08 触発 08
「おいおい。浮気か?許さねぇぞ」
そんな事を、今までの人生で一度も言った事は無い。女も男も、適当に遊んで別れてそれで終わりだ。
見た目の物珍しさから、獣人と同じような扱いを受けた事も山ほどある。
そんなソーラウドが、目の前で自分の女に抱きつく男を、殺すような赤い瞳で睨んだ。短い外套を目深に被った男は、それに対して何も反応しない。
「ミギノ、行こう。直ぐにこの国を出ようね」
「ふざけんな! 俺の女から手を離せ!!」
掴み掛かかり外套がずれる。怒声に驚いた獣人達は、その場から一歩後ろへ下がった。ソーラウドに襟刳りを掴まれて、現れた男の顔を見てテルイドは訝しむ。そして、一度だけ帝都の娼館で見た事のある噂の人物を思い出した。
「頭、そいつ数字持ちだ」
それに少年アルドイドは目を見開き、ソーラウドは眉間に皺を寄せると、ねじり上げた襟刳りを乱暴に突き飛ばした。
(大聖堂院と関わってはまずい)
これは裏の組織の暗黙の了解。彼等は貴族の中でも、特に危険な分類なのだ。
奴隷、犯罪者は塵の様に千切って捨てるのは当たり前。しかも裏側の人間よりも、酷く残酷な行為で行われると有名だ。そしてそれは、公然と裁かれる事は一切無い。
難民、戦争孤児、奴隷から裏に逃げて潜む者達は、自分も数字持ちと同じになっていたのかもと恐れ憐れ見ている。
数字持ちは元は戦争孤児から選抜されて、実験動物として痛めつけられ感情を抜き取られるのだから。大聖堂院に捕らえられた彼らは、実験で頭をおかしくされた姿なのだ。
貴族の言いなりに動く無感情の人形、恐ろしい貴族を呼び寄せる恐怖の対象。
これには、けして関わってはいけない。
だが今、裏の組織が関わりを避ける四十五番と呼ばれる男が、目の前に現れた。
**
「彼らが案内してくれるよ」
目の前のソーラウドを完全に無視し、エルヴィーが促した先には三人の獣人。それに少女は応えずに、ただ口を引き結んで佇んでいる。
「なあテルイド、あれホントに人形? 玉狩りにはとても見えねーよ? ただの優男じゃない?」
「いやでもよ、娼館で見たの、あいつに間違いねえし」
だがやはり、目の前の男は黒髪の少女に対して優しく微笑むただの優男。しかし裏路地をソーラウド達が追いつけない速度で疾走したことも事実ではある。
「離せと、言ってんだ!!」
再びつかみかかり、首元をねじり上げてきたソーラウドの手を横に叩き払うと、少女の首元に見慣れない赤い石を見つけてそれを手にする。
「なにこれ」
ソーラウドが咎める間も与えずにそれを首から引き千切ると、壊れて開いた空き家の扉に放り込んだ。
「てめえ!!!」
怒りのままに剣を抜き払い切っ先をエルヴィーに向けたソーラウドに対し、エルヴィーは少女に向かって困った顔で語りかける。
「あれは魔石だよ。赤は純度が高いものなんだ。発動させて、当たりならこれと同じで使い続けられるけど、外れなら、」
背後から、首元に切っ先を突き付けられている危機感はまるで無い。あまりにも自然に少女に話しかける男に、ソーラウドは頭を割ろうと腕を振り上げた。
「こうやるとね、」
エルヴィーは腕に巻いた鎖を手に持つと、空き家に放り投げた赤い宝石に向かってかざす。同じく振り下ろしたソーラウドの剣より先に、エルヴィーの手にある赤い石が閃いた。
ーーーーーーードォン!!!
「ッわぁ!」
「きゃんっ!」
爆風で辺りは吹き飛ぶ。被害を躱すようにその場の者は後ろへ飛び下がったが、エルヴィーは少女の顔を大切に自分の懐に押し付けたままで、爆風を背に同じ位置からは一歩も動いてはいない。
噴煙が徐々に収まると、少し離れた位置にあったはずの小さな空き家は全壊し瓦礫と化し、枠組みが僅かに残るだけとなっていた。
「なんだ、ありゃあ…」
「あれが、魔石?」
テルイドとイグが呆然と呟くと、何事も無かったようにエルヴィーは再び語りだす。
「ね、大体、三個に一個は外れだって、エミーは言っていたみたいだよ。僕のは大丈夫だったんだ」
今回のルル狩りで配給された装備の中に、エルヴィーは赤い魔石を割り当てられた。青から、緑、黄、橙、赤と危険度と強力度は増していく魔石。玉狩りに配給され、使える魔石は狩ってきたルルと共に回収される。そして安全性が確認されて戻ってきた強力な魔石は、魔戦士へ武器として渡されるのだ。
(なるほど……、)
怒りのままにエルヴィーを殺そうと思っていたソーラウドは、魔石の爆発と玉狩りの話を、意外にも冷静に解釈した。
「高かったのよ、この綺麗な石」と女に貰ったそれは、発動すれば持ち主を吹き飛ばす物だったのだ。ソーラウドには魔石を使える知識も無く魔素も少ないが、使える者ならば今のように遠隔で発動させ、いつでも持ち主を殺す事も可能ということなのだろう。
贈ってきた女を締め上げる、面倒事が増えた。
(まあ、俺が生きていればの話だが)
これからソーラウドは、シオル商会に詫びに行くのだ。それに全てが掛かっている。それよりも今は。
(マジで危なかった)
それを自分の女の首に括った事にぞっとした。少女は変わらず逃げもせずに別の男の腕の中で惚けた顔をしているが、とりあえずは生きている事に安堵した。
**
(ここにきて、一番ヤバイ奴が出て来たな…)
オルディオールは今、メイの身体の中に居る。
それまでは首回りに垂れた帽子の中に隠れていた。初めは首や肩付近を彷徨き外の様子を窺っていたのだが、猫が現れ逃げるために帽子に待機していたのだ。
気のせいか、あの猫が自分を狙っている様な気がしたからだ。
だが突然メイが連れ去られてから黒猫は居なくなり、今度は敵である玉狩りの気配を近くに感じた。案の定それはエルヴィーだったのだ。
(破落戸と玉狩りの小競り合い、奴が爆風から身を守った瞬間を見計らって、メイの口の中に飛び込んだのはいいが、さて。どうするか)
突然の爆発の衝撃音と共に、半泣きで落ち込んでいたメイの口の中へ、オルディオールは自分の丸い身体を体当たりで無理やりねじ込んだ。
(基地から移動して、トライドでも姿を見かけなかった。正直、こいつはもう死んだと思って安心してたんだが…)
このまま、玉狩りとメイだけの同行は避けたい。
(獣人も居るというが、こいつのメイへの執着心は少し危険な気がする)
フロウとの会議の場でも、エルヴィーはメイを何処かへ連れて行こうとしていた。
(しかし目的が、酷く不透明だ。それがとても気にくわない)
周囲の反応から、玉狩りというものは本来、大聖堂院の言いなりでなければおかしいらしい。そしてグルディ・オーサ基地内でのエルヴィーは、少女に対する行動が異常だと周囲は囁いていた。
(エルヴィーと離れる最善の方法。そしてもう一つ気になる内容はシオル商会との接触だ。これは軍が血眼になって探していた商会だ。ファルド帝国に仇なす賊。その頭の組織、それに会いに行くと白狐達は言っていた。会わない手は無い。いや、絶対に会う。その為には…?)
黒目を眇めて周囲を確認した少女は、ひたりと白髪の破落戸に視線を定めた。
(…まあ、気は進まないが、これしかないよな)
「さあ、行くよ。ミギノ」
優しく笑うエルヴィーに、少女の中に入ったオルディオールは玉狩りを見上げる。
「行かない」
否定に動じるエルヴィーではないが、少女の肩に手を置いて再度にっこりと微笑んだ。そして子供を宥めるように「わがまま言わないの」と、首を横に振る。
しかしここで、オルディオールは作戦の一言を言い放った。
「行かない。ソーラウドの所に行く。好きだから」
突然の少女の告白。同行を否定する最大の正論だ。しかも仮想だが両想い。これ以上の理由は無い。
(しかし〔何を〕好きだとは明言していない。嘘はついていない)
同行理由は無くなった。そう、オルディオールは自分の台詞に納得した。もちろんメイも彼らのやり取りを自分の中で聞いている。だが意味が分からず片方の眉だけが疑問に上がった。
(え、ぷるりん。男性じゃなかったっけ? あれ? 私の勘違い? びーえーるー…ん、待てよ? これ、私のからだ? 私の…え? ぷるりん?)
エルヴィーの後方、ソーラウドの白い頬が赤く染まっていくことを確認すると、オルディオールは二度頷いて応える。
「!!、ミギノ、」
(俺個人として白狐には、このガキのことを、その赤い目を見開いてしっかり見ろ! と、余計なお世話を言いたいところだが、この場の演出としては分かりやすい。…合格だ)
再度自分に頷くオルディオール。アルドイドは意味が分からずキョトンとし、テルイドは、腑に落ちない顔をして少女を見ていた。
**
「さぁ、行くよ。ミギノ」
完全無視。
オルビーぷるりん・ウィズ・メイミギノ!
祝・初コクハクショーターイム!
カ、ン、ゼ、ン、スルー!
(これ、カウントされないよね? 私の人生、初の告白タイム。こんな意味の分からない茶番と共にスルーなんて、なんか悲しい…いや、スルーこそ優しさなのか? これはエルビーの優しさ?)
優しさの半分は、優しい鎮痛剤でできている。
しかし、この痛々しい空気の場に鎮痛剤を処方されても、和らげることはできないのである。
しかも、びーえるという性別を超えた、異性絶対不可侵の場に、潜入を余儀なくされながらなのである。
(お一人様のままの私には、ハードルではなく最早エベレスト登頂である)
辺りを確認。
誰一人ノーコメントを貫いている。
(ええ、ケモミミ様達も、突然の告白ショーに、感情がついていけていません)
彼等は無表情だ。
特に関心がないのであろう。
一方、問題のエルヴィーは無表情ではなかった。
(逆にコワイ…。エルビー、なんで笑顔が全開? もしや全壊? 意味不明な私に、オーバースペック? ゴミ箱、早く要らないデータをゴミ箱に捨てて! ゴミ箱の中身も捨てて! いろいろと軽くしてあげて!)
笑顔のままのエルヴィーは二の腕を掴んだ。
「さあ、行くよ。ミギノ」
「……」
(……)
あれ? これ、さっき見た映像?
二度、あれ? 三度目?
同じ顔、同じ台詞。
サッキモミタ。
ーー全壊の方でした。
(何、今の。リピート・セルフサービス? そしてまさか、私にもリピート要求してくるの?)
ここにはフロウ・チャラソウは存在しない。
しかし、奴の存在感は半端ではない。
これはフロウ・チャラソウ心理トラウマである。
ピー・ティー・エス・ディーである。
(名前間違ってないのに、エルビーにフロウ・チャラソウ・ヴァルヴォアールが憑依召喚されている…)
**
(こいつ…面倒くせえな)
何も無かったことにされている。
心の内で騒ぎ怯えるメイに対して、オルディオールは冷静だ。エルヴィーの理不尽な聞き流しにも動揺はしていない。
「ソーラウドと一緒に行く」
強く繰り返した。
(白狐達は後からどうとでもなるのだ。とりあえず、穏便に、玉狩りから離れられればそれに越したことはないのだが、面倒くせえ、)
しかし長くかかりそうなやり取りに、あっさり終止符を打つ者が現れた。意外な事に、それは少女アピーである。彼女は大きな栗色の三角の耳を立て、鼻をひくつかせていた。
「黒い人が来るよ」




