03 リライト熱望
今、私は古びた木造の部屋の隅に居る。
(こんな居酒屋だったかな)
バイト帰りにミーティングで使った居酒屋。木造の無国籍料理の小洒落た店だった。
月に一度、売り上げ報告という名の気軽なご飯会。店長のおごりがありがたい。三十五才未婚の店長、二十八才駄目な男しか好きになれない美人の先輩。そんな二人の人生観を酒の肴に一杯やる会合。
私はあと数カ月お酒が飲めないが、ソフトドリンクでも飲み放題に参加。たこわさもインドカレーも焼き鳥も、パスタもパフェもなんでもありの旨い店。無国籍料理という名前の、我が国の庶民フード風味を損なわないステキな取り揃えである。
長エプロンのイケメン店員が、サラダのドレッシングの説明をするたびに胸がきゅんとする。あくまでも木造風で個室はアジア風カーテン仕切り。ちょっと薄暗い店内も演出だ。そう、演出。
リアルに古い木造。そして本物の異国のスパイスの薫り、薄暗さは演出では無く本気で消えそうなランプの火力。
(薄暗い。そして薄汚い。フォークも汚い。食べかすがすき間に挟まっているのが見える)
豊満なウェイトレスさんは、唐揚げ料理の大皿をテーブルに叩きつけるようにして置いて去った。私を席の隅に追いやった男と少年は、次々に山盛りの唐揚げを骨にしていく。
(悪臭が無いだけマシか…)
目の前の、見たことの無い何かの唐揚げを、ただぼんやり眺める私に正面の入れ墨スキンヘッドが強めに何かを言った。隣は髪が長い痩せた少年だが、それに答えた彼が私を覗き込む。
「オウピノル、*********?」
後半早すぎて聞き取れなかったが、唐揚げの会の参加の合否と察する。なので残念だが今は食欲の無い私は、首を横に振るのみだ。
それよりも、水。水をくれ。
「私、水、飲みます」
どこかにウォーターサーバー的な給水所を探す私。見れば見るほど辺りは無頼の輩と、化粧の濃い強烈女性達ばかり。そう。背は平均見積もり約百八十センチ。もちろん女性を含むのだ。
少し先なんか見えない。混んでいるとかは関係なく。
(甘かった。私)
この〔場所〕に来て、初めて出会った悪漢ロウトラウーをキングと称したが、小ぎれいな彼は全然全く悪漢ではなかった。むしろ、フロウチャラソウ福祉施設の皆さんは悪漢ではなかったのだ。
ここの輩に比べたら、彼らは皆さん素晴らしくジェントルメンでした。
(しかし、今更ロウトラウーに授げた、キングの称号を外すことは無い)
私はそんな節操なしの、やり放題食べ放題の軽い女では無い。
(悪漢はロウトラウー、ただ一人。ここに居る厳めツラの強面連中は無頼の輩。目の前のスキンヘッドなんてただの「オゥラ! ***行くな*!」
……怖い……。
助けて悪漢様、もう二度と貴男の事を悪漢なんて呼ばないよ、お願いキング様。
『ロウトラウー、助けて』
「!?」
ハゲと痩せた少年は顔を見合わせた。
唐揚げから興味を無くし、私を見ながら悪口を言っている。何故悪口限定か?
こちらを見ながら半笑いだからだ。
どうでもいい。何を言っているのかなんて分からない。学ぶつもりもないのだ。そんなことより。
「水を、飲みます」
私の宣言に呼応するように、背後に奴が現れた。
抗争相手代表を改め、白狐面の医師。私にセクシャルハラスメントというトラウマを与えた元凶。
(あ、そうだった。こいつ医者だった。医者。医者)
そう思い込み傷を和らげる私。
そうしなくては、私はただハラスメントに屈した事になる。こいつはさっき、汚海の森に侵入し、あろうことか私を裸にひんむいて、ヒヨコのオスメス選別をしやがったのだ。
ヒヨコはワタシ。
ヒヨコって、どうやって選別されるか、知ってる?
(……ああ、思い出したくない……)
奴の横にはオカマの産婦人科医が居たが、オカマは一部始終をクールに眺めていた。
私の中で物心ついて異性に裸を見られるのは、たとえ親兄弟(妹しかいないが)だってゴメンだ。モデルのようなスペシャリティーな体型も、衆人環視に耐えられる強靭な精神も持ち合わせてはいない。ゆくゆく出会う予定の彼氏にでさえ、エロマンガ並みのフルオープンは避けたいものだ。薄暗いのは要必須。
裸見せていいのは不可抗力。
緊急時に、医者のみが望ましい。
なので、その行為に及んだこいつにはチンピラ代表を退いてもらい、医者にジョブチェンジしてもらった。
白狐面の医師。
背丈は二メートル超え。長い白髪、赤い目、睫毛まで白い完全アルビノのキレイな色合いは、西欧モデルな風貌。おそらく、こいつも若いのだろう。しかしエルビーよりは年上に見える。
この人、この色合いとつり目、我が国では主に神社に佇んでいる、石の狐様にしか見えない風貌。
尾は九本は無い。いや、一本も無い。
(来てしまった。こいつが)
実は私、何度か逃げる機会を狙っているのだ。残念ながら、フロウ福祉施設にお世話になった時のように、医療行為にお返しする金銭は一切無い。荷物は全て手元に無いのだからお手上げだ。
ここは福祉施設では無い。
払う金は無い。イコール?
はい。理解しています。
(確実に、売られる)
汚部屋病院からここに来るまでに、町中を少し歩かされた。細い道、陽の当たらない路地裏。すれ違う住人の鋭い目つき。客に声をかける薄着の女性達。何かにより昏睡状態で横たわる人々。この場所は貧困層でも、より治安の悪い地域だろう。
この居酒屋に来る前に受けたセクハラ、白狐面の医師のヒヨコ選別は、良くない市場へ私を出品するための品定めな気がする。
(なんとしても逃げなきゃ)
そして絶対に、大使館を探すのだ。
私は汚部屋病院を出た時に確信した。
(ここは異世界なんかじゃない。やっぱりファンタジーワールドじゃなかった)
外に出て、病院を振り返った時に見た。木に印された薄汚い病院の屋号。この国の象形文字のような模様の隅にひっそりと〔鈴木医院〕と書いてあった。
同郷の鈴木医師がこの病院に就任している証拠だ。しかし可愛いオカマは、名前こそスズサンとか言ってたが、鈴木医師とは無関係の現地民だった。これを発見した時、オカマを相当に問い詰めたが、今の私には奴の言葉はカタコトしか分からず、肝心の鈴木医師についてはここには居ないと首を横に振っただけ。
鈴木医師の安否、生存も気になるが、とりあえず同郷の人間がこの国に存在していて本当によかった。
(きっと絶対、どこかの国の大使館がある。もう何処の国でも助けてくれるのならアリ。我が国と国交さえあればあり)
だがしかし。それには私を売ろうとしている、白面の医師とその仲間達が邪魔なのだ。
トイレ行きたい作戦失敗。
あ、あれなんだ!作戦失敗。
牛歩作戦失敗。
白面の医師がふらりと消え、ハゲと痩せた少年と二人になってから、この居酒屋にたどり着くまでに何度となく作戦は失敗している。
(今も水を探しに姿を暗ます予定だったのに)
まあいい。まだチャンスはあるのだ。
奴らは、私が逃げようとしていることには気づいていないだろう。なるべく自然に行動し、奴らの機嫌を損ねない程度に抑える努力をしているからだ。
(でも、人数が増えるのは良くない)
白狐面の医師がやってくると唐揚げの会は終了し、彼らは言葉少なに席を立つ。そして薄暗い居酒屋を後にした。
もちろん私を伴って。
白狐面の医師は赤い目を細めてへらへら笑う。全然似てないが、この場所に来て、私を保護してくれたエルビーを思い出して切なくなった。
(最初、疑ってごめんね、エルビー。エルビーほど良い奴はきっとこの世にはいないよ。今、どこに居るの?)
そんな私をへらへら見ていた医師は、手に何かを持っている。それをおもむろに私の首に嵌めた。
「******」
へらりと笑う、その顔は。まるで縁日の出店で売っている狐の面そのものだった。
(タグつけられた…)
これはお肉にされる、牛さんが耳に付けるアレ。
出荷場へ向かう私。まだ荷馬車には乗っていない。
ドナドナ……。
ドナドナ……。




