が隙間無く固めていた。身一つで何かをし完了させるなら突入も可能だが、そこからミギノを傷つけずに連れ出す方法が浮かばない。思案していると、遅れてやって来た獣人達がいい手があると言い出した。
「音を遠くに飛ばして連絡できるよ」
獣人達は遠くに居る者への連絡方法として、音を飛ばして連絡し合うらしい。しかもそれは個人に飛ばす事も可能なようだ。
「あの子の場合、僕たちみたいに個人的に特定の〔音〕を持っていないから周囲にも聞こえるだろうけど、君たちにも似たものがあったよね、暗号だっけ?」
「暗号は似てるのかな? でも直ぐに使えて遠くに音を飛ばせるって、便利だね」
エルヴィーが誉めると少年イグは、喜んで茶色の尻尾をブンブンと振り回す。
「仲間の悲鳴が聞こえたら、何かしら警戒か行動するだろう?それと同じだよ。あ、そういえば…」
イグが後学の為と、目を輝かせて聞いてくる。エルヴィーは彼等の便利な能力に頼るため、それに了承して質問を受け付けた。
「ハグ、あ、あなた達って、相手に悲鳴を上げさせたり、それを聞いて笑ったりって、普通なのかな?」
「…どうかな。普通なのかな」
「え……」
実に曖昧な表現だ。質問を質問で返されて、イグは疑問を深めてしまう。それをヤグが引き継いだ。
「俺達が会った者達は、そういう者達が多くてね、捕まっていた家の人は、皆そうだったんだ。子供までだよ」
驚いたよね。うん。とイグとヤグは頷きあう。
「初めは意味があるのかと警戒してたんだ。もっと強い奴が出て来るとか。でも、違ったんだ。なんだか、俺達が大声を上げるほど喜ぶんだよ。それだけなんだ」
それは拷問や実験でよくある光景だ。
エルヴィーは大聖堂院の研究室でよく見ていた。だが肯定を頷くだけのエルヴィーに、イグの尻尾がへたりと下がる。
「普通なのか? ……そうなんだ。難しいな」
学者の様に顔をしかめるイグに、話を聞いていたヤグは同じ様に頷いた。
「俺達の所では、大声や遠鳴き、悲鳴は伝達手段なんだ。呼ぶためや危険を知らせるためのね」
理解は出来る。大抵の人もその解釈だろう。
「でもさ、策略とかで態と悲鳴を使う事もあるけど、それを聞いて笑う者は居ないんだ」
イグ達が囚われていた屋敷の連中は皆、イグやヤグが悲鳴を上げることを聞いて喜んでいた。彼らの子供まで。
「それをする者は、頭が病んでる。正常な判断が出来ない病気の発生として、療養島へ移動させられて治療されるんだよ。……文化や種族の違いって、難しいね。ありがとう。勉強になったよ。……そうか、無人はずいぶんと寛容なんだね」
「寛容って言うのかな? あんなの、普通子供に見せたくないよね。可哀想で」
エルヴィーは、彼らの言葉にただ頷いていた。
*
獣人の伝達方法〔遠鳴き〕。
更に少女だけに分かる言葉を使用しておびき寄せ、無事に確保することが出来たのだ。
(もっともっと抱きしめて、これ以上抱きしめたい。でもミギノ、どうしたんだろう、)
喜びもつかの間、彼女は突然泣きそうに口を噤んでしまった。
「すごく近く! 曲がり角の向こう側に居るよ!」
アピーから兵士達との距離が更に縮まったと知らせが入る。エルヴィーは黒髪の少女を見つめた。
「分かった。じゃあ行こう。でも僕からは離れないでね」
**
(何の理解だ? お前もこのガキと同類か? 頭に何が咲いてるんだ?)
話の通じない玉狩りに、オルディオールは少女の顔で眉間に皺をよせる。迫る軍隊、エルヴィーの妥協案に、ソーラウド達は相当に不満を吐き出したが、なんとかこの場から移動することに成功した。
***
ーーートライド、表参道北。
廃屋の貴族の敷地が多い地区。
不審者の玉狩りを連れてシオル商会へ行くはずもないソーラウドは、あえて逆の北へ入った。この地は廃屋が多く、警邏や軍に見つかれば悪目立ちする土地柄だ。
(鬱陶しいな玉狩りめ)
オルディオールはこの廃屋地帯に玉狩りを捨てて、シオル商会の所へ急ぎたいと考えた。しかし、エルヴィーという男はなかなか黒髪の少女から離れない。
(離れないでとは言われても、お前が離れないんだから、離れようが無いくらい鬱陶しい奴だな)
オルディオールは離れたいのだ。そしてソーラウド達は役には立たない。
(こいつらも、もう少し使えると思ったんだがな)
ソーラウドは何故かぎくしゃくと挙動が不審だ。初めはエルヴィーの提案に新たに怒りを噴出したソーラウドだったが、煩いから少し黙れの意味合いを込めてメイの姿のオルディオールが無言で軽く頷いただけで、あっさりとエルヴィーの同行を許してしまった。
尻に敷かれている。
(こんな胸も尻もペラッペラのガキの尻に、敷かれてお前はどうするつもりだ)
このまま無駄な軍との追いかけっこを続けるつもりは無い。エルヴィーは予定が狂ったが、他の軌道修正は可能だ。先にシオル商会と会えばいいだけなのである。
オルディオールは、ずうずうしく自分によじ登り始めた黒猫を担いで歩いていたが、それをエルヴィーに渡すと「エサ、エサ、腹減った。私はお手洗い、お手洗い」と、言って少女の真似をし、その場を離れることに成功する。
「……」
物陰から玉狩りを窺う。今のところエルヴィーは追って来る様子は無い。獣人達に話し掛けているので本当に猫に食事を考えているようだ。
(この隙に)
出来ることならば、玉狩りとはあくまでも穏便に、自然に道を別ちたい。オルディオールは少女メイの身体のままに、ソーラウド達に話しをつけに行った。
(奴らはシオル商会へ行く話しをしているはずだ。途切れ途切れに聞こえたが、仕事の失敗の責任を追求されるのだろう。シファルという男に依頼された内容、奴隷横取りは完全に失敗しているからな)
エルヴィー達を横目に、少し離れた街路樹の傍にたむろしている破落戸に近寄る。
「おい、シオル商会へは一緒に行く。例の男に会わせろ」
突然の少女の変貌に、振り返った三人は破落戸には見えない間抜けな表情をした。しかし彼らの前で、オルディオールは自身を偽ることは不要なのだ。
(もう既に、殺し合おうとした仲だ)
ポカンと口を開いたソーラウドの、頭を後ろからパシッと突っ込む。もちろんメイには身長が足りないので、オルディオールは軽く跳び上がり叩き付けた。
(やってやった…。この達成感。何度この間抜けな白い後頭部に、衝撃を与えたかったことか。騎士団の駄目な後輩よりも先に、何かを血迷って見た目幼女に勘違いの期待をしている白狐が、今は可哀想に思えるがな)
それを利用はしているのだが。
「ぼんやりとしているなよ。お前。しっかり周りを見ろ」
ーーそしてメイをよくよく見ろ!
白狐と黒仔猫と呼ばれているこいつじゃ、ある意味ただの獣人のじゃれ合いなんだよ!
本物の親猫まで増えてんじゃねえか、野生に隙を見せてんじゃねえ!
ほのぼのとしてんじゃねえ。破落戸!
非道を忘れてんじゃねえ!!!
(とは、あえて口には出さないが。なんか、新人隊員を教育していた頃を思い出すなぁ……)
**
(……ノリツッコミ?)
自分の身体による、自分の暴走を止められはしない。今は無になり存在を消している。そして。
私は空気の読める、大人の女。
(ぷるりんの恋路の邪魔はしない)
ビー・クール、ビー・クール……。
びー・えーるー……。
**
後頭部を突然少女に叩かれたソーラウド。それを見ていた部下の二人は硬直した。
過去に気軽にそれをした、ソーラウドの嘗ての友人が酷い殺され方をしたことがあるからだ。機嫌によるのか、その男が本当は友人ではなかったのかは二人には分からない。ただ、ソーラウドが頭部に触られる事が大嫌いなことは知っていた。
吊り上がった赤い目は、生意気で得意気に彼を見上げる力強い黒い瞳を見下ろす。
今テルイドとアルドイドに、ミギノをシオル商会へは連れて行かないと決めたばかりだった。先の見えないソーラウドとは、ここで縁を切ってもらおうと思っていたのだ。
(腸は煮えくり返るが、彼女の保護者も現れた。ミギノの先を考えるなら、ここで別れた方がいい。自分を好きだと言ってくれた。惚れた女には、幸せになってもらいたい)
それなのに少女は、生意気にも彼の憐れな行く末を見に来ると言ったのだ。
やはり、なんて残酷な女。
自分を簡単に殺せる女。
ソーラウドは、そんな女に惚れたのだ。
(そして、処女。……どうしたらいいんだ。なんか、わかんねぇ。この気持ち……。初めてだ)
自分の死に様を、見届けると言った惚れた女に、ソーラウドは熱く口吻をした。




