犯罪者とされる者 02
複数の足音が聞こえた。立ち止まった男は遠離る足音に耳を清ませる。
(東。いや、北東。ミギノは誰かに連れられている)
*
エルヴィーがグルディ・オーサ西方基地を出る間際、兵のざわめきが耳に入った。
ーー「白狐が逃げた」
ミギノは訪れた破落戸の家の子供に酷く叩かれ、加害者の子供と保護者は軍に捕縛されたのだが、更にそこには帝都で問題視されていた賊も居合わせた。
賊の名は白狐。
*
(ミギノが、突然居なくなった?)
オルヴィアが来たことから、大聖堂院の仕業だと焦って探したが、目撃した兵士の話では少女ミギノは一人で館内を走っていたらしい。
そのミギノは落人と遭遇した後、一階から裏手に向かって走って行った事が目撃談されている。
(きっと落人に驚いて、外に出てしまった可能性が高い)
そう考えたエルヴィーは、基地横に群生する木々の中に踏み込んだ。そこで複数の足音を捉えたのだ。
(ミギノを一番に追ったのは僕。フロウ達は今、落人の処理でそれどころでは無いだろうし。ならきっと、彼女と共に居るもの達は賊だよね)
少女は、自分以外に頼る者が居ないのだ。
エルヴィーは賊を殲滅し、少女を助けようと決めた。もともと喜怒哀楽が薄く魔素の量も少ない数字持ち。気配を殺して魔物を狩るのはとても簡単なので、逃げた賊も、直ぐに処分出来るだろうと考える。
(見つけた)
目視で捉えた目標に気配を殺す。すると少女と複数の男の声が突然途絶えた。なかなか聡い賊のようで、気配を抑えたはずのエルヴィーに気がついたようだ。
(白狐て言ってたね)
帝都にいた頃、エルヴィーはその賊の名に記憶が無い。元々ファルドの住人に関心など無いが、大切なミギノを連れ去った者として、記憶しておこうと思った。
久しぶりの、負の感情に心が燻る。
腰ベルトから中刀を取り出すと、腕輪として巻かれていた赤い石を手のひらに括り直す。
これは魔石。魔素の薄い者でも簡単に魔法が使える、エミーからの唯一の贈り物。玉狩りは、それをとても大切にしているのだ。使い方によってはとても危険な物だが、エルヴィー達はこれによって楽に落人を仕留められるようになった。
木々の間に潜む影。
「…………」
エルヴィーが狙いを定めると、突然、一人が音を立てて走りだした。なりふり構わず、木々をかき分ける不様な敗走。それに気をとられた男の背後に、エルヴィーが素早く忍び寄る。音も立てずに首に添えられた中刀に、石礫に「止めろ!」と悲鳴が飛んだ。
「?」
木立の合間から、獣人の少年が一人飛び出て来た。エルヴィーは獲物の首に刃を押し付けたまま辺りを確認する。
飛び出て来た少年、少し離れた場所で転んで蹲る少女、自分が仕留めようと思った男。
全て獣人だ。
(ミギノが居ない)
エルヴィーは、そのままの姿勢で獣人の男に問う。
「少女を見なかったか? 黒髪の、背の低い子だ」
息を飲む背の高い獣人の男より、目の前の少年の獣人が肯定した。
「見た。俺達を救った者」
その言葉にエルヴィーは剣を下ろし、遠く別の方角を探し見た。解放された青年は、よろめきながら少年の元へ走り寄る。
(外れた)
エルヴィーはこの場に居ないミギノを求めて、来た道を振り返った。
(もう基地には入れないし。どうしようかな)
ロウロウを殺した。それはエルヴィーにとっては正当防衛なのだが、その主張は通らないだろう。それに基地にはオルヴィアが居るのだ。彼女はエルヴィーのことを狂ったと言っていた。
(魔物を、ロウロウに渡したのが間違いだっな)
玉狩りの、エミーに対する点数稼ぎを甘く見ていた。自分もかつてミギノに会う前はそうだったのに。
ロウロウは、無償で魔物を渡してきたエルヴィーに不信感を抱き、後をつけて調べたのだろう。ミギノの存在は西方基地内では浮いていて、簡単に調べられたはずだ。
玉狩りならば、ミギノの特徴と彼女の発生位置がトライドの森の付近と聞けば、まず落人に結びつけて考える。
ミギノと接するエルヴィーの姿を確認して、それを狂ったと判断したロウロウは大聖堂院に報告したのだ。
(ロウロウも、オルヴィアさんに言うことないのに。よく考えたら、僕はあの人苦手だな)
おそらくオルヴィアは、あること無いことフロウ達に告げ口しているだろう。それにフロウの基地内でロウロウを殺したエルヴィーは、騎士団長との誓約を破ってしまった事になる。
ーー違った者は、死で別つ。
次にフロウに会うときは、どちらかの死を意味するのだ。
エルヴィーは少し思案し、無表情のまま獣人達を振り返った。見る限り、青年の獣人がこの三人の長だと思っていたが、どうやら長は少年の方らしい。
「君たち、その少女は恩人なんだ?」
頷く少年に、エルヴィーは感情の籠もらない表情で告げる。
「恩は返さないと駄目だよね」
******
くしゃみをした少女は、大量の鼻水を噴射した。そして鼻どころか、口からも何かを吐き出した。
「きったねぇ…ってか青? ヤバくないですか? 何出したんですか、こいつ、」
身動きもせずに倒れたままの、少女の額がみるみる腫れてくる。患部は熱を持っているのに、先ほどまで大量にかいていた汗が引いて、今度は身体が冷え始めた。
「まずいな。せっかくの拾いもんだ。おい、なんか乗り物用意しろ。この林道抜けて、森から東は平だったな」
ソーラウドの指示に男が二人、木々の中に消える。坊主頭の側面に刺青を入れている大男テルイドは、倒れる少女の身体を無造作に足でずらしたが、それをソーラウドが制して代わりに小さな身体に手を差し込んだ。
「頭、汚れますよ。めちゃくちゃ鼻たれてんで、それになんか、変な病気持ってませんか、こんな青い鼻水、見たことねえし…あれ?」
汚いものを見る目で少女の顔を覗き込んだテルイドは、厳つい顔の眉間を寄せる。それに見下ろしたソーラウドも、同じように白い片眉を疑問に上げた。
少女ミギノの顔中に、大量に張り付いていた異色の鼻水が綺麗に消えている。吹き出た粘着性を思い出し二人は疑問に思ったが、綺麗になっている事に文句はなかった。
「え? 見間違いっすか?」
「まあ、血よりか問題ねえな」
「…はあ、まあ、そうですか?」
ソーラウドは子供を抱え、二人の手下が進んだ獣道をテルイドと進む。大きな葉をかき分けて見落としそうな細い道を探し、しばらく経つと荒れた休根地が見えた。
「生きてますか? そいつ」
「生きてるぜ。温けえの。まるで兎だぜ」
「ですか、」
笑う赤い瞳、全身真っ白のソーラウドが腕に包んだ子供を兎と称した。それに返す言葉が見つからなかったテルイドは、苦笑いに先を見て目を逸らした。
***
ーーートライド王国、城下町。
近隣の農家から荷馬車を拝借すると軍の追っ手も無いまま、ソーラウド達は順調にトライドの下町にたどり着いた。
五十年前よりトライド王国は衰退し、嘗ては豊穣な農村国家だったが、グルディ・オーサの戦い以降は王城下に小さな町があるのみだ。
それ以外の区域は、完全にファルド帝国の統治下に入っている。ファルドの貴族が帝都より自然の多いトライドを、別荘地として屋敷を管理しているからだ。
元々のトライド国民は、今はひっそり城下町に集って暮らしている。帝都の住民との貧富の格差は天と地ほどに離れていた。
ソーラウドは古びた屋敷にたどり着いた。入り口にスズイーンと木札に書かれているここは、トライドの診療所だ。医者はスズサンと呼ばれる男だが、自分に似合うからと女の衣服を身に纏う。
「なんだか面倒くせぇなあ。俺は好みにうるさくて、北の住民じゃなきゃ、ガキでも女でもお断りだって知ってるよな?」
「でもほら、北方っぽい、顔してませんか?」
見た目が厳つくても、育ちが多少粗雑でも、繊細な部分を持ち合わせる男は多い。だが見た目が綺麗なだけのこの男は、その繊細さを一切持ち合わせていなかった。
「面倒だから、帰っていいよ」
「すいません。スズサン。金はきっちり払うんで」
「白狐。お前こんな趣味だったの? こんな小せえガキンチョが性的対象って、マジでウケルぜ。記念に転写石に写しとく? 金はもちろんだけど、この事は来客にも吹聴しとくからよ、安心してな。あ、そーだあ、帝都のヴァルヴォアール公も、おんなじ趣味があったなぁ、マジ、戦わせてぇわ」
「……」
その噂の騎士団長の元から、今、逃げて来たばかりという面倒事の最新情報を、ソーラウドは間違えても口には出さなかった。
**
「相変わらずっすね、」
「臭え。ここ、毒の臭いがする、」
「行くぞ」
医者にミギノを預けると、ソーラウド達はこの町を仕切る男に挨拶に行った。シファルという名で、シオル商会の会長である。
ソーラウドは先代の会長に子供の頃に世話になってから、彼の支持で今の立場までのし上がった。裏の組織は結束も何も無い。破落戸達の頭は直ぐにすげ替えられる。
そんな砂上の一角に座るが、力を持っているということが重要だった。
自分はまだ役に立つと証明する。
そうすれば、シオル商会と繋がっていられるのだから。
ソーラウドは全身に色素が無く、瞳も赤いまま生まれてきた。今は記憶に無い親からは、幼い頃に捨てられたらしい。物珍しさと気味の悪さから誰かに奴隷商に売られ、十三の頃まで金持ちの屋敷に飼われていた。
来客用への見世物になることが仕事だったが、歳を重ねるごとに性奴隷として売られる事になった。
その飼い主の殺し方を教えてくれたのが、シオル商会の前会長だったのだ。
ソーラウドには、裏の仕事が合っていた。汚れ仕事力仕事をこなして頭角を現すと、金も女にも困らなくなる。裏には同じ境遇の仲間もいて、現在も連れだって歩くのは初期の頃に出会った数人だけだ。
力が大きくなる度に、シオル商会の重要な仕事を任せて貰えるようになった。裏では一番のシオル商会の傘下であることは、ソーラウド達の誇りだ。
この気味の悪い見た目も役にたった。
初めこそこれを呪ったものだったが、今や帝都では滅多に出会わない玉狩りよりも住民からは畏れられている。
それがソーラウドには痛快だった。
***
ーーー古い娼館の一部屋。
この会合は知られてはいけない。シオル商会自体、裏では大きな力を持つが、存在は常に隠さなければならない。
現会長シファルは、ソーラウドよりも一つ年下の二十三の若い男だが、前会長の息子だけあり用心深く頭が切れる。年下であろうと敬意を欠かしたことは無い。
本来なら、いきなりシファルに会いに来る事は失礼にあたる。田舎の町の上納金の回収報告は、ソーラウドに依頼した帝都の連絡係を通すものだからだ。しかしミギノの治療もあり立ち寄ったシオル商会のお膝元で、さすがに会長に挨拶無しの素通りは出来なかった。
長く長く、立ったまま待たされた。
悠然と遅れて現れたシファルに挨拶し、グルディ・オーサのサザス家と、落人発生の報告を済ます。
やはり上納金の回収の失敗にいい顔はされなかったが、シファルは話しの中のミギノに興味を持ったようだった。子供の回復を待って少女を連れて来るよう命じられ、ソーラウドはシファルとの会合場所から宿泊部屋へ移動した。
「スズサンの話では、ミギノの回復を知らせてくれると言っていたな」
「はい。いつもの場所に人を回すって事です」
それまでソーラウド達は、トライドの下町に留まる事となった。
***
ーーートライド王国、
城下町スズイーン診療所。
あれから一週間が経過した。ソーラウド達がトライドに滞在し、連絡無しの三日目でミギノの様子を診療所に見に行ったが、門前払いをくらった。更に音信不通の七日が過ぎ、ソーラウドは重い腰を上げる。
正直、スズサンには会いたくは無いが、医者の元から商品を取り戻さなくてはならない。診療所の扉の前にたどり着くと一つ息を吐き、ソーラウドは古びた重い扉を押し開けた。
酷い臭いが充満している。薬臭というより、眩暈を伴う悪臭だ。下町の飲み屋の裏手にある塵置き場の方がまだましな、身体に害がありそうな臭いがする。
(なんか、何が腐ってんだ? 苦え、)
生塵の放置は無いが、所々に落ちている液体から汚臭がし、目が痛い。ソーラウドは息を詰め、扉は開け放ったまま奥を覗き込んだ。
「スズサン、ミギノ目ぇ覚ましましたか?」
呼ばれた医者は華やかに笑うと、寝台に腰掛ける少女を見せた。
「ああ、今さっきだよ。連れてくか?」
「いいんですか?」
難航するかと思われたが、すんなり医者の許可が下りた。そして、この臭い部屋からソーラウドは早く去りたかった。
足早にミギノに近寄る。
少女はソーラウドを見て目を見開き、そして呟いた。
『エルビー何処いった?』
異国語だ。ミギノは荷馬車の中でも、たびたび異国語を口にした。しかも聞いた事の無い言葉を。おそらく北方の言葉だろうが、今回はっきりと分かった部分があった。
「四十五?」
「おい、〔数字持ち〕のことか? ああ、聞いてねぇぞ」
厄介な話題が出てしまった。
ここの診療所の医者は、大のファルド帝国嫌い。嫌い故に情報を沢山収集している。今直ぐにでも、この臭い部屋から出て行く機会が遠のいた。
「…はぁー、マジですか」
力無く吐き出たソーラウドの言葉に、何故か過剰に反応したのはミギノだった。
「ムリムリ、エルビー、メアーさんどこ? オルディオール・フロウ・チャラソウ・ヴァルヴォアール団長」、
『プリーズヘルプミー、本当に助けてエルビー』
スズサンは盛大に顔を歪ませ、それに対応しなければならないソーラウドもまた眉間に皺を寄せる。少女はここで言ってはいけない名前を、確実に三人呼んだのだ。
ファルド帝国大貴族、その中でも特に名だたる三公家。
第十医療師団、団長テスリド・メアー・オーラ。
第一師団、団長フロウ・ルイン・ヴァルヴォアール。
そして、ファルド帝国英雄と謳われる、嘗ての騎士団長オルディオール・ランダ・エールダー。
トライド王国に於いての禁句。
厄災と言われるオルディオールの名を。




