ある魂の命運 05
「ねえ、質問いい?」
グルディ・オーサの森、それを抜けてトライドへ向かう裏道で、彼らは黒髪の小さな少女の匂いを発見した。草の上には新しい車輪の跡が二本ある。それをたどり轍の跡が消えた頃、新たに少女の匂いを発見した少年イグは、彼等に無言で付いてくる男を振り返った。
銀に近い金色の髪、青灰色の瞳、機能性のある腰までの灰色の短外套は顔半分を深く隠して殆ど表情は分からない。たまに見え隠れする端整な顔立ちは、魚族のように表情が見えなかった。
〈……〉
東の大陸の事をある程度勉強しているイグは、ファルド帝国に魔戦士が居る事を知っている。
この無表情な男は、東大陸最強の戦士と噂される魔戦士だとイグは推測していた。イグ達、真存在を相手に気配を消すことが出来るのは、東大陸の者では魔戦士だけだと思っている。
魔戦士は、一人居れば大獅子の集団狩猟より、大きな仕事をすると書物に記されていた。
物語は過剰に書かれる事が多い。それをまともに信じてはいないが、どれほど驚異的なのか自分の目で確かめたかった。イグたちはその真実の追及も含め、東大陸の情報や新しい知識、そして商談をする為にこの地を訪れたのだ。
東大陸東方と南大陸では国交が無い。
むしろお互いを奴隷とするか、食料とするかで常に揉めている。イグは幼なじみのヤグと密かにトライドに入国したのだが、その過程で下手をして破落戸に掴まり、危うく奴隷として飼い殺しにされるところだった。
それを黒髪の小さな少女剣士のお陰で、逃げる事が出来たのだ。
囚われた先で出会った少女アピーは、東大陸で商人に掴まった大犬族が、無理やり繁殖をさせられてアピーを産んだらしい。大勢居る兄弟姉妹は別のどこかに売られたそうだ。
イグは地族の猫犬、ヤグは犬狼、アピーは大犬。
それぞれの種族に長が居て、大体が同じ種族の領域内で暮らし外にはあまり出ないが、中でも好奇心旺盛な者達や特に若者は、他の大陸のものにも興味が出てしまう。イグもその一人だった。
東大陸はとても危険だが、興味の方が優ってしまったのだ。しかし、その興味の対象、魔戦士に出会い質問を何度しても、この無口な男はなかなか口を開かない。なので話題を変えてみた。
「ねえ、『アキハバラ』って、何?」
「……」
「恩人の、あの黒髪の女の子が言ってたんだけど」
「他に何か言ってた?」
(喋った!)
イグは足を止めて振り返る。それに続いて、会話に入っていないヤグとアピーも男を振り返った。
「えっと『ケモミミ』、『サワッテイイ』『ダメカナ』、何回も言ってたから、大事な言葉だと思ったんだ。でもこの東大陸語は全部分からなくて」
「他には?」
無口な男の興味を引く為に、イグは少女の言葉を必死に思い出す。しかし、イグ自身、心も身体も傷ついていたあの場で、解放された安心感からとても眠かったのだ。これ以上は思い出せない。そう思った刻だった。
「『ニクキュー』、『オテ』も言ってたよ。彼女はとても優しそうに言っていた。手のひらに文字を書こうとしていたよ。すごくくすぐったかった」
青年ヤグも思い出し、それにイグもそうだと頷いた。魔戦士の男は「そう」と、呟くとそれ以上は何も言わずに道の先を促す。
(駄目かぁ…)
東大陸の者の中には、南大陸の者を極端に嫌う者もいるという。この男もそうなのかもしれない。ヤグは気を落として少女探索に集中した。
(『ダメカナ』は、ミギノが発していた否定の言葉に似ていたけど。『ダメ』って確か、いけないって意味だった)
先を行く獣人の姿を見つめ、彼らとの会話内容を考える。だがミギノの言葉は、エルヴィーにもよく分からなかった。
獣人の案内で、ミギノはトライドの町に入った事を知った。逸る気持ちを抑えてエルヴィーが国に入ろうと通りに出ようとすると、栗色の三角の両耳をぴっと立てた少女アピーが、意外にも鋭い声でそれを制する。
少女は遠く、街の入り口付近を見て何かの匂いを嗅ぐように鼻をヒクヒク動かしていた。
「軍に居た、あの黒い人の匂いがする」
エルヴィーは少女を振り返り、イグとヤグは同じ様に空気に鼻をひくつかせる。
「本当だ。基地に居た、彼等の匂いが町の入り口辺りにある。複数近くに居るよ」
イグもヤグも、アピーと同じ様に毛の生えた耳を立て、記憶にある匂いと特徴的な靴の音を捉えていた。
(当たりか。ミギノの居場所は決定したけど、フロウに先回りされちゃったな)
人影は見当たらない。エルヴィーにはただのトライドへの大通りにしか見えないが、獣人の彼等の言うことは間違いないだろう。
「ねえ、軍の者が居ない入り口、分かる?」
三人は顔を見合わせた。そして当然だと頷く。
「君達の恩人の少女は、あの軍の指揮官に追われているんだ。その指揮官は今、三十前。未婚。年若い女の子が好きみたい」
〈えっ……?〉
皆まで語る言葉は無い。情報が少ないからこそ、それが伝わることもある。
「君は逃げて正解だったね」
エルヴィーはそう言って、十三くらいの少女アピーを外套下から無表情に見つめた。
「…あの子も、アピーと同じ? 閉じ込められるの?」
「彼女は基地で、鍵付きの部屋に入れられていたんだ。自分の意思では出られない、指揮官の隣の部屋の監視される場所に」
「「「!!」」」
嘘は言っていないが、言い方だ。これはエルヴィーの故意の情報操作である。ヤグは、それに強く同意した。
「どこの国にも、そういった輩はいるんだね。子供を産む準備が整っていない相手に、そんなこと考えるなんて…、残念だよ」
長身のヤグは気が弱そうだったが、彼の温和な表情が厳しいものへと変わる。フロウへの強い不信感を、獣人達に植え付ける事に成功したエルヴィーは、軽く頷くと三人を青灰色の瞳で見つめた。
「軍に見つかる前に、彼らに気づかれないように、恩人をこの街から出せば、君達の恩は返せるね」
******
青色の半透明、大人の握りこぶし程の大きさ。水を丸めた様な物体は、トライドの古びた屋敷の屋根の上に乗っていた。
この大きな屋敷は旧プラーム伯爵邸。今は人の影は無く、屋敷は雑草と枯れ木に覆われている。嘗て、オルディオールの婚約者だった、ミルリー・プラームの生家だった。
青い水の玉は、廃屋の古びた屋根の上からぼろぼろのトライドの城下町を見渡していた。
(あの日、トライドへ駆けたが、俺は間に合わなかった)
*
国境線の戦いの日、漆黒の馬犬は全身黒色の軍服を着たオルディオールを乗せて、ファルド帝国からトライドを駆け抜けた。
オルディオールがトライドの丘陵へ辿り着くと、見渡した西方の戦場に五つの赤い光が輝いた。不気味な光の筋は五角形を繋ぐように伸びていく。
両軍に鬨の声が上がる。
進軍の轟音が響く。
西の空を覆う黒い竜騎士団。
両軍の合間を縫う様に、オルディオールと黒い馬犬は駆け抜ける。
その手には、長い長い黄色の旗を掲げて。
「大将は! イエール! イエール・トル・アレ左翼大将は何処だ!!!」
ポロスの花で染め上げた、黄色の長い旗。
黒い大きな騎馬犬が、最前線で長い黄色の旗を持って駆け巡る。誰しもがそれに目を向け、手を止めた。
どの国、どの地方にも、道端に生える雑草の素朴な花。黄色の花は平和の花。
戦場では停戦の象徴。
両軍がぶつかる寸前、オルディオールの声がその場を支配した。
ーーその刻、
戦場を包む赤色の幕が空に駆け昇り、その後の記憶は無い。
*
属国となったトライド王国は、豊かな大地を戦火に焼かれた。城下町は残るが見るからに寂れ、貧困層が城を取り囲んでいる。
必死に親にすがる子供のように、それは小さな城を取り囲む。
町を見つめていたオルディオールは、同じように寂れた屋敷の屋根を見渡した。
大切な婚約者の暮らした屋敷。
色白で大きな緑色の瞳。この地方に多い輝く栗色の長い髪。トライドのことを田舎だと卑下し、帝都出身のオルディオールに恥ずかしがっていたミルリー。
だがその卑下は、自分の生まれた田舎をとても愛して、誇りに思っている裏返しだと、すぐに伝わってしまう笑顔と常に一緒だった。
(何もかも、ぼろぼろだな…)
ガーランドへの進軍の軍会議で、通り道となるトライド王国を侵略する話が必ず出る。だがオルディオールは、トライドを属国とすることを進言し、王に了承させる事で戦争だけは回避させた。
騎士団総帥の立場、最後の良心と謳われ、ファルド王家と双頭を分かち合うエールダー公爵家の帝国内での力は、国の決定を動かせる程に大きい。
戦争で侵略し農村地を戦火にくべなくても、属国として配置し国境線まで軍道を繋ぐだけでいい。
これでトライドは守られると思っていた。
(……)
オルディオールは廃屋を後にする。そして黒髪の少女の元へ向かった。
**
少女メイの身体から、オルディオールは故意に抜け出した。
ある懸念が生じた。オルディオールがメイの身体に滞在すると、メイは身体の痛みや疲労を、感じにくくなるのではないか。
オルディオールは、メイの身体に入っている間、痛みや疲労を殆ど感じなかった。むしろ以前の軍人だった経験が、少女の身体ではそう成るはずだと想定し、体感していたと思い込んでいたが、実際に痛みがあった記憶が無い。
疲労を感じず、痛みが分からない。
これは生物には致命的な欠陥だ。
死の限界が計れない。
疲労は身体を休める為に、痛みは身体の危険を知らせる為にある。初めてオルディオールがメイの身体に入り、そして抜け出た後、彼女は肩で息をしていた。そして三日、筋肉疲労で寝込んだのだ。
二度目は破落戸の家で、躾のなってない子供に打たれた後。オルディオールもメイも、頭部と背中の打撲傷に殆ど痛みを感じていなかった。だが、オルディオールがメイの身体を使用し続け、基地内を走り抜けた刻に違和感を覚えた。
微かだが、身体が重くなったのを感じたのだ。
メイからの抵抗感も無く、オルディオールの意思に反して動きが悪い。噴き出た大量の汗、まさかと思った瞬間、少女の身体は倒れて全く動かなくなった。嫌な予感に身体から抜け出ると、メイは打撲傷が悪化して生死を彷徨う事になったのだ。
全ての要因は、魔物である自分が少女の身体を出入りする事による。
(これは魔法の類の仕業だ。魔法院、いや、今は大聖堂院だったか。奴らの領域の事は詳しくない。それを調べ上げる事が出来ずに、こうなってしまったのだからな)
オーラ公家を中心とした魔法院、現在の大聖堂院が、五十年前のオルディオールの死因となった。
*
オーラ公家を筆頭に、善くない噂の絶えない魔法院。
彼らは奴隷売買に関与し、オルディオールはこれを強く非難していた。奴隷を欲した理由が人体実験だったからだ。
身内が居ない戦争孤児、家族を失った周辺諸国の難民を非人道的な人体実験の為に集めている。オルディオールは、オーラ公家ごと魔法院を潰そうと動いていた。
しかし、ディアドル・オーラ公爵の抵抗により簡単にはいかなかった。
実働部隊に第九師団を立ち上げ、徹底的にオーラ公家と魔法院を調べ上げる。そして国境戦の日、魔法院の邪悪な禁呪の計画を知った。
この戦争は素材集め。
属国トライド王国グルディ・オーサ領にて、禁呪〔大掃上〕の発動実験の開始。禁呪は身体を傷つけずに、魂だけを抜くもの。対象はガーランドの竜騎士、飛竜、そして左翼に配置するトライド兵士。
〔大掃上〕発動後、魂の抜けた騎士の身体を、速やかに回収することが魔法院の目的だった。
奴隷だけに留まらず、騎士の身体を大量に実験しようとしている。事実を知って、オルディオールは怒りに震えた。
この戦争は、魔法院が大陸統合を強く進言し始まった。だが最終決定はファルド帝王が行うもの。つまり、議会を開いた貴族院も了承した戦争だったのだ。
トライドを属国として治めようと認めたファルド帝王には別の目的があり、オルディオールは裏切られていた。
長年王家を支えていたという自負により、まさか双頭を分かち合うエールダー公家の自分が、王に裏切られているとは思ってもいなかった。
大魔法まで迫る刻、残された手段は、トライド王国を見捨てる事か、自分がファルド帝王を捨てる事の二つ。
その結果、オルディオールは帝王を捨て、単身でグルディ・オーサへ駆け出した。
*
(しかし、間に合わなければ意味は無い)
大魔法は発動され、多くの命は一瞬で失われた。
人々はオルディオールという名前に、拒否反応を示している。それを横目に昔の記憶を辿りながら、トライド王国の寂れた街を巡る。道々ですれ違う疲れて悪態をつく女達は、息を吸うように「これは全てオルディオールのせい」と吐き捨てる。
だが目の前にオルディオールが居ても、彼らはその敵には気がつかない。
オルディオールはもう、人の形をしていないのだ。
上空で不吉な鳴き声がした。
(来た)
水の玉の魔物になったオルディオールの、今の最大の敵は、彼を食料だと思っている鳥だ。少女メイの居る診療所に行き着くまで、オルディオールは鳥の目から逃れなくてはならない。
必死だ。
(トライド住民の嘆き悲しみを、力が及ばなかったこの身に刻みつけたくもあるが、今は、それどころではない)
黒鳥はとても賢く戦略的だ。彼等は連携して獲物を追い込む。一羽が上空から滑空し、飛び出たオルディオールを一羽が横から掠め狙う。彼等の無駄のない連携作戦に、オルディオールは必死で逃げた。
猫にも町角で遭遇し身構えるが、意外にも彼らはオルディオールに興味がないようだ。それにはとても助かっている。
だが鳥は光るものに目がない。オルディオールの今の身体は、青い粘膜の中心にきらきらと金色の何かが輝いている。
(格好の、的)
何度も道から逸れ、遠回りをし、古びた診療所に漸く辿り着いた。跳ねれば距離は稼げるが、頼り無く宙に浮いた状態は鳥に狙われやすい。魔物は慎重に路面を滑り、物陰に潜みながらここまでやって来た。
移動面積が少なく、再び曲がり角の猫に遭遇し、身構えてお互いを見つめ合う。
(大変に刻がかかった)
手入れされていないボサボサの庭を進むと、苔の生した窓辺に飛び移り苔の隙間から中を窺う。すると久しぶりのメイは、破落戸に裸に剥かれて丸くなっていた。
青い玉はぶるりと震え絶句する。
(…なんなんだ。あいつも奴と同じかよ。全くどうなってんだ? 今のこの大陸の教育は! 幼児に注目し過ぎだろ! )
奴とは、嘗ての自分と同じ立場の二十八歳、未婚の男。
(…まあ、でも、メイの奴。やっぱり距離は関係ないんだな。魔法の仕組みが分からんから、とりあえず離れてみたが、劇的に体調が良くなるわけではないらしい)
オルディオールが、メイの身体に入ると少女の疲労と痛覚が曖昧になる。その検証に数日間少女から離れてみたのだが、身体から出て離れても、距離は関係ないようだ。
(そういえば、〔これ〕は魂を抜く魔法だったな。ってことは、俺は今、魂か?)
口は無いが、オルディオールは微妙な納得を吐き出す。部屋の中では、白狐は追い出されていて、少女は奥へ連れて行かれた。暫くして着替えたメイは診療所を出ると、白狐と行動を共にすることにしたようで後を付いていく。
その一連の流れを、オルディオールは様々な物陰に隠れて観察していた。
(おいおい。面白い事になってきたな。あのガキ、絶対、イロイロ分かってねーし、お前もなんで本気になってんだよ。しっかりしろよ。少し離れた間に何があったんだよ、展開の速さについていけねーよ)
メイはこの短時間で白狐の女にされ、破落戸の首領に紹介された。
(…意味が分からない。お前。マジで俺の後輩上回ってんじゃねえよ。よく見ろ。目の前のそのガキは、剣士じゃないし、大体の言葉は理解出来てねえから。囮なんて、絶対に無理だから)
オルディオールは、本気で白狐に忠告を、声を大に言いたかった。
(こいつの間抜けな、白い後頭部に飛びつきたい。全身で攻撃を与えてやりたい…)
おそらく、今のオルディオールの全身攻撃は、長身の男には痛くもかゆくもないだろう。頭が傾ぐ程度だと推測する。
しかし、少しの衝撃でも目を覚まさせてやりたい。そして問題の少女は、あの粘着質なフロウの語学教育が、あまり役にたってはいないようだと判明した。
殆ど話を聞き流していることが、表情でオルディオールには分かってしまう。少女の事は数日間観察していて、性格は誰よりも把握しているのだから。
神妙な顔のフリ。あれは全て、刻の経過をただ待っているだけの無心の表情。
(これに気づけば変態後輩が、今度はメイに何を繰り返させるだろう)
ブルり。
小さな身体は全身が震えた。
少女メイは、奴隷略奪の立役者として貴族の屋敷に連れて行かれる。オルディオールは、事の成り行きを見守る事にした。




