追う者達 06
廃れた城下街、その一角で細々と店を開く食料品市場。裏道に入ると飲食店が数軒並ぶ。
油で揚げた山盛りの白魚と鳥、横幅の広い給仕の女は、外套を頭から被ったままの不穏な四人組の卓に、勢いよく大皿を二皿叩き付けて去って行った。
「怖い。無人の女。でかい」
震える長身のヤグ。エルヴィーはそれに構わず揚げた鳥に手を伸ばす。
獣人の彼等との同行は、非常に便利だった。
全ての街の進入路に配備されたフロウの兵士、それの盲点をあっさり見つけ、汚い下水路を抜けるでもなく難なく街中に侵入出来た。さらに街中で兵士にすれ違うことも無い。丁度食事刻になり、今入ったこの店も周囲に軍人の気配が無いか、彼らが既に確認済みである。
エルヴィーはここ数日間、十分な睡眠を取れていない。娼館にも行っていない。なので食事でそれを紛らわそうと、暇さえあれば何かを口にしていた。
それを興味津々で見ていたのは少年イグ。
「そんなによく食べるね。大獅子だって、もっと刻を空けて食べるのに」
大獅子より、身体の線が細いエルヴィー。彼の目の前の山盛りの大皿は、既に一つ空になりそうだ。獣人の三人は、元より古い油で揚げた物を好まない。なので一つ二つを口にして、残りは全てエルヴィーが平らげた。
油の衣皮を剥いでいるアピー、女性の様に食が細いヤグ。エルヴィーの行動に目を輝かせているイグ。
それに一切構わず、エルヴィーは食事が終わり席を立つと黒髪の少女が座っていた席に目をやる。今はその席で、太った男が幅の広い給仕の女を口説いていた。
「……」
偶然選んだこの店でも、黒髪の少女の痕跡を発見できた。隅の席に、少女の匂いが残っているとイグは言った。
(位置的に、一人を逃げないように囲うのに丁度いい場所だ。ミギノはまだ破落戸に連れられている。待っててね。もうすぐ行くよ)
エルヴィーは店を出て、廃屋と見間違えそうな家々を見上げる。この町の何処かに、彼の求める少女が必ず居るのだ。
それだけを胸に一歩進んだ刻だった。不意に腕を掴まれたのだ。客引きかと無表情に見下ろすと、痩せた老婆が彼の顔を下から見上げていた。エルヴィーは何をするでもなく、老婆が手を放すことを少し待つ。
「ーーイドかと思ったわ。そっくりね。あの子が生きていたら、貴方のような孫が居たのかしら…」
「おばあ様! まあ、ごめんなさいね」
隣の用品屋から女が走りやって来て、エルヴィーに祖母の粗相を謝ると、二人は通りを歩いて行った。
「知り合いに似てたみたいだな」
少し後ろでそれを見ていたイグが、エルヴィーに首を傾げ見上げる。だが外套の中の男の顔は、相変わらず無関心無表情で、それに対する返事ももちろんありはしない。
老婆とは反対方向に歩き出す外套の四人。
その中の一人が、不意に振り返り目で老婆を追う。しかしそれは一瞬だった。
塀の上。
黒猫だけが、それを見ていた。
******
女は退屈を扇子で隠し、内側で大欠伸をする。
夫は趣味の奴隷選びに忙しい。この会には必ず同伴させられるが、若い少女に鼻を伸ばす男達の顔を見るのが不愉快で、女はいつも会場には顔を出さずに談話室でお茶をして待っている。
定期的に開催される奴隷品評会は、女達にとっては新しい社交衣装を披露するだけの場所だ。最新の社交衣装、生地の肌触りや装飾の良し悪しを、女達は笑い語り合う。
「今はファルド帝国内で、この品評会の開催が難しいのよね」
「昔は帝都で普通に行われていたというから、わざわざこんなに土臭い田舎に宿泊することも無かったのに。奴隷に対する法が制定されてから、色々と面倒ごとが増えて嫌になるわ」
「でもあの人の機嫌を取るためだからしょうがないのよね」
「そうよ。また新しい首飾りをお願い出来るもの。次は石の大きさ、貴女に負けないわよ」
「まあ、うふふ、楽しみだわ」
自分の宝石の披露も終わり、退屈になった女は窓から庭を眺める為に移動する。するとあり得ない事に、外から中を覗き込む無礼者と目があった。
「ねえ、見て。北方の奴隷ではないのかしら? 庭に放れているわよ」
女の声に周囲の者達が集まりだす。窓の外には黒髪黒目の怪我をした小さな少女が、軍人のような姿の衣装を着せられていた。
身に不釣り合いなのは、首に大きな赤い宝石を付けられている。なかなか手に入る石では無い透明度の高い、血のような美しい赤い宝石。女達はその石に釘付けになった。
「どなたかの持ち物ではないかしら? ほら、もう首輪も付けられているし」
「そうね、折檻されているみたいだもの。ねえ、どなたのかしら? あの赤い石、見たことがない美しいものね。近くで見たいわ」
「どなたの物かは分からないけれど、部屋の中を覗き見るなんて、躾がなっていないわね」
「そうね、そんな子供にあんな素晴らしい宝石はもったいないわ」
「奴隷につけるなんて、粋狂も行き過ぎるわね」
女達の囁きの中、気づけば少女は居なくなっていた。従僕に少女を連れて来させようと話がまとまったところで、室内の空気が変わる。
大聖堂院の聖導士、オルヴィア・オーラが現れたのだ。女達は我先にとオルヴィアに近寄り持て囃す。大聖堂院に良い印象を残してもらう為に。
新しい話題の出現に、女達が奴隷の少女をすっかり忘れていた頃だ。突然、窓の外の少女が室内に無断で入って来た。その信じられない愚行に、女達は再びざわめき非難の声を上げる。
「誰か、飼い主を呼びなさい」
このような躾のなっていない奴隷は、公の場で懲らしめなければ分からない。一人の女の命じる声に、意外な者から否定が入った。
オルヴィアだ。
初めは少女を見て愕然としていたが、嬉々として指さし叫んだ。
「落人よ!」
落人? その聞き慣れないものに、周囲は顔を見合わせる。だが女達は少しずつその内容を思い出し、誰ともなく悲鳴を上げた。
まさか自分達の目の前に、第一級の凶悪な魔物が現れるなんて思っても見なかったのだ。お伽話の様に、噂でしか聞いたことのない魔物。その魔物は、オルヴィアに向かって口の端を上げた。不敵な顔で、自分達を見廻している。女達の悲鳴に、従僕や警護の者達が戸口に現れると、魔物はこちらに走って来た。
「捕まえて! 出来るだけ傷はつけないで! …いえ、傷つけても構わないわ! 必ず捕まえて!」
オルヴィアは何が楽しいのか笑いながら命じているが、女達は自慢の衣装が破れることも構わず、必死で魔物の少女を避け逃げる。走る事に適していない小さな踵の高い飾り靴、流行りのそれを履いている者達は、不様に転がり長い衣装が裂ける音があちらこちらから聞こえた。
『よけてよけて!』
少女はそんな女達を跨ぎ越し、談話室の奥、渡り廊下へ走り去った。
***
ーーーフォーベルト伯爵邸、裏庭。
「始まりました」
「ずいぶん早いな。まぁーいいか。位置につけ」
合図と共に邸内に黒服の男達が侵入する。裏口の戸を破り、使用人を一人二人と音も立てずに倒していく。奴隷の披露会場の戸口の前に立つ、破落戸に劣らず屈強な柄の悪い男達は、突然現れた数人の不審な黒服の男達に、会場への侵入を妨げる為に立ちはだかった。
黒服の中心、背の高い男は、目深に被った黒い布を纏い、紅を引いた赤い唇は裂けるように笑う。
「なんだテメエ!」
その異様な出で立ちに怯んだ男達は、瞬く間に二本の剣で斬り伏せられる。立ち回りに黒い布からこぼれた白い一房を、黒服の男は気付いて中に戻した。
「危ねぇ危ねぇ。こんなナリじゃ、よけい目立っていけねーな」
呟いて振り向くと、廊下の奥に退路を確保した一人が頷く。続いて二人の男が扉を蹴り破り、暴漢の侵入に会場は騒然となった。
***
ーーートライド第五区域、二七番地三号廃屋。
「奴隷品評会、ね」
腕を組んだエスク・ユベルヴァールは、眉間に皺を寄せて笑う。ミギノが白狐に連れられ入った伯爵家では、黒い噂が絶えないフォーベルトだった。
大聖堂院と懇意の貴族で、多少の事では手が出せない。
グルディ・オーサ戦争での功労を讃えられた魔法院は、大聖堂院となった。フォーベルト伯爵家はその創設の立役者の中でも、特に出資をしているらしい。古くは魔法院の頃より、奴隷購入に手を貸していた悪しき家柄だ。
魔法院は大聖堂院として騎士団と対を成す力を持ってからは、フォーベルト伯爵家の非人道的な不祥事を、いつも証拠が無いとかばい立てする。
ミギノがフォーベルト邸に連れて来られた内情を探っていると、トライドで活動をしていた隊士より、フォーベルトが奴隷品評会を開催しているとの報告が挙げられた。
過去、フォーベルト邸には簡単には踏み込めなかった。
しかし今回、ミギノが奴隷斡旋業の白狐に、フォーベルト邸へ連れられた事により、ミギノを被害者として軍が仕立てれば確実に証拠となる。
「これは良い機会だが、」
まだエルヴィーは、影すら見えない。
捜索隊の三班が、昨日トライドで合流したことで付近に居ることは間違いないのだが、未だ姿を現さない。
エスクが迫る刻を思案していると、更なる一報が入った。
「フォーベルト邸内に、賊が侵入した模様です」
「数学持ちか?」
「全身黒色の衣服を身につけた男が数名、裏口から侵入しましたが、人相は確認出来ておりません」
これはエルヴィーでは無い。仲間を集うとは思えないし、目立つ黒を身に纏う必要性を感じない。そこでエスクは、意外と簡単にミギノを手放した者を思い出した。
「…白狐ソーラウドか。屋敷を襲う意図は不明だが、これ以上の機会を待てば、全てを逃しそうな気がするな」
現れなかったエルヴィー。奴隷としてフォーベルト邸に置かれた少女ミギノ。その屋敷を襲うソーラウド。
「突入しろ。罪状は人身売買。大聖堂院の名を出してきても、奴隷法で押し通せ」
エスクも立ち上がり、古びた空き家の会議室を後にする。
「第一優先は奴隷少女の確保、並びに賊、当主の捕縛。邸内完全制圧。以上」
敬礼と共に散開する隊士達。住む者の居ないはずの空き家から、人目もはばからず突然現れた複数のファルドの兵隊達に、周囲の住人は足を止め、彼らを避けて道をあける。
トライドの寂れた城下街、エスクは賊と同じく黒い隊服を身に纏い、畏怖の表情で自分を見上げる人々を横目に往来を歩いた。
***
ーーーフォーベルト伯爵邸、中庭。
(あれであいつは走っているのか?)
奇麗に整えられた中庭、窓辺に近い飾り木の枝に、青く丸いオルディオールは乗っている。
ソーラウドに連れられてフォーベルト邸にやって来たメイを影から見守っていたオルディオールは、この茶番の一部始終を見学しようと特等席に座っていた。
(想像通りの行動。これ程大きな屋敷ならば、初めての来訪で案内を付けずに歩き回る者は、よほど礼儀作法の無い愚か者か、故意に侵入する賊だろうが、まあ、その両方が当てはまるがな)
少女は先を案内する執事の背後から、突然庭に踏み込んで歩き去った。
何かの企みでもなければ、普通は中庭を横切ったりはしない。しかし背の低い少女は企みで隠れる事もなく、自然に植木に隠されて、それは堂々と中庭を進んで行った。執事の男は間抜けにも、道なき庭を振り返らず、来た通路を走り戻って少女を探す。
それからしばらく、メイは庭をただうろうろと彷徨いていた。
中庭が見えるように配置された婦人の集まりのお茶会に、軍服の少女が外から覗き込む姿は滑稽で、オルディオールはメイの下品な行動と、中で目を丸くしている女達を見て笑う。彼は以前の生活の中でも、この様な事例を見たことも聞いた事もなかった。
笑うたびに細い木の枝がしなり、僅かに身体が弾んでしまうが、それはこの際愛嬌である。
奴隷ですらこの様な行動をとらない。いや、とりたくてもとれないだろう。下々の者が貴族の女性の茶会を覗き見る、それを理由に即座に殺されてしまう行為だから。
さらに堂々と会場に踏み込んだ小さな少女は、オルヴィアという以前のオルディオールに色彩が似ている女に出会う。高慢な態度のオルヴィアは、即座にメイを落人だと宣言した。
これにはオルディオールも焦り、身を乗り出しかけたが、またも意外なことにメイは高慢な貴族の女達を睥睨したのだ。
彼女の存在の全てを見下し、笑う飾り立てた女達。地位も金も権力も揃えた貴族の女達を、その中の何一つ持たないメイは逆に見下し不敵に笑った。生意気な半笑い。更に困ったようにオルヴィアを鼻で笑う仕草は見ものだった。
(あいつの心臓には、マジで毛が生えているな。あれは俺にも無理だ)
そもそも、婦人会という魔窟に入ろうとも思わない。女性の男性に対する意味の分からない理不尽な口攻撃に、オルディオールは参戦したくはない。
だが笑っていたオルディオールは、未だぼんやりと会場を眺めているメイに気がついた。
(早く逃げろ。そこまでお前は阿呆なのか?)
男達が現れて、ようやく逃げ出す少女。しかし、その足の速さはとんでもなく遅かった。
(遊んでいるようにしか、見えないが…)
逃げる顔つきは必死だ。だが、顔つきと手足の回転の遅さに、どうも臨場感にずれを感じる。
そう長くはない、渡り廊下の半分にもたどり着けずに、メイは男達に取り押さえられた。そこでようやくオルディオールは、腰は無いが重い腰を上げ、見渡しの良い木の枝から降りることにした。




